寸劇
「お呼びですか?父上」
部屋の隅々まで絢爛な装飾が施された部屋。
赤い下地に黄金色の龍が刺繍された巨大なタペストリー。
その目の前にある華美な玉座に座る男こそがこの王国を、クランツェ王国を支配する男であった。
燃え盛るような赤に染まった絨毯の両脇にはこれまた華美な衣服に身を包んだ妙齢の男達が並ぶ。宰相に、枢機卿、軍事顧問に、狩人組合の副支部長と、肩書きには困らないものばかりだ。
そんな者共を従える男が、眼前に佇む青年を見て一つ溜息をついた。
己の息子のなんと愚かしく、浅ましいことか。それは凡そ高貴なる血に相応しい性ではなく、彼が凡百の民であればコレを許す事も、息子と呼ぶことも、容易かっただろう。
その狂気が芽生える前は愛らしく、少しワガママな程度であった。
だが求めるものが菓子から遊具に、遊具から金に、金から人に、人から力に。そうして変わっていくごとにじわりじわりと、その病魔のような狂気は拡散させていった。
それでもなお、血を受け継ぐものであり、父としての愛情はあった。
しかし、彼は王であるが故に。
それを与えることは叶わない。
王族が子に与えるものは教養と安定した国家、優れた血に、伝統。この4つで良い。
それだけで良い。
それだけが良い。
自らの父を大海の奥底たる冥府に叩き落としたあの時から、彼はそれを痛いほど理解していた。
今なお、彼の父は海の底から問うてくる。
ただ、夢枕にて問うのだ。四肢も奪われ、人とも呼べない肉塊と化した狂王。その人生の終着にてただ一言、満足かと彼に問うた。
頭頂部から滴る血で、もはや瞳孔が何処かすら分からなくなったその眼で彼の心臓を貫いた。
その目は、その言葉は、彼がどれだけ嚥下しようと込み上げてくる。
だからこそ分かってしまう。
目の前の男はアレと同じ目をしていると。
厄災を撒き散らし、他を踏みにじり、前だけを見る者の目だと。
それを知った以上、コレを野放しにしておく訳には行かなかった。
だが、彼の頭痛の種は愚息に留まらない事もまた、事実だった。
「ガルラードがかの者の引き止めることに失敗した。ガルラードはその責より辞職を申し出ている」
ガルラードの能力と素性から、退職は向こう十年は無いだろうとまで思われていた。そのために非常に悩ましく、さらにヒンツァルトの逃亡とセットなのが事を深刻化させる。せめてヒンツァルトの問題がどうにかなるまで待っていて欲しかったのが正直なところであった。
しかし、この場にいる者たちの多くは彼女を好ましく思っていない。その理由は野心、嫉妬、差別、宗教と枚挙に遑がない。そんな中、ヒンツァルトという対帝国唯一の切り札を取り逃した。
彼らは今まで幾度となく、組合ではなく国の管理下に置くよう求めた。彼女はその全てを、本人の望みと組合の権利を理由に退けた。
事実、この中ではガルラードに1番懐いていた事は誰もが知るところであるし、組合自体を敵に回したい訳でもない。
だがしかし、実際にヒンツァルトが逃げたとなるとそれらの話は意味をなさない。国の管理下であったらもっと早く逃げていただろうとか、ガルラードがいたから1度は帰ってきてくれたのだろうとか、そういった話はヒンツァルトが逃げた事実を前にすると途端に霞みゆく。
この状況においては、さすがの王も彼女に同情を禁じえなかった。
「それはそれは。かの白百合の魔女がその職務を辞するとなると穏やかではありませんね」
そう大仰に驚いてみせる姿は、もはや滑稽ですらあった。どこまでも他人事であり、その大根役者ぶりはサーカスのコボルトでもお目にかかれないだろう。
「ええ、ええ。嘆かわしいことです。ですが、アンリルの龍はその目で彼らを照らし、そうあれと望まれたのです。無惨にも、その血を我が身体に散らす事勿れと、そのように彼らを慮ったのでしょう」
「いやはや、デズモンド枢機卿。かの者にすら慈悲を与えるとは。慈悲深いですな」
「全くです、リー殿。彼はアンリルの龍への供物を愚かしくも人の身で穢したというのに」
王国におけるグリゴリ教の最高位たるデズモンド枢機卿、王国騎士団長アラン・リー、狩人組合の副支部長カラマラット・フラバー。グリゴリ教の教えやその野心からヒンツァルトの存在自体を認めなかったのが彼等だ。彼等にとって元凶と保護者の両方が消えたのはまさに龍からの祝福という他ないのだろう。
その様子をみて、侮蔑を隠さないのが宰相たるヴォルテマ・ラ・リスタールと情報統括部長たるフェイ、そして。
「おや、貴殿らの加護は脳にまで及んでいないらしい。信仰心が薄いのでは?」
第二王子、エインリッヒである。
彼等にとって間違いなくヒンツァルトは英雄であり、崇拝と言って差し支えないほどに信頼してる者までいる。それゆえ、神に並ぶ獣共に何か出来るわけでもない分際で教義だの、均衡だのを言い出すデズモンド達とは分かり合えない。
「王族とは言え、その発言は看過できませんぞ!!」
机を叩き、立ち上がるほどにリー騎士団長。その脇で皺だらけの笑顔は崩さないデズモンド枢機卿だが、その握り拳は硬い。
「お労しいや。騎士団長ともあろうお方がそこまで信心浅く、獣であったとは」
「やめんか」
王のその一言で場は静まる。
この場において表情を崩さず、中立である事を強調するのが、王ヘリゼン・ヴォー・ガルデモ・アルモンテと皇太子エドウィン・ヴォー・ガルデモ・アルモンテ、審判長リシュタルテ・ライラで、その心中はともかくこの場において最もこの場を俯瞰し、嘆いていたのは彼らであろう。
彼らは立場あるいは思想から、対立するこの者たちの間に立ち、この場を成立させなければならない。一癖も二癖もある彼らに対してそれは簡単なことではない。
しかし特に王にとってはその未来の為に、なさねばならないことでもあった。
「エインリッヒ、そしてリー卿よ。言いたいことはわかるな」
「は、申し訳御座いません」
「ええ、父上」
かたや膝をつき、頭を垂れるリー騎士団長。かたやただ王に向かい笑顔を向けるだけのエインリッヒ第二王子。彼等が混じり合う事は決してないのだろう。
「…はあ。まあよい。そんな事より、リスタール卿。アレらがいなくなるとして損失はどれ程か」
「は、率直に申し上げますと。神獣種研究計画フロンティアの凍結、防衛費の増加、教会への寄進上乗せ、神獣種資源の枯渇とそれに伴うアンリル連合国との貿易の縮小等々。はっきり言って考えたくないですな」
「それがあるべき姿とも言えましょう」
「流石はデズモンド枢機卿、聖書のみが話し相手であるのに、他人の言を遮ることをお忘れでない」
エインリッヒのその毒には流石のデズモンドの笑顔もピクリと一瞬歪む。
「エインリッヒ!」
デズモンドの僅かな変化をエドウィンは見逃さなかった。デズモンドは良くも悪くも模範的なグリゴリ教の信者であり、他人と諍いを起こすことは戒律にて禁じられているため、有り得ないと言って良い。
だが、そんな人畜無害がこの場にいてたまるものか。あの笑顔の裏には混沌たるグリゴリ教上層部を生き残った仄暗い策略が蠢いている。諍いなど起きないだろう。死人は抗うことなどしないのだから。
当然、王家はわざわざそんな男を敵に回す必要などない。
「…はあ。だから呼びたくは無かったのだ」
王はそうため息を小さくついた。リシュタルテは無垢の白い面をしているため表情こそ分からない。だが、唯一空いた右の穴から、労わるように優しい眦が王に向けられる。
王にとってヒンツァルトは非常に扱いにくいカードだった。というのも大陸において極東を領地とするこの王国において海から現れる神授種というのは最も身近で、最大の脅威であった。しかし、逆に神授種による被害が大きいおかげで神授種に対する緩衝材としての役割があり、第2の脅威たる帝国が侵略を後回しにしているという側面もある。
これだけで十分に厄介なのがわかるだろう。ヒンツァルトが神授種の恐怖を刈り取ろうとも、背後からは龍帝を名乗るかの帝国の牙が迫るのだ。ヒンツァルトさえいればこの阿鼻地獄も1つの領土であり、あの蛇のような龍帝も見逃しなどしないだろう。
だが、ヒンツァルトの厄介なところは何よりも。
「我らの主上たるアンリルの龍。その供物は海より現れ、かの爪牙にて太陽に還り、その血肉となる。我らクランツェの民はその庇護と下賜により生き長らえてきました。その事を王はどのようにお考えで」
「…」
グリゴリ教にて、あの神獣種共はアンリルの龍の供物で、アンリルの龍は神授種が現れてはやって来て奴らを喰らうのだ。そして、そのおこぼれをもってして繁栄してきたのがクランツェ王国である。
グリゴリ教からすればヒンツァルトは主上への供物を殺め、穢す背教者であり、王国はその片棒を担ぐ敵対国である。
もとより神獣種による被害が大きく、アンリルの龍が来るまで無抵抗となるこの国においてグリゴリ教は他国に比べて信仰されていない。だが、強大な組織であり、また国家としてのアンリル連合国と事構えたい訳でもない。クランツェ王国は小国なのだ。顔色を伺いながら生きていくほかない。
そんな中現れたのが帝国、連合国に1杯食わせるジョーカー、ヒンツァルトだ。
彼の使い方をひとつ間違えると帝国、連合国、神獣種、アンリルの龍とまさに絶体絶命の四面楚歌。
王はどこで間違えたのか。そう自問する。簡単な問題だ。
謁見室にて、白百合の魔女に連れられて、大見得をきって見せた少年。彼をやってみろとあしらったあの時から、間違えていたのだろう。
だが、一つだけ間違えていないと信じていることがある。
「デズモンド枢機卿、何度でも言おう。彼はアンリルの龍の手を煩わせずとも良いとそう考え、行動し、吾もその供物をアンリルの龍に献上している。アンリルの龍からは何事も賜れなんだが、それこそがアンリルの龍の答えであろうよ」
彼は、ヒンツァルトは英雄なのだ。
帝国の傀儡。
残飯喰らい。
そう謗られようとも生きてきた我らクランツェの民の英雄なのだ。それを貶めることだけは許されない。
王として、彼の行動は許せずとも。
王として、彼の存在は葬ろうとも。
彼の栄華を穢す事はあってはならないのだ。
「時に、エインリッヒ。我が息子。騎士を連れていないようだが」
王はそうヒンツァルトを誰よりも信奉する男に声をかける。あまりにも不自然な流れに場の全員が渋い顔をする。
まだ誰も理解していないのだ。だからまだ止められない。
いや1人だけ理解している。
「ええ。お恥ずかしながら」
飢渇のエインリッヒ。
己が欲望の為ならば肉親ですら手にかけるであろう狂犬。
その顔が笑顔に歪む。
デズモンド枢機卿は気付いたように慌てて何かを告げようとするが遅い。
「騎士の公布は済んでいるではないか。次こそは連れるように。お前への用はそれだけだ。もう行け」
「王よ!!!!!」
デズモンド枢機卿のその絶叫を意に返さずに、エインリッヒはただ告げる。
「ええ。もちろんですとも。我が父王よ」
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