Summer——02

 だらしなくも緩んだ顔で母を見送った父は、次の服を選ぶとプレゼンティに渡して着替えに向かわせた。まだ続けるらしい。


 2人きりとなったリビングで「なあ」と声を掛ける。視線をこちらに寄越した父はきょとん顔。


「買い取ったってどういうことだ?」


 買った、ではなく買い取った。

 微妙なニュアンスの違いだが引っ掛かりを覚えた……。

 それに、どうしようもない女好きで女性を着飾らせることを趣味に挙げるような男ではあるが、だからこそ、気遣いらしい気遣いもなく無駄に何度も着替えさせるようなことはしない。

 カメラにしてもそうだ。


「うん?」

「店で買ったんじゃないのか?」

「いくつかはそうだが……」


 促すまでもなく続けられた説明によれば知り合いのデザイナーから直接『買い取った』らしい。

 カタログを作るのにモデルを探している最中だとかで、その相談に乗ったついでに。


「手慰みに仕立て直しただけの型落ち品だからと安く譲ってくれると言うんでな」

「……だからって6箱は買い過ぎじゃないか?」

「母さんのもの以外は撮影用のサンプルだ」

「…………うん?」


 撮影用のサンプル?

 ……って、つまりどういうことだ?

 確かに、現在進行形で撮影会が開かれているのは見て分かる事実だが、そもそもの目的が分からない。


 モデルを探しているという知り合いのカタログ用とするにも、もっとちゃんとした環境とスタッフを揃えるだろう。少なくともメイクやセットもせず服だけ変える、なんてお粗末にも程がある。


 疑問符を飛ばせばそれに気付いた父が呆れ顔を覗かせた。お前はトリ頭かとでも言いたげに——。


「トリ頭か」


 いや、声に出した。

 対女性でない場合の態度の粗雑さにひくりと頰が引きつるのを感じる。

 これだからこの男は……っ!


「その場にいただろう」


 続けられた言葉に一拍置いてから首を傾げた。

 その場にいた? 俺が?

 …………いつの話だ。

 記憶にないというのを表情で示せばため息で返された。解せない。


 腹の内に溜まるものを感じながらも吐き出すことはせず、素直に聞けば、プレゼンティのことを尋ねようと電話した一等初めのことだという。


 理解が追い付かずに呆然としていた明弘が覚えているのは父の指示で彼女と電話を変わったこと。それに、彼女をうちに住まわせるという父の決定。母への伝言くらいだ。

 その他のやり取りについては覚えていないというより聞いていなかったと言った方が正確だろう。


 あの時。

 テレビ電話に切り替えてプレゼンティの姿を確認した父————と、父の隣には丁度行動を共にしていた友人の姿があったらしい。

 テレビ電話とはいえ画面を見ていたのはプレゼンティである。声くらいは耳に入ったかもしれないが、他にも居合わせた相手がいたなどとは考えもしなかった。


 この友人というのが先に述べたカタログのモデルを探しているというデザイナーで、プレゼンティのことをえらく気に入り仕事を申し込んだ。

 いわゆる一目惚れだが、わざわざ日本に訪れてでもモデルにしたいという熱の入れようである。


 流れでうちに住まわせることになったのもこの友人が理由の5割は占めているとか……。


 安定的な住居を欲していたプレゼンティ。

 モデルとして起用するのに引き止めたい友人。

 それに父の女性愛好主義が重なった結果が今。


 撮影用のサンプルというのは言葉そのまま。

 試し撮りと言い換えてもいい。


 イタリア在住の友人が日本に滞在できる日数というのは限られている。

 予定を調整して、まとまった時間を作って……と、都合を付けるにも日を要し、即日来日が難しいのは当然のこと。


 可能な限り無駄は省きたい。

 現実とイメージの齟齬そごをなくしておきたい。

 またがざるを得ない期間を利用しようと、先に日本へと戻る父にカメラが託された。


 モデルとしての動き。仕草。表情。目線。

 撮られることに慣れていないようなら慣れさせておいて欲しい。ついでに撮った写真は事前の資料として送って欲しい。

 それが、友人から受けた依頼だという。


「彼女をイタリアに向かわせるのは難しいしな」


 未来から来たヒューマノイドにパスポートが発行される訳もなければ、下手に荷に詰めて検査に引っ掛かっても面倒だ。

 …………言い分は分からないでもない。


 いや、一目惚れでモデルを頼み込んだという友人も友人だし、それで我が家にプレゼンティを置くことを決めた父も父。

 その辺りはまったく意味が分からない。

 理解できるとも思わないが。

 だいたい父が悪いという結論で構わないだろう。


 それより、だ。


「信じたのか?」


 プレゼンティの荒唐無稽な話を。

 信じたからこそのことだという前提がなければ父の話は成り立たない。

 目を数度またたかせた父は片眉を上げて胡乱げな視線を寄越した。何を言っているんだ、と。そんな言葉が聞こえて来そうな調子で。


「信じるも何も彼女自身が答えだろう。瞳、肌、髪、何もかもが生き物のそれじゃない」


 なおかつこれまでに見たこともない物質であれば、未来から来たという言葉を信じた方が納得できる。


 ————父の目は確かだ。

 人以上に物を見る目に長けている。


「機械だというなら結局のところは設定されたプログラムでタスクを処理するだけ……人のようにデタラメに思考を繋げて目的を変更するようなことはないだろう……まあ、彼女が何を目的に過去に来たかは分からないが」


 こちらを害する意図があるなら初めからそうしていたに違いない。

 彼女は単調で単純な存在だと述べる。

 父のそういう、女性愛好主義で何も考えていないように見せて考えているところを明弘は卑怯だと思う。

 …………だからこそ、意味の分からない理解もできない判断だろうと一応の信頼はおけるのだが。


 何にせよ、と真面目腐った顔で真面目腐った口調で父は続けた。

 流れで真剣に聞き入った明弘は————すぐに半眼となり呆れからため息を吐き出すことになる。


「完璧で美しいヒューマノイドも涼花の可憐さには敵わないということが証明された」


 知っていたことだがやはり世界一可愛い、と母を絶賛する父は……言うまでもないが女性愛好主義である以上に母至上主義……それでどうして頭を悩ませるようなことをするのか。

 ただ、母が母であるというだけで可愛い。とにかく可愛い。天界から降りて来た女神であると言われても納得するというのが父の意見である。


 それこそ天から授けられたと言えよう審美眼も観察眼も鑑定眼も全てがポンコツと化して可愛いとしか評価できなくなる。つまり、泣いて怒ってようが可愛いという、ネジが1本どころか10本は外れた状態に陥るのだ。

 煮ても焼いても食えない。


「昭吾さん、どうかしら……?」


 着替えを終えてひょっこりと顔を覗かせた母がさながら恋を覚えたばかりの少女のように伺いを立てる。揺れるその瞳から不安を察するのは容易だった。

 年甲斐もない……。なんて言えば父に殴られること間違いなしだが、愛らしいと同意しても殴られる。よく知っている明弘は口を閉じて自室に引き上げた。

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