濡れた炎4
湿り気を帯びた熱波が湿原と化したその地を駆け抜ける。
熱源たる炎獅子であったそれは、地形を、生態を破壊した。
そう遠くない森ではその異常を察知した獣が、魔物が逃げ惑う。
そこに強さの優劣はない。
天災とも言うべきそれへの恐怖を燃料として、ただ走り続けた。
己が生きるために。
これは何も初めてのことではない。
それが来る度に起こる現象だ。
生態系を文字通り土壌から破壊する奴等が来る度に悉くの命は目を見開き、唾液を撒き散らし、足裏が紅蓮に染まろうとも大陸の内へ内へと走り出す。
当然海岸沿いからとんどの命が消えてゆく。
そして内側で大きな衝突が巻き起こる。
奴等が来るとはそういう事だ。
そして、奴等が内に来れば来るほど、死ぬまでの時間が長ければ長いほど、その動きはより活発に、より大規模になる。
正しく天災。
神より遣わされた獣。
グリゴリ教にて人類の試練とされる災禍。
今この瞬間にもどこかの獣は、新たな安息を目指し駆けてゆくのだ。
☩
数多の戦場を共にした。
その殆どで私の役目は無く、ただ見守るばかりであった。今回もそうだ。
闘いと言うにはあまりに雅なその光景をただただ見つめる。
常の戦いよりも苦戦しているのは誰の目にも明らかであった。あらゆる状況、あらゆる敵に対し、確実にその首を断ち切れるその刹那の瞬間のみに主は持てる全てを賭ける。それで良かった。
今までであれば、それでどんな権能を持つ神獣種であろうと半刻もあれば殺して見せた。
それがどうだ。
主の身体から滴る血は焦燥を、泥と血に汚れた刃の無い剣は不安を駆り立てる。
攻めあぐねている。
隙が無いのだ。
そもそも神獣種は隙など考える必要はない。
それは何故か。
彼等の持つ権能は文字通り「次元」が違う。
我々のような低次の存在にはその原理も、それの持つ意味も。
本来、理解できないのだ。
あるのは彼等が齎す結果だけだ。
我々には結果しか分からない。
言ってみれば影と戦う様なものだ。
奴らの行動を我々の常識という太陽が照らし、我々はその影のみを見ることが出来る。細部がどうだとかその大きさはどうだとかそういったものはその時その場の奴らの角度で規定される。
実像さえ見えていない我々が勝てる訳が無い。
そんな常識を覆したのが我が主だ。
影を断てば、肉をも断つ。
はっきり言ってデタラメだった。
主は生きているなら首を切れば死ぬという。
多くの人間が嘲笑し、侮蔑し、唾棄したその主張はあの日の血飛沫が、月下の深緑に五月雨のように降り注いだ朱が証明してから、私の中で事実であった。
しかし、しかしだ。
そこ《狩場》に我らが介在出来る余地はない。
7年。
私はその一線を超えることが出来ずにいる。
私は断じて研鑽を怠ってはいない。非才という訳でもない。
事実、神獣種以外の狩りではほとんど私が主攻であるし、遅れをとったことも無い。
だが、こと神獣種についてはその限りではなかった。私の力は通ずる事無く、またその攻撃を見切ることも出来ない。
一度、たった一度だけ、主と共に戦おうとした事がある。結果は主の全身打撲、及び大腿骨骨折。引き替えに得たのは蛇の首。内容を言えばもっと悲惨であと少しで主が死ぬところだった上に途中、主は手も足も出ない私を蹴り飛ばし戦線離脱させた。その時の私は蛇の攻撃が迫りつつあることすら分からなかった。
あの時感じたおぞましいほどの惨めさを未だ拭い切れずにいる。
何故私の力は届かない。
何故私はこの一歩を踏み出せない。
今日も今日とて、私はただ見つめる。
蹄のかかる思いは増していく。
しかし、その泥濘に沈むばかり。
何の為に来ているのか。
時々自分に問いかける。それは無駄だと感じているからこそのの問いでは無い。
その問いは
その理由はこの汚泥のような屈辱をこの心に深く刻み込むためである。
汚辱に塗れた我が身を忘れぬために。
この烈火を何時しか踏み潰すために。
アレを倒す主もまた神獣種なのではないか。
そんな暗澹たる疑問を撃ち砕くために。
その問いを、鏨を繰り返し、繰り返しこの心に打ち付ける。
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