第4話 前世はイベントプランナー

※※※




 エリザベスが、日本という国で働いていた記憶――――。

 沢谷友加<さわたにゆか>の記憶。




※※※




 そこは小さなオフィスビルの一室だった。


 いわゆる都内で無数にある雑居ビルの一つで、狭くて、古くて、少し傾いている。

 机を九つ置き、ロッカーとコピー機を設置するともう何も入らない。


 だから、自分の机の上はいつも書類でまみれていた。

 片付けても片付けても次の荷物が置かれていく。チラシが書類がパンフレットが、行き場をなくして、占拠していく。


 けれど、当時の自分は関係ないと思っていた。


 熱意さえあれば、良い仕事をするのに場所は関係ない。


 エリザベスは、前世の記憶の中では沢谷友加という名前の二十四歳のイベントプランナーだった。




 黒い髪を後ろでまとめ、白いシャツと黒いスーツに腕を通す。


「今日も頑張らないと……」


 気合いを入れると、電車にゆられて会社に向かう毎日。

 車内には同じような人達がたくさんいるので、自分だけではないと思える。


「おはようございます」


 株式会社ドリームファンと書かれた扉を開けると、元気を出して挨拶をする。

 すでに社内にいる数人が力なく、返事をした。

 手だけを上げる人もいる。

 どうやら先に来ていた、ではなく、徹夜で仕事をしていたようだ。

 普通ならば、仕事に追われる先輩を気遣って、声を掛けるところだけれど、そんな余裕はなかった。


 自分も追われていたから……。


 ――――とりあえず、メールの片付けから。


 自分の席に座り、パソコンを立ち上げてメーラーを開くと、ダダダダッと襲い来るように数十件のメールが受信されていく。

 それを見るだけで背中が震えるのは、気のせいだろうか。


 ――――眺めてても仕方ない。立ちむかわなきゃ。


 自分を奮い立たせて、来たメールを処理していく。

 資材の発注、広告の手配、アルバイトの確保、自治体への許可申請……それに、毎日のように起こるトラブル処理

 早期入社というブラックな制度で、入社前から色々と手伝わされていたので、友加は正式入社する頃には一通りのことが一人でできるようになっていた。


 少なくとも、経験値は大いに溜まった。

 あと疲れも……。

 せめて、もう少し休みが欲しい。


 いつも寝る前に少しだけプレイする乙女ゲームが、唯一の趣味であり、楽しみ。

 いつか乙女ゲームのイベントにかかわることができたらいいな、と就職時にイベント会社を選んだ。

 いつか自分で企画したいと思っているけれど、そのためには今目の前に高く積まれた仕事を片付けていかなくてはならない。

 壁は……とてつもなく高くて、日々積まれていく。


「はい! 株式会社ドリームファンです」


 メールの返事に集中していた友加は、掛かってきた電話を慌てて取った。

 クライアントからだった。


「いつもお世話になっております。えっ、催事スペースが足りていない? も、申し訳ありません。すぐにそちらへ向かいます」


 最近、電話が鳴るのが怖い。

 大抵は、トラブルを知らせるものだからだ。


 株式会社ドリームファンの業務内容は多岐にわたる。

 展示会、商品発表会、体験会、パーティだけでなく、ミニライブやスポーツイベントなどの大きなものも扱う。

 けれど、社員は数名しかいないのでトラブルはつきものだった。

 今日もいつものようにクライアントからクレームの電話が来て、現場に直行する。あれこれ電話で話すよりも直接行って、処理する方が早いから。


「出てきます! 戻り、十九時すぎます」


 パッと室内履きのスリッパから、机の下に置いてあるパンプスに履き替えて、オフィスを出て行く。

 移動手段は徒歩や馬車ではなくて、電車もタクシーも飛行機もある当たり前の世界だけれど、今日のトラブルの現場は遠い。

 移動だけで数時間かかるので、戻るのは夜になるだろう。

 ビルの外に出ると、すでに眩しいほど日差しが強くなっていた。

 何となく振り返ると、株式会社ドリームファンの小さな看板が瞳に映る。


 ~大事なプレゼンから、幸せお誕生日会まで~

 “株式会社ドリームファン”


「幸せな……お誕生日会……」


 お客を笑顔にする業務は、友加には一度も巡ってきたことがなかった。

 個人向けの仕事はほとんどなく、大体が企業からの依頼。


 そんな現実を知ったからか、それとも業務の過酷さに耐えきれなくなってか、おそらく後者だけれど、友加の同期は次々と会社を辞めていった。

 後輩も入ってくる様子はない。

 やりがいはあったし、張り切ってもいたけれど、社員九人だけの会社はやっぱり――――ブラックだった。




 何とか今日の仕事を無事終えて、帰路につくのはいつも深夜。

 どんなに遅くても、友加は疲れを取るためにお湯に浸かることにしていた。


「机と椅子とプロジェクターの手配よし、お茶と午後にはお弁当……よし、チェック終わり」


 たっぷりのお湯に身体を埋めながら、ぶつぶつと独り言を呟いた。

 お風呂に入ると一時的でも疲れが取れて、頭がすっきりするので明日の確認にはぴったりだ。

 溢れるほどのお湯につかるのは、友加の数少ない贅沢。


「ふぅぅ……さて、やろうかな」


 一度首まで浸かった身体を起こすと、バスマットの上に手を伸ばした。

 そこには、防水ケースに入れられた長方形のゲーム機。

 スマホで良くあるような紐のついた透明なビニール製の袋で、画面が多少見づらくなるのを気にしなければ、お風呂でもプレイすることができる。

 乙女ゲームは、友加にとって眠る前のささやかな楽しみだった。


「えっと、どこからだっけ?」


 電源バーをスライドすると、タイトル画面が立ち上がった。


 “プリンセスライフ~暁の告白~”

 ずっと友加が嵌まっている乙女ゲームだ。


 略して「プリ暁」と呼ばれ、とても人気がある作品。


 舞台はダクレストン大陸の中央、モワーズ王国。

 主人公のロゼッタは、モワーズ王の隠し子で、ある日それが判明し王宮から迎えが来る。

 息子である王子しかいないモワーズ王は、新しい一人娘をとても溺愛してくれるが――――。

 モワーズ王国と関係を持ちたい周囲の国が、政略結婚を持ち掛けてきて、国の友好と恋愛のバランスを考えながら、物語を進めなくてはいけない。


 途中、主人公の会話や行動を決める選択肢があり、それによって各国の王子・皇子と結ばれる結婚エンドが五パターンある。

 全年齢ゲームなのに、最後のイベントでは明らかに二人で夜を越した明け方の「暁」の語り合いシーンがあることが、このゲームの特徴的な部分。


「えっと昨日は……バッドエンドだったんだっけ」


 ロード画面から再開するセーブデータを選ぼうとして、友加は昨日の進行度を思い出した。


 選択肢を間違ったらしく、主人公のロゼッタを何かと敵対視する悪役令嬢のエリザベスの妨害で、他国と戦争状態になってしまった。

 しかもそれが攻略を進めていた王子の国で、ルートが進行不可になり、見事に即バッドエンド。

 中々攻略が難しいのもこのゲームの特徴で、友加はまだ五個の結婚エンドのうち、二つしか見ることができていなかった。


 ――――眠る前に、ゆっくりやっているというのもあるけど。


 SNSやブログでは、全攻略したという言葉を普通に目にするけれど、仕事に追われる友加にはまだまだまだ時間がかかりそう。


 ――――いつか、プリ暁のイベントを――――。


 と思うものの、結婚エンドをすべて見ることもできていないのではお話しにならない。

 けれど、今の調子ではいつになるかわからなかった。


 もう少し、休みたい。余裕が欲しい。

 明日も朝からやらなくてはいけないことで、山積みになっている。


「充実してる……ってことだよ、きっと」


 自分を励ますように呟くけれど、力なかった。

 ずっとこの状態が続いていて、自分に嘘をつくこともできなくなっていた。


「あっ!」


 不意に仕事のことを思い出して、友加はハッとする。


「お土産セットに、社長のサイン入りTシャツ入れてない……明日朝イチで、な、何人分……? ぐぬぬ」


 分岐前のロードを選択することもせずに、友加はゲーム機をバスマットに戻した。

 さらに明日しなければいけないことが、積み上げられる。

 ――――何時、起きだろうか。


 今度は口までぶくぶくとお湯に身体を埋めていく。


「他は大丈夫かな、撮影と録音禁止の書面も作ったし、それから、それから……」


 一つ思い出すと、不安になるもの。

 他に何か抜けがないか、あれこれ考える。


 ぶくぶくぶくと顔が沈んでいく。

 身体が重くて、重くて、仕方がない。


 ――――あれ? なんだか……ずっと落ちてない?


 ユニットバスは小さく、浅いはずなのに、友加は膝を抱えながらどこまでも落ちていた。

 底に向かって……ゆっくりと……。


 ――――なんだろ、これ……。


 次第に瞼<まぶた>が重くなり、意識も薄れていく。

 けれど、痛くもなく、苦しくもなく、気持ち良かった。

 意識はこの感覚に身を任せてはダメだとわかっているのに逆らえない。


 ――――少し疲れ……過ぎたの……かも。


 口から空気が泡になって水面へ昇っていく。

 それが、沢谷友加であった時の最後の記憶だった。

 たぶん、一度目の人生のエンディング。

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