濡れた炎 5
身は焦げ、血は揮発し、足は泥にまみれる。
常人ならば立っている事すら奇跡とも呼べるようなその肉体で戦っていた。
その体捌きは舞う蝶のように軽やかで、飛び散る血はそれを彩る花弁のようで鮮やかだった。
何よりも、血と泥に塗れたその姿はまるで一国の王であるかのような気高さを確かに纏っていた。
そのことはその姿を最も間近で見ていた炎獅子が最も良く理解していた。
それを屈辱と言わずなんと言うのだ。
この光を持たぬ矮小な者があの冥々たる海の如何なる命よりも気高く、光り輝く魂を宿していた。
それは炎獅子にとっての生物を根本から否定した。
生物とは己の目的のために、命のために、光のために、己の悦のために、それ以外を排斥せねば成らない。そうである事が必然とされた。
だがあの海を出ればどうだ。歩く者の隣を他が過ぎ去り、自らの命を投げ捨てる者があり、常に明かりに満たされている。
こんな全てを与えられ、整えられた環境でただ1つ光がない。いや、必要がないのかもしれない。
こんな世界に生物がいる訳がなかった。それは生物に満たない何かであるに違いなかった。
そうであって欲しかった。
神光を手に入れなければならない。
だが、同時に陸に生きる事の幸せを知らぬこの愚者共を視界から消さねば気が済まなかった。
この出来損ないの異物をこの楽園から残らず燃やさなければこの眩い暗闇に光を見つけられなかった。
その半分幻である炎の四肢を大地に付けた時から口角は酷く醜く歪んでいた。
その最中にそれは現れた。
ほんの僅かな光とともに。
驚きもそれによる逡巡もあった。
だが、それ以上に本能から来る危機感があった。首に牙を当てられいるかのような焦燥感に駆られた。
目の前に現れたそれはあまりに矮小で今まで殺してきた塵芥共と何一つ変わらなかった。
だのに、それから目が離せなかった。
1歩でも動こうものならその瞬間に光も魂も潰えるような錯覚すら覚えた。
その圧迫感を炎獅子は知っていた。
かの深淵における頂。
食物連鎖の終端。
原始の廃棄物。
それはこの地に、生物すらいないこの地に居るはずがない、居てはならない。
―――だが、だが確かにソレは敵である。
意識を向けねばならぬ。
でなければ、死ぬのは己であった。
あの海を知りもしないコレ。
だと言うのにそれは輝く。
ああ、それは光なのか。
炎獅子は命のせめぎあいの最中に密かに祈る。
どうか、それは光でないと言ってくれ。
でなければ私は。
私は。
嗚呼、それは耐え難い屈辱で。
それは。
それは凡そ、羨望と呼ぶものだった。
☩
強い。
間違いなく目の前のこの神獣種は過去一強い。
多分、次ミスったら死ぬ。
最近こんなんばっかだ。
もう手の感覚も無くなってきた。
足が動いているのが不思議だった。
自分の本能を頼りに生きていた。
どうしても首を落とせないままだった。
剣でどうにかいなしても如何せん一撃一撃の重さが常軌を逸している。本体は1m程度だが、炎の幻影に実体があるもんだからマトモに正面から攻撃を受けることもままならない。実体のある幻影ってもうそれ実質本体じゃねえかよ、このボケ。
「ッ!!!」
そんな時だった。天地がひっくり返って見えた。粘性の高い大地に叩きつけられ、血を撒き散らして転がる。
まだどうにか生きている。
どうにか左腕で防ぐのが間に合った。代わりに左腕はもう使い物にならない。
口の中の泥のような灰を吐き捨てる。
俺は確かにあの時左前脚の薙ぎ払いを避けたつもりだった。しかしこの鈍痛はそれを否定する。
虚ろな目でとらえたそれに思わず笑ってしまった。
嗚呼クソ。
大切な事を忘れていた。
コイツらに決め付けをしたら負けるんだった。
背中から二対の人型の腕を生やした炎獅子。
炎に囲まれた1つ目のネコは少し泣きそうな顔をしているようにも見えた。
奥にポクポク太郎が走り寄ってくるのが見えた。
それを止めようとするエルローが見えた。
もう立つな。
そんな声が聞こえた気がした。
「…馬鹿がよ」
ここで折れるわけねえだろ。
ここで命かけねえわけがねえだろ。
お前はここで俺が殺す。
そうでなくちゃ誰が俺の家族を守るんだ。
それによ。
「…なあ、知ってるかよ」
ああ痛え。
血が足りねえ。
頭が回らねえ。
「…俺はよお」
左手は宙ぶらりん。
右手も感覚がない。
意識もいつ無くなるか分からん。
でもよお。
「…俺は
ああ、そうだ。
26にもなってまだ捨てきれねえんだ。
こうやってお前らと戦う度に思い出しちまうんだよ。
ちっとも諦めきれてなんかねえんだ。
俺ん中でずっとガキの頃の俺が叫んでんだよ。
負けんなよって。
お前は
だったらよ。
「立つしかねえだろうがよォ!!!!」
赤く染った泥を蹴り飛ばす。
奴はここに来て初めて火を噴いた。
それを見て確信する。
こいつもこの戦いで学習しているのだと。
ならば尚更ここで殺さねばならなかった。
左に転がりどうにか避けるともう既に目の前に炎爪が迫っていた。
正面から見ていたから分からなかった。こいつ背中の手から火を噴出してやがる。
前に転がり、動いてない右前脚に剣をぶっさす。
当たり前だが痛がる様子も無い。
後ろ足で立ち、俺を上空に吹き飛ばす。
どうにか剣だけは手放さずに済んだ。
しかし、もう身動きは取れない。
空中で飛べる異能など持ち合わせていない。
炎獅子の背中の手は絡み合い、火を噴く体勢だった。
「相棒ォ!」
ただ一匹の友にはそれで十分だった。
刹那、通常の倍以上の重力で大地に引き寄せられる。その間には当然炎獅子の姿もあった。
「…じゃあな」
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