Re:

 心臓が嫌にうるさかった。


 それもそうだ。


 エンディに、いや人に対してこんな真っ向から意見するなんて俺の人生じゃそうそうなかったし、俺の肝は太い方なわけが無い。


 それに…


 それに俺はこう言ったんだ。

 こう言ってしまったんだ。

「王国の奴らを見殺しにする」って。

 その言葉の重みは誰よりも知ってた。


 だからその言葉から逃げてた。

 でも、でも遂に口にしちまった。


 ああ、クソ。

 こんなんになりてえ訳じゃなかったのによ。


 俺がこんな思いしてるってのにエンディの、あのクソジジィの目はいつもと変わらない。


 俺を使う時の目だ。


 それが余計に仕事を思い出させる。


 その目の黒は俺がここに居ることで死ぬ人達の恩讐に染まったようにしか見えなかった。


 だから目を合わすことなんて出来っこなかった。







 この永遠にも感じる沈黙を破ったのは当たり前だけどエンディだった。


「…君の出身はどこだったか」


「…何が言いたい」


「何、些末な事だ。故郷がアレの通り道ならば、君の同情が引けるかと思ってね」


「ハッ、そいつは残念だったな。俺の故郷は北のフィルリートだよ」


「君には悪いがそれは少し残念だ。ならば、東のカモレに知り合いはいないかね、あちらの方向なのだよ。そう、例えば…」


 目の前のクソジジイはわざとらしく嗤ってみせた。その汚泥のような眼が俺の背筋をゾワリと撫でる。決して快い感触ではなかった。


 「…家族…とか」


 ああ、てめえ。


 やりやがったな。



 そう心で呟いた時には身体は動き出していた。

 猛るその心を、とめどないその怒りを薪として、焔は燃え盛る。


 焔が管を伝う。

 焔が全身を駆け抜ける。


 身体の全てが1つの事の為に動く。


 この男を燃やし尽くすために。


 蹴りあげた地面は深く抉れ、塵と化す。

 握りしめた拳から、噛み締めたその歯から、焔が溢れ出す。

 振りかぶるその拳に迷いは無かった。

 理性など疾うに灰燼と化していた。


 その姿を見てなお奴は下卑た笑みを絶やさない。


 それでいいとでもいいたげに。


 奴の頬に叩きつけた拳は赤く染まった。

 それが自分によるものなのか。エンディによるものなのか。それは分からなかった。


 地面に転がる肉塊を、未だ囀る物体を踏みつける。


「お前、俺の家族に何をした」


「…はて、…何のことやら…?」


 このムシケラは喋る事すら難しいその状況で未だ鳴いてみせた。

 徐ろに体重をかけてみせる。


 吐息と共に漏れる嗚咽、そして、くつくつという笑い声。おぞましいそれが炉の炎を絶やさせない。


「今、俺の家族は…カモレにいるんだな」


「…ああ、そう言えば、そんな報告が…上がっていた」


「…見捨てるかね?」


 その言葉を頭で理解することは出来なかった。


 人として、もっと本能的な部分で反応していた。


 腹の底から煮えたぎるようなこの熱を比喩するにはこの世の物は些か冷ややかだった。


 気付けば俺の右手は奴の襟首を掴みあげていた。


 喉の奥から込み上げるこの激情を、濁流の様に押し寄せるあかく黒く深く濁ったモノを人は殺意と呼ぶのかもしれない。


「ッ!巫山戯るなァ!母さん達は関係ねぇだろうがッ!!」


 それはもはや咆哮と言って差し支えなかった。言語としての機能は持ち合わせてはおらず、威嚇の為だけに吐き出された音だった。

 これだけ捲し立てようと、襟首を掴もうと、睨もうと、エンディは顔色一つ変えなかった。

 そうある事が自然であるとでも言いたげに。


「どう…するかね、私を…殺して…カモレに間に合うと…?」


 その言葉に偽りは無かった。


 コレの持つ異能がなければ恐らく相棒の脚力をもってしても2日はかかる。

 この薄汚いボロ雑巾のような、ドブネズミの吐瀉物のようなこの男がいなければ、俺は大切な家族を守ることが出来なかった。


 ソレを見据える眼から、痛みすら感じるほど噛み締めた口から、振り抜く場所を無くした左の拳から焔が溢れる。



 いつの間にか鈍色の空から落ちてくる雨滴。


 まるでそれは釘のようだった。


 身体を、心をこの場に打ち付けて動けないように。







「…俺が…お前らに…何したってんだよ…!」




 限界だった。


 炉は沈黙していた。


 膝から崩れ落ちる。


 血で、涙で、雨でぐちゃぐちゃになった顔は醜悪なのだろう。俺の心のように。


「……こんなのに…なりてえわけじゃなかった…」



 エンディの服は雨も涙も血も、何もかもを吸い込んだ。その重々しいスーツは鎧のようだった。


 エンディは何も言わない。


 今奴はどんな顔をしているのだろう。


 蔑んでいるのか、嘲っているのか、愉悦を感じているのか。


 そんな事、もうどうでも良かった。




 俺は村から逃げ出した。


 俺は自分の夢から逃げ出した。


 俺はクソッタレの王国から逃げ出した。


 俺は重責から逃げ出した。


 逃げてばかりの人生だ。

 それで得たのは金と相棒と貴族共からの刺客。


 笑えてくる。


 助けても助けても尽きない罵声。


 殺しても殺しても尽きない化け物。



 泣いても喚いても、何時までも俺を助けてくれるヤツなんて居なかった。


 …はは。


 英雄ヒーローを目指して、英雄ヒーローを求めるなんて馬鹿げた話だよな。


 「己が生涯誇れぬならば死ね」ってのがエンディの口癖だったけど、そんなの俺にはできるわけが無い。


 努力して、後悔して、妥協して、失望して、奮起して、絶望して。


 俺以外の全員が俺を騙していて、実は演技でって、そんな馬鹿げた妄想に期待したりして。


 こんな人生に誇れるモノなど何も無かった。


 挙句の果てには家族を危険に晒す始末。


 もうたくさんだ。



 なんで俺はこんなヤツらを助けてきたんだ。


 ああクソ。


 なんでこんなヤツらを





 助けなくちゃならないんだ。





「…''門''を出せ」


 


 こんなクソみたいな人生、唾を吐きかけて、捨ててしまいたかった。


 でも、俺にとって唯一の大切な人達だけは見捨てられない。


 あの人達はこんな俺のせいで死んでいい人間じゃないんだ。


 死なせてしまったなら俺は俺を許せない。



 エンディは何も言わずに''門''を開いた。


 5m程の豪奢な門が殺風景な平野に聳え立つ。




 戸はなく、その口は白い霧に包まれている。


 この先に、化け物が待っている。


 なんの迷いも恐れもない。


 門へ向かう。


 霧の前で立ち止まる。


 振り返りはしなかった。


「…おい、殺したら家族を安全に帰せ」


「…その必要はないと思うがね。君がアレをやりさえすれば彼等はカモレ旅行を続けるだけだ」


「…もし、もしだ。何かあったら俺はお前達を許さない」


「ああそうだろうとも。疑問はない」


 どうしてそうお前は!!


 そんなにも俺の神経を逆撫でる!!


 怒りという感情に生まれつき上限があるとするなら、俺がこの先この感情を抱くことはないだろう。

 怒り以外にも悲しみや絶望もそうだろう。


 振り返れば、人の皮を被った化け物はこちらを冷徹に見据えていた。



「覚えてろ!!俺の家族が少しでも危険な目にあったら俺は全身全霊、全ての力、金、権力を使ってでも!!それこそ俺の命を使ってでも!!」


「お前達を絶望と苦痛の連鎖から逃れられないようにしてやる」


「絶対に死なせない。生きてお前の子供を、孫を、友人を、妻を、母を!父を!!」


「何故こんな目に遭うのかを分からず、泣き喚き!ただお前に縋る様を存分にみせてからお前と一緒に''海''に突き落としてやる」


「脅しなんかじゃない」


「これはお前が謝った道を選んだ時歩む確固たる未来だ、近似的な現実だ」


「覚えていろ。そしてお前の他全員にも伝えろ。これに関わった全ての人間に」


「絶望の淵に叩き落としてやるってな」


 息を荒らげながら吐き捨てた言葉に偽りはなく、その覚悟も俺にはあった。


 だと言うのに、目の前の異形は眉一つ動かさない。その双眸は冷たくこちらを捉えるばかりであった。








 俺は神が大っ嫌いだ。



「ああ、伝えておくとしよう。それにしても、早く行ったらどうだ。今こうしてる余裕は本当にあるのかね?」





 でも今日ぐらいは祈っておこう。



「クソがぁぁぁああああッ!!!!」




 この男にこの世全ての災いを。

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