第10話 クリストハルトの初陣

※※※




 レオニードがアジトに突入した時、後方の本陣では、若きクリストハルトが必死にその務めを果たそうとしていた。


「いいか、誰一人山から出すな!」


 襲撃隊であるレオニード達の鬨の声が中腹から聞こえ、クリストハルトは自分と兵とを奮い立たせた。

 ここから必ず逃げ出そうとする盗賊達が山を下りてくるはず。

 クリストハルトの仕事はそれを残さず捕まえること。

 街道にも互いの国の兵がいるが、一人も向かわせるつもりはない。

 すでに脱出してきそうな箇所には、すべて兵を配置してある。


「第十隊から伝令、二人捕縛に成功!」


 さっそく最初の連絡が本陣にもたらされた。

 始まったという緊張感と同時に、さっそく二人捕縛の報告に安堵の声が上がる。


「これから次々来るはずだ。連絡を密に」


 クリストハルトの手持ちの兵は六十人を超える。

 五人一組にして、逃げてきた盗賊の待ち伏せに当たらせたけれど、それは山から逃げ出す箇所を予測して配置すると、充分とはいえない人数。

 だから、クリストハルトは本陣の守備を極力少なくして、なるべく多くの箇所に兵を割いていた。

 もし、盗賊達が固まって逃げてきた場合、近くの隊を他の隊に合流させて当たらせるつもりだけれど、それは可能性が低いだろう。

 そこまで統率が取れているとは思えない。

 人数で勝れば、充分に倒せる相手のはず。


「第三隊、一人を捕縛成功」

「第五隊、三人を捕縛、もう一人と戦闘中……まもなく捕らえられるかと」


 クリストハルトの予想どおり、次々と報告が入ってくる。


 ――――人数がずっと少ない。これならば……。


「第七、八、九隊を前進。隙間を埋めていく」

「ハッ!」


 クリストハルトの命令で、待機していた三人の伝令役が一斉に散っていく。

 予想よりも逃げてくる盗賊の数が少ない。

 これはおそらくレオニードの隊が優秀で、逃がす盗賊が少ないためだろう。

 ならば、包囲網を抜かれる可能性は極めて低い。


 ――――これは手柄を立てるチャンスだ。


 クリストハルトは、配置した隊の一部を前進させて、網を狭めにかかった。

 こうすることで、もらさず、かつ早く盗賊達を捕まえることができる。

 これがクリストハルトの評価にも繋がるだろう。

 自分の考えに間違いはなかったはずだった。


「そういえば……第二隊からの連絡がないな」


 さらに戦果を上げた報告が次々入ってくる中、天幕で地図の上にある各隊の配置を示す駒を見ていたクリストハルトは、不意に連絡が唯一まだない隊に気づいた。

 第二隊は本隊の正面に配置していたのだが……たまたま、賊が通らなかったのだろうか。

 すべての隊に賊が向かうわけではないのだが……。


「伝令! 伝令!」


 ひとまずこちらから第二隊に伝令を送ろうと決めたところで、天幕の外から切羽詰まった声が聞こえてきた。

 何事かと、クリストハルトは天幕の外に出る。

 すぐに伝令が駆け寄ってきた。


「第二隊……壊滅! 敵が……こちらに来ます!」

「……なんだって!」


 彼の手足には、あちこちに切り傷があった。


「相手は何人だ?」

「一人……です。けれど、強い……クローレラス伯爵、お逃げくださいっ」

「何を言う――――」


 伝令は、それだけ言うとガクッと倒れ込んでしまった。

 すぐにクリストハルトは伝令の治療を指示した。

 傷はどれも浅かったので、おそらく毒が身体に回って気を失ったのだろう。


 ――――まずい!


 運ばれていく伝令を見送りながら、クリストハルトは自分の間違いに気づいた。

 人数で勝れば、問題ないと高を括っていた。

 しかし、時に戦場は一人の強者で一変する。

 レオニードのような者が一人いるだけで、数人、いや数十人に勝るのだ。敵にも同様の者がいてもおかしくない。

 無意識に兵を駒でしか見ていなかったことに、今さら気づかされる。


 ――――後悔は後にしろ。今すべきことを考えるんだ。


 クリストハルトはすぐに頭を切り換えた。

 一人の盗賊が今、包囲網を突破して逃げていることになる。

 そんな凶悪な者を逃がすわけにはいかない。


「本陣の守備隊、集合しろ。今から第二隊の敵に当たる」

「お、おやめください、クローレラス伯爵。危険です」


 すぐにクリストハルトの副官である老兵が進言した。


「ならば逃げるというのか? そんなことは許されない」


 伯爵としての誇りを守るため、ではない。

 領地を守る者として盗賊を逃すことはできなかった。

 戦いは初めてだけれど、剣の稽古はしていたし、それなりに自信がある。


「第二隊の敵を倒す。続け!」


 クリストハルトは細めの剣を鞘から抜くと、空に掲げて叫んだ。

 鼓舞すると、第二隊壊滅の伝令に怯えていた者達が何とか前を向き始める。

 本陣の破棄を伝えると、兵を率いて第二隊のいた場所へ進軍した。

 網は狭めた後なので、後は各隊が来た盗賊を倒せばよく、伝令は必要ない。

 すると、すぐに第二隊を壊滅させた相手と遭遇することができた。


「今日のおれは運が良いのか、悪いのか、まったくわかんねーなぁ」


 盗賊が短剣を手に、声を上げながら木々の間から姿を現す。

 如何にも貴族の隊長という格好のクリストハルトを、蛇のような目でじっと睨みながら。


「だが、おまえたちが運のないってことだけはまちがいねえ。皆殺しだー!」


 そう呟くと、盗賊はこちらに向かって走りだした。


「距離を取りつつ、囲め!」


 クリストハルトは、多数対一の戦いのセオリーどおり、囲むように指示した。

 前方の兵が広がり、盗賊へ盾を突き出す。

 けれど、そんなことを盗賊は気にもしなかった。


「ひゃぁぁぁっ!」


 大きな身体が糸を伝う蜘蛛のように飛び上がる。

 その長い両手には、血の滴る短剣が握られていた。

 正確に兵の鎧の間を突き刺していく。


「うわわわっ!」

「嫌だ……帰るっ」


 すぐに隊列は崩れ始めた。数人が勝手に逃げていく。

 仕方のないことだった。

 本陣の守備兵が敵と当たる可能性は少ないと思い、新兵を多く配置していた。

 そもそも領地内で急に集めた者達なので、兵としての訓練などほとんどしていなかったし、伯爵家への忠誠心などないに等しかった。


「……くっ」


 数では勝っているのに、一人に戦況をひっくり返される。

 クリストハルトはそれをまさに目の前にしていた。

 けれど、ここで逃げ出すほど、臆病者ではない。

 一人も逃がさないとレオニードに約束した言葉を反故にはしたくなかった。


「ここは通さないっ!」


 盗賊に切っ先を向ける。


「貴族のガキの細腕なんざぁ!」


 再び、盗賊は叫びながら飛び跳ねた。

 クリストハルトはそこに向かって、思い切り剣を突き出す。

 地面から飛び上がった相手は攻撃を避けることができない――――はずだったのだけれど。


「なっ……」


 盗賊は曲芸のように空中で身体を捻って、クリストハルトの突きを躱した。

 しかし、体勢が崩れて地面に転がる。


「やるなぁ。貴族の坊ちゃんにしたら中々のもんだ。さっきの言葉、撤回。けれど……おれが相手で残念でしたー」


 立ち上がると、盗賊が凄まじい速度で向かってくる。

 今度は避けられることを考えて、クリストハルトは剣を横に薙いだ。

 盗賊は寸前のところで止まると、それを躱す。


「ほい、おしまい」


 短い跳躍で、距離を詰められた。

 喉元に向かって、盗賊の短剣の赤い軌跡が走る。


 ――――こんなところで……くっ……。


 クリストハルトは死を覚悟した。

 それでも、せめて一泡吹かせようと剣を離す。

 体当たりをして、相打ちになれば、と考えていた。


「…………」


 けれど、そこに盗賊の身体はなかった。

 避けられたのかと思ったけれど……違う。


「がっ!!」


 少し遅れて遠くから、苦悶の声が聞こえてくる。

 驚いて見ると、木に背中を叩きつけられた盗賊の姿があった。


 ――――一体何が? レオニード!?


 いつの間にか、クリストハルトの側にはレオニードが立っていた。

 どうやら斬られそうになった直前で、盗賊を横から吹き飛ばしてくれたらしい。


「傷が……」


 生死をやりとりした衝撃で、クリストハルトは呟くことしかできない。

 レオニードの肩からは、血が流れ落ちていた。

 きっと不意を突かれた盗賊はいち早くレオニードに気づいて、吹き飛ばされる時に反撃したのだろう。

 恐ろしい相手だった。

 クリストハルトでは、悔しいことに敵う相手ではなかった、少なくとも今は……。


「このぐらい、問題ない」


 レオニードは傷口を口に含むと、血を吸い出して、地面に吐いた。

 盗賊の短剣に塗られた毒を警戒してのことだろう。


 ――――しかし、強敵を一撃で気絶させるなんて。


 しかも武器を使わずに、肩で吹き飛ばしたようだ。

 木に強く叩きつけられた盗賊は、完全に意識を失っている。


 ――――こんなところで死ぬところだった。


 ほっとして、クリストハルトは地面に尻餅をついた。

 腰が抜けたとは、死んでも認めない。

 だが、まぎれもなくこの命はレオニードに救われたと思った。

 その肩の傷と引き替えにだ。


 ――――そうだ、毒!


「傷口、すぐに救護の者に見せるんだ」

「なんだ、いきなり……」


 クリストハルトはパッと立ち上がり、レオニードに駆け寄った。

 彼が怪訝そうな顔をする。


「さっき吐き出したから問題ない」

「いや、少量でも身体に回れば死ぬことがある。そうなってからでは遅い」


 命の恩人を死なせるわけにはいかない。

 クリストハルトは、レオニードに無理やり肩を貸す。


「……そういえば、戦いは」


 不意に作戦のことを思い出してクリストハルトは呟いた。

 自分でもおかしな事だと思う。

 重要なこの作戦を忘れ、隣国の将兵の心配をしているなんて。


「今のが盗賊頭だ。もう終わった」


 横でそっけなくレオニードが答えた。

 どうやら彼はアジトが一段落したところで、応援に駆けつけてくれらしい。


 ――――そうか……終わったんだ……。


「おつかれさま」


 クリストハルトはニヤリとしながら、レオニードに労いの言葉を掛けた。

 無言で「なんだ、こいつは?」という視線が返ってくるけれど、気にしない。


 こうして、二国間の共同作戦は盗賊の壊滅という結果に終わり、クリストハルトもレオニードも国内でその戦果を高く評価される。

 そして、クリストハルトはその時が来れば、レオニードに助けてもらった恩をどんな形であれ、返そうと心に誓った。

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