第21話 再び歯車は回る

※※※




 橙色の光が、閉めていないカーテンの間から光の束のように降り注いでいる。

 モワーズ王国の離宮となっている白い建物を、夕暮れは金色に染めているだろう。


 誰も来ないでと言っておいたので、室内には王女ロゼッタしかいない。

 カーテンを閉めに来るメイドの気配もない。

 豪奢な部屋、桃色の壁紙に、金の柱、赤茶色の調度品。


 贅沢な暮らしだと――――庶民であった頃に比べれば、何不自由ない。


 モワーズ王国の血を引く、落とし胤<おとしだね>のロゼッタを見つけて、王女にしてくれたモワーズ王――――父親には感謝しているのだけど。


 溺愛してくれているのも、わかっているけれど……。


「でも……自由じゃない……」


 小花模様の長椅子に、姿勢を崩して座っていたロゼッタは、思わず零した。

 いつもは、好奇心にあふれていると言われる大きな瞳も伏し目がちで、薔薇色の頬には赤みも張りもない。


 もうこうやって、何日も、何ヶ月も、覇気のない生活を送っている気がする。

 物憂げに考えていても、楽しくはならない。


 だって、コラードとやっと両思いだとわかって、朝までお互いのことをどれぐらい好きか清く語り合って、恋人になれたと思っていたのに――――。


 あの日の朝に見た、美しい暁の空を、忘れることはないだろう。


 なのに……。


 モワーズ王が二人の交際に大反対をした。


 王族として緊張しない……境遇の近い兄として、話し相手のつもりでコラードをロゼッタのそばに置いたと言われた。


 コラードはモワーズ王の十番目の王子だからである。


 王と血はつながっておらず、元側室の子であり、元側室の忘れ形見。

 元側室……コラードの母は、王に愛された側室だったゆえに王宮を去ることを許された。


 その母は、死後――――遺言で王に父親不明の息子を託した。

 王宮にいた時の子供ではない計算の、父親不明の子。


 モワーズ王は、その子供……コラードを引き取り、王位継承権がない最下位の王子として養子にして、王宮暮らしさせている。


 そんな経緯であるから、当然、ロゼッタとも血はつながっていない。何の問題もないはずなのに……。


 だいたい、王族は平気で多少の血のつながりを無視して結婚したりもするじゃないの!

 と、叫んだところで、絶対権力者の王の決定には逆らえない。


 ――――お父様に反対されたことは初めて。


 だから、ロゼッタは今引き離されて、離宮にいる。

 コラードは見聞の旅に飛ばされる予定だと、メイドからは聞こえてきていた。


「そんなの……嫌――――」


 ――――わたしの人生、上手くいかなくなっちゃった。


 ロゼッタは、大きなため息をついた。


 お城にきて、やっかみもそこそこに、王家に古くから仕える人とも仲良くできていた。

 多少の我儘を言っても、今まで大変なご苦労をされていたのだからと、甘やかしてくれたっけ。


「じゃあ……コラードのことも許して」


 どうして……?


 どうして!


 あまり気が長いほうではないのは自覚している。

 だって、待ち続けているだけ、人生は損になるものだから。


 ロゼッタが待っている間に、何かが抜け駆けして動いているかもしれない。

 だから、一番に口を挟むのは、自分でなければならないのだ。


「ああ、もう、上手くいかない」


 いつからかと考えれば、どう考えてもあれから――――である。


 敵対視していたエリザベスがいなくなった日から。


 あちらが張り合ってくる存在だから、やり返していただけなのに、今となっては何をされたのかすら覚えてない。


 視界に入ってくるのに、腹が立っただけだ。


 生まれも育ちも良い公爵令嬢に、視線を全部持っていかれるみたいで――――。


 失敗したこと、傷ついたこと、何でもかんでもエリザベスのせいだと口にすれば、万事がうまく回った。


『エリザベスが舞踏会でわたしを池に落としたの……しくしく』

『エリザベスが階段からわたしを落としたの……うわわぁん!』


 エリザベスが、ロゼッタの人生に刺激と言い訳を与えてくれた存在だったと気づいたのは、いなくなってからだ。


『エリザベス・フォンティーニ公爵令嬢を、不敬罪で国外追放とする!』


 ――――お父様のあの言葉には胸がスッとした!


 はずなのに………………。


「うぅ……」


 今の状況は、誰のせいにもできない。

 あれからずっと、誰のせいにもできない日々が続いている。


 ――――どうしてかな、あれから毎日が上手くいかなくて、つまらない。


 落ち込んだりはしたくない。

 だって、時間がもったいない。


 いなくなった人のことなんて考えても仕方ない。

 だって、悪役令嬢なのだから、いなくなって平和になったに決まっている。


 ――――いなくなった人のことなんて、考えても仕方がないのに。


 ――――張り合いが……ない……。


「別に寂しいわけじゃないんだから」


 エリザベスのことなんて、考えたくない。

 なのに、その記憶がまだ消えない。


 ああそうか、追放されてすでにここにいないから、頭の中だけでもエリザベスのせいにしているのか。


 さすがに、それは無意味すぎる。


「もう……腹の立つ、むかつく、退場したくせにわたしの頭の中に存在しないで」


 ロゼッタは頬を膨らませて悪態をついた。

 すると、少しだけ元気になれた気がする。

 そのことに、また、いらりとした。


「ああもう……!」


 長椅子の背もたれを掴んで攻撃しかかったところで、ロゼッタは手を止めた。


 コツン――――。


 何かが窓に当たる音がする。


「…………」


 ロゼッタは完全に動きを止めて、意識を音に集中した。


 カッ、コツン――――。


 小石が窓に当たる音だ。


 これって……!


「コラード!」


 ロゼッタは長椅子から飛び上がり、バルコニーへ出た。


 大きなバルコニーは二階の高さ。


 一階の中庭――――夕日に色づく橙色の花々の中、金色の光を背負ったコラードが、ロゼッタを見上げるようにして手を振っている。


「ロゼッタ……望みどおり来たよ」


 大好きな優しい声。

 品のある姿勢に、穏やかな表情。


 ちょっと頼りないところも、ロゼッタが信じる気持ちをうんと乗せてもびくともしない、立派な包容力抜群の器である。


 一番下っ端の新入りメイドにお金を渡して、コラードへ手紙を書いたのが伝わったみたいだ。


 さらいに来て――――と。


 合図は、窓の下から小石を投げて知らせて――――と。


「コラード! あっ……」


 ロゼッタは慌てて声を潜めた。

 騎士団の護衛という名の見張りが、コラード王の命でついていることはわかっている。


「大丈夫だよ。騎士団長がいなくなってから、規律がゆるんでいるから。見張りの騎士はさっき向こうで、休憩してた」


 その隙をついてきたと言わんばかりの、コラードのほわっとした微笑み。

 もっと、得意になってもいいはずなのに、余計な自慢はしないで、ロゼッタだけを見ている。


 嬉しい気持ちがこみ上げた。

 モヤモヤなんか消し飛んだ!


 コラードが庭から二階のバルコニーへ向かって、手を差し伸べている。


 王子様の手……。


「ロゼッタ、会いたかった」


「わたしも……」


 ああ、王家に反対をされる禁断の恋。


 ときめく――――ワクワクする。


 あれ、なんだかさっきまでグルグル考えていたことを忘れている気がする。


 まっ、いいか!


 楽しいこと、ドキドキすることで、今は忙しい。

 体はとっても軽くなって、なんだってできそう。


「……!」


 躊躇は一瞬だった。


 ロゼッタは、ひょいっとバルコニーに手をかけてコラードに向かって飛び降りる。

 まるで、猫の跳躍のように。


 ――――コラード、受け止めて。


 そして……。


「わたしを連れて逃げてっ」


 どさっと落ちたのは、コラードの腕の中。


 お姫様のように大事に抱えられた体勢で、ロゼッタは怪我一つなかった。

 コラードは一瞬痛そうにしていたけれど、すぐにいつもの穏やかな表情に戻って、笑いかけてくる。


「お望みのままに、お姫様」


「本当に?」


 コラードなら、どんな無茶も叶えてくれそうで、手紙に書いたことも、全部従ってくれそうで。


「うん、ロゼッタの頼みならなんだって――――結婚しよう」


 近かった顔を、さらに近づけて、コラードが少し大きな声を出した。


「あっ……」


 プロポーズ……。


 してもらえたら、いいなって思っていた。


 ロゼッタの手紙は、半分が気持ちを打ち明けたプロポーズみたいな告白で、もう半分がさらいに来て欲しい段取りの話であった。


 それを全部、コラードは理解してくれたのだ。


「うん!」


 瞳をかわすようにして、おでこをくっつけてロゼッタはイエスの返事をした。

 もう、コラードしか見えない。


「隣国のリマイザ王国なら、親の承諾なしで結婚証明書がもらえるのよ」


 モワーズ王国では、結婚には親の承諾が絶対であり、親に認められない結婚はできない。

 でも、承諾なしが許されている違う国に行けば、結婚式と結婚証明書を貰うことができる。


「駆け落ち婚だね。ぼくも調べてきた」


 そう! 反対される結婚には、これしかないの!


 しかも、貴族にも失礼がない、わりとましな評判の教会を聞いたことがある。

 神父の段取りもよく、余計なことを聞かれないとか。


「行き先はね。名前は確か……ノルティア教会!」


 そう、ノルティア教会が幸福ヘの第一歩となってくれる。


「馬車で夜通し駆ければ着くね。あっちに停めてある」


 そっと地面にロゼッタを下ろして、コラードが手をつなぐようにとった。


 もう、離さないよと言わんばかりに。


 優しい手に包まれて、ロゼッタは走り出す。


「よーし。めざせ、ノルティア教会!」




※※※




 国境の山から、幸せを満載にした馬車が転がるように駆けてくる。

 進め。

 進め。

 何もかもをなぎ倒して。

 恐れなどない。

 ただひたすら、鐘の鳴る未来を目指して。

 エリザベスが忘却の彼方へと投げ捨てた、貴族という名のしがらみ。

 それが今、無自覚に――――。

 激しい車輪の音と共に、近づいてくる。

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