第3話
幸か不幸か楓は一命を取り留めた。落下した場所が花壇だったことが関係したのだろう。飛び降りの代償は右腕と左足、尾てい骨の骨折と全治2ヶ月程度の怪我で済んだ。
「ほんとにいじめじゃないのか?」
「だから落ちた消しゴムを拾おうとしただけだって」
飛び降りから1週間後、病院の1人部屋でベッドを間に挟みながら話し合う少年と中年男性がいた。
「辛かったら相談するんだぞ?」
「だからあ、ほんとに大丈夫だって。ほら、父さんは早く会社に行って」
「なんかあったらすぐに電話するんだぞ。また明日も来るから」
「来なくていいよ」
そうして男性は部屋を出ていった。
「まったく、優しすぎる親も困りものだな」
楓はいじめのことを頑なに隠し続けていた。それも意識的にではなく、反射的に。それが何故なのかを楓自身さえ理解していなかった。
コンコン、とドアのノック音が病室に響く。
「はいどうぞー」
「こ、こんにちわ~」
入ってきたのは咲島茜だった。
「あ、咲島さん。よくここがわかったね」
「先生に聞いたんだ。あ、はいこれ、千羽鶴。と言っても200羽ぐらいしかないけど」
「ありがとう。これ、クラスのみんなで折ったの?」
「いや、1人でだよ」
「凄いね」
「私にはこんなことしか出来ないから」
そう言って渡された、束になっている鶴を楓は受け取ると、横のテーブルにそっと置いた。
「というか学校は?」
「今日は土曜日だから」
「ああそっか。僕はずっと休みだから曜日の感覚がなくなってたよ」
「そ、それは笑っていいの?」
「もちろん」
楓なりのジョークは茜にあまり通じなかった。
「調子はどう?」
「ようやく痛みが引いてきたかなって感じ」
「そっか。ならよかったね」
そこから暫く無言が続く。
「あのさ、私のせいだよね?」
長い沈黙の後、茜がぽつりと呟いた。
「何が?」
「楓君が飛び降りたの、私のせいだよね?」
「違うよ。僕はただ単に落ちた消しゴムを拾おうとして落ちた、ただのドジっ子だ」
「嘘つき。だってほんとにそうだったらそんな所は骨折しないはずだもん」
茜は射貫くような目で楓を見た。先生や親ですら気づかなかった楓の嘘の矛盾点に茜は気づいていたのだ。
「私が先生にいじめのこと喋っちゃったから仕返しされたんでしょ?」
その問いかけに楓は否定も肯定もしなかった。いや、出来なかった。
「私、余計なことしちゃったね」
「それだけは違う」
楓は落ち着いた、でも力の入った声でそう言った。
「咲島さんがいなかったらきっといじめは際限なく続いてた。結果はどうであろうと、それを止めてくれたことに僕は感謝してる」
楓の内心は少し違った。楓はいじめを楽しんでいた。そんな楽しみを終わらせないためにも楓は抵抗しなかった。
しかしエスカレート具合に嫌気がさしていたのも確かに事実だった。だから茜の行動は楓にとって意味のあるものだった。
「そっか」
茜は泣き笑いのような顔をする。
「楓くんって優しいよね」
「そうか?これでも結構自己中心的な方だと思うけど」
楓は自嘲気味に言う。
「そんなことないよ。私を庇って、郷田君たちを庇って、ほんとお人好しって感じ」
郷田君とはいじめっ子のリーダーのことだ。
「お人好し........」
「ああ違うの!そういう意味じゃないの!なんかこう....自分のことより他人を優先するって感じ?」
「何で疑問形なんだよ」
茜の動揺具合にすかさず突っ込む楓。
「もう!とりあえず楓君は優しいの!」
それに対して逆ギレのような態度を取る茜。
「何だかその怒りは凄く理不尽な気がするよ」
「気のせいじゃないかな」
少しの沈黙の後、2人はふふふと笑いあった。
「楓君って面白いね。なんか思ってたのと違ったよ。あ、いい意味でね」
「まあ学校では基本いじめられてたしね」
「あ、そっか........」
「別にそんなに深刻に考えなくていいよ」
苦笑しながら楓は言う。
「それに咲島さんが助けてくれたしね。凄くありがたく思ってる」
それは紛うことなき楓の本心だった。
「........ありがと」
「こちらこそ」
そして何度目か分からない沈黙に突入する。
「ようバカ息子!生きてるか?」
そんな沈黙を破ったのは楓の母だった。楓の母はバタンと豪快にドアを開けると病室に入って___
「おっとお取込み中だったか。そんじゃまた30分後ぐらいに来るわ」
来ずにそのまま出ていった。
「あれ........お母さん?」
台風が去った後の病室で茜が楓に問いかけた。
「認めたくないけど、そうだね」
「なんか凄い人だね」
「初めて会った人はみんなそう言うよ」
「でも、悪い人じゃなさそう」
「まあ、それは否定しないけどね」
楓の母は嵐のような人ではあるが、竹を割ったような性格であるため誰から好かれている。無論、少年も例外ではない。
「お母さんも来たことだし、私そろそろ帰るね」
「うん、気をつけてね」
そうして茜は病室を出ていった。
「案外、この世界も悪くないかもね」
誰もいなくなった病室で楓はそう呟いた。
1ヶ月もせずに楓は退院した。まだ完全に治ってはないものの、日常生活を送れる程度には回復したので登校を再開した。
いじめはぱったりと止んだ。やはりあの飛び降りが効いたのだろう。
しかし、いじめは止んだがそれと同時に楓に関わろうとする人もいなくなった。
...........ただ1人、茜を除いて。
「楓君って中学で部活とかやるの?」
卒業を2週間後に控えたある日、帰り道で茜がそう言った。
「いや、特に考えてないかな」
「そっかー」
「咲島さんは?」
「私はソフトボール部に入ろうと思ってる」
「ああ、いつぞやも窓ガラス割ってたしね」
「そ、それは忘れて......」
顔を赤くしながら横にそらす茜。
「まあ僕、私立中に行くんだけどね」
その瞬間、空気が凍った。
「え、嘘、私立中?私そんなの聞いてないよ」
「まぁ言ってなかったしね。僕、
海桜中はこの辺りでも名の知れた進学校である。
「そっか……。頑張ってね」
「咲島さんこそ」
そこから家に着くまで、2人の間に会話は無かった。
そしてそれから2週間後、卒業式は滞りなく行われた。式が終わり、最後の終礼も終わってさあ帰ろうと立ち上がったその時
「あ、あのさ、よかったら一緒に帰らない?」
楓は茜に呼び止められた。
「いいよ」
「よかったぁ。私の親もう帰っちゃっててさ。このままだと私、1人で帰らなきゃ行けなかったんだ」
「おや奇遇だね、僕の親ももう帰ってしまったんだ」
どこか形式ばった2人の会話。
「じゃ、帰ろうか」
楓の言葉を合図に2人はランドセルを取って学校を出た。
「なんかあんまり卒業したって感じがしないよね」
帰り道、茜がそう言った。
「まあ、そうだね」
「だって6年間も通ったんだよ。それなのに『明日からは中学生です』なんて言われても実感湧かないよ」
茜は不服そうに言う。
「まあ、そうだね」
「楓君さっきからそれしか言ってない」
「まあ、そうだね」
「ほらまた言った」
そうして2人は顔を見合わせると声を上げずに笑いあった。
「でもこうやって一緒に帰ることももうないんだね」
その瞬間、楓は少し胸が痛くなった気がした。
「海桜中だもんね。やっぱり楓君はすごいよ」
楓はその言葉になんと返せばいいか分からなかった。だから何も言わなかった。
「私調べたんだ。海桜って中高一貫じゃないでしょ?だから高校は外部になるんだよね?」
「まあ確かにそうなるけど」
楓がそう言うと、茜は楓の数歩前に出た。そして振り返って
「じゃ、約束。高校は一緒のとこ行こ?」
と、笑いながら言った。
本気で一緒の所に行くつもりは楓にはなかった。それに楓は携帯電話を持ってないら卒業後に連絡を取り合うことすら出来ない。ただ、その笑顔を見ると、
「うん。勿論」
自然と頷いていた。
「咲島さんこそ、高校落ちないでね」
「もう!失礼なこと言わない!こう見えて私、意外と成績いいんだからね?」
「知ってる」
そうして2人は笑いながら帰った。雲一つないよく晴れた日だった。
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