乾いた灰

 光を見た。


 嗚呼、分かっていたさ。


 これこそが光だ。


 我が炎は青く濁り、何かを照らすことなど出来なかった。ただ己の醜悪な心と無知を晒すばかりのおぞましい影であった。


 嗚呼、美しい。


 もっと見せてくれ、その光をもっと。



 ☩



 勝敗は決した。


 未だ息をしているのはヒンツァルトで、穏やかな顔で転がる猫のようなこの生首がその証左であった。


 その場にいた全ての者が彼に駆け寄る。


 ある者は一抹の恐れを踏み潰しながら。

 ある者は己の使命を再確認しながら。

 ある者は友の駒としての重要性を再認識しながら。


 過ぎる思いこそ異なるが、三者全てが彼を案ずる思いのもとに駆け寄った。


「ヒッツ!無事!!??」


「…ああ、無事に見えるならそうだろ」


 改変した重力加速度のもと全体重をかけた一撃。その代償も勿論大きく、着地の際特に負荷のかかった左足からは骨が飛び出し、歩くことすら出来ないように見え、また泥と血に塗れた患部はもはや目を当てることすらはばかられた。

 もはや生きていることが不思議である程で、このまま放置すれば、このうつ伏せのまま彼は死にゆくだろえ。


 そんな状態でさえ、彼には悪態をつくだけの心の余裕はあった。

 その理由は目の前の人物の手元にあった。


 彼にとって、はっきり言って非常に不愉快であり出来ることなら回避したいその手段だが、今回は自分が悪かったために、悪態をつくまでに留めている。


「良かった。それだけ悪態をつけるなら我慢できるわね」


「いいから早くしてくれ。ガルラード」


 言われずとも彼女ティエリア・ガルラードは彼を仰向けにして上体をエルローに起こさせ、己の懐から取り出した陽光石を砕いた。そこからは彼女の専門であり、痛ましい彼の体はやがて光に包まれる。


 すると光と共に彼の身体は一時的に重力の楔から放たれる。ほんの僅かに中に浮き、エルローは彼の身体から手を離す。


 陽の光に似た暖かな印象を与えるその球体の内部では、魂の記憶に寄り添う形に身体が変形していく。


 それにともなう激痛が、ヒンツァルトにとってある種、神獣種の狩りよりも避けたいものであった。


 神経に直接針を刺されるような鋭利な痛みが体中を駆け抜け、時に意識を手放し、また痛みで起こされる。

 永遠のように思えるその数分を、耐え抜く精神が無ければここまで生きてはいなかった。しかし、陽光石による治療に感謝したことはただの一度もなく、ある種の呪いのようにも感じていた。


 光が拡散すると共にヒンツァルトの肉体が顕となり、その身体にもはや傷跡はなく、敗れた服と血痕があるのみであった。


 その目は虚ろで摩耗された精神の表れに違いなく、仰向けのままゆっくりと地面へと漸近する。


 意識の曖昧なヒンツァルトを見てガルラードは穏やかな落下をする彼の体を抱き抱えた。その姿は普段の彼女とは乖離した酷く穏やかな慈愛に満ちたものであった。


「エルロー」


 ただ一言彼女はそう告げた。そして、呼ばれた男もその意味を理解出来ないほど愚かではなかった。


「支部長、御安心を。確かに絶命しております」


 コツンと左足の先で生首を転がす。穏やかな顔をしたその球体が彼にとってこの上なく、不愉快であった。彼がもっと愚かであるならばこの汚物はとうに跡形もなく消えていただろう。愛する祖国を、臣民を、叔父を、叔母を奪ったこれらを心の底から憎んでいるのだから。


 ガルラードはその曇りきった眼を見てただ一言「そう」と呟くのみであった。


 エルローは黙ってポクポク太郎の荷物から敷物を借り、それを地面に広げるとガルラードはそっと彼をそこに横たえた。

 彼はいつの間にか意識を完全に手放し、静かな寝息を立てていた。その事を確認した2人と1匹は少し離れた猫の亡骸に足を向けた。


「回収は支部長が?」


「そうね、今回は門の場所が…その、アレだものね。私がやるしかないでしょう」


 チラリと後方のヒンツァルトとを見やるガルラードをポクポク太郎は少しからかう。


「ほお、よくもまあぬけぬけと。今回ばかりは貴様が悪いぞ、ガルラード」


「あっいえその今のは冗談と言いますか、その、まあ言葉の綾と言いますか」


 表情の読めない黒馬相手に慌てて自分の失言を取り消そうとするガルラード。それを見てポクポク太郎はくつくつと笑って見せた。


「よいよい。お互いいつか来るとは言っていたでは無いか」


「それに、私と彼奴がここにいるのも貴様らの甲斐あってこそであろ?」


 ポクポク太郎は襲撃者共に襲われた夜を思い出す。

 あの矢の雨が止んだのは彼等が、主にガルラードとエンディが襲撃者を殺害、又は捕縛した為にほかならない。

 その後の治療に当たったのも彼等であり、俗に言う命の恩人と言うやつである。


「しかし、あれは事前の太郎様の準備が整っていたからこそですし…」


「…当然だ。彼奴が出ていく事は止めん。それが彼奴の為に必要であったからな」


「だが、あの状態では、あの性格では、彼奴は生けては行けぬ。アレはこの世で生きるのには向いていないのだ」


 その言葉をエルローもガルラードも無言をもって肯定した。

 彼は、ヒンツァルトは産まれてくる世界を間違えたとしか言えない。あの夢見る少年のような真っ直ぐな青年は婉曲したこの世界のピースとして機能しているようには思えなかった。


「貴様らのような腹の底が黒く染った奴らに過保護に使われるくらいが今は丁度良い。今はな」


 ガルラードはその言葉に苦笑いする。どの口が言うのだと。


 目の前の黒馬は主の為と言い、言葉を、魔術を、文化を、政治を貪欲に学んだ。その速度も異常であったし、何より執念が凄まじかった。時としてこちらが気圧される程に。


 完全に理解出来たものもあれば、不得手な分野もあった。しかし、無礼を承知で言えば学の無い獣であり、1つでも身につく方がおかしいのだ。


 全てはヒンツァルトの為に。


 黒馬は自分が一番と言うが、傍から見ればそんな事は一切ない。全てにおいて主を中心として動いている。

 今回もそうだ。


 ヒンツァルトが逃亡した際、捜索隊が首都から出るより、ポクポク太郎の使役するコボルトがエンディに接触する方が早かった。


 伝言を受け取ったエンディと私が向かうと襲撃者と思しき者たちが転がっていた。

 死んではいなかった。主の指示で人が死ねば、彼は少なからず傷付くから。そんなくだらない理由で襲撃者すらこの黒馬は殺さなかったのだろう。四肢は使い物にならないだろうが。


 ここまでしておいて私達が腹黒で過保護とは些か不服であった。


「何か言いたいのであれば言え、ガルラード」


「いえ、何も」


 最もそんな事は口が裂けても言えない。








「では私から一つだけ、ご報告が」


「なんだ?」


「何?エルロー」


「あの襲撃者ですが……」


 その先を聞いたポクポク太郎とガルラードは天を仰いだ。

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