第4話 第4相談者

 新宿百人町の雑居ビルの4階に『発散堂』のオフィスがある。店主の御手洗(みたらい)幸一(こういち)は、夕方も6時を回ろうとしている頃に二日酔いからくる頭痛に頭を抱えながら、カップみそ汁の『あさり汁』をすすっていた。ゴールデン街を4軒はしごしてからは、起きるまでの記憶がない。当たり舟券で儲けたウン万円を使い果たしてしまった。部屋の隅につり下がったBOSEのスピーカーから、ボサノバの女王Astrud Gilberto (アストラッド・ジルベルト)のMeditation がのびやかに響き渡り御手洗の眠りを誘う。

 「菜月ちゃーん」

 「はーい」早乙女菜月は今日はチャイナドレスでのお出ましだ。太ももまで入ったスリットが御手洗の視線をシャキンとさせた。

 「今日の予約は?」御手洗の酒焼けした声。

 「今のところ入ってないです、電話待ちでーす」

 「悪いが相談内容によっては、菜月ちゃんに行ってもらおうかな」

 「飲みすぎですよ、若くないんだから」

 「チップは弾むから、はい、まず前金」御手洗は菜月のガーターに諭吉を1枚挟み込む。

 「もう御手洗さんのH~毎度あり~」

ふいに銭形平次の着メロが鳴りだす。

「はい、皆様のイライラ解決!発散堂でございます! ハッサン24、24時間受付中です!」御手洗の声はルパン三世のように軽妙だが今日は掠れ気味だ。

「あのう・・・怒りがいっぱいで・・・その・・・どうしたらいいか・・・」

よくある電話だ。とくに女子の場合に多い。半分訝しいと思って電話してくる。

「はい、お電話ありがとうございます、初めてですね、ではお名前からどうぞ、仮名でもかまいませんよ」


    *


「まわりがさ、やっぱりうらやましいんだよ」川端(かわばた)翔(しょう)は意を決したように酔いの力を借りて言ってしまった。

「なにも産まないって言ってるわけじゃないでしょ、あたしは37歳までは待って、とお願いしたはずよ。あなたもそのとき賛成してくれたじゃない、私はそれまで仕事を優先するって」妻の亜季(あき)は感情的になるのを抑えて言った。

「した、した、それは認める。でも親父が癌になったり、母ちゃんがまた働きだしたから、せめて孫は早く見せてあげたいなって。この前も母ちゃんに『あたしの生きがいってなんだろうね』って言われたしさ。」翔は言った。

「あたしが今、オリンピック特需で、一番大事な時だってわかってるでしょ。自分の力を発揮できる最大のチャンスなの。親を理由に子供を作ろうなんて、神様の罰が当たるわ」

亜季はうんざりした声で答えた。

「あと7年待ちか、俺耐えられないよ」翔はぼそっと口にした。

 亜季は工業デザインを学び、大学を出たあとは外観建築(遊具、ベンチ、照明、門扉そしてトータルな企業の外観設備の設計)の会社に就職した。入社して8年目になり主に企画からデザインまでを担当するようになっていた。折しもオリンピックが東京に決まった時であって亜季の会社は俄然、業界からの注目を浴びるようになった。亜季が30歳のときである。翔と結婚して2年。2人はマイホームを建てることを目標に頑張っていた。


    *


消防士が決め手だった。川端翔という男の子だ。片瀬(かたせ)亜季(あき)はその筋骨隆々、それでいてチャラくさくない服装、第一印象からいいなあと思った。地方公務員なんて女子の憧れだ。友人の誘いでたまたま合コンに行ったのが運命だった。歳は25歳と亜季より3歳年下だったが、話をしてみると意外としっかりとしていて、結婚願望やマイホームのことまで計画的に考えているところに驚いた。

「亜季さんの仕事はきっとこれからの都心の再開発で需要が伸びますよ、仕事で光っている人、僕は好きだな」翔は亜季の仕事に理解してくれた。

「翔君だって、未来のこと、しっかり考えて、体を鍛えて頑張ってる。とても素敵よ」

何回か会ううちに二人は急接近した。そしてお互いの夢が、2人の理想をデザインした家を建てることに決まると結婚は早かった。翔が「君についた火は消せないよ、結婚して下さい」とプロポーズした。


    *


子供を産みたい、そんな翔の発言から、2人の間に溝ができた。夜の営みは、亜季にとって避けたいものになっていた。翔は翔で子作りのためにと迫ったことがあり、断られてひどく傷ついた。翔は好きなフットサルやサッカーに毎日夢中になって憂さを晴らした。亜季は仕事を家に持ち帰り遅くまでパソコンに集中した。会話はほとんどなくなってしまった。

「お互い傷つけあうことはしたくない。離れて暮らさないか?」と提案したのは翔だった。マイホーム計画は終わりを迎えた。

「そうね、お互い冷静になって、考えてみたほうがいいわね」亜季が言った。

結局、翔が家を出る形でひとり暮らしを始めた。半年後、離婚届が亜季のもとへ送られてきた。あっけない結末。30歳にしてひとり。正直、焦ったし困惑したが、修復は不可能のように見え、判を押した。


    *


 亜季は仕事に没頭した。あらゆるコンペに参加するものの惜敗が続いた。オリンピック関連の競争入札はことごとく大手に持って行かれた。亜季は、才能の限界を感じ始めていた。同時に会社にも居心地の悪さを感じ始めた。

離婚して引っ越しをした。犬を飼い始めた。ポメラニアンのリュリュというオス犬だ。亜季がアパートに帰ってくると、しっぽを振って亜季に飛びついてくる。ある時は抱き枕に、ある時は愚痴をこぼす相手に、亜季はリュリュを溺愛した。

「ワンコだけがあたしの見方。リュリュは絶対に私を裏切らないでしゅよねー」亜季はリュリュをきつく抱き締める。キューンとリュリュが嫌がりながら返事をする。

亜季はリュリュ中心の生活を考えた。もう子供なんてあきらめた。ワンコで充分。もっと近所で、いざとなればリュリュのもとへ直ぐ向かえる仕事場を探した。

亜季は車で20分のところにある横浜の建築事務所でアルバイトを始めた。


    *


毎朝6時にはリュリュがアラーム代わりに枕元に上ってくる。散歩へ行こう、という合図だ。アパートから15分の薬師公園は散歩にはうってつけの場所だ。ドッグランコースもあって大型犬がいなければリードを放してあげた。リュリュは狂ったように亜季の周りを駆け回る。

最近、公園で同じポメラニアンを見かけるようになった。なぜか相性が良かったのか2頭はすぐ仲良しになり、じゃれあっていい遊び青手になった。飼い主は亜季と同じくらいの年齢だろうか、背の高いメガネの青年だった。

「すいません、いつもウチのポン太がかみついているみたいで」青年は爽やかに語りかけてきた。

「この裏に住む斎藤です。よろしくお願いします」斎藤は軽く頭を下げた。

「片瀬です。おなじオスなのに仲がいいなんて、笑っちゃう」亜季は言った。

「これでも弱虫なんです。人見知りだし、怖がりで。僕にしか、なつかない」

「ウチのはリュリュ。もっと弱虫かも。友達で来てよかったね、リュリュ」

「リュリュって言うんだ、かわいーなー」佐藤はごしごしと頭をなでた。

それからというもの、二人は決まった時間に公園に来た。ベンチに座っては、お互いのポメラニアンの写メやスマホの犬猫動画を見せあった。二人で笑い転げたり、「可愛い」を連発したりしてすぐに時間が過ぎていった。

  

   *


二人の交際がスタートするまで長くはかからなかった。

「リュリュとポン吉のために、僕と付き合って下さい・・・」斎藤の言葉に、亜季は

「よろしくお願いします」と答えた。

斎藤(さいとう)隆(たかし)は、独身で田町にある商社に勤めていると言っていた。休日には亜季の車で犬を遊ばせるため駒沢公園や高尾山にもいった。リュリュとポン吉がいる限り、2人の会話は途切れることがなかった。

或る日亜季が運転している時だった。

「人間はもう子孫を残すより、ワンコやニャンコで人生が満たされてしまうのかもね」

斎藤は悟ったようなことを口にした。

「かもね。女子だって仕事したいし、保育園はお金かかるし、欲しくてもできない人もいる。ほしい時に大変な思いするのは結局女子だし」亜季は言った。

「価値観が同じ人と、一緒にいれば僕はそれで充分、満足だな」斎藤こそが今で言う草食系男子かと亜季は思った。

「でもね、好きな人といつもそばにいたいと思うのはあたしだけかな?」亜季は意を決して同棲をにおわせた。

「そりゃあ理想だよ、亜季ちゃんとリュリュ・ポン吉、みんなで住めたら最高だよ」

斎藤は嬉しそうに運転席の亜季の背中に手をまわした。


    *


 それからは休日のたび二人で不動産に出かけ、ペットが可能なマンションを探してもらった。なるべく散歩にいい多摩川沿いのマンションに絞った。意外にも物件は多かった。問題は賃貸か持ち家にするか、という選択だった。

或る日の休日、二人は物件探しで多摩川沿いを歩いていた。

「隆、これは大切な話。聞いて。賃貸か持ち家にするか決めないと話は進まないわ。二人の将来を考えてほしいの、言いたいことわかる?」

「そりゃあ持ち家だよ。賃貸で掛け捨てにするのは馬鹿馬鹿しいと思うんだ。結婚を考えてほしい。でもプロポーズは改めてさせてほしい。今突然じゃあまりにロマンがないだろ?」

斎藤は覚悟を決めたように、ゆっくりとした口調で言葉を紡いだ。

「わかった。隆の気持ちは。あたし就職してからの貯金が1000万ある。隆はいくらある?」亜季は訊いた。

「500万くらいかな? 二人で1500万。ふたりの資金口座を新しく作ろう」

斎藤が提案した。


    *


物件が決まったのはそれから2週間後だった。多摩川の下流で東横線が走っていた。駅も近く8階からの眺望も最高だった。亜季はペット専用シャワーがついているところが気にいった。築5年だが新築に近い状態で4200万だった。

「決めちゃいますか?」亜季は覚悟を決めたように、斎藤に言った。

「そうだね、4200万。緊張するな―」斎藤は嬉しそうだ。

話し合って1200万を頭金に当てることにした。

契約の日の朝、斎藤は二人で作った新しい口座の通帳とカードを持って、「銀行に行く」と言った。男の人の方が安心だ。


    *


 斎藤隆はそれ以来消えてしまった。ポン吉とともに。


    *


「馬鹿野郎!」多摩川の向こう岸に向かって叫んでみる。バカらしくなって笑えてきた。

「馬―鹿!」何回叫んだろうか、疲れて座り込んだ。携帯には何の連絡もない。当然こっちからかけても繋がらない。訳もなく音声検索に「馬鹿野郎!」と発してみる。

  検索した画面には『たけしのダンカン馬鹿野郎』などが表示される。馬鹿らしくなった。

しかし、一点気になる文字が目に入った。

『発散堂』

亜季は気になってサイトを開いてみた。

「あなたのいらいら、解決します!」「ボロボロになったあなた!今すぐコール」


    ○即日お伺いして貴殿のイライラを解消して見せます!

    ○お話を伺い、貴殿に合わせたストレス発散を提案させていただきます!

    ○暴力・反社会的行為はできませんのでご了承ください。

    ○明朗会計! スタッフ1名につき1回1万円から+交通費

    ○深夜も営業! 午後8時から午前5時まで

          CALL US 090ー51××―09××

画面のわきにはいかがわしい広告や金融広告が載っていたが、なぜだか興味をそそられた。

写真には瓦割りをしている女性が何やら叫んでいる姿が映っている。

(ああ、こういう発散ね)亜季はなんとなくイメージがつかめた。

(胡散臭い・・・今は信じられるものは何もない、また騙されたつもりでかけてみよっか)

    *

「はい、皆様のイライラ解決!発散堂でございます!ハッサン24、24時間受付中です!」

亜季は酒焼けしたルパン三世のような声に少しイラッときたが、恐る恐る言葉を発した。

「あのう・・・怒りがいっぱいで・・・その・・・どうしたらいいか・・・」

よくある電話だ。とくに女子の場合に多い。半分訝しいと思って電話してくる。

「はい、お電話ありがとうございます、初めてですね、ではお名前からどうぞ、仮名でもかまいませんよ」

  亜季は事の顛末をざっくりと話した。

 「リュリュママ様、それは全くかける言葉もございません。お気の毒です。ぜひ当社のサービスですっきりしていただきたいものです」御手洗は悔しそうな口調で言う。

 「斎藤隆よ、斎藤。今すぐ見つけてほしいわ」

「リュリュママ様、誠に申し上げにくいのですが、当社は探偵業務はおこなっておりませんもので、その件についてはしっかり警察に通報された方がよいかと・・・」

「わかったわよ、んで発散するなら何をしてくれるわけ?」亜季は訊いた。

「それはもうお望み通りに」

「んもーわかんないわよ、怒りを鎮めてちょうだい。」

「では御趣味や特技はありますか?」

「ワンコを飼うこと! あとはデッサンやデザインなら得意よ」

「うわ!リュリュママ様それはもう良いご提案ができますよ!」御手洗は持ち前の引き出しの多さから瞬時にアイデアを亜季に伝えた。

「・・・いいわ、それならすっきりするかも」亜季は了承した。

「では、本日は男性の顔も見たくないと思われますので女性スタッフをご自宅に派遣しますので、ええ、はい、では夜8時にご自宅へ伺います。よろしくお願いします。」 

「わかったわ」

 「それと、リュリュママ様。発散後の対応、処置、謝罪は当社では全く関知いたしませんのでそれだけはその場でご了承のサインをいただきます。よろしくお願いします。」


午後8時、早乙女菜月は青い作業服に着替えワゴン車で到着した。

「本日担当します、早乙女です。このたびはお気の毒さまでございます。早速ですが電話で確認した発散後の自己責任同意書にサインをお願いいたします」

亜季はサインをした。

「それではご自宅で作業に取り掛かっていただきますので」菜月は亜季の部屋へ入っていく。


    *


「だいたいこんなところね、ついでにポメラニアンも書いとくわ」亜季は言った。

見事な自称・斎藤隆のイラストだ。服装までばっちりカラーで描かれている。



○「探しています、この男。結婚詐欺につきご用心!

○ポメラニアンを連れています。どんな情報でもかまいません。

○心当たりのある方は 090―××××―67×× 謝礼あり」


二人は次にワゴン車で発散堂ご要達の印刷所へむかった。

「社長、カラーで1万枚、大至急」菜月は印刷所のオヤジに言った。


    *


「決行時間です。では、始めましょうか」菜月はできた指名手配イラストを数百枚を亜季に渡した。まずは新宿××ビル屋上。

「リュリュママ様、好きなようにお叫びください」

「斎藤の馬―鹿―野―郎―――――!」白い紙が新宿の淡く明るい夜空に大量に舞った。

「では、今度は移動します」菜月はビルの下にあるワゴン車に亜季を乗せる。

多摩川沿いの道路でワゴン車を走らせながら亜季は指名手配イラストを窓からパラパラと捲(ま)いていく。ワゴン車は選挙でも使えるスピーカーつきである。

「男なんて絶滅しちゃえ!」「人間のくず!」「もう人間なんて信じない!」亜季は叫ぶ。

菜月はカーステレオの音量を最大にした。曲はDavid Sanborn の Love & Happiness


 菜月は微笑みながらもっと叫べとジェスチャーした。本日1件目、3万3500円なり。

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