発散堂の夜
青鷺たくや
第1話 第1相談者
新宿百人町の雑居ビル。今夜も『発散堂』店主の御手洗(みたらい)幸一(こういち)は、ウクレレをポロンとかき鳴らしながら、夕刊スポーツ紙を広げて地方競馬の本命馬と伏兵馬を鼻歌交じりに探している。冬も間近だというのに長袖のTシャツの上からアロハを羽織り、八分丈の麻のズボンに雪駄という格好は昭和の任侠(にんきょう)映画のチンピラそのものを連想させた。
ふいに銭形平次の着メロが鳴りだす。
「はい、皆様のイライラ解決!発散堂でございます! ハッサン24、24時間受付中です!」御手洗の声はルパン三世のように軽妙で、小気味いい。
「あ、これはこれは祐希様、いつもご利用ありがとうございますー。ええ、ええ、なるほどー、それではいつものコースで、はい、五寸釘を? 二四本? 承知いたしました。一時間で参りますので、はい、例の場所。わかりました」御手洗は電話を切る。
「早乙女ちゃーん、仕事に出るわ。俺の仕事着用意して」御手洗が叫ぶ。
「はーい」バイトの早乙女菜月は腹筋ワンダーコアをやめて、クローゼットから青いオーバーオールの作業着をとりだした。菜月は忍術修業を会得して新宿に流れ着いて5年。今年で25歳になる。その鍛え抜かれたスタイルと美貌はまさに峰不二子のようであった。
*
「そうは言われましても、私が長男でして母も他界していましたので喪主にならざるを得なかったわけでして」
松崎和也(かずや)は精いっぱい謝罪を込めて言葉を振り絞った。
「ですけどね、時期が時期でしょ、先生。11月27日から5日間休職された神経が私にはわかりかねますの。公務員の考え方っていうのですかね、子供たちの進路が決まるこの大事な1週間にプライベートを優先してお休みなさる?民間の会社ならクビじゃないかしら。」竹川雄吾の母親は皮肉いっぱいに聞いた事のあるような公務員バッシングをここぞとばかりにまくしたてる。
「ですから、雄吾君の進路につきましては、学年進路指導の佐藤先生に全面的に引き継いでいただきましたので・・・」和也は少しでも怒りを静めるのに防戦一方であった。
「あのねえ、ウチの子の性格や内申も担任のあなたが責任もって進路指導をするのが当たり前でしょ、佐藤先生はウチの子が漢検2級を持っているのを忘れて、併願の大山学園特進の内定が取れなかったんですよ、内申1つの差で。」雄吾の母が直球を投げてくる。
「ははあ、本当に申し訳ないことをしました、大山学園についてはこれから再度お願いに上がるつもりですので」和也はどうにかしてなだめるしかなかった。
「先生、社会科ですから、『鉄道員(ぽっぽや)』ぐらいは読んでいらっしゃいますよね。」
「はあ、依田次郎の・・・」
「なにが言いたいかわかりますわよね」
「・・・鉄道員として仕事を全うする高倉健が家族の死にも行かず駅舎を守る、たしかそんな・・・」
「そうよ。酷かもしれませんが、先生のお父様と子供たち150人の進路どちらが重いのかしらね」和也はカチーンときたが、ぐっとこらえた。
この後もジャブ、フック、カウンターといろんな攻撃を受けたがもう和也は覚えていなかった。まともに受けたらKO負けだ。心の中で「公(おおやけ)の僕(しもべ)」「公の僕」と念じて時が過ぎるのを待った。
*
教師にとってこの時期は、猫の手も借りたいくらいの忙しさだ。授業を終えると、委員会や生徒会の指導そして研修会の打ち合わせなどを行う。それが終われば今度はテストや提出物の丸つけを行う。ちょっとでも不公平がないように厳正に見なくてはならない。そしてそれが終われば、内申とは別の観点別評価を、提出物の状況・授業態度・テストの得点などを鑑みて1人1人公正につけていく。次の日の授業準備などを合わせると帰宅は深夜になることも多かった。土日は部活の顧問があるのでしっかりと休めるのは月に1,2回あればいい方だ。加えて、今回の父の死去。認知症がすすんでもう5年も寝たきりだったから覚悟や準備はできていたが、さすがにこの時期に葬儀になるとは想定していなかった。
*
部活の始まる3時過ぎには、最近、他中学の不良たちが校門でたむろしている。和也の学年の不良グループと仲がいいのだ。バイク数台と自転車数台でやってきては煙草も堂々とふかしている。警察にはなんども要請したがイタチごっこだった。教師たちも見て見ぬふりをするものもいたが、和也は年齢的にも体格的にも一番若く、連中を蹴散らす役割に自然となっていた。(しかたない、今日も出番か)と和也は重い気持ちで校門に向かった。
「おい、この学校の女子たちが怖がっているんだ、ここではたむろしないでくれ」和也は言った。
「聞こえましぇーん、あんたいつもうざいんだよね」茶髪の少年が反応した。
「だから、ここには来ないでくれ、みんな怖がるだろう!」和也は繰り返した。
「ボクちゃんたちはやさしーお兄さんでチュー」他の少年が茶化したように言う。
「まあ、警察も来るから早く帰りなさい、捕まるぞ」
「はあ?なにも悪いことしてましぇーん、そんなこというなら先生を轢(ひ)いちゃおうかな」
角刈りの自転車に乗ったヤツが、和也の方にむかってきた。手を出したら終りだ。傷害でこっちが悪くなる。しかし今日の和也は進路相談のストレスもありムシャクシャしていた。
轢こうとしてきた少年の自転車の籠をめがけてストレートキックをお見舞いした。
「あー社会人が少年に手を出した!知―らね!暴力、暴力!」
(しまった、)と思ったがもうどうでもよかった。相手を殴ったわけでもなく籠を蹴っただけだ。勝手に訴えろ!
*
警察はあとからやってきた。(おかしいな、今日は通報していないけど)和也は思ったが不良連中は雲散霧消(うんさんむしょう)に去っていった。まずは一仕事終えた感じで安心した。
ところが警察が職員室に来て事情は一転した、不良連中が携帯で警察に先ほどの被害を報告したらしい。
「先生、ご事情痛いほどお察ししますが、なにぶん少年から被害届が出ておりますので、事情を伺いに参りました」警官の1人が言った。
「もしかして先生、少年の自転車に手を出しませんでしたか?」
「はいはい、足を出しました」和也はうんざりとした声で質問を認めた。
*
さつき台警察署に連行されたのは、夕方5時だった。運ばれるパトカーの中で、和也は、ぼうっと国道沿いの街並みを眺めていた。口は一切閉ざしたままだ。警察も和也の犯行に同情があるのか、3人の警官も沈黙したまま重苦しい空気が流れていた。
余計な言い訳などいらない、和也は訊かれたことだけに淡々と答えた。住所、氏名はもちろん学歴、役職などなど。暴行の経緯を話し終わると、今度は写真撮影だった。あらゆる角度から写真を撮られる。本当に犯罪者になってしまったことに和也はうんざりしていた。
「まあこういうご時世、なかなか子供たちも、したたかでして、向こうからは、なかなか手を出してきません。捕まるのを知ってますから。先生も正義感でやったこと、ご苦労なことも多いと思います」と事情聴取をした刑事は和也に同情してくれた。
「先生は前科もないですし、相手もおそらくこのまま引き下がるでしょう、不起訴処分になると思われますので、どうか先生、これからもひるむことなく、こうした連中が来たらぜひ私たちを呼んでください」刑事は丁重に対応してくれた。和也はそれでも笑顔一つ出さずうんざりした表情を変えなかった。
「つきましては先生、ここから帰られる時は身内の方に迎えに来てもらうのが原則となっておりまして・・・」刑事はやっと和也を解放してくれるようだった。時間はもう夜8時を回っていた。たまっている仕事の多さを考えるとうんざりだった。
「ご家族がいらしたようなのでご連絡を差し上げて・・・」
「ちょっと待った、自分で帰れますよ、何で妻なんかに迎えに来てもらわなくてはならないんですか」和也は意気込んで訊いた。
「実はもう下で奥様がお待ちになっております」刑事は言った。
夜は8時になっていた。
*
このあとの妻の態度に和也は心の何かが壊れるのを感じた。
下の階のベンチにフードをかぶってイヤホンを聞きながら寝た振りでもしているような妻の美咲(みさき)がいた。
「勘弁してよ、何したか、知らないけどあたしも明日仕事なのはわかってるでしょう?」
面倒くさそうに言った美咲の一言。イヤホンも外さず視線も合わせようとしない。
「すぐにあと先も考えずに行動するあなた、私昔からそういうところ大嫌いなのよねー」
美咲は気だるい欠伸(あくび)をわざとするように車の運転席に乗り込んだ。
車の中で重苦しい空気が流れた。
「あのさ、夫は正義感を持って体張って仕事してるわけ。確かに警察には世話になったけど、夫の体は大丈夫か、とか、どうしてこんなことになったの?とか聞く気もないわけ?」
和也は、たまらない気持ちで美咲に訊いた。
「悪いけど、あなたはあなたで仕事を頑張っているのはわかる。だけどそれは私も同じ。迷惑だわ。あなたには私の自由時間を邪魔する権利はないはずよ。自分のことは自分で面倒見てほしいわ。子供じゃないんだから。お葬式もあって疲れてんのよ」美咲は眠そうな声でハンドルを切りながら言った。
「悪い、ここで降ろしてくれ。歩いて帰る」和也は言った。
「あっそう、どうぞご勝手に」美咲が答える。
和也のはらわたは煮えくり返っていた。どうしてこんなにも非情な妻と結婚したのだろう。自分が決めた結婚相手だから自分が悪いのはわかる。それにしたってこんな冷たい仕打ちを受ける筋合いはない。もはや夫婦に愛情のかけらも感じなかった。
*
コンビニに寄った。缶のハイボールを買った。プシュッとプルタブを引き、一気にアルコールを流し込んだ。ウィスキーの苦みと炭酸がスッとのどを駆け抜けていく。
疲れていた。コンビニの外にしゃがみこんで「馬鹿野郎」と呟いてみる。意外と気持ちよかった。でも怪しく思われると思いスマホを取り出し、音声検索を押してみる。マイクの画面にむかって
「馬鹿野郎!」とつぶやいた。
検索した画面には『馬鹿野郎の意味とは』などが表示される。馬鹿らしくなった。
しかし、一点気になる文字が目に入った。
『発散堂』
和也は気になってサイトを開いてみた。
「あなたのいらいら、解決します!」「ボロボロになったあなた!今すぐコール」
○即日お伺いして貴殿のイライラを解消して見せます!
○お話を伺い、貴殿に合わせたストレス発散を提案させていただきます!
○暴力・反社会的行為はできませんのでご了承ください。
○明朗会計! スタッフ1名につき1回1万円から+交通費
○深夜も営業! 午後8時から午前5時まで
CALL US 090ー51××―09××
画面のわきにはいかがわしい広告や金融広告が載っていたが、なぜだか興味をそそられた。
写真には瓦割りをしている女性が何やら叫んでいる姿が映っている。
(ああ、こういう発散ね)和也はなんとなくイメージがつかめた。
(悪い会社ではなさそうだ、電話は無料と書いてあるし、愚痴をこぼすつもりでかけてみるか・・・)
*
「はい、皆様のイライラ解決!発散堂でございます!ハッサン24、24時間受付中です!」
和也はルパン三世のような声に少しイラッときたが、単刀直入に訊いてみた。
「あのー、人気のある発散はなんですか?」和也は訊いた。
「えー、まちまちですね。お客様のご要望に応じてできる限りのことは差し上げていただきますが、今人気なのは新宿××ビルの屋上で巨大スピーカー叫び15分ですかね。お値段もお手頃ですし。」
「いくら?」
「1名で済みますので1万円です。」
「ここまで来てくれるんですか?」
「もちろん。交通費は頂きますが、今夜中にはお届けにあがります。よろしければ相談内容をお話し下さい、秘密は厳守しますから」
和也は今日起きた保護者面談のこと、不良グループのこと、妻の冷淡な態度、教師業務の忙しさ、父親の死、などざっくりと話をした。
「お客様、それは大変でございましょう。ぜひすっきりしていただきたいものです」
「でも瓦割りとか屋上で叫んですっきりするの?」
「そういう方もいますが、もっと派手に、というのであればさまざまにご提案差し上げます」
「たとえば?」
「お客様、趣味や特技はありますか?」
「うーん、読書、あ、むかしギターやってましたよ、エレキ」
「え!それはいい情報です。何をコピーしていましたか?」
「レッド・ツェッペリンとかー、ディープパープルなんかかな」
「お客様!もう提案ができますよ、それもとびきりいい作戦です!」
和也はいつの間にか発散堂からの提案に夢中になって飛びついた。
*
「では松崎様、お伺いする時間は午前2時、マンション××の下にワゴン車で迎いますので、よろしくお願いしますね。なお、発散後の対応、処置、謝罪は当社では全く関知いたしませんのでそれだけはその場でご了承のサインをいただきます。ありがとうございます。」
*
妻そして義父はぐっすり就寝している。
ワゴン車はぴったり2時10分前にやってきた。スタッフは1名。青いつなぎの作業服を着た小柄なオッサン、御手洗だった。
「松崎様ですか、お待たせいたしました。本日はよろしくお願いします。早速ですがお電話で確認した発散後の自己責任同意書にサインをお願いします。」御手洗は明るくしかし小さい声で紙を差し出した。近所迷惑にならないためだ。
和也の部屋には久々に押入れからサンスイのプリメインアンプとCDプレーヤーをコードで繋いで音が出るようにした。そしてギブソンのレスポールギター。マーシャルのギターアンプは発散堂からの無料サービスだ。
決行は2時30分。弾く曲はレッドツェッペリンのRock'n Roll 御手洗が曲の再生ボタンを押すのだ。この曲だけはいまでもジミー・ペイジを完璧に再現できる、和也には自信があった。
ボリュームは10! マーシャルのボリュームもフル!
さん・にー・いち・・・御手洗の合図。
ツタンタン・タンタンツタン・ツンツンタタンタ・タタタタタタタ
大きな振動で食器棚のグラスが倒れる、壁の額縁が落っこちて・・・
寝室から飛び出した美咲と義父の顔!耳をふさぎつつ何かを叫んでいる。
和也は弾きながら叫んだ。「馬鹿野郎!」「×ァッキュー」「みんな死んじまえ!」
「みんな自分のことばっかり考えやがって!」
御手洗は微笑みながら頷いてみせた。本日1件目、1万2500円なり。
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