第6話


 真っ白な病室の中、ベッドの上に茜はいた。


「調子どう?」

「見ての通り元気だよ。」

「ベッドの上で見ての通りって言われてもね」


 楓はベッド横のイスに座る。


「これ、お見舞い品」

「ありがとう」


 楓は小さなフルーツバスケットをベッドの横の机に置く。


 静寂が部屋を包み込む。この状況に楓は違和感を抱いていた。いつもなら際限なく喋り出す茜がここまで最低限の会話しかしていない。

 沈黙には慣れている楓だが流石に居心地の悪さを感じていた。

 何もしないままただ時だけが流れていく。


「気づいてたんだ。相手チームが執拗に私を狙っていること」


 ポツリと茜が語りだした。


「自分で言うのもあれだけれど、これでも私このソフト界では結構有名な方でね」


 声が震えている。


「いつかはこんな事もあるだろうって思ってたんだけどさ....」


 楓は何と言えばいいのか分からなかった。慰めも、同情も、ここでは意味をなさないような気がしていた。


 分かったような振りをしても結局他人は他人で、自身以外に己を完璧に理解してくれる人間なんていない。そのことを楓はよく分かっていた。だからこそこの状況に迂闊に手を出せないでいた。


「勿論これで全部終わった訳じゃないって分かってるんだよ。まだ1年生だし、しっかり怪我を治せば来年も再来年もチャンスはあるんだって」


 でもやっぱりさ.....。消え入りそうな声でそう言った。


 楓はようやく気づいた。どれだけ明るく振舞っていようが茜はまだ16歳で、少女なのだ言うことを。


「昔読んだ小説の話なんだけどさ」


 そう言って楓は話し出した。


「主人公は高校生の男の子なんだけど、その子には夢も生きがいもなくて。けど別段死ぬ理由もないからただ惰性で毎日生きてるような子だったんだ」


 茜の反応は薄い。


「そんな主人公にも1人だけ幼稚園から高校まで一緒の親友がいてね。彼はバスケが凄く得意でUー18日本代表からお声がかかるほど強かったんだ」


 少し茜が話を聞き始めた。


「彼はいつでも笑顔だった。主人公は彼が辛そうにしている所なんか1度も見たことがなかった」


 茜は話に聞き入っている。


「でもある日突然親友は死んでしまうんだ。なんでだと思う?」


 楓は茜に問いかける。


「え...交通事故?」

「残念。彼は自殺したんだ。部活内でのいじめが原因でね」

「っ.....!」


 息を呑む、とはまさにこのことだろう。


「勿論主人公はそんなことがあっていたなんて微塵も知らなかった。だって主人公の前で彼はいつだって笑顔だったからね」


 楓は畳みかけるようにして話す。


「唯一の支えだった親友まで失ってしまった主人公はとうとう自殺して物語は終わるんだ」

「.....救われない話だね」

「全くだよ。なんでこんな話を書いたのか俺にも分からないぐらいだよ」


 そう言って笑った楓の顔にはどこか寂しさがにじんでいた。


「でもね、最近この小説の続刊が出たんだ」

「どんな話なの?」

「あの世で閻魔様に怒られた主人公は再び現世に転生させられるんだ。友達もろくに出来ず孤立していた主人公だったんだけど、小学5年生の時に一人の女の子に出会うんだ。その子は底抜けに明るくて前向きで、まるで........まるであの親友みたいだった」


 一言一言、楓は噛み締めるように言う。


「二人は中学校は別々になるんだけど高校で偶然再開するんだ。少女は何一つ変わってなかった。そんな彼女に主人公はどんどん惹かれていくんだ。そんなある日少女に事故が起こってね.....」

「...それで?」


 楓は優しく笑うと


「ここから先はまだ読んでない」


 と言った。

 さて、こう話してみたところでどうなったかは楓には分からない。しかし


「その小説、読み終わったらかしてくれる?」


 そういう茜の声は少し明るくなっていた。


「勿論いいよ」


 今日のところはこれで十分そうだった。




 あの事故から一年が経ったある日。


「土曜日の夜、空いてる?」


 放課後の教室で楓は茜にそう言った。


「空いてるよー」

「よかったらペルセウス座流星群見に行かない?」

「いいねそれ。倉木くんも誘う?」

「いや、できれば2人がいいかな」


 茜は考えるような素振りを見せる。


「......わかった!」

「良かった。じゃあ土曜の21時に学校前に集合ね」


 こうしてこの日は終わった。


 土曜の夜、約束の15分前に楓が学校の前に来ると既に茜は来ていた。


「ごめん!待った?」

「ううん。全然」


 テンプレートのような会話をする。


「それで?どこに行くの?」

「学校の裏山だよ。いい場所を見つけておいたんだ」


 そうして2人は歩き出した。


「それにしても2人でどこかに行くって初めてだね」

「そう言えばそうだね」

「.....ちょっと嬉しかった」

「ごめん。よく聞こえなかった」

「なんでもない!」


 真っ暗な山を10分ほど登ると急に目の前が開けた。


「ここだよ」

「.......凄い。こんな場所があったんだね」

「喜んでもらえて良かったよ。シートを持ってきたんだ。座ろうよ」


 シンプルなレジャーシートに二人は腰を下ろす。


「流星群まであと10分ぐらいあるみたい」


 楓がそう言うと茜は黙って頷いた。


 楓の頭の中は既にパンクしそうだった。今までに経験したことの無いこの感情。名前は知っている。だけど実際になるのは前世を含め初めてだった。


「あ、あれ!」


 そう言って茜が指さした方向には一筋の光が流れていた。

 一筋だった光は徐々に数を増やしていき空を覆っていく。


「綺麗.....」


 その一言で楓の覚悟は決まった。


「ねえ咲島さん」

「なに?」

「好きです」


 全ての思いを込めて。


 茜は泣いていた。想定外の反応に思わず楓は慌てる。


「違う、違うのっ」


 と言いながらも溢れ出る涙は留まる術を知らない。

 楓はどうすることも出来なくただその光景を眺めていた。


 数分もすると茜は落ち着いた。


「私ね、ソフトボールだけが支えだったんだ」


 茜は語り出した。


「お父さんもお母さんもチームメイトもクラスの友達もみんな好きだったけど、そのために生きてるってわけじゃなかった」


 意外だった。楓から見た茜はいつでも、誰にでも明るかったから。作り笑い...と言うとまた違うのだろう。


「だから去年怪我した時もうダメだも思ったの。なんにもなくなっちゃったって」


 楓は病室での茜の様子を思い出す。


「でも黒崎君が助けてくれた。ソフトボールって支えが折れた時に黒崎君が私の支えになってくれたの」

「それは言い過ぎだよ。俺は何も出来なかった」

「ううん。あの時黒崎君がいなかったら私どうなってたか分からないから」


 思いの外高評価だったことに楓は少し照れる。


「あの時ようやく気づいたんだ。ああ私は黒崎くんのことが好きなんだって」


思いがけない言葉に楓は驚く。


「なんか遠回りになっちゃったね。だからね、私は.....私は黒崎君が好きです。付き合って下さい」


 34年間、はこの瞬間をずっと待っていたのだろう。何の為に生きるのか分からなくて命を投げ捨てた前世。もう一度貰ったチャンス。全てはこの時の為にあったのだ。


「こちらこそよろしくお願いします」


 出てきた言葉はそれだけだった。


「固いよ。もっと気楽にいこうよ」


 茜は笑ってそう言った。


 流星は既に降り終わっていた。




 2人は来た道を歩いて帰る...手を繋ぎながら。学校前に着いた時には既に10時半を過ぎていた。


「家まで送ろうか?」

「ううん。ここまでで大丈夫」

「そっか。じゃあまた月曜ね」

「うん。またね」


 そう言って茜が渡りだした信号は赤で。気づいた時には横にトラックがいて。


「危ないっ!」


 茜の手を引くとそのまま前に体が投げ出されて__




 ゴシャッ



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