第1話 噂

「ねえねぇ! 知ってる?」

 登校してすぐだった、伏見蓮華に対して間宮なずながその話題を切り出したのは。

「なにが?」

 机横のフックに鞄を掛けながら蓮華は返す。

「最近流行りの紅い瞳の噂!」

 なずなの振ってきた話題には心当たりがあった。たしか最近ニュースにもなった事件に「紅い瞳」にまつわるものがあったのを蓮華はぼんやりとだが覚えていた。

 蓮華は席につくと前の席に座るなずなを見ながら知ってると頷いた。

「この前起きた事件のことでしょ? 確かこの近くだったよね」

「そうそう! 三町目の住宅路の」

「それがどうかした?」

「あの紅い瞳事件に関わる噂がこの辺りで出回っててさ。それが案外面白そうな内容なんだよ」

 蓮華は活き活きと喋るなずなとは対照的な興味なさげなトーンで「へぇ」と返した。事実、蓮華にはその手の噂話とやらに然程も興味はなかった。寧ろ、被害者が出ているのにも関わらず面白可笑しく脚色する都市伝説や噂話といった類のものを軽蔑してさえいた。

 なずなはそんな蓮華の胸中を知ってか知らずか会話を続ける。

「この記事を見て」

 そう言ってなずなは一つの記事を机へと広げた。新聞の切り抜きだった。そこには先程から話題の中心にある「紅い瞳」の事件のことが書かれていた。

「これがなに? これなら私も読んだよ。特になにも感じなかったけど」

「ちゃんと読んだ? ほらここ! おかしくない?」

 蓮華はなずなの指を指した部分へと目を向けた。

「外傷はなく、って書かれてるのに見つかった時は血が大量に失われていたんだよ? どう考えてもおかしくない?」

「確かに気にはなるけど、そんなに気にするほどおかしいかな。わたしは人体に詳しくないから知らないけど手口次第では可能なんじゃないの? 血を抜くことぐらい。まあ、悪趣味な行為だとは思うけど」

「じゃあ蓮ちゃんはどんな方法で犯人は被害者から血を抜いたと思う? 大量の血液を、それも短時間で!」

「それは、わからないけど……」

「ふふーん、でしょ! でね? ここからが本題! わたし、この不思議を解き明かすヒントを見つけたの! これ見て」


 次に取り出されたのはどこぞの怪しいオカルト雑誌の記事だった。そこには読者を煽り立てるように「謎の紅い瞳の真実に迫る! 被害者の首元に謎の痕!!」と書かれている。


「ここに謎の痕って書いてあるでしょ? この記事には第一発見者の人のコメントが載ってるんだけど、被害者の首筋には二つの痕があったんだって。大きさ的はあんまり大きくなくて、虫に刺されたようなサイズだったって」

「ふーん、でもこの記事信用できるの? どうせ面白おかしく書き立ててるだけだよ。本当悪趣味。なずなもこんな記事読んでないでもっと違うことに力入れれば……?」

「もー一旦聞いて!」

「はいはい。わかったわかった。一旦聞くから、急に大声出さないで」

「この二つの記事から出る結論がさっき言った噂に繋がるの。大量に失われた血、首筋に残る二つの謎の痕、襲われたのはどちらも若い女性。そして、意味ありげなこの言葉「紅い瞳」。これはつまり」

「つまり?」

「吸血鬼の仕業ってやつなんじゃないかな!」


 てんてんてん。と静寂が流れた。

 蓮華はいきなり阿呆なことをのたまった友人に対して冷たい視線を投げつけると「バカなの?」と呟いた。


「バカじゃないよ! いや、成績は下から数えた方が早いような頭はしてるけど、バカではないよ!」

 それをバカと言うのでは? 思わず出し掛けた言葉を蓮華は飲み込む。

「吸血鬼なんて実際にいるわけない」

「いるかも知れないじゃん! っていうか居るよ! 絶対! だって噂にもなってるんだよ? 三丁目の吸血鬼って」

 まるでトイレの花子さんみたいな噂のされかただなと蓮華は思った。

「はぁ……仮に。本当に吸血鬼が居て、それが事件を起こした犯人だったとして、なずなはどうしたいの? 結局なずなには関係のないことでしょ? そんな得体のしれない件に首を突っ込む必要ある?」

「関係もないし、首を突っ込む必要もないよ? でもさ、やっぱり気になるじゃん。こんな不思議、滅多にお目にかかれるものじゃない。だから、だからさ」


 そこまで聞いたところで蓮華のは既に次にどんな言葉が出てくるのかわかっていた。またなずなの悪癖が出たかと蓮華はため息をつく。


「――お願い! わたしと一緒にこの吸血鬼の謎を解き明かしてよ! 蓮ちゃん!」





「おかしいなー」

なずなは嘆息を漏らした。

「蓮ちゃんなら付き合ってくれる気がしたんだけどな」

 なずなの提案は蓮華によってにべもなく断れてしまった。そんな謎に興味なんてない。それが彼女の言だった。


 蓮華は噂話に対して悪趣味と感想を漏らしていた。だから断られるのだって想定の範囲内だったはず。なのになずなはああは言ってもなんだかんだで自分に付き合ってくれるだろうという自信、いや確信めいた予感があった。

 なぜそんな予感を抱いたのだろう。答えはなずなにもわからなかった。ただ、恐らく、紅い瞳の噂を聞いたとき真っ先に思い浮かべてしまったからだろう。


 ――あのどこか人間離れした、摩訶不思議な友人、伏見蓮華を。


 


 どんより曇る空。にわかに降り出した雨は徐々に激しくなり、やがてノイズとなって世界を支配した。

 人の寄り付かなくなった公園には寂しさが充満している。刈り取られることのない草木、錆びついた遊具たち、取り壊し予定と書かれた看板。降りしきる雨粒はまるで緞帳のように見えた。

 幕の閉じかけた舞台に一人の少女が立ち尽くしているのを幻視する。


 ――否、それは幻ではなかった。


 美しい濡れ羽色の髪を持つ少女が公園の中央で立っていた。雨粒を吸い込んだ髪は、より一層その濃さを増し、彼女の存在感を引き立たせた。

 

 およそ現実離れした光景だった。なずなは、人というよりも幽鬼の類を見たかのような奇妙な心地を感じていた。けして良好でない視界にも関わらず、彼女の白雪の如き肌と艶めく黒だけはなぜか際立って見えた。

「ねぇ、なにしてるの?」

 思わず出た言葉だった。それこそ無意識的に零れたものだった。

 少女はなずなの質問に答えることはなかった。ただ顔をなずなの方へと向けただけ。

 このとき、なずなは、気づいた。

 彼女の持つ色彩が「黒」と「白」だけでないことを。


 ――彼女の瞳に緋色の輝きが宿って居ることを。




 あの紅い瞳は見間違いだったのか。なずなはかつてを出来事を思い出し、自問する。

 ――いや、あの輝きは、絶対に見間違いなんかじゃない。

 あの日、あのときの、蓮華の瞳は確かに紅かった。けれどあの後、再会してから今の今まで蓮華の瞳が紅く染まったところを見たことはない。どれだけ瞳を凝視しても、そこには自分と同じ、黒い瞳があるばかり。


 もしかしたらわたしが吸血鬼の謎を追おうとしているのは、またあの紅い瞳の伏見蓮華に会いたいと思っているからなのかもしれない、となずなは思った。

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