英雄譚 序

 その時の俺の感情を表すのは少し、難しい。


 今更何を、とか

 何を考えてやがる、とか

 あとはどうせまた騙すんだろ、とか。


 本当に色んな気持ちが綯い交ぜになっていた。

 ただ、そこに信じようって気持ちは無かった。

 それだけは無かった。


 この言葉、この態度、この人間。

 意外かもしれないけど、俺にとってはかなり魅力的だった。過去の仕打ちを持ってしても、理性や本能はこいつに従うべきだと告げていた。


 だが、致命的に遅かった。

 あと一日、いやあと三十分早ければ俺はこいつについて行ったのかもしれない。

 しかし、現実はそうでは無い。

 俺はこいつに従う気は無かった。

 理性でなく、本能でなく、心が決めた。


 城壁の様に高く高く聳え立つ、この男を俺は乗り越えねばならない。

 その程度の事が今までの俺に出来なかった。

 だがそれは化け物どもを殺すよりは簡単で、今となっては出来ないわけがなかった。


 目の前にいるヒトをしばらく黙らせればいいだけなのだから。


 そう。

 本来その程度のことなのだ。

 金だの、地位だの、愛だの。

 そんなもののはたかが知れている。

 それ以上に俺達は人間であり、生物である。

 故に死から逃れ得ぬナニカである。


 それの前では全てが公平なのだ。


 貴族も、奴隷も、親も、友人も、老いも、若きも。


 ただ一つの命だ。




 一つ息を吐いて剣を握る右手に力を込める。

 眼前に立ちはだかるそれは悠然とこちらを見るばかりであった。



「悪ぃな。エインリッヒ」


 8年。

 この決断をするだけに8年もかかった。

 余りにも臆病で、余りにも幼稚だった。


「俺は一人で行くよ」


 剣を引き抜く。

 大した剣ではない。

 玄関に置いてあった何本かのうちの一本。

 組合で買える40ガロンくらいの量産品。

 だが十分だった。


 役目を果たすには、俺には、これくらいのがあっていた。



 その剣を突き刺す。



「エインリッヒ・ヴォー・ガルデモ・アルモンテ」


「フィルリートのバルドル。その息子たるヒンツァルトはここに誓う」




 つき刺さった剣に両手を翳す。

 目の前の誰よりもヒトである男を睨みつけて叫ぶ。


 俺は英雄になるぞ。エインリッヒ。




「我が生涯、我が血肉、遍く全てを人に捧ごう」


「儚きその灯火を守る守護者となろう」




 エインリッヒは茫然とその様子を見ていた。

 ただ、悲しんでるようには見えない。むしろ、喜んでいるようにも見えた。


 それはいい。

 あいつを落ち込ませようとか嫌がらせしようって訳じゃないから。





 だが。

 こんだけカッコつけて、こんだけやったってのに。







 この沈黙はなんだか恥ずかしい。


 いつまで黙ってんだよこいつ!

 巫山戯んなよ!

 いつもいつも「やあ、僕の英雄」とか余計なことばっか言って俺の事馬鹿にしてくるくせに、こんな場面だけ黙りこくりやがって。

 いつまでやる気だこの性悪!



「なんか言えよ!」


 堪らず叫ぶとハッとしたようにして、少し笑う。


「ああ、いやすまないね。まさかそう来るとは思わなかった」


「どう来ると思ってたんだよ」


「君の事だから何も考えず、とりあえず僕にくっついて来るかなあって」


「ガルラードが遂にやらかしたって聞いたしね。落ち込んでるだろうし今なら騎士になってくれるかなーって思ったのに。」


「その話はやめろ。未だに結構キてる」


 そんな話をしているせいか、なんだか拍子抜けしてしまった。

 アレは曲がりなりにも俺の誓いで、アンリル神聖域の神に建てたものだ。破れば神たる龍にこの血肉が捧げられる。

 それなりに重いし、結構盛大なモノだ。

 なのにこいつと来たらポカーンとして、「え、マジ?それする?」みたいな雰囲気出してきやがる。その上、あっさい理由で俺の事を勧誘できるとか。

 こいつ本気で俺の事馬鹿にしてるだろ。


 ただまあ、こんな俺も一応26でコイツらとも長い事一緒にやっていてそれなりに分かっているつもりでもあるんだ。


 目だけは笑わずに鋭く剣を睨むエインリッヒを見て、そんな事を思い出した。


 裏路地にも風は当然吹いてくる。外行きの格好にしては薄着な俺には少し、ここは寒い。



「なあ、エインリッヒ」


「おめえらはきっとすげえ考えてて、その中で上手いことやってたんだろ?」


「多分、俺がアホでバカで、臆病な癖してワガママで、ガキみてえなやつだから」


「だから、おまえらにもすげえ迷惑かけてたんだろ?」


「…」


エインリッヒは何も言わずにこちらをただただ見つめていた。それを見て、なんだか初めてこいつから優しさを感じたような気がした。


「それはさ、すげえ分かるんだ。俺には政治も駆け引きも分かんねえから」


 そうだ。

 別に俺はこいつら全員嫌いで恨んですらいる。

 でもこいつらは、間違いなく人の為に、命の為に最善を尽くしていたんだろう。

 だから、感謝も敬意もある。

 でも、それだけで全てを納得させられるほど俺は大人じゃなかった。


「でもよ、そうじゃあねぇんだよ」


「お前らは俺とか多少の犠牲とかそういうのの代わりに多くを救ってた」


「仕方ないって」


 ああ、これは俺の淡い夢だ。

 嘲笑されるだろう儚き夢だ。


 だが、俺の光であり、俺の行くべき道だ。


「そうじゃあねえ」


「そうじゃあねえんだ」


「全部救ってやりてえよ」


「どんな奴も救ってやりてえよ」


「俺も、お前も、どんな奴でも」


 金だの、地位だの、愛だの。

 そんなもののはたかが知れている。

 それ以上に俺達は人間であり、生物である。

 故に死から逃れ得ぬナニカである。


 それの前では全てが公平なのだ。


 貴族も、奴隷も、親も、友人も、老いも、若きも。

 ただ一つの命だ。


 だからこそ。


 金とか、地位とか、愛とか。

 そんな事を気にしてればいい。

 逃れ得ぬ死をあんな理不尽な形で終わるのは余りにも残酷だ。


 死の前に全てが公平である。じゃあ守るならその全てを守らねばならないだろう。


 貴族も、奴隷も、親も、友人も、老いも、若きも。


 その全て公平なただ一つの命なのだから。


 そして何より俺にそれが出来るのだから。


 いいじゃないか。

 ガルラード程の人間でさえ怯える俺の力。

 そこまで来たのならもう、怪物にでもなってやろう。


 あんなに怖い思いをするのが。

 あんなに痛い思いをするのが。


 俺だけで済むのなら、それで、皆の英雄ヒーローになれるのなら、それでいい。


 それがいい。


 それが俺の幸せで。


 それが俺の目標で。


 それが俺の、これからの。


 くだらない旅路なのだろう。


「だからよ、エインリッヒ」


「俺は一人で行くよ」


「一人で救ってやるよ。お前ら全員な」

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