第2話 追放のちシスター見習い

「クワッ、クワッ!」


 やっとアヒルが道を空けてくれて、エリザベスは洗濯籠から最後の一枚である、子供のチュニックをパンパンと振って干した。


 木の洗濯バサミで、チュニックを留めた洗濯ロープは、毎朝、シスター全員でえいっと張る。

 片方は教会の屋根に、もう片方は、敷地内にある大樹の幹を借りていた。


 ピーンと張られたロープに、綺麗に洗い終えた洗濯物が並び、一斉にヒラヒラとなっている光景は、壮観である。


「よし、終わりー」


 一息ついたところで、エリザベスの背後からワーッという声と元気な足音がした。


「シスターエリザベス! 遊ぼうぜ」

「終わったー? 遊んでー」

「ねぇねぇ、シスターエリザベス!」


 腰にドスンと誰かが抱きついて、右と左の手をそれぞれ引っ張られる。

 教会で一緒に暮らしている子供だった。


 物語を終えたエリザベスは、きっともう誰が見ても悪人顔ではない。

 いや、悪人顔であったとしても、正直な子供はこうして見破ってくれている。


 ――――嬉しい……感動!


 まさかのここに来てモテが到来!


 幸せに身震いしていると、子供の一人が、エリザベスの背中に足をかけてよじ登り始めていた。


 ――――同類で同年代扱いとか……思いっきりなめられているとか、でないといいんだけれど……。


「シスターの背中登りは禁止です、こら、トニ!」

「シスターエリザベス、けちー」

「けちだってー」

「怒ったの?」


 エリザベスは、一番わんぱくな子供に注意した。

 トニは、八歳になる子供の中では最年長の男の子だ。


 子供から見れば、見習いであってもなくても、シスター服とベールをまとっていれば、全員がシスターで親しみを込めて、そう呼ばれている。

 皆がお母さんみたいなものであった。


「ねえ、洗濯籠はぼくが持ってあげる」


 目をくりっとさせて、小さな紳士として洗濯籠を持ってくれるのは七歳のマート。


「お城のおはなし、続きをして」


 少しおませな口調で、王宮の話が大好きなのは、同じく、七歳の女の子のフェルシー。


 フェルシーへ笑いかけると、手をさらにぎゅっと握ってきて、体ごとくっついてくるから、可愛くてたまらない。


 ――――子供って、正直……ああ、外見ではなく内面を見抜いてもらえる幸せ。


 浮かれて、ニコニコと歩き出す……。


 エリザベス……改め――――。

 シスターエリザベスは、今とても充実している。




 エリザベスは子供達と歩き出しながら、ここへ来た日を思った。


 あの時は、どんな暮らしが待っているかと不安で……。

 ついでに最後の見栄を張って、見送りだとついてきた親――――フォンティーニ公爵夫妻は、縁を切って正解なほどに恥ずかしかった。




※※※




 一カ月前、ここへ来た時。


 エリザベスを乗せた馬車が、ノルティア教会に着いてからおよそ半日後にフォンティーニ公爵であるオレグ・フォンティーニと――――。

 その妻で、フォンティーニ公爵夫人である、ゾフィア・フォンティーニが、積載量オーバーの馬車で到着した。


 四頭立ての馬車は、すでに傾いていて、エリザベスは目を逸らす。

 馬車の屋根から、上へ上へと積み上げられた荷物……巨大な衣装箱やら革の鞄はロープで奇跡的に固定されていた。

 御者と従者が協力して解くと、雪崩を起こして……。

 ついでに荷台から、樽まで出てきて、当然のように転がった。


 それでも気を取り直して、公爵夫妻の指示の下で、教会の庭に成金貴族もびっくりな荷物が並べられていく。

 出迎えたノルティア教会のシスター三人と神父は、複雑な顔で黙り込んでいた。


 やがて準備が整うと、菫の扇子を手に、エリザベスの母ゾフィアが高笑いをした。


「おーほほほっ! この小切手は教会への寄付です……他に並んでいるのは娘の手切れの品物ですわ。せいぜい恥ずかしくない暮らしをなさい」


「エリザベス、もうお前は公爵家とは無関係であるが、生涯恥ずかしくないようにせよ!」


 父オレグは、これで食いつなげと言わんばかりである。

 充分な支度であったが、恥ずかしくない暮らしとやらが、今までの公爵家の生活を見本にするものなら、一生は無理だ。

 この人達は、あとは自然にお金が湧いてくるとでも思っているのだろうか。


「靴も帽子も五組だけにしましたよ」


 追放後に舞踏会へ行く予定があるのかと、ゾフィアへ思いっきりつっこみたい。


「宝石を買うのは控えるように!」


 オレグもまた、エリサベスのこれからの生活をわかっていない様子だった。


 エリザベスは色々な意味で悲しい顔で両親を見送り――――。


 ほとんどの品物を、綺麗さっぱり換金した!

 もう、必要ないですし!




※※※




「エリザベス、腹へったのか? 元気ないぞ」


 ふと、背伸びをしたトニに顔を覗き込まれて、エリザベスは我に返った。


「い、いいえ! 元公爵令嬢の私が、そんな腹ペコではありませんわ!」

「腹ペコ?」

「あははっ、変なシスターエリザベス」


 言いたいことが色々まざってしまっても、子供達は笑ってくれる。

 誰もお腹を空かせていない……。


 ノルティア教会は自給自足の生活を基本としているけれど、村や行商人から買ったほうが早いものは無駄な我慢なく手に入れていた。

 ついでにシスター暮らしでも、鳥や魚以外にもお肉食べて良しの、ゆるい規則である。

 贅沢も禁止されていないし、私財を持つことも禁止されていない。


 毎日ずーっと祈って地味に暮らすということもなく……。


 ――――朝と、食事前と、日曜日にぱぱっと祈るだけなのよね。


 エリザベスは、子供と手をつないで教会の建物を見上げた。

 前のモワーズ王国と、今のリマイザ王国も含めて……。


 ダクレストン大陸のこの辺りは、女神ヘレヴェーラの偶像崇拝をするヘレヴェーラ教が主な導きである。

 ノルティア教会も当然のように、礼拝堂には女神ヘレヴェーラの像があった。


 百合の花を持つ女神は、汚れに染まらない、清らか、純潔の象徴であり、手には百合の花を持っている姿の像がある。


 女神を信仰している地が危機の際は、百合の花が剣に代わり大地を守ると伝わっていた。

 その時には、百合は一振りの美しい剣となることから、教会の彫刻や装飾具は、百合と剣が融合した形である。

 その装飾は建物にもあり、エリザベスが礼拝堂の柱に彫られている意匠へ目をやると、シスターの一人が梯子に上って柱掃除の真っ最中だった。


 エリザベスよりやや長いベールの、見習いの取れているシスターである。


「あっ! エリザベス、今日の夕食はローストポーク、リンゴ添えね。お願い」


 エリザベスが来て少し豪華になった食事で、すっかり肉の味に魅了されているのは、赤毛のルシンダだった。


 人懐っこい好奇心いっぱいの瞳に、少し日に焼けた肌。

 手入れが大変だからと、髪をさっぱりと切ってしまっているせいで、溌剌<はつらつ>とした印象が強い。


「よろしくー!」


 ぶんぶんと手を振られるも、そんなアンバランスな姿勢……と、ハラハラ見ていたら、案の定、バランスを崩した!


「危な……っ!」


 しかし、ルシンダは、身軽にひょいっと梯子の上へと座り直す。


「へっへー」

「シスタールシンダ、すごーい!」

「森の猿みたい」

「…………ねえ、子供達。それ褒めてる? あたし、どうすごいの?」


 得意げな笑みを子供たちに向けた後で、真顔になるのは結構大人げない。


 そんなルシンダは、お調子者で隙があればサボる二十一歳……エリザベスよりは年長である。

 今だって子供達の手前、しぶしぶ掃除を再開している様子。

 孤児出身で、前は別の修道院にいて、そこが潰れて転々として、ここへ来て七年らしい。

 そんな重そうな過去は、微塵も感じさせない教会の元気屋だ。


「ルシンダ、子供相手におよしなさい」


 ぴしゃりと言い放った声は、建物の内側から窓を開けて拭き始めた、ロクサーヌであった。


 窘<たしな>めたほうなのに、大人の中では最年少――――十七歳。

 灰色がかった銀色の髪は、手入れがよく、光を受けると透けるような銀糸になる。

 掃除をしても洗濯をしても決して荒れない手は、夜な夜な貴族御用達のクリームを塗りこんでいるからだと、エリザベスは察していた。

 ロクサーヌの眼差しは、潔癖さに満ちていて、いつも怪訝な目で物事を見ている。


 ――――訳ありシスターの匂いがする……。


 とはいえ、シスターの世界は詮索無用。


 ルシンダとロクサーヌは、よく衝突してやりあっている。


 ――――気が合うんだろうな。


 エリザベスの印象としては、ルシンダとは凸凹<でこぼこ>のシスター仲間であった。


「シスターロクサーヌ! 豚さんはおいしいんだよ」


 庭からフェルシーが口を尖らせると、ルシンダも梯子の上で得意げになる。


「そうそう! 元気になって、力がもりもり湧いてくるし」

「また、不浄な生き物を……慎みのある暮らしをなさい」


 教会の最後の良心とばかりに、ロクサーヌが首を横に振った。


 もう、この人達、ダメだわ――――とか、思われていそうだ。


「豚さんっ!」

「エリザベスのおいしいレシピ!」

「わあっ、ローストポーク」


 はしゃぐ子供達が、今夜のメニューを完全に決めてしまった様子である。

 その時、庭から出入りができる厨房の裏口がバタンと開いた。


「あらあら、楽しそう」


 中から姿を現したのは、どのシスターよりも長いベールに、首の詰まったシスター服のヒルデだった。


 ベールの中にひっつめた黒い髪に、切れ長の緑の瞳。

 二十九歳のシスター長の威厳ある装いの指先は、優雅に香草を摘まんでいる……。


 今朝採ったばかりのローズマリーとセージの葉――――。

 晩御飯は、ローストポーク確定であった。


 結構、このシスター長も、俗っぽくて肉食だ。


「やったー!」

「作ってくれるの、シスターヒルデ」

「わーい」


 ヒルデ曰く、頼りのない神父に代わって教会を切り盛りしているのだから、エリザベスとしては尊敬に値する。

 ノルティア教会の居心地が良いのも、こうしてヒルデが仕切っているおかげであるのだから。


「もう期待させてしまったから、作りましょうか。エリザベスさん、手伝って」


 子供に言われて仕方なく――――を、微妙に装いつつ、ヒルデがエリザベスへ声をかけてくる。


「はい」


 エリザベスは頷いてから、子供達に向かい、背丈に合わせて屈みこんだ。


「トニ、遊びは食事の準備が終わってからね」

「おう!」

「マート、籠をありがとう」

「うんっ」

「フェルシー、お話は眠る前ね」

「はーい!」


 マートから洗濯籠を受け取り、エリザベスは上機嫌で厨房へ入った。

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