第3話 熱々のローストポークと冷たい視線
食事は命の源――――。
などと教会の偉い人が言ったかどうかは定かではないけれど。
とにかく、ノルティア教会にある厨房は立派だった。
竈<かまど>の上には大きな煙突が完備され、手元を照らす吊り下げられた燭台も多い。
調理台は、数十人の食卓テーブルのように広い長方形で、壁際にはずらりと調理器具が棚に置かれている。
各種調味料や保存容器用の棚もばっちり完備されていて、これでやる気を出さない調理人はいないだろう。
――――調理するのは、全員シスターだけどね。
つまるところ、貴族のお屋敷並の厨房がこの教会には完備されていた。
――――こんな素晴らしいものをお許しくださった、スポンサーの皆様、感謝いたします。
厨房に入ったエリザベスは両手を組んで、神にではなく、出資者に感謝した。
罰当たり極まりない行為だけれど、声に出さなければ問題ないはず……。
「では、子供達の笑顔のため、いつもどおりお願いしますね、エリザベスさん」
「はい! 任せておいてください」
拳を握りしめて、任せてください!のポーズをしようとして、エリザベスは慌てて引っ込めた。
貴族令嬢もシスターもそんな仕草はまずしない。
あぶない、あぶない。
「エリザベスは下ごしらえを。わたしはオーブンの準備をしますね」
「承知いたしました」
今度は上品な女性っぽく答えると、エリザベスは自分の作業に取りかかった。
普通ならば、火の準備は煤で汚れるし、薪を運んだり面倒なものなので、下っ端であるエリザベスの仕事。
けれど、ヒルデの料理に「もう少し塩加減を強めのほうが」「あまり煮たたせると風味が」などと、控えめに囁いていたら調理の担当に変更。
シスター長は、凛とした美人で近寄りがたいところもある人だけれど、いじめをしたり、慣習を頑なに守るような、非効率なことをする人ではなかった。
人をよく見ていて、頭の回転もよくて、頼れる先輩って感じ。
――――怒ると、ほんと怖いけどね。
――――シスター長への畏敬の念はそのぐらいにして……。
「うん、良いお肉」
今朝、市場で買ってきた豚の塊肉を保管棚から取り出すと一応カビがないかチェックする。
事前に塩をすり込んでおいたので、問題なさそう。
豚肉は中央へ切り込みを入れて、ローリエとニンニクを詰め込んである。
それらを取り払うと、エリザベスは火の入れやすい大きさに切り分けた。
はさんで置いたニンニクも大きめに刻んで、一緒にオーブン用の鉄のプレートに置く。
「シスター長、こちらは準備が済みました」
「では、オーブンへ入れてくれるかしら?」
ヒルデに声を掛けると、あちらの準備も済んだようでオーブンの前から退いてくれる。
ミトンを手にすると、鉄のプレートをオーブンの中へ入れた。
次のエリザベスの仕事は焼き加減を見極めること。
額に汗を浮かべながら、オーブンの中へ目を凝らす。
ヒルデの方は、他の料理で使う小麦粉をふるいにかけ始めていた。
さすがシスター長、手の空いた時間も無駄にしない。
――――そろそろかも……。
数十分が経ったところで、肉から油がこぼれ落ち、ジジッと音を立てている。
ためらわず、ミトンを手にしたエリザベスは豚肉を乗せた鉄のプレートをオーブンから取り出した。
「シスター長! 焦げ目、これぐらいです、完璧っ」
ヒルデに声を掛け、調理台にプレートを置く。
もう一度、焼き加減を確認すると丸い蓋でプレートごと鳥を覆う。
エリザベスは、側に木製の砂時計をひっくり返して置いた。
余熱で火をゆっくり通すのが、柔らかいローストポークのコツ。
「エリザベスは本当に料理が上手ねぇ」
何か意味ありげなニュアンスを含んで、ヒルデがじっとエリザベスを見る。
いつもなら、常に手を動かしているのに今はなにもしていない。
――――なんだか……まずい感じ……。
逃げ出そうにも、料理の最中なのでそうはいかない。
「ありがとうございます……」
「――お貴族様は、厨房になんて入らないものよ」
――――ぎくり!
後ずさり、エリザベスは言葉をにごした。
「えっ! え、へへ……まあ」
ヒルデの言うとおり。
エリザベスの生まれたフォンティーニ公爵家では、果敢に挑んだものの、ついに厨房へ立ち入ることはできなかった。
『公爵令嬢ともあろうお方が厨房へ入ってはなりません』
感じ悪そうな男シェフがフライパンを揺する横で、侍女二人がエリザベスにありえないという顔で厳しく言う。
少なくともそこの生臭かったり硬かったりの料理を作るシェフよりマシなものができる。
さらに駄々をこねたら――――。
『わたくし達を倒してから行きなさい!』
と言われてしまった。
本気で倒す方法を色々考えついたけれど……どれも面倒になりそうなのでやめておいた。
メイド二人を倒したところで、本当に厨房に入れるわけないし。
この世界では、貴族は厨房に近づいてはいけないらしい。
厨房に入るのは、使用人を雇えない庶民がすることなのだ。
公爵令嬢が料理などもってのほかである。
身の回りのこともすべて使用人がしてくれる……というか、彼らの仕事を取ってはいけない。
「ここへ来て一ヶ月、始めから服も一人で着れたし、洗濯も嬉々として取り込むし……公爵令嬢が一体、なぜかしらね?」
――――ぎくっ! ぎくぎくっ!
公爵家にいたときの苦い記憶が去って行くと、ヒルデからさらに問い詰められていた。
絶体絶命。色々ばれるのは、まずいというかめんどくさい。
「ず、ずっと、やってみたくて……」
――――嘘は言ってない。声はうわずったけれど……。
「へぇ、珍しい人ね。使用人の仕事をやってみたいなんて……」
「そ、そうなんです。私、珍しいみたいで」
これも嘘ではない。
――――この世界では、と心の中で付け足す。
見透かそうとするようなヒルデの瞳がじっとエリザベスを見ている。
しかし、次の瞬間、彼女は視線を逸らした。
「そろそろ頃合いではありませんか?」
「えっ……あっ……そうですね!」
最初、何を言われているのかわからなかった。
どうやら、ローストポークのことらしい。
調理テーブルの上に置かれた砂時計を見ると、すでに砂が落ち尽くしていた。
蓋を取り、試しに豚肉を包丁で切ってみる。
中は、美味しそうで、綺麗なピンク色。バッチリの見た目。
「良い感じです」
「では盛りつけをお願いします」
大皿を取り出すために棚に向かったヒルデが「ああ、忘れていたわ」とばかりに振り返る。
びくっっっと背筋を伸ばす。
「先ほどは少し気になったので聞いただけです」
ヒルデが涼やかな笑みを浮かべた。
「貴女の面倒を見なくていいわけで、理由なんてどうでも良いですから……貴女の家がたくさん寄付を下さった事実があり、貴女が有能で、きちんと子供達のために働いてくださればそれで私は構いません」
ヒルデの言葉にエリザベスはほっと胸をなで下ろした。
――――ほんと見た目よりずっと現金な人だよね。
財を持たず、贅沢もしない、自給自足の教会暮らしはどこへ行ったのやら……。
エリザベスとしては、助かるのだけれど。
「ローストポークできあがりました」
ぱぱっと、ローストポークを切り分けてヒルデが持ってきた大皿に盛った。
「次はスープをお願いね」
スープは毎回出るので、すでに下準備は済んでいる。
鍋に刻んだタマネギ、ニンジン、香草を入れると水と塩、それにローストポークと一緒に焼いたニンニクを隠し味で入れる。
本当なら濃いめの調味量を入れたいところだけれど、野菜と塩で充分に味が出る。
――――こんなところかな。
スプーンですくって味を確認して、最終調整すると、あとはことこと火にかけておくだけ。
ヒルデの方を確認すると、彼女はパンケーキを焼いていた。
――――教会の食事にしたら品数多いな。
ローストポークに、スープ、パンケーキに、あとサラダもある。
まあ、美味しいもので皆がお腹いっぱいになるのは良いこと。
それだけで幸せになれる。
ちなみに、ヒルデの焼いているパンケーキは分厚いもの。
この辺りで元々作られていたのは、膨らませない平べったいパンケーキというか、クレープのようなものだった。
最初はそれでエリザベスも我慢していたのだけれど、つい食べたい欲望を抑えきれなくなって、教会へ来た時にここぞとばかり作ってしまった。
――――やっぱり厚くないと食べたって気にならないもんね。
ふわふわのパンケーキは、もちろん子供達に大盛況だった。
エリザベスは厚めのパンケーキを布教中。
――――教会だけに……なんてね。
すでに教会内は厚め派でほぼ占められている。
次なる目標は近くの村の人々! そして、いつかリマイザ王国の、王様にも食べてもらう!
「あっ……手伝いますね」
腕を天井に向かって掲げ、大いなる野望に胸を焦がしていると、ヒルデに訝しげな表情で見られてしまった。
「あと数枚だからいいわ。調理器具を洗ったら、子供達と遊んできてください」
「わかりました!」
ささっとローストポークを焼いた鉄のプレートや、包丁を洗うと後はヒルデに任せる。
「運ぶ頃にまた戻ってきます! あとお願いします」
エリザベスはヒルデに向かってぺこりと頭を下げると、調理場を出た。
教会内にある庭へと向かう。
子供達が元気に騒ぐ声がすぐに聞こえてきた。
――――シスター長って……やっぱり……子供苦手なのかなぁ。
ヒルデが子供と遊んでいるところを見たことがないし、やたらと遊んできてと言われることが多い。
シスター長なのに、雑用を最後までするのはいつも彼女だ。
――――世の中って、思い通りにいかないよね。
子供が苦手でも、子供のために働くヒルデのことを思う。
自分にもそんなことが以前あった。ずっと、ずっと前のこと。
好きで始めたことなのだけれど、好きだけではどうしても上手くいかなくなってしまって……最後には……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます