第3話 第3相談者
新宿百人町の雑居ビルにある『発散堂』店主、御手洗(みたらい)幸一(こういち)は今日も無意識にウクレレをポロンとかきならしながらCS番組の競馬中継に夢中だ。3連複なのでもうひと月も当たり馬券は出てないが、当たった時には普通のサラリーマンの月収ほどになるのだ。アロハシャツに麻の八分丈のパンツ、そして雪駄。どうみても平成の世には見られないチンピラスタイルだ。
「菜月ちゃーん」小高い声で御手洗が言った。
「はーい」
「アイスコーヒーをたのむよ」
「了解でーす、ご主人様」
メイド服で菜月がアイスコーヒーを持ってくる。店主の好みもあるが菜月自身がコスプレ好きで、忍者、看護士、女子高生、なんでも揃って持っていた。今日は短いスカートに白いニーハイのソックス。御手洗の視線が太ももに集中する。
「ありがとさん、これ、今日のコスプレ代」御手洗は千円を2枚、太もものソックスに入れ込んだ。
「やだあ、Hな御手洗さん、毎度ありー」菜月は嬉しそうにチップを受け取った。
ふいに銭形平次の着メロが鳴りだす。
「はい、皆様のイライラ解決!発散堂でございます! ハッサン24、24時間受付中です!」御手洗の声はルパン三世のように軽妙で、小気味いい。
「あ、初めての方ですね、はい、お名前からどうぞ」
今日も仕事の始まりだ。
*
滝川佳(たきがわか)世(よ)にとってD―BOYSは、生き甲斐そのものだ。今年で44歳。結婚して14年がたつ。夫・博(ひろ)志(し)にはとうに愛情は無くなっている。今は娘の愛華とともにD―BOYSを追いかける毎日が何よりも楽しみなのだ。
D―BOYSは、10代の可愛い男の子4人組でダンスを得意としたボーカルユニットだ。EXILEトライブよりはアイドル性が強く若い。まだ売り出し始めたばかりなので全国各地でファン獲得のためイベントやライブを行っていたから、中高生女子のファンと比較的距離が近いのが人気の理由だった。メンバーのSHOU・RIKKU・JEI・YASIと4人それぞれが公式ブログを持っており、メンバーの中でも熾烈なファン獲得競争が繰り広げられている。なんといっても、まだ若い、売り出し中のグループなのだ。だからファンも自分が応援してこの子たちを育てているという感覚になるし、それがプロデュース側のしたたかな戦略でもあった。
佳世は家事を適当に、午前中に済ませると後はパソコンにかじりついている。4人全部のブログを見てリアクションを送ったり、メッセージを送るのである。
6/12 朝キタ―! 全国のみんな、おはよーグルト JEIだよ。
昨日の夜はダンスレッスンが終わってからの受験勉強、頑張ったよ。
みんなもそれぞれの目標に向かて今日もファイト!僕と一緒に頑張ろう♪
あ、今日の朝食は自由が丘の××でポーチドエッグセット。アップしちゃお。
佳世は「イイネ」にハートをつけて送り返す。心の中で(JEI、頑張ったね、あたしも今日は夕食作り頑張る!)と叫んでみる。いつも私のそばにはJEIがいる、だから面倒なことも一緒に乗り越えることができるのだ。
こうしてメンバー4人のブログをみてリアクションするだけで、1時間はかかる。
これが終わるとD―BOYS推しの会へアクセス。全国のファンのリアクションに目を通し、オークションでは、チケットの交換や、メンバーから手渡しでもらったD―BOYSのタオルなど目ぼしいものを探す。そしてD―BOYSを語る女子会などのお知らせまで目を通せばたっぷり3時間はかかるだろうか。SNSにもアクセスすればもう夕方だ。
佳世はリビングの大型TVでD―BOYSのデビューソロライブの録画映像を流しつつ夕食を作る。カウンターキッチンはそのためにある、と言ってもよかった。作った献立は
○厚揚げにショウガのせ ○きゅうりのきゅう太郎漬物
○豆腐の味噌汁 ○ご飯
以上である。
ちょうど愛華が帰ってきた。今年中2になったばかりだ。もともと愛華がD―BOYSを好きになったわけだが、学校や部活もあるので佳世ほどにのめりこむ時間がなかった。
「ママ、きょうのボーイズ、なんか面白いことあった?」愛華が訊いた。
「鳥取の女の子でジャージにRIKKUのサインもらった子がいるって」佳世は答えた。
「RIKKUか、なら、いいや。SHOUネタはないの?」
「今日はレッスン中、靴ひもがほどけたって夕方更新してたわよ」
「ふーん、今度のライブ、靴ひもガンミしとこ!」愛華は笑った。
「そうね、日曜日の高崎××パーク、朝5時出発よ」
「オーケー、あ、LINEの返事まだだ。おわったらご飯ね。」愛華は洗面所に向かった。
*
(おかしい、どうもおかしい、筋を見る目が鈍ったのか?)
滝川よし江は焦りを感じていた。この2,3カ月はなんだかんだで儲かっていた。それがこの2,3日どうも玉が出ないのである。よし江は続けざまに諭吉を追加した。冷や汗が出るがこの崖っぷち感覚がスリルを助長して興奮する。しかし今日は7時間粘っても一向に出る気配がない。煙草の吸殻だけが空しく溜まっている。
「よし江ちゃん、もうやめといたら」近所の清(せい)次(じ)が耳元で叫ぶ。
「また、借金こさえたら、もう住むとこないで」清次の忠告は正しい。
*
よし江がパチンコにはまったのは、夫をがんで亡くし、広島から息子夫婦のところへ越してきてからである。夫からも、田んぼからも、古民家からも、抜け出して、やっと自由になれたよし江が東京に来て、何をするかと言えばパチンコくらいしかなかったのである。いまさら姑づらして、偉そうなことを嫁に言うつもりはなかった。家事も料理も一応はやってくれる嫁にはなにも文句は言えない。かといって1日中、家にいるわけにもいかず、困っていた。老人会はよそ者だから入りづらい。そこで出会ったのがパチンコだった。最初は少ない年金から一万円程度でやめておいた。しかしいざいい台にあたるとあっという間に倍になった。年金の少なさが、馬鹿らしくなった。2万円を資金にまたいい台に当たった。3万円になった。こうして、損失はあるもののトータルでは儲かった。
1年は続いただろうか、よし江のパチンコに異変が起きる。どんどん金が吸いこまれていくのだ。やってもやっても減っていく。年金はあっという間に消えていた。何とかして戻したい。よし江が次に選んだ手段は、広島の財産だった。土地と夫の保険合わせて
1000万。この額ぐらいあるなら年金の10万やそこら、埋め合わせるのは簡単だ、そう思った。1万儲かれば、2万をぶっこむ。そして2万は消え、また2万をつぎ込む。こうした日が何カ月続いたか、残金は100万程度になっていた。
そんなある日、広島の弟が心筋梗塞で死んだ。生涯独身で身寄りもなく親類はよし江だけになっていた。葬式や埋葬はよし江がするしかない。息子の博志は財産は1000万あると思っている。よし江はなけなしの残金と携帯電話で見つけた金融会社から50万を借りた。
案の定、年金生活は破たんした。金融会社の借金は120万に膨れ上がっていた。仕方なくよし江は博志に自白した。こっぴどく怒られた。博志は貯蓄を崩し、120万を返した。今後、年金は博志の管理下に置かれることになった。よし江は週1万のこずかい制になったのだ。もちろん、今後一切パチンコ店には出入り禁止とされた。
それでもよし江は、パチンコがやめられなかった。朝食が終わると頭がそわそわして落ち着かない。ホールの音、煙草の香り、ジャラジャラの震動。気がつくと店の方へ足が向かってしまうのだった。
*
滝川博志は、自宅の最寄り駅より1つ手前で下車する。健康のため歩くのだ、と言いたいところだがじつはそうではない。歩きながら晩酌して帰るのである。自分の小遣いを考えれば、赤ちょうちんに寄っていくおかねは無い。1日1000円の小遣いは440円のタバコ、390円の弁当、残った金でスーパーの缶チューハイを買うことで見事に消え失せた。唯一の楽しみは、土日の休みには会社に行かなくてもいいので2000円が現金として自由に使えることであった。
博志の勤務先は小さな出版社である。入社当時には、社会学や社会心理を専門として扱ってそれなりの定評を得ていたが、社会学があまり流行らなくなったり、出版不況も重なって今ではなんでも扱う出版社になっていた。要は売れなければ会社はもたないのである。収益をふやすため、営業を強化することが決まった。自費出版である。ホームページには会社概要・商品紹介・お問い合わせ、のほかに「原稿募集!」のサイトを設けた。文芸コンテストと称して作品を募集する。特賞は20万円。反響は大きかった。
「あのー原稿を読んでいただきたいのですが・・・」大体がこの手の電話だ。
普通は大手出版社はここで丁重にお断りするか自費出版を勧めてくるのだが、博志の出版社はそれを逆手に取った。
「ぜひ、送ってください。コンテストにかかわらず良いものは企画に上げますから」
博は明るく応対する。
「本当ですか?」大半の人は声色(こわいろ)が明るくなる。
「ええ、一応目は通させていただきます、ただし原稿はお返しできませんのでそれはご了承願います」「はい、よろしくお願いします」
こうして毎日山のような原稿が届く。その多くは定年を迎えた有閑な人たちからの原稿だった。内容は大半が自分のライフストーリーを描いたものか、マニアックな歴史ものである。戦争体験記も多かった。
真実は小説より奇なり、とはよく言うが、それなりに波乱万丈なものもあり良くできたものもあった。ここからが営業の腕の見せ所である。博志は作者に電話をする。
「いやーなかなかよく出来ていますよ、主人公の描写がうまいですね、もう少し最期にオチのつけどころがあるともっとよくなるんだけどなあ」博志は言う。
「いま、企画には上げていますが、残念ながら特賞にはなりません。でも、惜しいんですよね、あと少し手直しをすれば・・・」博志は続ける。
「では書きなおします」と大半の人は答える。
「いや、どうでしょう、私たちにお任せいただけませんか?プロが徹底的に文章を構成しなおします。○○様にはアイデアをいただいた形として編集料だけで出版させていただきます。」これが、博志の決め台詞だ。
「い、い、いくらかかるのでしょうか」
「150万で立派な装丁、イラストまでお付けします」
団塊の世代はお金が有り余っているようだった。こうして自費出版にまんまと漕ぎつけるのである。博志の仕事は、こんなやり取りと、自費出版の手直しで終わることが多かった。(嘘はついていない、俺は作者の夢の実現の手助けをしているのだ)博志は自分にこう言い聞かせ仕事を続けた。
*
「ママ、あたしの紺のハイソックス、パパの洗濯と一緒にしたでしょ!」
愛華が血相を変えて佳世にすごんだ。
「あーら、ごめんなさい。最後の洗濯のときに交じっちゃったかしら?」
「勘弁してよー」
「ハイハイ、気をつけます、パパが帰らないうちに食事済ませなさい」
ダイニングテーブルにはもうすでによし江がちょこんと座っている。
「いただきまーす!」と愛華。
「珍し!おばあちゃんがパチンコの閉店前に家にいるなんて」愛華は言った。
「たまにゃ、諦めが肝心よ」よし江が言った。
佳世も愛華も食事中、携帯を手放さない。いじらないという家族ルールはあるもののいじらずに見るという習慣が定着していた。
*
「ただいまー」博志が帰るのは10時過ぎである。返事はない。もう全員寝室にいるのである。冷蔵庫からビールを取り出してテーブルを見ると、珍しく置手紙だ。
金策に頼みあり よし江
紙の後ろにはヤミ金からの請求書。開けてみると50万近くの請求だった。
「かあさん!かあさん!」博志はよし江の部屋に向かって叫ぶ。
「あれほど言ったじゃないか!もうパチンコはしませんって!話がちがうぞ、母さん、来てよ!」博志は大声でよし江を呼ぶ。愛華が2階から降りてきた。
「どうしたの、パパ、うわ、酒臭い! しかも煙草も臭い! 最悪、マジ勘弁!」
「うるさい! 勘弁されたい人から生まれたんだよ、おまえは! おばあちゃんは?」
「寝てるわよ」
「母さんは?」
「部屋でD―BOYS見てる、パパよりD―BOYSを愛してるって!」愛華が答えた。
無性に煙草が吸いたくなった。庭に出るしかない。薔薇を絡ませたパーゴラの下にあるディレクターズチェアに座って煙草の煙をいっぱいに吸い込んで、
「馬鹿野郎!」と叫んだ。意外とすっきりするもんだ。ついでに携帯に向かって
「馬鹿野郎!」と入れてみる。
検索した画面には『馬鹿野郎の意味とは』などが表示される。少しウケた。
しかし、一点、気になる文字が目に入った。
『発散堂』
博志は気になってサイトを開いてみた。
「あなたのいらいら、解決します!」「ボロボロになったあなた!今すぐコール」
○即日お伺いして貴殿のイライラを解消して見せます!
○お話を伺い、貴殿に合わせたストレス発散を提案させていただきます!
○暴力・反社会的行為はできませんのでご了承ください。
○明朗会計! スタッフ1名につき1回1万円から+交通費
○深夜も営業! 午後8時から午前5時まで
CALL US 090ー51××―09××
画面のわきには健康サプリの広告やお見合い会社の広告が載っていたが、なぜだか興味をそそられた。
写真には丸めた畳を日本刀で斜めに切っている女性が何かを叫んでいるショットだ。
博志はこんな技、何年修業したって出来るもんじゃない、とは思ったが、『発散』の仕方がなんとなくイメージで来たので、電話してみることにした。
*
「はい、皆様のイライラ解決!発散堂でございます!ハッサン24、24時間受付中です!」
博志はルパン三世のような声に少しイラッときたが、思い切って話してみた。
「滝川様、お気持ちお察しいたします。ぜひそのいらいらを解消していただきたい」御手洗はそう言った。
「うーん、僕は日本刀なんてできないし、なにが人気なの?」博志は訊いた。
「今人気なのは新宿××ビルの屋上で巨大スピーカー叫び15分ですかね。お値段もお手頃ですし。」
「いくら?」
「1名で済みますので1万円です。」御手洗は言った。
「うーん、なるほど。」博志は意外に安いことに驚いた。
「あのさ、俺、いま眩暈(めまい)がするほど打ちひしがれてんのよ、なんかいいアイデアない?」
「わかりました。では、お客様、失礼、滝川様は、何か御趣味や特技はありますか?」
「昔バイク乗ってたんだけど、いまは手放しちゃったな・・・」博志は寂しそうに言った。
「お!それはいい情報ですね、今日は10人のスタッフを半額5万円でサービスしましょう、スペシャルコースでご用意いたします」
御手洗は計画の内容を伝えた。博志は唾をごくりと飲んで「よし、それでいこう」
と御手洗に言った。
「では、作戦決行は午前1時に近藤様のお宅のまえに集合ということで」
「わかりました」
「それと、滝川様。発散後の対応、処置、謝罪は当社では全く関知いたしませんのでそれだけはその場でご了承のサインをいただきます。よろしくお願いします。」
*
救急車のサイレンがかすかに聞こえた、と思ったらそうではない。バイクの爆音になって近づいてくる。地鳴りがするほどのバイク音だ。
博志は庭で赤ワインの瓶をがぶ飲みして、
「おりゃー!」と叫び瓶をリビングルームの窓に叩きつけた。ガッシャーンと割れたそのときにバイク爆走族は滝川家の前に集結した。
「では、滝川様、サインを一筆」「了解!」
パパリパラリラパラリラリー 10台のバイクが映画『ゴッドファーザー』愛のテーマをクラクションで奏でる。
御手洗が博志にマイクを渡す。拡声器つきバイクなのだ。
「馬っ鹿野郎―――!!」「父さんは父さんだ!」「みんな好き勝手しやがって、」
御手洗がバイクの後ろに乗るようジェスチャーする。
「幸せってなんだか教えろや、馬っ鹿野郎―――――――――!」
御手洗は微笑みながら頷いてみせた。本日1件目、6万3500円なり。
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