第8話 恋する男が叫ぶ夜

 エリザベスのいる教会のあるノルティア村の外れ。

 そこにある小屋の前にレオニードの姿があった。

 丸太を組み合わせて作った三角屋根の少し古びた山小屋だったけれど、頑丈で、朽ちている箇所はなかった。

 元の持ち主である木こりが、自分で住むためにきちんと設計・処理をして作ったためのようだ。

 木こりは老齢となり、引退するので小屋は必要なくなったため、数年前から買い手を探しており、レオニードは都合良く村でその話を聞いた。

 村の外れの森では、老人には何かと不自由だろう。

 手入れの行き届いた、大きすぎず小さすぎない小屋を見て、相場より少し多めのお金を払って、レオニードは譲ってもらった。

 ここからならば、教会まで歩いて行くことができる。


 元々少ない荷物を運び込んだのが今日のこと。

 まだ荷解きもせずに、レオニードは剣を手に小屋の裏にある大木と対峙していた。

 樹齢数十年といった大きなもので、これならば簡単に倒れないだろうと思い、鍛錬用に選んだ。


「オォォォォ!」


 気合いを入れると、幹へ斜め上から思いきり振り下ろす。

 ドッという鈍い音がして、大剣が木に突き刺さった。

 太い幹の四分の一ほどにまで刃が届き、まるで斧で切ったかのようにくの字に欠ける。

 これまで幾多の戦場を共に駆けてきた愛剣の方には、刃こぼれ一つない。


 ――――俺は来た。ついにこの地に……。


 レオニードは肩を震わせた。

 全力で振り下ろしたために息切れした――――のではなく、喜びにだった。


「ハァァァ!」


 もう一度、気合いを入れながら幹に剣を振り下ろす。

 ブンッと、大剣とは思えないほど速く鋭い軌跡が、先ほどと全く同じ角度で、幹に届く。

 今度は木の半分ぐらいまでに刃が届いた。

 もう数回打ち込めば、倒れてしまうだろう。


 ――――エリザベスと話して、手料理まで食べた。


 レオニードは打ち込んだ木の様子に気を払うことなく、心の中で呟いた。

 喜びに震えていた。


「知り合いから……友人ぐらいには、なれただろうか、いつかは……」


 近くにいれば、きっと機会は巡ってくる。

 徐々に親交を深めることができるだろう。


 ――――一カ月ぶりに顔を見た、会っていなかった効果か? 貴族のドレスではなかったせいか?


 徐々にと思ったばかりなのに、心は急いた。

 普段なら打ち込みをすれば、心を無にできるはずなのに、今はエリザベスの姿だけが浮かぶ。


 ――――止められん!


 エリザベスへの想いで、身体が熱くなってくる。

 邪念を消すようにレオニードは、もう一度、大剣を振りかぶった。


「うおおおおおおっ!」


 咆哮しながら、大剣を振り下ろす。

 今度は二度続けて、斬る。

 どんな大きな野獣も叩き斬るだろう打ち込みだ。

 案の定、大剣は幹に深々と突き刺さる。


 ――――むっ、しまった……。


 ミシミシと折れる音が聞こえ始め、大木が傾いていく。

 やがて、周辺にズズーンと大きな音を響かせ、倒れた。




※※※




 遠くで大木が倒れるのを窓から眺めていたガウン姿のクローレラス領主クリストハルトは、ワインを片手に思わず苦笑いした。

 そこはノルティア村に近い伯爵家の屋敷の一つで、お気に入りだ。

 森の中に建てられた屋敷は、溶け込むように緑色の壁をしていて、窓枠だけが白く塗られた三階建。

 上から見ると三角形の先端を二つ合わせたような形をしていて、灰色の屋根もまた目立たない。

 領地を良く見渡せるようにと、わざわざ三階にクリストハルトは自室や執務室を設けていた。

 今いる寝室の窓から東の方角には、ノルティア村の領民達が暮らす生活の明かりが見える。

 それよりも屋敷側、少し手前が、新たに領地へやってきた彼の友人でもある隣国の騎士団長レオニードの小屋がある辺りだろう。

 そう、ちょうど先ほど大木が倒れた辺りだ。


「うおぉぉぉぉっ!」


 再び、夜空に咆哮が響く。

 どうやら、大木一本では足りないようだ。

 恋人達が並んで星々を眺めていたら、どうするつもりなのだろう。

 ロマンの欠片もなくなってしまっている。


 ――――そんなことをしても、彼女への想いは抑えられないと思うよ、レオ。


 森の中で剣を振い続ける彼に向かって、心の中で呟く。


「まったく……狼がうるさいね」


 クリストハルトは、側に控える執事のダニエルに向けて言った。

 彼はクリストハルトの父の代から仕えてくれている有能な執事で、領地運営の細かいことはほぼ任せている。

 白髪が目立つ初老の域に入ってきた年齢だけれど、まだまだ若い者には任せられないと伯爵家を支えてくれていた。


「恐れながら、あれは、“聖獅子の大剣”殿では……?」

「まあ、どちらもそれほど大差はないだろ?」


 ダニエルの言葉に冗談で返す。

 執事は恭しく頭だけを下げた。


「まったく……騎士団長が何をやっているんだか……」


 ――――けれど、男としての面白みは増したかな。


 クリストハルトは、ワインを口に運びながら、レオニードと出会った頃のことを思い返し、時々一人笑みを浮かべた。


 あれは五年前、二十一歳で父から爵位を継いだばかりのことだった。

 生まれつき、何事もそつなくこなすことが出来たクリストハルトは、盗賊退治など簡単なことだと高を括っていたところで――――。

 命を落としかけるなど微塵にも思ってもいなかった。




※※※




 当時、リマイザ王国では盗賊の動きが活発化していた。

 原因を突き止めていくと、今までは小規模だった盗賊達が、組織的な動きをしているからだとわかる。

 一方の村が襲われ、兵士達が救援に向かうと決まってそこから遠い場所が、見計らったように襲われるからだ。

 さらに村だけでなく、大人数で中規模の街や街道を封鎖して襲う事件も起き、国として一刻も早く解決する必要性が出てきた。

 国の腕利きの諜報員がすぐに盗賊のアジトを突き止めてきたのだけれど、そこはリマイザ王国領であり、モワーズ王国領でもある境目の山だった。


 国境とは必ずしも明確になっていない。

 川などがあれば、はっきりと分けられるけれど、地続きの場合、国境はその国に属している、つまり税を納めている一番近い村の辺りまで、という極めて曖昧なものになる。

 盗賊達はそれを狙ってアジトを国境に置いたのだろう。

 管轄が曖昧になり、手を出しにくい状況を作り出そうとしたのだ。


 けれど、当時のリマイザ王国とモワーズ王国の関係は良好で、かつ協力を提案し、承諾するだけの有能さと寛容さを持った者達が政治を担っていた。

 結果、盗賊の組織化を同じく危惧していた二国は、盗賊のアジトを殲滅する共同作戦を実施することになる。

 そこに参加したのが、当時まだ副団長だったモワーズ王国の騎士レオニードと、伯爵位を継いだばかりでその力量を試されていたクリストハルトだった。


 盗賊がアジトとしている山の麓には、百人規模の兵士が集まっていた。

 モワーズ王国から派遣されてきた兵が半数、もう半分はクリストハルトがかき集めたクローレラス伯爵家の私兵だった。

 盗賊は百人を超えるということで、リマイザ王国の騎士団にもこちらへ応援を頼みたいところだけれど、クリストハルトのプライドがそれを許さなかった。


 野営地には、軍議のために簡易のテントが張られ、折りたたみ式の大きなテーブルが中央に置かれている。

 椅子はなく、参加者全員は立ってテーブルに置かれた辺りの地図をのぞき込んでいた。


「山がここ、我らの野営地がここ」


 そこへマント纏ったクリストハルトが、木彫りの駒を置いていく。

 自軍の兵達に見立てた騎馬の駒を、今いる場所に。

 盗賊に見立てたバンダナをした歩兵の駒を中腹に置く。


「山の北側の中腹――――ここの辺りに盗賊のアジトがある」


 諜報員からクリストハルトが直接詳細を確認し、さらに近くの狩人達を雇い、斥候として辺りを探らせて、判断している。

 準備は万全で、見逃しなどなかった。

 失敗することなどありえない。


「俺達の調査と同じだ。素早く攻め込み、逃がさずに一掃しなければならない」


 モワーズ王国側の代表であるレオニードがクリストハルトの情報に、同意した。


 ――――着いたばかりで、アジトの位置まで……。


 さすがに派遣団の代表ということもあり、有能そうだ。

 彼は見るからにたたき上げの騎士といった風貌で、重すぎて振り回せるのか疑問に思うほどに大きな剣を携えていた。

 周りの騎士達も、屈強な見た目をしている。

 心強いものの、彼らに功を奪われるわけにはいかない。

 盗賊討伐はリマイザ王国側から呼びかけたこともあるので、クリストハルトが主導して動かなくてはならない。


「この三方の山道はすでに塞いである。モワーズ王国へ続く、一番大きな街道にはこちらの団長がいるから、まず問題ない」


 レオニードが地図にある街道を順番に指差した。

 事前の打ち合わせで、盗賊が国内に逃げ込まないように、山へと続く国境付近のそれぞれの街道は塞いである

 モワーズ王国は、レオニードの上官である騎士団長を配置しているらしい。

 リマイザ側はというと、クリストハルトは街道の抑えとして、リマイザ王国の騎士団を丸々置いていた。

 戦力としては少しこちらに合流させたいけれど、今回は新しい伯爵として力量を試されているので、後ろの抑えとしてしか使えない。


「こちらの街道も……全て騎士団で塞いでいる。兎一匹通れないはずだ」


 クリストハルトは地図に書かれた街道を指差した。

 すでにそこには×が書かれていて、封鎖してあることを示してある。


「あとはどちらがアジトに切り込むか……」


 続けてクリストハルトは今回の軍議の核心を口にした。

 いくら協力関係があるとはいえ、どちらが先に攻め込むかは重要なことだった。

 兵を出している以上、どちらも戦果を国に示さなければならないからだ。


「リマイザ王にいいところを見せたいのであれば、俺を護衛にしてお前が突っ込めばいい」


 レオニードはさも手柄には興味なさげに答えた。


 ――――護衛? 彼らにとっては今回の作戦は手柄にもならない簡単な任務だとでも言うのか? それとも舐められているのか?


 提案は願ってもないことだけれど……。

 思わず、クリストハルトはその申し出を受けようと思った。

 元々、先に攻めるのはこちらだと主張するつもりだったのだから。


 けれど、喉まで出かかったところで飲み込んだ。

 レオニードの言葉で逆に、自分が功を焦っていると気づかされる。

 おそらく彼は何度も戦場を生き抜いてきた強者である反面、クリストハルトはこれが初陣のようなものだ。

 その経験と力量の差は歴然だった。

 そして、この作戦の目的はリマイザ国内でのクリストハルトの評価を上げることではなく、なるべく少ない損害で、盗賊達を一網打尽にして国境付近の治安をよくすることだ。


「どうするか決めろ」


 レオニードが、再度強い口調で尋ねてくる。


「……お言葉ですが、副団長殿。私は国とクローレラス領を守るために、盗賊の討伐に来ている。力を誇示したいわけではない」


 考えを改めて、クリストハルトは後方支援に回る旨を口にした。

 レオニードは自分の国内での状況や気持ちをすべて予測した上で、わざと挑発気味に言ったかもしれない。


「こちらの兵を山裾一帯に配置する。土地勘は我々のほうがある」


 小さな駒を細かな山道に置いていく。


「ここからその指揮を執る。誰一人漏らさない。アジトはそちらに任せたい」


 ――――突入時に戦いの経験がない自分が行っても意味がない。


 部下に守られてるだけなんてごめんだ。

 ならば、後ろで逃げる盗賊の網として、兵を指揮するべき。

 チェスには自信がある。


「わかった。それで行く」


 レオニードはただクリストハルトの作戦に頷く。

 それで誰一人不満の声は出ずに、会議は解散となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る