第19話 タコは食べられます

 目的の商館は港の荷揚げ場に近い一角にあった。

 長屋のようなぴったりとくっついた建物が並ぶ中で、一際大きな商館。

 扉を叩いて「商談があります」と言って中に入ると、受付の男が困った客が来たと眉を顰<しか>めるのが見えた。


「お前は誰だ? 商人じゃないな」


 二人が商人には見えないから、客ではないと思ったようだ。

 客ではない者に、愛敬を振りまくつもりはないらしい。

 一般客お断りの問屋に入り込んだような感じ。

 わりと、小売りしている愛想の良い問屋もあるんだけどね。


「砂糖を買いにきました」


 エリザベスは受付の男に負けないよう、わざと質問には答えず、用件を告げた。


「うちは小売りはやってない。さっさと出て行け」

「質の良い砂糖が必要なんです」


 門前払いされるところを食いつく。

 この世界では砂糖が一般的な調味料として出回ってはいたけれど、物によって不純物が多く混ざるなどの質の違いがひどかった。

 バザーで出す新作料理の一つに、どうしても純度が高く、なるべく色のついていない砂糖が必要だった。

 だから、無理を承知で商会を訪れた。

 どうしても売ってくれないようならば、フォンティーニ公爵家の名前を出してでも、と思うけれど、できれば使いたくない。


「知らん、知らん。露天の砂糖を買え。おい、誰か来て――――」


 警備の者を呼んで、二人をつまみだそうとした受付の男が動きを止める。

 エリザベスの後ろで、レオニードが荷物をわざとドンと置いたからだった。


「…………」


 いつもの無愛想な顔で彼がカウンターを睨みつける。

 男がぶるっと震えた。


「上質な砂糖を売っていただけますか?」

「い、いや……それは……」


 あと一押しだ。

 エリザベスは後ろ手でレオニードに合図を送る。


「…………」


 今度はレオニードがダンダンと歩いてきて、エリザベスの後ろに立つ。

 今度は「ひぃ」と声に出して、男が怯えた。


「で? 売っていただけるのかしら?」


 ここでエリザベスは、得意の悪役令嬢の冷ややかな微笑みを浮かべた。

 客観的に見ると、明らかに悪党二人組。


「わ、わかった。やっかいごとはゴメンだ。その度胸を買って、特別に砂糖だけなら売ってやってもいい。どのぐらい必要だ」


 受付の男がまいったと両手を広げて、折れた。

 屈強な護衛役のレオニードの姿に、それなりの人物か、もしくは背後に貴族がいるもしれないと思ったのだろう。

 商人は得になるとわかれば、何だろうと誰だろうと取引する。


「塊で五つください。銀貨二枚出します」


 商談開始――――。

 銀貨を取り出すと、カウンターにおいて間違いないことを示した。

 なるべく多めの数を注文し、少なめの金額を提示する。

 商談の基本だった。


「銀貨は……本物みたいだな。銀貨五枚だ」


 エリザベスの出した銀貨をよく確かめると、金額をつり上げてくる。

 ちなみに銀貨はエリザベスの体感で前世の二千円ぐらいの価値。

 その上の金貨は十万円ほどで、庶民はまず手にしない。

 銀貨の下には半銀貨、銅貨、半銅貨とあり、それぞれ千円、百円、五十円の価値だった。

 これらはざっくりとしたもので、実際には発行している国や各国との情勢で価値は微妙に上下する。

 今は大陸全土が比較的安定しているので、あまり変動しないけれど。


「あんた、何者だ?」

「それは依頼者の希望で言えません。銀貨二枚」


 エリザベスは口元に笑みを浮かべて、意味深に言うと金額を再度提示した。


「銀貨四枚」

「銀貨二枚です」


 商会の男が金額を下げてくる。

 しめたと思い、エリザベスはもう一押しした。


「銀貨三枚が限界だ。出せないなら――――」

「では三枚で」


 撤回される前に素早く銀貨をもう一枚袋から出して、カウンターに置く。


「い、いいだろう」


 男は頷いたものの、やられたという顔をしている。

 一応相場並か少し安く買えたのだろう。

 砂糖の塊五個で六千円は高く感じるけれど、純度の高い貴重品なのでこんなものだと思う。


「用意してくる。待っていてくれ」

「私の見えるところでお願いします」


 誤魔化されないように注文をつけると仕方ないという顔をして、男が人を呼んだ。

 小間使いが布に包まれた砂糖の塊を五個運んでくる。

 それらを箱に詰めていこうとするけれど――――。


「…………」


 エリザベスは見逃さなかった。

 小間使いの砂糖の塊を運ぶ手が、三個目で少し違う動きをする。

 のぞき込むと案の定、円錐型でない砂糖がおそらく同量入れられていた。


 砂糖の古くからの製造法は、サトウキビの絞り汁を煮詰め、遠心分離機にかけて不純物を取り除き粗糖を分離させる。

 この粗糖を再加熱し、さらに洗浄して、純度と白さを上げていく。

 その最終過程で保管と持ち運びも考え、円錐の型に入れて、先端を下にして固まらせる。

 だから、良い砂糖は円錐型をしていて、円錐型をしていないものは円錐型から崩した余りものか、そもそも純度を高めていない質の砂糖。

 固めていないと湿度を吸って、砂糖の質が落ちるので円錐型のまま買うのが良い。


「何度、間違えたらわかるんだ。やり直せ!」


 レオニードに合図を送って睨んでもらうと、受付の男が小間使いを怒鳴りつける。

 実際に指示したのは受付の男だろうに、ひどい話。


「悪かったな。注文どおりの品だ」


 男が砂糖の入った箱をカウンターに差し出してきた。

 レオニードが持ち上げ、箱に他に露天で買った物も積んでいく。


「しかし無愛想で、雰囲気のある良い護衛だな。どうだ? 金貨一枚で契約を譲らないか?」

「俺は護衛じゃない」


 去り際に男が持ちかけてくると、露天の時と同じくレオニードが素早く答えた。

 どうやら彼にとっては商品扱いされたことではなく、譲れないのはそこらしい。


「お断りします。では、ありがとうございました」


 エリザベスは笑いながら答えると、商会を出た。


 外に出ると、ふぅと息をはく。

 ふわふわの豪華な絨毯、財力を見せつけるための悪趣味な調度品の数々――――商館は昔を思い出して、エリザベスにとって居心地が悪い。

 けれど、レオニードの助けもあって何とか質の良い砂糖が手に入った。


「次はあるか?」


 再びレオニードが尋ねてくる。

 そろそろ疲れたのかな?


「あと少しだけいいですか? 船着き場へ行きたいのですが」


 商館から船着き場までは近いので、それほど歩く必要はないけれど、控えめに確認した。


「…………」


 レオニードが頷く。

 心なしか……嬉しそう?

 普通ならば、女性の買い物につき合う男性のげんなりとした返しが来るのに、彼にはその様子がなかった。


 ――――といっても、ほとんど表情変わらないだけだけどね。


 そういえば、最近レオニードの微妙な感情の差がわかってきたような。

 眉のミリ単位の上下とか、目の奥の微かな色とか。


 ――――うーん、これ他人には絶対に説明できない。


 港まで歩きながらあれこれ彼の事を考えては、含み笑いをしていた。




 港に着くと、エリザベスは荷揚げする大きな帆船ではなく、地元の小舟の方に向かった。


「こんにちはー、こーんな、うねうねしたの、揚がってませんか?」


 猟師を見つけると、腕を波打って、唇を突き出して、探している軟体動物の真似をする。

 しかし、皆一様に首を振った。

 ここでは食べる習慣がないので、わざわざ獲るものではないから仕方がない。


「タコか? タコを探してんのか? 変わってるな」


 諦めずに聞き回ると、やっと知っている人に行き当たる。

 人の良さそうなおじいさんの漁師。


「はい! どこかで獲れてませんか?」

「そういや……今日、仲間が網に掛かって、魚を食っちまったって愚痴ってたな」


 手をポンと叩いて、有力情報を教えてくれる。


「どこの方ですか? 欲しいです!」

「あんた学者か何かか? まあいいや、持ってきてやるよ、待ってな」


 気の良いおじいさんは、留まっている船から船へヒョイヒョイと跳んで移動し、小さな樽を持ってすぐに戻ってきてくれた。


「これだろ?」


 樽の中にはうねうねと動く、元気なタコが入っていた。

 レオニードが見て、少し眉が下がる。初めて見たのだろう。


「それです! あった、よかった。ください」

「捨てるもんだ、金なんかもらえんよ」


 銅貨数枚を渡そうとするも、手を振っておじいさんが断る。

 タコを持ち上げると、腰に下げたナイフを取り出す。


「あっ、絞めないでください! 樽に海水を入れて、元気な子をそれごとください。お願いします」


 不思議そうな顔をするも、お爺さんは言われたとおりにしてくれた。

 さすがにお金をまったく払わないのは申し訳ないので、お爺さんの獲って余っている魚を数匹、夕食用に買っていく。


「飼うのか? タコも好きなのか……?」


 レオニードが聞いてくる。

 さすがの彼もこの行動は気になったらしい。


「食べるんです」

「…………」


 答えると、少し目を見開いた。

 今までで一番わかりやすい反応。


 タコはたしかにこの国では馴染みのない食材らしい。

 前世でも、西洋ではほとんどタコを食べないと聞いたことがある。

 宗教的な問題が大きいみたいだけれど、見た目の奇妙さと、あとは共食いや自分の足まで食べてしまうから気持ち悪がられているせいみたい。

 日本では蛸の神社まであるぐらい身近な食材なのだけれど……。

 ちなみに、生きたタコは一匹ずつ保管する必要があるのでご注意!


「バザーまで元気でいてもらわないと」


 ――――保存がきかないのよね。


 好評だったら、さっきのおじいさんにお願いして、定期的に買うようにしないと。

 今から調理が楽しみになってくる。

 くるりと後ろにいるレオニードの方へ振り向いた。


「必要なものはすべてそろいました」

「……そうか」


 一呼吸置いて、返ってくる。

 今のは……少し残念? どうして?


「少しの間、ここに座って待っててください!」


 腰を下ろすのに丁度良い船を括り付ける石を見つけると、そこを指差す。

 エリザベスは近くにあった漁師や船乗り相手の露天へ向かう。

 錫<すず>のカップに入った果物のジュースを買ってくると、レオニードの元に戻った。


「お疲れさまでした。荷物持ちと商会では、助かりました」


 感謝を込めて、レオニードにカップを一つ手渡す。


「ああ」


 二人並んで座ると、飲みながら海を見つめた。

 空をカモメが飛び、心地良い海風が髪をふわりと揺らす。

 ゆったりするには、とても良い景色、気候。

 夕日が落ちるまでずっと見ていたい気分。


「……エリザベス!」


 突然、レオニードが立ち上がってエリザベスを見た。


「ど、どうしたんです?」

「俺は護衛ではなく……」

「それはわかってます」


 ――――そんなに護衛だと思わせたくない?


 自分は監視だとエリザベスに念を押したいのだろうか。


「俺は――――」

「あ――――っ!」


 レオニードが何かを言いかけた時に、魚をくわえた猫が走って行くのを見て、エリザベスは買い忘れを思い出した。


 ――――布買い足さなきゃ!


「何かが足りないと思ったのよね。レオニード、もう一軒行きましょう。すみません、早く飲んで」

「……ああ」


 頭の中は買い物のリストを再度確認中で、そのせいでレオニードが何か言いかけたことはすっかり忘れてしまっていた。




※※※




 港への買い出しから三日後のバザー前日。

 子供達を寝かしつけてからも、シスター達は最後の準備に追われていた。

 主にバザーの屋台の看板や幕などの装飾、あと――――。


「うーん、ネコミミをつければ何でも猫っぽいと思ってたけど、全身をって考えると難しい」


 エリザベスの担当は、売り子の着ぐるみ。

 港で見た猫っぽいゆるキャラをイメージしてデザインしたのだけれど、そのまま立体化するのが難しい。

 新作料理の準備はばっちり終えたので、勝手に作っているだけだから適当でいいのだけれど。


「こんばんは」


 夜中なのに、誰かが開いていた部屋の扉を叩く。

 入ってきたのは、領主であるクリストハルトだった。


「明日のバザーですが、足りないものはありませんか?」」


 シスター達が手を止めて立ち上がり、出迎える。


「これは、領主様」

「お声かけ、光栄です、何も不足はありません」


 ヒルデに続いて、ロクサーヌも彼に返事する。


「エリザベスが団長さまと二人っきりで、全部買ってきたから問題ありません」

「余計なこと言わない!」


 ルシンダの言葉につっこむと、クリストハルトを含めた皆が笑う。


「……レオが溶け込めているみたいでよかったよ」


 愛称で呼んでいるので、どうやらクリストハルトはレオニードの知り合いらしい。

 いきなり隣国から来た彼を気にしていたようだ。


「待ち合わせは二度としませんけどね」


 遅刻したことを思い出して、付け加える。


「やれやれ――――君達が港へ行った朝、レオニードはひと働きしてね。盗賊を見かけたから一掃してくれたんだ。おかげで、バザーは何の憂いもなくできるよ」


 苦笑いしながら、クリストハルトが知らなかったレオニードの遅刻の理由を教えてくれる。


「ええっ! あの人、何も言いませんでしたけど……」

「やっぱりね……そういう人だから、よろしく頼むよ」


 ふっと笑って、それだけを言うとクリストハルトは帰っていった。


「遅刻は、寝坊じゃなくて盗賊討伐だってさー」


 ルシンダが繰り返す。


「わたくし達は知らずに守られていたのですね」


 ロクサーヌが祈るように両手を胸で合わせた。


「……き、聞いてないし」


 何も動揺していないフリをして、エリザベスはチクチクと針を動かした。


 ――――あの不器用、手柄ぐらいアピールしなさいなっ!


 不満をぶつけていたら、裁縫がさくさくと進んでいく。


「失礼します」


 すると、コンコンとまた扉が叩かれる。

 今度は神父のモーリッツだった。


「遅くまでせいが出ますね、わたしにできることがあれば」

「あります、神父様!」


 完成間近の猫っぽい着ぐるみを手に、エリザベスはにやりとした。


「えっ? な、なにをさせるつもりですか?」

「さあ、バザーの始まりよ!」


 焦るモーリッツの質問には答えずに、エリザベスは拳を振り上げた。

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