ものや思ふと
ゴールデンウィークも過ぎ、バンドの練習も本格化してきた。相変わらず竜崎と昼休みに部室にこもり、オリジナル曲のアレンジをああでもないこうでもないとこねくり回していた。
授業開始のチャイムが鳴る5分前、教室の自分の席に戻ると隣の席の女子が話しかけてきた。
「ねぇ、アユム。いつも昼休みどこに行ってるの?」
『彼女』だった。昼休みに集まっておしゃべりをしていたらしい。本来の住人は席を離れているようで、『彼女』が机にちょこんと腰掛けてリップをグリグリ塗っている。
「部室だよ。軽音部の」
「軽音部なんだ。楽器は?」
「……ボーカル」
「アユムっぽいね」
『彼女』が柔らかく微笑む。
彼女が僕を名前で呼ぶのは、新学期の自己紹介で「若林です。名字が嫌いなんで『アユム』と呼んでください。呼び捨てで」と僕が言ったからだ。クラス中、先生までも面白がって僕を『アユム』と呼んでいる。
「ライブ?とかやるの?」
「町内の夏祭りにね。引退前の最後のライブ」
「えー、聞きたい!絶対行くね」
あの瞳が僕を見つめる。胸の奥がきつく絞られている気がした。
これが恋じゃなかったら、なんだって言うんだ。
放課後、竜崎と並んで歌を口ずさみながら帰っていると、『彼女』が自転車でこちらに向かってくるのが見えた。
長い髪を束ねてエプロンを付けている。デニムのワンピースの腕を捲りほっそりとした手首を露わにした『彼女』は、学校で見るより大人っぽかった。
「アユム!」
ハンドルから片手を離し、こちらに向かってブンブン振る。
「家の手伝い?」
「うん、ちょっと買い物」
「気をつけて」
『彼女』の遠ざかって行く背中を見送っていると、竜崎が僕の右肩をそっと掴んだ。
「クラスの子?」
「うん。仲良いってわけじゃないけど」
「仲、良さそうに見えたよ」
そう言って竜崎は再び歌いながら歩き出した。その声は先ほどより少し低く感じた。
家に帰ると母親が誰かと電話で話している最中だった。ペコペコとお辞儀を繰り返しながら両手で持った受話器にしきりに「申し訳ありません」と繰り返している。イヤな予感がする。胸の奥がざわついてモヤモヤとした毛玉の塊が巣食っているようだ。母はようやく受話器を元に戻すと、こちらを睨みつけた。
「アユム、いい加減にしなさいよ」
「何が」
「髪に決まってるでしょ!今週中に染めてこないと内申に響くって先生が言ってたわよ」
連休中に明るいブラウンに染めた髪は、ここ何日かの間担任以外の先生からも注意を受けていた。髪を茶色に染めたからって成績に影響が出るわけでもないし、直ちに不良になるわけでもない。どうでもいいことを大悪事をしでかしたかのように口出ししてくる大人にウンザリだ。胸の毛玉が喉元までせり上がってくる。
だが、そんな大人の言うことを聞かないと自分が望む最低限の『自由な生活』が送れないこともわかっている。元々ゴールデンウィークが終われば元の色に戻すつもりだったのだ。長さも短いし、そんなに手間ではない。
「明日染め直す」
僕の反抗なんてこんな些細なものでしかないのだ。
夏休み前の三者面談でT高校を志望することを宣言した。親から見ても先生から見ても妥当なところだったのだろう。特に反対もされず、夏休みからもっと勉強を頑張るように言われただけだった。面談の終了予定時刻になると廊下で待つ次の生徒を呼んできて欲しいと言われた。
「あ、アユム」
次は『彼女』だった。彼女にはあまり似ていない、どちらかというとおばあちゃんに近い年齢の女性が笑顔でペコリと頭を下げる。
『彼女』はいつものようにニコニコと手を振り、僕の側をすり抜けて行った。
ほのかな汗の匂いとイチゴの匂いが僕の鼻を掠めた。
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