第15話 ミサのモチふわ白パン
次の日曜日――――。
エリザベスは教会の門で他のシスター達と、村人達が来るのを待っていた。
毎週日曜にはミサが開かれ、皆でお祈りをする。
普段は誰も訪れない教会だけれど、この日ばかりは信仰のある人達が多く訪れる。
「何をそわそわしているの?」
隣で同じようにミサの参加者を出迎えるロクサーヌが、怪訝そうな顔をしている。
「新しく誘った子がいるんだけど、本当に来てくれるか気になってしまって」
「ドリーナ男爵のご令嬢? 布教熱心で偉いわ」
隣に並ぶヒルデの言葉に頷く。
エリザベスが通っていたことを知っていたらしい。
さすがシスター長、村人達から聞いたのかも。
「布教とかではなくて……ただ、笑ってもらいたいなって」
「ふーん」
ロクサーヌが感心とも呆れとも取れる口調で相づちを打った。
会話が途切れたところで、丁度良くカーン、カーンと鐘の音が響く。
神父のモーリッツが、塔の下から紐を引っ張って鳴らしていた。
正午を知らせるもので、気の早い者を除けば、大抵はこれを合図に村人達が教会にやってくる。
教会に来て初めて知ったけれど、鐘を鳴らすのは正午と夕方に数十分間鳴らす。
近くで働く者にとっては、その音が休憩や仕事の終わりの合図になっていた。
元の世界での、お寺の鐘楼も時報的な意味合いがあったと聞いたことがある。
騒音問題や時計がありふれた物となったことで、正月ぐらいしか鳴らさなくなった所が多かったけれど、この世界では今でも生活に根付いている。
「……来たようね」
ロクサーヌがぼそりと呟く。
前方に村人達が固まって歩いてくるのが見え始めた。
ヒルデとエリザベスはさっと笑顔を作り、参列者達を出迎える。
ロクサーヌはいつも通りの自然体。
ちなみにルシンダがいないのは、庭で子供達と遊んでいるから。
子供達もミサには参加するけれど、始まるまでじっと大人しくさせるのは難しいので、大体エリザベスかルシンダが相手をしていた。
「おばあさん、こんにちは! 今日も来てくれたんですね」
それぞれが見知った相手を見つけて、挨拶をする。
エリザベスが話しかけたのは、先日慈善訪問したおばあさんだ。
「こんにちは、シスターエリザベス。あんたの顔を見るのが私の楽しみの一つだからねぇ」
「ありがとうございます、嬉しいです」
しわくちゃで笑うおばあちゃんに、ぺこりと頭を下げる。
ミサはやっぱり色々な人に来て欲しい。
「あとね、あの……なんていったかねぇ? この間、もらった……野菜が入ったもので……」
「きんぴらパン?」
エリザベスが言うと、おばあさんがうんうんと頷いた。
やっぱりこの名前は覚えにくいのかも、反省。
野菜パンとか、もっと分かりやすい名前にすればよかった。
「そうそう、きんぴらパン。あれは美味しかった……作り方を聞きたいと思って、うちでも作れるもんかい?」
「簡単です。ミサが終わるまでに作り方を書いたメモを用意して……そうだ! 今度おうちに作りにも行きますね」
「ああ、そうしてくれると助かるよ」
本当に喜んでくれているようで、エリザベスとしても嬉しい。
「あっ……」
「どうしたんだい?」
おばあさんの背に、待っていた人物が見えて、思わず声を上げてしまった。
二人のメイドを従え、引きこもっていた時とは違う良い意味で目立つ容姿と服装なので、すぐに誰なのかわかる。
――――来てくれた!
「今日、ミサに初めて参加する子を見つけて」
「そうかい、そうかい。じゃあ行っておあげ」
「ありがとうございます。おばあさん、またミサの後で」
おばあさんと別れると、エリザベスへ手を振って呼ぶ。
「シャルロッテ、こっちこっち!」
「大声で呼ばないでよ……」
恥ずかしがりながらも、それほど不機嫌ではなさそう。
近くにいたヒルデも気づいて微笑んだ。
「だって、こっそり逃げられてしまうかもしれないし」
門まで来たところで、捕まえたとばかりにシャルロッテの両手を握った。
「逃げないわよ! せっかくこんなところまで来たんだから! ミサを見せてもらうわ」
「ええ、でも約束どおり、終わったら手伝ってね」
微笑むと、シャルロッテがぷいっと横を向く。
「一々言わなくてもわかってるわよ……」
外に出て、皆とミサに参加することもまんざらでもないみたい。
――――誘ってよかった……っ!
微笑んだ顔がヒクつく。
視界の端にレオニードを見つけてしまったからだ。
――――ミサまで見張り!?
本当にストーカー並の張り付きになってきた。
「んっ? どうしたの、シスターエリザベス?」
「な、なんでもないから……さあ、教会を案内するわ」
無理やり頬の緊張を解くと、エリザベスの背中を押して礼拝堂に逃げ込んだけれど……。
けれど、当然レオニードもついてきた。
礼拝堂に入ると、すでに村人が数人着席してミサが始まるのを待っていた。
「これが教会。結構雰囲気あるわね」
シャルロッテが感想をもらす。
いわゆる緻密な装飾と色鮮やかな教会というわけではないけれど、大きく、がっちりとした印象のある石造りになっていた。
天井は高く、左右にはそれを支える太い尖塔アーチが並ぶ。
「わりと歴史のある立派な教会らしいから」
「らしいって……」
エリザベスの言葉にシャルロッテが呆れた反応をする。
「歴史も大切だけれど……やっぱり今、こうして教会に村の人がたくさん来てくれるのが重要だと思うし」
「方便ね……でもあなたらしいわ」
「そうかな?」
目を合わせて笑い合うと、室内の細かい部分を説明していく。
礼拝堂は主に、中心の身廊、左右の側廊、横に少し突き出た交差廊、そして、一番奥の内陣からなる。
身廊は信者達の場所で、礼拝堂では最も広い。
木製の箱形の長椅子が左右二列に置かれ、アーチ状の柱が並ぶ。
また、入り口付近には洗礼盤や保管箱などの信者の使う神聖な道具が置かれている。
同じように、奥には神父の使う説教台と書台があった。
側廊は身廊の左右にあり、一段天井が狭くなったところで廊下と窓が大部分を占めていて、教会内部を広くするとともに、採光の役割を担っている。
交差廊にはミサや儀式で使う物が保管され、また、シスター達の生活空間や二階、鐘のある尖塔への導線になっていた。
最後の内陣は、身廊から続く先にあって見えるものの、信者は原則立ち入りできない。
祭壇があり、女神ヘレヴェーラの象が飾られていて、神聖な雰囲気を保っている。
鮮やかなステンドグラスがあったり、燭台がたくさん置かれていたり、地味なノルティア教会でも唯一華やかな場所。
「へぇ、随分と複雑な建物なのね」
つまらないと言われるかと思ったら、シャルロッテは興味深そうだった。
――――そういえば、元々はとても知的好奇心旺盛な性格だったっけ。
「厨房には後で案内するね」
「わかったわ……それより、ミサはいつ始まるのかしら?」
「鐘が鳴り終わってから……あっ、そろそろみたい」
シャルロッテと、たぶんレオニードにも、一通り礼拝堂の内部を説明し終えたところで、鐘の音が鳴り止んだ。
これから鐘を動かし終えた神父のモーリッツが、ミサの格好に急いで着替えて礼拝堂に向かう。
「私は行くから座って」
「えっ、えっ、礼拝ってどうするの? 私、全然知らないのだけれど」
エリザベスが行こうとすると、シャルロッテが袖を掴む。
「周りを見て、適当に合わせれば大丈夫。間違っても誰も気づかないし」
「……やってみる」
心細そうだったけれど、メイド二人がいるから問題ないはず。
エリザベスはシスターとしての仕事があるので、シャルロッテから離れて、交差廊に移動した。
「貴方の御心が通じたようね。良い子みたい」
先に控えていたヒルデが控えた声で褒めてくれる。
「はい、根はとっても」
頷くと礼拝堂にルシンダが子供達を連れて入ってくる。
子供達は、いつもは見ない貴族令嬢を興味津々で、その横に座り始めた。
ちょっと焦るシャルロッテ。
でも、子供達も大人しくしているので声を出せない。
礼拝堂へ最後にロクサーヌが入ってくると、扉を閉めた。
――――そういえば、レオニードは?
見回すと、彼は扉側の側廊にさりげなく立っていた。
参列者とよりも警備の人みたいだ。
「お静かに。心、厳かに」
シスター長のヒルデが交差廊から一歩身廊に進み出る。
決まり文句を口にすると、礼拝堂の中でしゃべる者はいなくなった。
しばらくすると、神父のモーリッツが交差廊から出てきて、ゆっくり奥へ向かって歩き出した。
彼は癖のあるシスター達の中では影が薄いけれど、きちんとした神父。
三十後半のおっとりとした人で、お金や地位、成功といったものにはまったく執着しない人格者。
ただ、教会の外の出来事には疎くて、村人の相談事には少し頼りない。
そういう面も含めて、信頼できる人なのだけれど……。
――――やっぱりロクサーヌのオルガン上手だな。
モーリッツの歩みに合わせて奏で始めたロクサーヌのオルガンに感心する。
以前はヒルデが担当していたのだけれど、ロクサーヌが来てからは彼女の担当になっていた。
説教台に登ると、モーリッツが挨拶を始める。
「今日もお集まりいただき、ありがとうございます。初めての方もいるようで、嬉しく思います」
いつも参列者の顔をゆっくりと見ながら話す。
シャルロッテが神父に微笑み掛けられて、ビクッと肩を震わせる。
「一時でも、日々の忙しさを、各々が持つ苦しみや悩みを忘れ、心を穏やかにしてください」
両手を挙げると、くるりと祭壇の方を向いて声を上げる。
「女神ヘレヴェーラへ祈りをささげましょう」
続いて、モーリッツが女神への祈りを綴った言葉を唱える。
「女神よ、天高くより見守りし女神ヘレヴェーラよ。わたしはあなたの教えに従って、日々を感謝し、すべてを受け入れます。どうか、わたしたちに祝福を」
参列者は彼に続いて、同じ言葉を繰り返す。
「唱和、ありがとうございます。では、目を閉じて。今日の一節を読み上げます」
ミサは次に女神ヘレヴェーラが神託した言葉を記した聖典から一節を抜粋して、モーリッツが読み上げる。
「地は血となり、木は気となり、水は命となる。決して、そのことを忘れてはなりません。自然に感謝し、返すことを忘れてはなりません。そして、人も自然という大きなものの一部です。同じように感謝し、返す気持ちを忘れずに」
この間、他の者はじっと神父の声を聞いて、女神の言葉を胸に染みこませていく。
「悩む時、苦しむ時、貧しい時、思い出してください。自分も世界の一部であることを。その気持ちも大きな営みの一つであることを。すべては巡っているのです」
読み終えると、しばらく穏やかで厳かな静寂が訪れる。
エリザベスも言葉がすっと入ってくるのを感じた。
聖典なんて、と令嬢の時は馬鹿にしていたけれど、文言は案外的を射ていると今では思う。
苦しいのは一時で、必ず変化は訪れる。
悪役令嬢から抜け出せなかったエリザベスも、両親に活発な性格を疎まれて辺境で引きこもることになったシャルロッテにも……。
「では、女神へ感謝を捧げましょう」
たっぷり間を取って、モーリッツが進行を促す。
次はエリザベスの出番。
用意してあった籠に入った沢山のパンと葡萄酒を持つと、交差廊から出て祭壇に向かう。
再びオルガンが鳴り、参列者達が感謝の歌を口にした。
歌は誰でもできるとても簡単なもので、祈り、祝福、自然、女神といった言葉を曲に合わせて唱えるだけ。
出る時にちらりと見たシャルロッテも、戸惑いながら口を動かしていた。
シスターが祭壇の前へ行くまでに、教会の子供達は参列者を回り、寄付を集める。
ただし、大金はもらわない。
寄付すること自体に意味があるだけなので大半は半銅貨一枚だし、出さなくてもいい。
最後に硬貨をすべて集め、パン、葡萄酒と一緒に捧げる。
コイン、ワイン、パンを捧げる儀式。
ちなみにこのパンもエリザベス特製だった。
神聖さを表す白いパンで、ミサ後に皆で食べることも考えて美味しく作っている。
材料に、牛乳と少量の砂糖か蜂蜜を加えるのがポイント。
バターを生地に練り込んでこね、発酵したら丸くして真ん中を縦に棒で押して、桃というか、お尻みたいな形にする。
焼き色をつけないように卵黄は塗らず、表面にはたっぷりの小麦粉をまぶして焼けば――――。
細かな割れ目がある白くて、ほのかに甘い、もちふわパンの完成。
白パンは参列者達にも大好評で、このパンを出し始めてからミサの動員数が倍ぐらいになった……かな?
「女神ヘレヴェーラへ、捧げます」
ゆっくりと捧げ物を祭壇に置くと、エリザベスは交差廊に戻った。
「女神よ、天高くより見守りし女神ヘレヴェーラよ。わたしはあなたの教えに従って、日々を感謝し、すべてを受け入れます。どうか、わたしたちに祝福を」
オルガンの音が止み、最初と同じ文言を神父に続いて口にする。
これでミサは終わりだった。
あとは捧げたパンと葡萄酒を参列者に振る舞う。
寄付された硬貨も、独り身や親のいないような貧しい者に分け与える。いなければ、慈善訪問時のパンなどのお金に当てる。
ミサでもらった物はすべて、皆で分けるのが習慣だった
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