夕陽と平穏
夢を見た。とても懐かしい夢だった。
王国の小さな村の小さな商店、2階の居住区。暖炉の前のゆり椅子に座った母ちゃん。そして、それを囲む3人の子供。
全部全部懐かしくて暖かな思い出だった。
話を胡乱げに聞いている親父ゆずりの目付きの悪いのが長男のハルビン。
ニコニコしながら聞いてるぽっちゃりな奴が次男のアルドー。
目を輝かせ興奮しながら聞いてるのが俺。
兄貴達は俺が母ちゃんにこの話ばっかりねだるから飽き飽きしてたんだろうなあ。ハルビンは端から御伽噺とか好きじゃなかったし。アルドーは嫌嫌だけどよく付き合ってくれたなあ。
俺が色んなものを持っていた頃だ。
夢も。希望も。愛も。友人も。
下手をすれば、これが天国って言われても納得が行く。永遠に人生で最も輝いていた頃のまま。悪い事など1つもない。
母が目の前にいた。
俺はこの時にはもう気付いていた。
「ヒッツ。満足したの?」
母は美しい訳でも、不細工な訳でもなかった。鼻の低いのっぺりとした顔立ちで、俺はその顔によく似ていた。でも、決定的に違うその優しさだけは、似なかった。俺は何時だって少し狡かった。
「…うん。そこそこ」
努めて笑みを作った。何もかもを諦めて。
「そう。分かっているのね」
母ちゃんはそう言った。本当に母ちゃんには敵わない。母ちゃんの前では英雄も嘘が下手な小僧でしかなかった。
「行ってらっしゃい」
そう微笑む母ちゃんはびっくりするくらい暖かくて、とても綺麗に見えた。
その顔を見て、しばらく家に帰ってない事を思い出した。父ちゃんは元気かな。ハルビンはまだ勉強漬けなのだろうか。アルドーはまだ腹を真っ黒に染めたままなのだろうか。
そうだな。
1回、家に帰らなくちゃな。
じゃあ、やっぱり。
起きないとな。
☩
「…よお、相棒。獣くせぇから、明日は水浴びしようぜ」
視線が左右に揺れる。視界に映るのは最近舗装されたらしい地面。近々、小石の撤去を王国政府が行うと言っていた。なんかスラムの浮浪者が云々とか言ってたけどさっぱり分からん。大々的にニュースになってたし、それなりに大事な事なんだろう。
目の前の光景があまりにも短調で、下らないことを考えた。
相棒は黙ったまま歩みを進める。だが、その踏み締めるリズムが、確かに狂った。
「…何ビビってんだよ。お前やましい事でもしたのかよ」
努めて、いつも通りに振る舞う。身体の節々が軋む。何日も寝ていた気もするし、ついさっきまで戦闘をしていたような気もする。分かるのはどうにも死に切れなかったって事だけ。
矢は身体から消えていた。相棒の蹄鉄付きの足では矢を抜くなんて器用な事は出来ない。それに、どうやって背にのせたのかも分からない。もしかしたらあの後、誰かが助けてくれたのかもしれない。
そう思うと案外俺の人生も捨てたもんじゃ無いなと感じた。あの後、俺を助けてくれた誰かが居たのは間違いない。
王国の領内でそんなお人好しが居るとは思わなかった。…もし、出逢えたなら、恩を返そう。そう心に刻んだ。
案外近くにいるのかもと思い、気力を振り絞り周りを見ると、何やら見慣れない土地が広がっている。
周りには行車が何台か居たけれど、こちら、と言うよりポクポク太郎を見て見ぬ振りをしている。助けておいて、そそくさと逃げるなんて聞いたこともない。だから多分、もう別れてしまったのだろう。
少し、寂しい気持ちだった。人に助けられた事なんて久しぶりで、舞い上がる程嬉しいのに、そのお礼すら出来ないのは寂しいし、歯がゆかった。
恩人はいなかったけれど、別のものは見つかった。前方に見える巨大な城壁。そこに小さくたなびく金の鹿の旗それを見て確信する。
―――帝国だ。
俺の眠っている間にこんな所まで来ていいたみたいだ。
目的地を眼前に控え、尚且つ生死の狭間をメトロノームしてた割には存外、心は落ち着いていた。身体を動かすことにも段々と慣れてきた。それなりの時間は経っていたようで、身体からバキバキと嫌な音が鳴る。そして、ようやくまともに座る。何だかかっこつけた後だから、気恥ずかしくて仕方なかった。
何処か早足になった相棒に語りかける。
「あそこで、ちょっとゆっくりしよう。ここからは帝国のはずだ」
☩
少しだけ帝国について話しておこう。帝国と王国は隣り合わせで、一応同盟国だ。隣国ってのは大体問題が生じるもんだけど、帝国と王国限ってはそれほど険悪な訳じゃない。と言うのも、帝国には''光の御子''って呼ばれる、まあ簡単に言えば物語の勇者みたいな人が代々現れる。一昔前、帝国が人間こそ全ての頂点に立つ種であると声高に叫び続けた時代に、敵を屠り続け、大活躍した方々で、それはそれは強い。まあその敵ってのが、差別的な言い方になるけど、亜人と呼ばれる人達で今となっては当時の虐殺が外交上のドえらい問題になってる。
そんなこんなで過去の英雄も今ではメチャ強軍人でしかない。…もちろん立場が変わっただけで、皇帝のワンコって所も、その強さも変わっちゃいない。なんでも連邦国との戦争の時は大砲の玉を喰らって尚、前進を続けて、本陣を壊滅させたとか。
どーせ盛ってるだろうけど、火のない所に煙は立たないって言うし、それなりの活躍はあったのだろう。ってかそんだけ名が知れ渡ってるのに戦線に出て無傷で生還するって時点で相当凄い気がする。
とまあ、そんな生きる兵器が代わる代わる現れるもんだから、それこそ剣だけで戦ってた頃のままズルズルと王国は半分帝国の属国みたいな扱いを受けてる。それで王国の人間は少し侮られがちだけど、世界情勢を見るとめちゃんこ平和だ。それが俺が帝国を亡命先に選んだ理由でもある。
この世界は今、隠居先が1つしか浮かばないくらいに不安定だ。
…一介の市民と成り果てた俺には関係ない。
☩
「……あの、すいません。今晩、空いてる部屋はありますか?」
「いらっしゃいませ。はい、ありますよ。御一人様で?」
「ええ。馬房も貸して頂けますか?」
「そうしましたら、2階のお部屋がよろしいかと。サービスで馬房が使えますよ」
「ではそれで」
「201、203、209号室が現在空室です。ご希望はありますか?」
「いや、特に無いんでオススメでお願いします」
「それでしたら201号室にご案内しますね。ローヒ川の絶景も楽しめ、尚且つ心安らぐお部屋となっております」
「いいですね。よろしくお願いします」
「では、身分証の提示をお願いします。
…はい、大丈夫です。それでは前金が21ガロンとなっております。
…はい、丁度お預かり致します。
それではご案内致します。係の者があちらで控えております。ごゆっくりどうぞ」
…俺は今、歯を食いしばり涙を堪えている。何の事だか分からんと思う。だがね、普通に宿屋に入れるって、素晴らしい。王国では辺境に行っても泊まれなかった。それがどうだ。国境を跨ぐだけでここまで違うとは。
もっと早くあんな国から出てくべきだったな。死にかけてでも、ここに来て良かった。そう痛感する。
ここは良い。
俺が居ても。
許してくれる。
皆が俺を人間として見てくれる。
…いかんいかん。感傷的になり過ぎだ。いい歳こいてポエミーとか勘弁してくれ。それに難が全て去った訳でもない。何時追っ手や刺客が来るか分からないんだ。
…てか俺の予想だともうババアかクソ髭(国王)の追っ手に捕まっていた。
いや、確かに俺は弱くは無い。狩場で生き残れるだけの自負もある。でも、獣を殺すのと人を殺すのは全く違う。俺は人を殺す為の剣なんて知らないし、知りたくも無い。そんな俺がその道で生きてる情報部やババアの私兵達に勝てる訳ない。
俺は多分王国には必要な人間だった。山ほど報酬を貰ったし、反対勢力なんてのもいて、ご存知の通り暗殺されかけたこともある。だから絶対に連れ戻されると思った。俺にとって今回のこの逃亡はある種のメッセージだ。「現状のままであるなら俺はまた逃げる」そう関係者に向けた俺の抵抗だ。
でも今俺は国外まで逃げて来てしまった。
もちろん、本気で逃げる気だったし、考えられる限りの対策もした。だけど、わかるかな。馬鹿な俺の計画がそれこそプロの目を掻い潜って成功するなんてほぼ不可能だろって心の奥底では思ってたからこの先の事をあまり考えてなかった。確かに土地も買ってはいるけど、荒れ放題だろうし、絵の家もボロボロだ。これまた、ここまで準備すれば流石に逃亡を信じてくれるだろうという浅知恵である。お恥ずかしい。
そういった考えを纏める為にも、怪我の具合を確認する為にもここでゆっくりして行こう。ああそうだ。ここでゆっくりとね。
そう案内された居心地の良さそうな部屋を見て思った。
ご自慢の風景とやらは田舎の川が長閑に流れてるだけでそんなに良い訳じゃないけど、どこか故郷を思わせる平凡さがあって、少しだけ顔が綻ぶ。
其の理由を受け止めるには少し時間が必要だった。「英雄」となる夢から逃げたいという願望の現れに他ならないから。
平凡な幸せを求めていた。
ああ、そうか。
「やっぱ、英雄なんて柄じゃねえよなぁ…」
川が夕陽を受けて真っ赤に輝く。
ただ茫然と流れ行く紅の水を眺めていた。
このままだと本当に王国の人々を見捨てる事になるって考えないように。
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