第2話 第2相談者
ニッパチは商売あがったり、とはよく言うが、ここ『発散堂』はかえって景気が良くなる。2月、8月はそれだけストレスが溜まっている客が増えるのだ。新宿百人町の雑居ビルにある発散堂の店主、御手洗(みたらい)幸一(こういち)は相変わらず競馬紙とにらめっこしながら、赤鉛筆で紙面にチェックを入れている。8月ももう終わろうとしている。
ふいに銭形平次の着メロが鳴りだす。
「はい、皆様のイライラ解決!発散堂でございます! ハッサン24、24時間受付中です!」御手洗の声はルパン三世のように軽妙で、小気味いい。
「はい、これはこれは麗奈さま。ご無沙汰しております。ええ、ええ、なーるほど、
あの時のホストでござんすね。懲りてない? それはお困りでしょう。はい、わかっております秘密厳守ですから。ええ、ええ、ではまた早乙女を派遣しますので」
ここ発散堂は御手洗だけではない。早乙女(さおとめ)菜(な)月(つき)をはじめ、いざという時のスタッフは常時5人ほど集めることができた。今回のようなキャバ嬢がホストに嫉妬するパターンはもう菜月で十分対応することができるのだ。菜月がホストを口説いて外に連れ出せば、色んな修羅場を味わせることができるのだ。
*
「もう私たちの関係も7年になるのね、伸治」東原(ひがしはら)優(ゆう)香(か)はバーカウンターの先にあるウィスキーの瓶を遠目で眺めながら感慨深げに話題を変えてきた。
「7年じゃないよ、8年、いや高校時代も含めれば10年だろ」近藤(こんどう)伸(しん)治(じ)はその辺りの数字にはうるさかった。2人は今年で27歳だ。
「あらためて10年に乾杯!」優香はシーバスリーガル12年をダブルで呷(あお)った。伸治はモヒートのミントをマドラーでこねくり回して「・・・乾杯」と言った。
「じつはね・・・」優香がため息交じりで口火を切った。
*
二人は新潟の一緒の高校で、受験を機に上京したが、偶然にも同じ大学、同じ学部に合格した。それがきっかけで二人は交際にこそ発展しなかったがお互いに助け合う友人になっていた。正確にいえば、伸治にとって優香は高校時代からの憧れでもあり「好きな人」と意識していたのだが、優香にその気がないのはわかっていたし告白する勇気もなかった。
優香は自由奔放だった。大学に入ってすぐ彼氏ができた。
「伸治、あたしにも彼氏ができたよ、今度紹介するから3人で食事しよう」たしかそんなふうに紹介されて、伸治も断る理由がなかった。軟弱な性格なのである。逆に「まじで?おめでとう!」などと心にもないことをいってあとで落ち込んでいた。
優香の彼氏は上場企業の御曹司で何もかもが伸治にはかなわなかった。身長は180センチ、二ツ橋大学、ルックスは仮面ライダーのヒーロー役に似ている。車も持っていたし、伊豆に別荘もあった。
*
食事会の日が来た。「こちらが私の彼氏、小笠原(おがさわら)亨(とおる)さん、二ツ橋大学の3年生よ。ボートクラブに入っているの、いまは国家公務員に向けて勉強中よ」優香は幸せそうに話す。
「亨さん、こちらはわたしの親友、近藤伸治くん。新潟の時からの同級生。偶然でしょ?東京に来て一緒の大学だったの。なんでも相談に乗ってくれるし助けてもらっているの。
サークルは・・・なんだっけ?」優香は相変わらずの天然ぶりだ。
「軽音楽サークル・サウンドアースだよ」伸治は仕方なくこたえる。
「そうそう、クラシックギターが得意なの、あと料理、洗濯、家事全般・・・」
「伸治クンは何でもできるんだなあ、うらやましい」と亨が爽やかに言った。
「そうなの、私が風邪で寝込んだりした時には、部屋に来て家事全部やってくれたわ、最高の友人!」優香も自慢げに伸治を褒め称えた。
「そうだ、伸治君も伊豆の別荘に行こうよ、太平洋見たくない?左から太陽が出て、右に太陽が沈むのよ、雪の日本海とは大違い、ね、行こ、行こ!」優香は残酷だ。
「さすがに、二人の邪魔をするわけにはいかないよ、思いっきり楽しんでお土産でも買ってきて」伸治は笑顔をひきつらせて答えるのが精いっぱいだった。
「伸治はね、彼女いない歴18年なの。亨さん、大学にいい娘(こ)いたら伸治に紹介してよ」優香は臆面もなく亨の方を見て言った。余計な御世話だ。
「そうだね、伸治君にも彼女ができれば、4人で伊豆に行けるしな。楽しいだろうな」と亨も乗る気だった。
*
優香の恋は案外早く終わった。亨がお役人になって海外へ行ってしまい、優香も来るか来ないかで悩んでいるさなか、亨も複数の女性と交際するようになった。発覚するたびに、泣く泣く優香は伸治の部屋に訪ねてきて、伸治が慰めるのである。
「伸治は、いつも優しいね、最高の親友だよ。これからも一緒だからね」優香は嗚咽(おえつ)交じりに伸治の胸で泣いた。
「俺じゃだめなのかな、彼氏にはなれないの?」抱擁の最中、ついに伸治は意を決して訊いてみた。
「伸治は、私に優しすぎるもん。こんなやさしい伸治が恋人になって、また別れる、なんてことになったら永遠の親友を失っちゃうよ・・・」優香は言葉を振り絞って言った。
伸治は黙り込んで抱擁を続けた。もうそれ以上は望まなかった。
*
大学を出ると伸治は住宅建築の会社に就職した。西多摩地区の支店で営業職になった。
仕事は営業とあって簡単ではないし、ソーラー発電や電力自由化も始まって、それなりに忙しかった。
優香は父親のコネもあって、東京で郵便局に就職した。郵便局と言っても今は民営化されて、金融商品や保険など仕事は幅広く、たくさんのことを身につけなければならなかった。ただ、条件があって、結婚したら新潟に戻るという父親との約束があった。
二人は就職してからも仲良しだった。月に1度は食事をして飲みに行き、お互いの近況を話したり、映画や遊園地にも行った。しかし、あくまでも友達として一線を越えることはなかった。
*
モヒートのミントの葉を底に沈めて、伸治は訊いた。
「なにかあったんだろ?」恋バナなのは伸治にはもうわかっている。
「じつはね、好きな人ができちゃった」優香がため息と煙草の煙を同時に吐いた。
「ほう、良かったじゃん。付き合ってんの?」
「好きになっちゃいけない人・・・」
「・・・不倫か」伸治は手を頭にやって抱え込んだ。
「職場でつい優しくされちゃって、あたし寂しかったから」優香は伸治のことは頭にない。
「いくつ?」
「31歳でね、去年結婚してこの前赤ちゃんが生まれたんだって」
「最悪だ・・・」今度は手で耳を覆う。
「奥さんにも最近ばれてるみたいで…」優香は半ベソのような声で言った。
「不倫は良くない、みんなを不幸にする、忘れるしかないよ」伸治は忠告した。
「わかってる、だからあたし、あの人の子供だけ産みたいの」優香が頭をもたげた。
「あきらめてもっと幸せな道を探すんだな」伸治はジンフィズを注文した。酔いたい衝動に駆られたのだ。
*
優香はだんだんと感情的になっていった。精神的に追いやられている感じだった。夜に電話をかけるといつも酔っていた。
「この前なんて、彼と職場の倉庫でHしちゃった、スリルがあって興奮したよ」優香はありのままに話すようになった。伸治は電話をかけるたびに後悔をした。優香と男が交尾している、それを想像しただけでも胸が張り裂けそうになった。
*
8月の終わり、夜11時を過ぎた或る日。伸治の携帯が鳴った。優香からだった。
「もしもし」
「あたしー、いまねーコンビニの外。頭がくるくる回って動けない」優香が酔っている。
「飲みすぎだよ、危ないからもう酒をやめて家に帰れよ」
「無―理―、もう動けない、伸治、助けに来て」優香が言った。
「・・・30分くらいで行く、そこを動くなよ」
*
伸治がコンビニに着くと、優香は携帯電話で誰かに向かって必死に話している。すぐに彼氏だと分かった。
「もういい、海人(かいと)は、そうやっていつだって来てくれないもん。あたしには助けに来てくれる友達がいるんだから」「あ、友達来た、え? 男? そうだよ、なにが悪いの?」「そんなこと言ったって結局奥さんが大事なんでしょ、あたしもう切る」由佳が一方的にまくしたてているようだった。
「もういいだろ、帰ろ。家まで送るから」伸治は手を出して優香を引っ張り上げた。
「伸ちゃん、家に来て。話聞いて」優香が絡んでくる。
「わかった、わかった、まずはまっすぐ家に向かおう」伸治がなだめすかした。
*
「伸治、今日は朝まで一緒にいよう」
「冗談じゃねえよ、俺も男なんだ、話がすんだら帰る」
「お願い、あたしがベッドで寝るまで一緒に布団にいて」優香が甘い声を出す。
「しばらく抱きしめて」優香は頭を伸治の胸にうずめて言った。伸治は仕方なく抱擁し髪の毛をなでた。
「ね、お願い。ベッドの中で私を抱きしめて」
伸治は布団に入って優香を抱き寄せた。
*
「ガチャ、ガチャ、ドドドドドド」突然だった。玄関のかぎが開けられ誰かが駆け足で入ってきた。不倫相手、横井(よこい)海人(かいと)のお出ましだ。
「オメーら何やってんだよ、優香、こいつは誰なんだ!」
「あたしの友だち、ただ一緒に寝ててもらっただけよ」優香が必死に苦しい弁解をする。
「男と一緒に寝てなにもねえわけねえだろう!」海人は伸治の胸倉を掴んで床に倒しこむ。
そこへすかさず伸治の脇腹に蹴りが入る。
「海人!信じて!この人は私の幼馴染の伸治君。Hなんかするわけないし! 好きなのは海人だけよ!」
伸治は頭が真っ暗になった。もうこの先のことはよく覚えていない。
*
気がつけば伸治はさっきのコンビニにいた。店の外で缶ビール3缶を一気に飲み干した。
「馬鹿野郎」そう呟いてみる。意外と気持ちいい。傍目も気になるので、今度は携帯電話に向かって「馬鹿野郎!」と音声検索してみる。検索した画面には『馬鹿野郎の意味とは』などが表示される。あほらしくなった。
しかし、一点気になる文字が目に入った。
『発散堂』
伸治は気になってサイトを開いてみた。
「あなたのいらいら、解決します!」「ボロボロになったあなた!今すぐコール」
○即日お伺いして貴殿のイライラを解消して見せます!
○お話を伺い、貴殿に合わせたストレス発散を提案させていただきます!
○暴力・反社会的行為はできませんのでご了承ください。
○明朗会計! スタッフ1名につき1回1万円から+交通費
○深夜も営業! 午後8時から午前5時まで
CALL US 090ー51××―09××
画面のわきにはHなサイト広告や出会い系サイトの広告が載っていたが、なぜだか興味をそそられた。
写真には足で瓦割りをしている女性が映っている。
伸治は今さっき脇腹を足で蹴られたので、写真には少々不愉快だったが、『発散』の仕方がなんとなくイメージできたので、電話してみることにした。
*
「はい、皆様のイライラ解決!発散堂でございます!ハッサン24、24時間受付中です!」
伸治はルパン三世のような声に少しイラッときたが、思い切って話してみた。
「あのう、男女の間に友情関係は成り立つんでしょうか?」
「ええ、お客様、それはケースバイケースでございましょう。よろしければ今日何があったか、お話しいただけませんか?、もーちろんお客様のプライバシーは厳守いたしますので!」御手洗は明るく勇気づけるような声で伸治に言った。
伸治は優香への思い、これまでの付き合い、今日の修羅場に至るまで全部話した。
「近藤様、それは誠にお気の毒な日でございましたね。スタッフ一同、お見舞い申し上げます。ぜひ当社の発散プランですっきりしていただきたいものです」御手洗は言った。
「あのう、僕気が弱いんで、相手に復讐とかはちょっと…」伸治はこの期に及んで弱気な癖が出た。
「それはそれは近藤様、お優しい方でなによりです。では自己発散プランでいかがでしょう?」
「どんなんですか?」
「今人気なのは新宿××ビルの屋上で巨大スピーカー叫び15分ですかね。お値段もお手頃ですし。」
「いくら?」
「1名で済みますので1万円です。」
「うーん、ウチまで来てほしいんです。もう動く気力も僕にはありません」
「わかりました。では、お客様、失礼、近藤様は、何か御趣味や特技はありますか?」
「・・・映画見るとか、あ、クラシックギターやってました、昔」
「え!それはいい情報ですね、近藤様はファドはご存知で?」
「あースペインやポルトガルの演歌みたいな?」
「そうでございます。お客様!もう提案ができますよ、それもとびきりいい作戦です!」
伸治は作戦を聞いて、映画の主人公も悪くない、と思った。
「では、作戦決行は午前1時に近藤様のお宅のマンションの下にゴージャスな車をよこしますので」
「わかりました」
「それと、近藤様。発散後の対応、処置、謝罪は当社では全く関知いたしませんのでそれだけはその場でご了承のサインをいただきます。よろしくお願いします。」
*
車は1950年代のでっかいアメ車「シボレーインパラ」だった。御手洗はタキシードでオープンカーの後ろに座り、時間通りに伸治を迎えに来た。運転士を含めスタッフは3人だ。伸治も御手洗の横に座った。ドでかいソファーのようなシートはまさしく映画スターを乗せるにふさわしい真っ赤なレザーだった。
カーステレオからは大音量でファドの女王といわれるAmalia Rodrigues (アマリア・ロドリゲス)の凛々(りり)しい歌声が響いている。御手洗はシャンパングラスにシェリー酒を注ぎ伸治に飲むよう勧めた。たちまちに伸治はいい気分になった。
8月の生暖かい風にオープンカーは最高にマッチしていた。
「さあ、近藤様、メインイベントでございますよ」御手洗は大きな声を張り上げた。
車は東京郊外に向かっていた。そしてあるトンネルのなかで停車した。
「スタッフ、交通整理よろしくー!」御手洗が指示を出す。
かくして2車線のトンネルは封鎖された。
御手洗が段ボール4つに入った打ち上げ花火を次々に取り出して地面に並べていく。
伸治は赤ワインを瓶ごとごくごくと飲み、半分ほどになるとトンネルの壁に投げつけた。
「馬っ鹿やろー!」ワインの瓶がガシャンと割れたのを合図に花火が一斉に点火された。
カーステレオの音量は最大になりアマリアの歌声と花火の爆音がさく裂する。
ヒュー、ヒュー、バン、ドッカン、シュパーン、パチパチ、ズドーン、・・・・
「近藤様、ほら、叫んで!」御手洗がジェスチャーする。
「優香!死んじまえ!!」「なにが友情だ、あほかーーー!!」「さいなら優香!!」
御手洗は微笑みながら頷いてみせた。本日1件目、20万8500円なり。
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