淡い光

 ヒースは泣いていた。

 今さっきあったばかりの俺にはその理由もかけるべき言葉も分からなかった。ただ、その姿は幼き頃の4つ下の弟を連想させた。弟はよく泣いた。弟は泣く事で感情を落ち着かせていた。30手前であろう彼と幼き頃の弟が似ているのは奇妙だが、彼の得体の知れなさが説得力を与えていた。


 小さな声で謝り続けるヒースにただ微笑むばかりだった。




 落ち着いてきた彼は照れくさそうにまた謝った。


「すいませんほんと…。お見苦しい真似を」


「…男ってのは泣ける時が限られてる。気にするな」


 彼は最初から危うげだった。

 剣に手をかけた時、やられると思った。彼は剣を地面に置いていたのに。彼は俺がどう動こうと切り伏せてみせただろう。それが分からぬほど俺の目は濁っていない。

 だが、彼は震えていた。まるで叱れることを分かっている子供のように。命のやり取りを生業とする彼が剣に怯えたとは到底思えない。じゃあ何に怯えたのか。馬鹿げた話だが、彼は恐らく俺を手にかけることを恐れた。妻の前で、子の前で手にかけることを恐れた。軍人たる俺からすると余りにも幼稚な考えだ。自らの命を絶とうとする相手に躊躇うなど正直考えられない。

 それは優しさではない。

 それは生命として、この世に生まれた人として欠陥とも呼べる。


 そんな彼に今まで会った誰よりも'人間'を感じた。


「夜も遅い。宿まで送ろう。'金木犀の雫'で良かったな?」


「あ、や、大丈夫ですよ。自分もいい歳ですし夜道くらい」


「さっきまで泣いてた奴、一人にゃできんよ。大人しく送られときな」


 立ち上がり、外套を手に取る。エリィに声をかけようとすると分かっているからと手を振っていた。エリィも彼を放ってはおけないようだった。


「あ…はい、ホント…何から何まですみません」

 

 そう言って頭を下げた時、が襟から覗かせた。思わず声が出そうになるのを手で押えた。本当に彼は何者なのだろうか。分からない。



 ☩


 結局、グードさんに送って貰ってしまった。申し訳ない思いでいっぱいだったがグードさんに言わせれば客人を送らない方がポリシーに反するらしく、送られろとの事だった。

 迷惑をかけっぱなしで申し訳なくなるけれど俺はもう一つだけ彼にお願いがあった。


「グードさんはここの衛兵なんですよね」


「まあ、そうだな見張りとか検問とかは俺の仕事じゃないけどな」


 グードさんはそれがどうしたと言わんばかりの表情で此方を伺う。そこには俺に対する攻撃的なものがなく、暖かさすら感じた。


「あのですね、迷惑だとは思ってるんですがね。実は…」


 そう言って俺は助けられた事だけを話した。そして、助けてくれた恩人を探しているとも。衛兵ならば、誰かを助けたみたいな話を聞いてるんじゃないかという淡い期待だった。

 分かってはいたがグードさんもそんな話は聞いていないと言う。望みは薄いかもしれないが一応部下達にも聞いてくれるそうで、本当に感謝しかない。


 追手なんかの話はしなかった。巻き込んでしまったら罪悪感に耐えきれない。


 そこまで考えて俺は消えたくなった。


「グードさん」


 ふと立ち止まり呼び止める声にグードさんは不思議そうにしていた。


「どうした?」


「さっきの話誰にもしないでください」


 どうして考えつかなかったのか。助けた人間がいたとして、俺が助けられたところを追手が見ていないはずがない。助けた何者かを探しているのはきっと俺だけじゃない。この話を知ってしまった時点でグードさんはもう、俺のトラブルに片足を突っ込んでしまっている。


 こんな俺に優しくしてくれて、こんな俺に気を使ってくれている。俺のせいで他人が不幸になるなんてやめてくれ。

 俺が、俺の心が辛いんだ。

 それは自分勝手だって分かってる。


 この人は幸せでなくちゃならないんだ。


「いきなりどうした?気になるから聞いたんじゃないのか?」


「そうなんです。知りたいんです。でも、でもダメなんですよ!これ以上は!!」


 星と片付けに勤しむ店の明かりだけの静かで、無機質な世界に俺の声は響いた。店主達もこちらを見ていた。こんなはずじゃなかった。

 俺は、俺はただ…。


 ☩

 声を荒らげた理由は分からない。要領を得ない彼の説明は傍から見たら腹立たしさすら感じるようなものだろう。

 だが、彼の顔を見てしまうとそんな感情は湧いていない。

 ああ、ヒース、お前は何をそんなに怯えているんだ。

 足は震え、頬は引き攣り、懇願する目は悲痛さを増長させる。



「分かった。誰にも言わないと誓おう」


 そういう他なかった。この謎の青年の為にも、恐らく俺の為にもこの誓いはたてねばならないものなのだろう。


「ありがとう…ございます…。すいません…」


 そう言うと彼は宿に着くまで俯いたままだった。声をかけるのも憚られた。俺よりも強いであろうその姿は子供の様にしか見えなかった。


 また、来るといい。


 それだけ伝え帰路に着いた。

 狼の遠吠えが木霊する。

 こんな夜だからだろうか。


 やけに多く鬱陶しく感じた。

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