Start——02
現状を正しく把握出来ているとは言い難い。
頭の中を整理するので手一杯となった明弘の代わりを務めたのは、電話越しの父だった——。
「それで、あの人はこの子をうちで預かるって?」
帰宅して早々。
頭を抱えるハメになった母の問いに申し訳なさを覚えながらも頷きを返す。
————あの後。
プレゼンティの言葉を信じるに信じられず返すべき言葉を失っていた明弘に対して、相手と電話を変わるよう告げた父の指示に従えばいつの間にか母が口にした通りに話がまとまっており…………。
どれ程の間呆然としていたか。
ハッと我に返った時には、明弘を背に庇いながらプレゼンティを詰問する母の姿があった。
「最終的な判断は母さんに任せるとも言ってたけど……。今夜のところはうちに泊めてあげなさいって」
「まったく、何を考えてるんだか……」
遠いイタリアの地で仕事に戻った父との通話が切れる直前。かろうじて耳に残った言葉を思い出したままに伝えたら深い深いため息になって返ってきた。
当然と言える反応である。
何せ、見も知らぬ、破廉恥な格好をした年若い女と鉢合わせた————いや、不法侵入した不審者がとぼけた顔で家に居座っているとも取れる状況下で、その不審者と今後生活を共にすることになるだなんて話を聞かされたのだ。
フェミニストと評すればいいのか。
単に女好きなだけだと切り捨てればいいのか。
父の悪癖は今に始まった話でもなく、年頃の娘をあられもない格好で放り出すのは憚られるとでも考えたのだろう。
理解しがたい言動も不審者、不審物でしかない立場も『女性である』という一点に覆された。
「マスターの母君……? えっ、本当に?」
場違いな困惑を滲ませるプレゼンティに母は眉間のシワを深くした。
相手に視線を合わせてから、にこり。
笑っているのに笑っていない瞳に悪寒を覚える。
「何か?」
「いえ。姉君と聞かされた方が納得できるくらいにはお若く見えますので、少々驚いてしまいました」
目測となるがプレゼンティの身長は170cm程度。
日本人らしく小柄で童顔な母は豊満な体つきの彼女と比べた場合、まさに幼児体形。
視線が胸元で止まろうものなら室温の1度や2度と言わず10度は下がる。
「賛辞の言葉として受け取っておくけれど、目はもっと養った方がいいんじゃないかしら」
「プログラムをアップデートするには環境整備が整っておりませんので申し訳ございませんが対応しかねます」
バチッと火花の散る音を聞いた気がした。
はっきり言おう。怖い。
肌に刺さる沈黙に思わずゴクリと唾を飲んだ。
けれど、父の決定に苦言を並べはしても逆らうまでには至らないのが母という人である。
これからのことも考えてだろう。
攻撃的な態度が改められるのに時間は掛からなかった。
……まあいいでしょう、なんてため息混じりに呟いた次の瞬間には対抗心を引っ込めて意識も気持ちも切り替える。
「未来から来たヒューマノイドという話だけど……真偽はともかくとして……私たちはあなたをどう扱えばいいのかしら?」
どれほど精巧に作られていようと機械であるからには人にはない注意事項も存在しよう。
取り扱いについて明弘が軽くマニュアルに目を通したとはいえ十全に把握できているとは言いがたい。
ぱちぱちと数度まばたきを繰り返したプレゼンティは口元に指を当てて考える素振りを見せた。
「そうですねぇ……そもそも私は愛玩用として設計されたヒューマノイドですので……一番の売りはやはりこの、理想が詰め込まれた肉体です」
「なるほど? どうやら2人きりでお話しする必要がありそうね?」
艶やかな手つきで強調するようにボディラインをなぞったプレゼンティの胸ぐらを迷いなく掴んだ母はそのまま彼女を引きずって奥の部屋へと姿を消した。
…………夕飯の準備でもしてよう。うん。
帰宅してからそのままとなっている荷物も着替えも後回しにして、1階に下り階段横の通路を過ぎる。飾りガラスのはめ込まれたドアを開いてダイニングを抜け、キッチンへと足を運ぶ。
現実逃避ではない。
手持ち無沙汰となる時間を有効に活用しようと考えただけで、そう、だから、現実逃避ではない。
それに女好きだが見る目はある父だ。
勘も鋭く、悪意ある相手を家に泊めるほど愚かでもない。
居候を認めたということはつまりそういうことで…………。
母に任せておけば悪いようにはならないだろうし、後のことを心配する必要はないと見ていい。
警戒を解くのとも少し違うけれど、肩から荷を下ろした時のような安堵を覚えて親の偉大さを教えられた気になる。
とりあえず、夕飯はうどんにしようかな。
出汁割醤油に出汁を加えて冷凍の麺と具を煮立たせるだけの簡単仕様。お手軽かつ味の保証がされている素晴らしい料理だ。
悩んだ時はうどん。
困った時もうどん。
万歳うどん、……なーんて。
話し合いを終えて母と共に2階から下りて来たプレゼンティがキッチンに立つ明弘を見て目を輝かせるのは、それから5分は経った後のことである。
曰く、未来ではボタン1つで全ての工程を省略でき、調理なんてのはする必要がないのでお目にかかれる機会というのも当然のように皆無なのだとか。
人と同じように食事を取ることもできるという説明に付け足される形でうどんを食べてみたいらしい彼女にせがまれて、2人分から3人分へ。1玉追加することになる。
遠慮という単語を彼女の辞書に登録しなかった
いや、うどんを食べさせるくらいは構わないんだが総合的に言って押しが強いというか強すぎるというか。
当たり前のように腕を絡ませてくるの、やめてもらっていいですか。
距離感っ! と、いつになく声を荒げる母の声を耳に止めながら明弘は持っていた菜箸を取り落とした。
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