忘れていたモノ

 夜になるとここで一夜を明かす旅人や商人達で村は賑わいを見せていた。喧騒の中をただぼんやりと歩いていた。

 自由ってモノは案外、退屈だ。それを求める時輝いても、手にした時にはもう錆び付いている。それを輝かせるには今度は磨かなきゃいけない。手に入れるまではいい。暴力なり金なりで何とかなる。だけど磨くのは技術がいる。知識がいる。


 星空を自由に喩えた詩人がいた。


 君がもし、星の綺麗な夜に、

 下でなく、右でなく、左でなく、

 夜空を見上げたなら

 君は他の誰よりも自由だ。


 そう彼女は語る。

 俺はこの意味を理解しかねていた。

 これを素直に受け止めるにはひねくれ過ぎていた。


 飽和する自由。

 密かに望む束縛。


 身を委ねる大木を望んでいる。




「なあ、兄ちゃん」


 その一言が思考の堂々巡りを遮った。気付けば飲み屋独特のアルコールと煙の匂いが消え、商業地区から外れていた。


「大丈夫か?水持ってきてやろうか?」


 どうやら酔っ払いと思われたらしい。それもそうか。ぼーとしながらわざわざ村の居住区にまで来ていたら誰でもおかしいと思う。


「すみません。大丈夫です、ただぼーっとしてただけ…で……」


 声の主は想像の遥か下にいた。此方を心配そうに見上げる其の姿は泥に汚れた少年だった。


「そっちこそ大丈夫か?こんな時間に出歩くと危ないぞ?」


「あ、やべ!母ちゃんに殺される!どーしよ!!」


 蹲り、頭を抱える少年。それを見て、何だかとても微笑ましくて、暖かくて、つい、口角が上がってしまう。


「なあ、少年」


「ん、なに?酔っ払いの兄ちゃん」


「酔っ払いの兄ちゃんじゃない。

 俺はヒ……。俺はヒースってんだ」


「ふーん。で、なに?酔っ払いの兄ちゃん」


「あのなあ…まあいいか。兄ちゃんも怒られてやろう、仲間がいれば心強いだろ?」


「本当?!母ちゃん怒んない?!」


「いや、多分怒る」


「えー。ダメじゃん」


「でも多分いつもより短いぞ」


「本当にー?」


「本当本当」


「じゃーいこー!おれ、ラルフ!宜しくな、兄ちゃん」


「おう、よろしくな、ラルフ」


 この辺の事なら何でも知ってると豪語する小さなナビゲーターになにか幸せなモノを感じながら夜道を歩く。


 ☩


「今日はなー。お手伝いなくてなー。だからロービィとリーラと川行ったんだー」


「友達か?」


「そー。ロービィは街の方に住んでんの。さっき酔っ払いの兄ちゃんに会う前にバイバイした。でー。リーラはー川で遊んでたらドリィが迎えに来て帰っちゃった」


「へー。川って宿屋の後ろのやつ?」


「宿屋いっぱいあるからわかんねーけど多分そー」


「まあ周りに他の川ないみたいだしな」


「うん。ない」


「川遊びって何すんの?」


「水掛けあったりー、水切りしたりー、あ!そうおれ、今日俺5回も行けたんだぜ!!凄くね!?」


「マジで?やるじゃん」


「だろー?」


「楽しかった?」


「うん!!」


 そこには暖かなモノが確かにあった。それは俺が藻掻くうちに無くしたもので、俺が欲してやまないモノで。でも、俺は笑った。悔しさも羨みもなかった。この心の暖かさを、この感情の名前を、俺は知らない。


「あ!やべ!!母ちゃんだ!!」


「ラルフ!!!」


 ラルフが母と呼んだその女性は一瞬安堵したが、その後に酷く脅えきった顔でこちらを見た。仕方ない。こちらは村の人が住む場だ。客人が紛れ込むことはあれど、子供を連れてやってくるなんて一見穏やかじゃない。


「ラルフ、行ってきな。兄ちゃんが行くとびっくりしちゃうから」


「そーなの?」


「そーなの」


「わかったー!」


 ラルフは母の元へと走り行く。その姿をただ眺めていた。母は子を抱きしめ、子は母に抱き着く。ああ、あんな家庭が俺にも持てるのだろうか。俺が求める何かがとても近いのに、果てしなく遠い。


 パチン


 その音に少し遅れて、ラルフの泣き声と母の震える怒声が響いた。まあ、そうなるよなあ。


「馬鹿!こんな時間までどこ行ってたの!」


「うわあああ」


 泣きじゃくる子を母は抱きしめる。そこには紛れもなく愛があった。利害とか相性とかそんなものを蹴り飛ばしてしまうような、その繋がりは得難いものと気付いたのは何時だっただろうか。この暖かさを忘れてしまったのはいつだっただろうか。

 感傷に浸ってる場合じゃない。そろそろ声をかけなきゃラルフには嘘ついたことになっちまう。


「すいません。実はここに来るのは初めてで迷っていたところ、川から帰るところだったお子さんに助けて貰ったんです」


 そう声をかけると母親の少し背が跳ね上がった。子を隠すように抱き寄せ、視線がこちらから離れることは無い。

 確かに夜中におっさんにとなりゃ、はいそうですかとはならんよな。こいつはまずったかな。


「怪しいもんじゃないです。一応これでも狩人なんです。登録証もここに。なんだったら借りた宿の鍵だって見せましょうか?」


 なんとか怪しいもんじゃないと知って頂きたい。そうでもしないと俺は不審者扱いで衛兵沙汰になっちまう。まずいな。衛兵とチャンバラなんざごめんだぞ。ん?チャンバラ、ああ、そういや俺帯剣しっぱか!

 ベルトから剣を外して、そっと地面に置く。ついでに両手もあげる。俺は無害ですよー。さっきとは打って変わって歪な笑顔を浮かべる。


 気まずい空気が漂う中、住宅街の暗がりから頼りない燈と共に厳しい鎧に身を包んだ男が現れた。


「エリィ!!!ラルフは居たか!!」


「あなた!」


「ぱぁぱあああ」


「どこ行ってたんだ!心配したんだぞ…」


 鎧のまま抱きしめられ、少し苦しそうな顔をするラルフを見て、少し笑みがこぼれる。いい両親を持ったな、ラルフ。

 それはそれとして、そろそろ宿に帰りたい。まだまだ夜は長いとはいえ、やることも無い。それに見たところラルフの親父さんはどうもこの街の衛兵っぽい。怪しまれる前にさっさと帰ろう。それでなくとも俺は格下王国民で、もっと言や王国では嫌われ者なんだ。


「ええっとじゃあ自分はこの辺で…」


 その声に親父さんは機敏に反応する。左手でラルフを自分の影に隠し、それとなく剣を握る。その姿が先程の母親と重なった。姿は違えど、もっと純粋な意味で同じだった。


「お前、何者だ」


 その声は夜闇によく響いた。紛れもなく敵意があり、その的は俺だった。

 マジで勘弁してくれ。なーんでそんなにピリピリしてんだ。ラルフの前でチャンバラおっぱじめる気かこの野郎。

 地面においた剣をどう拾うか。彼の抜刀はラルフが邪魔で遅くなるはず。なら間に合うか?


「いや、怪しいものじゃあないんですよ?」


 そう言いながら少し後退る。やばいなあ。よりにもよってこの親父さん結構強いっぽいな。だって階級たけえもん。絶対強い。文官だったら笑うけど。


 ヒリついた時間が流れる。傷が痛む中どれだけやれるだろうか。







「あなた、この人は…」


 ラルフの母が親父さんに耳打ちする。それを聞いて少し驚いた父親はラルフと少し何かを話したあと、剣から手を離した。


 思わぬ所から助け舟がやってきた。いやあ助かった。この街から逃げられるかは分からないし、最悪帝国からも脱出しなきゃだったし。不審者扱いはもう嫌だしな。


 ☩



「いやあ、すみません。すっかりご馳走になっちゃって」


「いいってことよ。ラルフ送って貰っといてはいさよならとなっちゃあブリード家の名が廃るっての!」


「もう!そんなこと言って!付き合わせちゃってごめんなさいねヒースさん。この人すぐこうだから…」


「いえ、むしろ奥さんがご迷惑じゃ…」


「あらあら、いいのよ。この人大食らいだから大して量だって変わらないし、それにラルフが迷惑かけちゃったみたいだから気にしないで」


「あ、いや、ラルフ君が迷惑だったなんて、その…」


「ねえねえおっちゃん!おっちゃんってつえーの?!」


「お、おお。まあそれなりにな」


 美味しかった…。人の手料理なんて何年ぶりだろう。店の料理とはまた違った良さがあるよなあ。

 俺が呆けている間にお母さんのエリィさんは食器を下げていた。手伝おうとするといいからいいからと拒まれてしまった。お父さんのグードさんは食後も酒を煽り、無精髭にエールの泡を付けている。精悍な顔付きも酒精のせいでほんのり赤く緩んでいる。ラルフは話に夢中で、中々フォークが進まず、半分しか食べきってない。

 あの後、誤解だと伝わったようでグードさんが頭を下げた。それでお詫びをと言われたけど、正直、俺が怪しいのが悪いし、気が引ける。断ったけど、グードさんの押しに勝てなかった。

 あの場所からそう遠くない居住区の一角にその家はあった。二階建てで庭のある豪奢では無いけれど立派な家で番犬だっていた。無茶苦茶吠えられた。昔から犬だけには好かれない。


 ラルフを送り届けるだけのはずがこんな事になるなんて思ってもみなかった。


「ヒースは何しにここへ来たんだ?」


 もうすっかり出来上がったグードさんがそう問いかけた。先程の緊張感が嘘のようだ。


「あ、その、ガーロに家を買いましてね。お恥ずかしい話、ここらにあんまり詳しくなくてですね。ロドには多分買い物とか、色々しに来ると思って下見にと」


「あら、そうなの。ガーロも悪いところじゃないけれど、農林都市だものね」


「なんだって、ガーロにしたんだ?まだ若いってのに」


「えっと、ガーロで狩人が不足してるらしくて、そこで働く代わりに家に融通してくれるそうなんで、そろそろ自分も身を固めようと」


「なるほどねえ。でもガーロにゃ婆さんしかおらんぞ。身を固めるったってなあ」


「そう?ガーロの都市長もその辺り気にして若い子呼びこんでるって聞いたけれど」


「どうだかなあ。今どき、畑と林しかねえ農林都市に住むやつが多いとは思えんがな」


「まあ、そんなに焦ってすることでもないので落ち着いて考えるつもりですよ」


「あ、ラルフ!もう!食べかけで寝ないの!」


「ったくよお。ほら、ラルフ!起きろ!急に静かになったと思ったらこれだよ」


「うう。母ちゃん眠い」


「もー知ってるわよ」


「ヒース、悪ぃな。ちょっとこいつ寝かして…」


 グードさんの言葉は不自然なところで途切れた。エリィさんもグードさんもこちらを見て目を丸くしていた。それが理解できなかった。


「どうかしました?」


「どうしたもこうしたも、ヒース、おめえなんで泣いてんだ」


 そう言われてようやく気付いた。頬に確かに涙が伝っていた。


「あれ、いや、ほんと、なんででしょうね」


 おいおい人んちで泣き出すとか勘弁してくれ。冗談キツイ。俺はもういい歳なんだぞ。泣くこと自体ドン引きだよ。


「ごめんなさい…、すぐ…止まると思うんで」


 おい止まれ、止まってくれ。


 そう思えども、目から涙が溢れて止むことは無い。袖で拭って拭って、びちょびちょになって、それでも涙は止まってくれなかった。


「ごめんなさい…ごめんなさい…なんか…ほんと、止まんなくて…」


 そのまま泣き続ける俺にエリィさんはタオルをくれた。ラルフをベットへ連れていった後、グードさんはタオルで顔を抑えた俺の傍に、静かに座った。俺が落ち着くまで、彼等はただ待っていた。


 それが余計に俺を泣かせた。






 ☩

 補足


 都市

 この世界に置いて、都市はほぼ国と同義である。都市の集合体として、帝国や王国等が存在している。そのため都市長と呼ばれる都市を治める人間が実質的な実権を握っている。

(中世におけるローマ教皇と都市国家の関係に近い)

 各都市は城壁で覆われており、また比較的分散している。これは神獣種と呼ばれる謎の巨大生命体の破壊に備えるためである。基本的には田畑があり、商業地区があり、居住区もある。しかし、稀に何かしらに特化した都市が存在する。


 ガーロ

 ヒンツァルトが買った山がある都市。農業や林業に特化した都市。敷地は広大である代わりに城壁は薄く、低い。そのためあまり印象は良くなく、人口も少ない。


 ロド

 最も王国に近い都市。元々は帝国の首都と王国の首都の中間の宿町として、栄えていたが、近くにガーロが出来、流通の要としての側面を持つようになり、発展した。

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