第5話 転生のち悪役令嬢前
※※※
ここからは、エリザベスの記憶――――。
エリザベスだと気づく、ほんの少し前の……。
※※※
転生していた<、、>と気づいたのは、五歳の時。
湖で遊んでいた時だった。
「お母様! お父様!」
使用人の漕ぐボートの上からエリザベスは、岸に向かって手を振っていた。
母は緻密な刺繍の入った日傘を差して、それをじっと見守っている。
時として他人に威圧感さえ感じさせる凛とした母の美しさは、やはりエリザベスが引き継いだものに違いない。
隣では、公爵としてはやや頼りなさげな父が優しい微笑みを浮かべている。
エリザベスが生まれたのは、この国でも有数の貴族であるフォンティーニ公爵家だった。
使用人が何人もいて、領地も屋敷もとてつもなく広くて、何不自由ない生活。
今日は他の親しい貴族の家族もいるものの、誰もが公爵家の顔色を伺ってなるべく悪目立ちしないようにひっそりとしている。
爵位という階級制度は、この国ではほぼ絶対的だった。
「わぁぁ、お魚、お魚がいる! あっちにいって!」
湖で魚が跳ねたのを見て、エリザベスは、当然のように使用人へ命じた。
ボートがゆっくりと旋回していく。
「あっ、また跳ねた! 急いで! 早く! 逃げちゃう!」
ボートの操作に慣れない新人の使用人を急かしたのが悪かったのかもしれない。
それとも興奮して立ち上がったのが悪かったのかも。
ともかく、ボートの旋回する速度が上がって大きく揺れた。
それでも五歳のエリザベスはキャッキャと高い笑い声を上げて楽しんでいたのだけれど――――。
「わわっ……」
ボートの揺れがさらに大きくなったかと思うと、いきなり視界がぐらりと傾き、反射的に目を瞑る。
揺れに耐えきれなくなったボートが転覆し、エリザベスと漕ぎ手が湖に投げ出されたからだった。
ドボンと大きな音を立てて、水の中に落ちる。
湖の底へと落ちていく、ゆっくりと、とてもゆっくりと……。
痛くも、苦しくもない。逆に身体が軽くて、気持ちがいい。
――――前にもこんなこと……あった?
だから、怖くなかった。
――――きれい……。
湖面の先に見える太陽をぼんやりと眺めていた。
「誰か、エリザベスを助け出してっ!」
今まで聞いたことのない、取り乱した母の声が聞こえてくる。
岸では当然のように大騒ぎになった。
公爵の幼い娘が湖に落ちたのだから、当然のこと。
エリザベスはそれを他人事のように見つめていた。
その瞬間、本当に半分他人だったから。
「エリザベス様!」
一緒にボートから落ちた使用人が、エリザベスを助けようとして手を伸ばす。
そこで引き戻された。
――――たすけて! おぼれちゃう!
先ほどから一転、混乱したエリザベスは、必死になって使用人にしがみついた。
「気をつけてボートを寄せるんだ、早く。間違っても近づきすぎてぶつけるな!」
使用人に厳しく命じる父の声も聞こえてくる。
それから――――。
暴れるエリザベスに手を焼きながらも、何とか使用人達がボートの上に引っ張り上げてくれた。
「エリザベス! あぁ、エリザベス!」
岸に着くと使用人から奪うようにして、母がエリザベスを抱える。
暴れたときに水をたくさん飲んだので、ぐったりとして意識が朦朧としていた。
「エリザベス! しっかりして! エリザベス!」
「げほっ、けほっ……お母……様……」
ぎゅっと母に抱き締められたことで、飲み込んだ水を吐き出す。
それでエリザベスは意識を取り戻した。
――――あれ……? 私、溺れて……助かったの?
記憶が混濁していた。
――――私は……誰?
太陽に手をかざす。
その指はとても細くて、小さい。
おまけに手首が人形のようにレースで包まれている。
「もう大丈夫よ、エリザベス……もう大丈夫」
かざした手を母が握りしめてくれる。
――――エリザベス……友加は……?
たしかにその名前は自分としてもしっくり来る。
けれど、友加という名前も同時に浮かぶ。
――――えっ……ええ――――っ!
その時、前世のすべてを思い出した。
しかも今の自分である“エリザベス”は、前世でもよく知っている名前だった。
※※※
湖に落ちた翌日、フォンティーニ公爵家の書斎で、エリザベスは一心不乱に背表紙を見つめていた。
その部屋は、少なくとも五歳の子供が遊ぶ場所ではない。
狭いし、少しカビやインクの匂いがする。
ぐるりと本棚と数多くの本に囲まれているので、小さな子供が迷い込んだら怖くなって泣いてしまうだろう。
子供向けの本は子供部屋や別のところにあるので、エリザベスにはまだ書斎は早すぎるのだけれど――――。
今の自分には必要な場所だった。
――――あった、紳士録!
エリザベスはやっと目的の本を見つけ、小さな手を伸ばした。
部屋の中央に置かれた机の上には、すでにこの世界の地図や歴史書が広げられている。
その様子を心配そうに両親は見つめていた。
「エリザベス、取ろうか?」
父の問いかけにふるふるとエリザベスは首を横に振る。
五歳の子供に対して大きな本を抱えて持つと、自分で机まで運んだ。
「……っ」
――――やっぱり!
本を広げると、食い入るように見つめる。
時々、指で文字をなぞった。
紳士録とは、爵位を持つ全ての貴族の名前が書かれている本で、貴族の子息・令嬢は、これを全て記憶して社交界デビューしなければならない。
というのは、前世の記憶。
――――まさか、本当にあるなんて。
前世でも記憶のある名前が紳士録に並んでしまっている。
溺れかけて前世の記憶を取り戻したエリザベスは、まずボートを転覆させた使用人を責めないように両親へ頼んだ。
そして、次にしたことが、この書斎での情報集めだった。
「紳士録など、エリザベスはどうしたんだ? まだ、読めないだろう……」
見守っていた父がさすがに耐えかねて口にした。
「溺れたショックかしら……たまに大人びた言葉を話すのよ」
母も心配そうに呟く。
「しばらくは様子を見るとしよう。まあ子供は時々不思議なことをするものだ」
「そうね」
両親は適当な理由をつけて、書斎を出て行く。
二人を不安にさせるのは忍びない。
けれど、今はそれどころではなかった。
紳士録、歴史書、地図の三つの本をテーブルに並べて、開かれているページに書かれた文字を読み返す
モワーズ王国。
フォンティーニ公爵家。
ダクレストン大陸。
女神ヘレヴェーラ。
――――間違いない。ここ、プリ暁の世界だ。
前世でプレイしていた、お姫様が色々な国の王子様と恋に落ちるゲーム“プリンセスライフ~暁の告白~”に出てきた地名や家名と、今机の上にある本に書かれた固有名詞はぴったりと一致していた。
――――けれど……。
最大の問題は、好きでプレイしていた乙女ゲームの世界に転生してしまっていたことではなかった。
自分は王子達に溺れるように愛されるヒロインではなく――――。
とことこと書斎に置かれた鏡の前に立つ。
長く金色の髪。
ツンと高い鼻。
猫目といえば聞こえはいいけれど、つり上がった赤い瞳。
まとめると高貴で、高飛車そうな顔。
そして、トドメともいえるエリザベスという名前。
「これって……これって……」
ふるふるしながら、エリザベスは鏡に映った自分の姿をびしっと指差した。
「ライバル悪役令嬢っ!」
プリ暁のヒロインの名前は、ロゼッタ。
エリザベスは、何度も結婚エンディングを邪魔された悪役令嬢の名前だった。
高笑いしがなら「おほほほ! 王子は私に夢中ですの!」というイベント画面が思い出される。
きっと成長したらあれそっくりになる。
いや、そっくりというかあれそのもの。
「しかも……エンディングではどれもさらっと追放!」
認めたくない現実を前にして、五歳のエリザベスはへたり込んだ。
前世の記憶をたぐり寄せるも、エリザベスが幸せ……どころか平和なエンディングは一つとしてない。
制作者は恨みでもあったかのように、あまり良いエンドでなくてもエリザベスはロゼッタへの妨害への罪を問われてしまう。
「ひいいっ……これって回避不能じゃなくて……?」
頭を抱えるも、前世でへこたれないイベントプランナーだったエリザベスはすぐに立ち直った。
「そうならないように行動すればいいんだ。まだ子供なんだし」
エンディング直前に記憶を取り戻したのならば、手遅れだと途方に暮れるしかない。
けれど、今のエリザベスは五歳。
片鱗はあるけれど、まだまだ悪役令嬢に成ってはいない。
「これからは、一日一善の精神で生きていきます!」
良いことをすれば、他人を思いやれば、きっと悪役令嬢としての追放は回避できるはず。
そう考えたのだけれど……甘かった。
母譲りの高飛車に見える容貌がそうさせるのか。
はたまた、運命の歯車? 世界の強制力? 見えない糸? 神の意志?
見えない力のせいか、何をしてもエリザベスは悪役令嬢だった。
誰かを助ければ、裏があると思われる。
微笑みかければ、馬鹿にされたと受け取られる。
それどころか、ちょっとした行動が予期せぬことに発展して、立場をどんどん悪くしていく。
おかしなことだけれど、本当にエリザベスに対して同情した。
これだと、性格が悪くなるのも頷ける。
いっそのこと悪役令嬢を演じきってしまった方が楽だと思ったぐらい。
前世で邪魔とか言って、ごめんなさい。
結果――――。
追放エンド回避、無理、でした!
そして、今に至る、以上。
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