第223話 10万文字書く前に、一度休憩しよう


 このところ毎日新作小説『ピーチ+1』を書いてます。作品はいい感じで進行していて、文字数も9万文字くらい行けているのではないでしょうか?

 現在場面は中盤のクライマックス「トイソルジャー編」。このあと「深夜プラスワン」編と「スカイハイ」編が入ります。文字数としては半分くらいでしょうか。ここでちょっと休憩というつもりで、エッセイ書いてます。あまり疲れないうちに休憩入れるのも、長編を書くコツですね。疲れた状態で書いて、文章が傷み、気づいたら書けなくなることはみなさん経験あると思います。


 さて、本日は『ピーチ+1』の前半を振り返って、反省会でもしてみたいと思います。

 本作は基本男女バディー物で、主人公はピーチこと上原李一朗と一徹こと記憶喪失の暗殺者。

 本作は、いままでの小説の書き方が「これじゃあダメだろう」というところからスタートしています。もちろんそのメインテーマは意識しつつ書いているのですが、他にも目に見えない新型の高等技術が使われています(笑)


 以前書いた1000文字の短篇ホラーで『動く音』というのがあるのです。これは現在非公開ですが、指定されたプロットに沿って書く一種の企画でした。で、その企画にのっとって書いた短編なんですが、文字数に規定があるので、細かい部分の記述をめちゃくちゃ端折っているのです。そう、まったく説明していないのです。

 ところが、あの作品を読まれた方のコメントを読むと、みなさん勝手に脳内で過去の事実や設定を補完してくれている。

 へー、と思いました。

 書き手はある程度読者の読み進む方向性を指定する必要があります。暗闇で読者が迷わないよう「順路」を指示する必要がある。

 が、それさえ示してしまえば、あとは細かい説明は不必要で、読者が勝手に思い込んでそっちへどんどん進んでくれる。

 大事なのは説明・解説ではなくて、方向性を示すこと。そして、その方向性さえきちんと示されていれば、説明・解説はかなりの部分、端折れる!



 そして、もう一つの高等技術、なのかどうかは分からないけれど。

 それは、人称問題。

 小説は大部分が一人称か三人称で書かれています。どちらで書いてもいいのですが、一人称と三人称が混同すると厄介なことになる。


 この人称問題ですが、よく言われるのがふたつ。

 心理描写とカメラ視点です。


 まず心理描写。一人称小説で主人公が何を考えてるかを書くことは問題ありませんが、主人公以外のキャラクターが考えていることを書くことはできません。


 三人称小説でも、多数のキャラクターの考えていることを描写するのはあまり推奨されていないようです。禁止はされてないのかな?


 これはマンガ・アニメでは普通に行われているので、そっち方面から入って来た書き手の方はよくやっちゃってますね。


 これ実は、やっちゃいけないわけではなくて、文章としておかしくなることが問題なんです。すなわち、やりようはあるし、やり方さえ知っていればやっても問題ないです。


 簡単に説明すると、小説は物語であり、誰かが誰かに語る話です。話しているんです。誰かが、あなたに。


 一人称小説の場合、事件を体験したご本人が語ってくれています。

 三人称小説だと、体験したご本人からお話をうかがった第三者が事件を語っています。だから、三人称です。そこに三人必要だからです。


 そして、語っているこの第三者。

 事件現場にいた複数の方に「そのときどう思った?」とたずねて回っている場合もあります。なので、とうぜん三人称小説では、大勢の人の心理描写を書くことができます。



 さて、現在書いている『ピーチ+1』ですが、視点はピーチと一徹のふたつを使用しています。


 ぼくのに作品で、これに似たタイプの小説として『ときめき☆ハルマゲドン』があります。

 『ときハゲ』では、小見出しを入れてキャラクター視点を表記していました。あの例の、「死織サイド」とか「ヒチコック・サイド」とかいうやつですね。

 が、これってダサいし、興が醒めるので、小見出しで「死織はそのとき静かに嘆息した」みたいなサブタイトルを入れて読者の視点をそのときの視点キャラへ誘導しています。


 『ピーチ+1』でもそれをやるかはまだ未定なんですが、視点(すなわち話を聞いた相手)は、ピーチ・サイドと一徹サイドに分かれています。それぞれが三人称単一視点(っていうのかな?)です。

 すなわち、「ピーチ・サイド」であれば、本文中にはピーチの心理描写が入ります。


 そもそもが本作、ロバート・ラドラムの『暗殺者』に想を得ているため、自由間接話法を使用する気満々です。


 すなわち、三人称小説で主語が基本「ピーチ」であるのにもかかわらず、ピーチの心理描写として「ぼく」が入る形式です。これは三人称と一人称の混同とみなされ、今の日本の小説界では、やっちゃいけないことになっているのかな? よく知りませんが。

 でも、ラドラムもディーバもその手法で作品を上梓し、世界的に翻訳され、日本でもそのまま出版されていますね。


 そもそもですね、この一人称と三人称の混同がなぜいけないかというのは、たとえばこんなことになるからです。


     ☆☆☆


 俺は冷蔵庫から毒入りサイダーを取り出すと、ゆっくりとグラスに注いだ。そして、太郎はそのサイダーを一気に飲み干した。


     ☆☆☆


 というような場面があった場合、普通に読むと殺人場面ですが、もしこれが一人称と三人称の混同だとすると、俺=太郎になり、自殺場面になり、その場にいる人数も二人ではなく一人になります。

 全然、話が違ってきてしまいます。


 すなわち、語り手があなたのまえに二人いて、同じ話を違う視点から同時にされている状態です。漫才かよ。


 では、三人称小説に一人称の心理描写を入れるとどうなるでしょう?

 こんな感じです。


     ☆☆☆


 太郎は花子をぎゅっと抱きしめる。

 ああ、俺は彼女のことを世界で一番愛している。


     ☆☆☆


 案外読めます。問題なさそうです。ぼくはこの描写を勝手に「稲川淳二法」と呼んでいます。稲川淳二さんの怪談話で、こういう話法が多用されてたと思うんですが、どうでしたっけ?


 が、この書き方。どこかからクレームがくるかもしれません。人称警察とかから。


 問題回避の方法がふたつあります。



例①

 太郎は花子をぎゅっと抱きしめる。

(ああ、俺は彼女のことを世界で一番愛している)



例➁

 太郎は花子をぎゅっと抱きしめる。

 ああ、俺は彼女のことを世界で一番愛している、と太郎は思った。



 これらが問題回避の方法です。


 ですが、ぼくお勧めの方法は別です。

 これは『その聖戦士、ニセモノです!』を書いているときに発見しました。極めて単純な方法です。


 三人称と一人称の混同ということは、すなわち主語に「彼」と「ぼく」などが混じるということです。

 ということは、「ぼく」とか「わたし」とか、そういう単語をとにかく使わなければいい。それをつかわずに、別の「ある単語」を使用すればいいんだと気づきました。


 一人称として機能する便利な単語。

 それが「自分」です。


     ☆☆☆


 太郎は花子をぎゅっと抱きしめる。

 ああ、自分は彼女のことを世界で一番愛している。


     ☆☆☆


 この「自分」。くっそ使えます。


「自分はそれが最適な方法だと思っております」


 一人称としても使えます。


「自分のことは自分でしなさいよ」


 三人称としても使えます。正確には少し違うのですが、とりあえず「ぼく」とか「わたし」とかを「自分」に書き換えておけば、ほぼなんとかなります。


 ……という雑談でした。



 さて、話を『ピーチ+1』に戻します。

 『ピーチ+1』は三人称で書かれています。が、一人称の心理描写が多用されます。

 と、同時に三人称の問題も少し出てきます。



 以前このエッセイで『ピーチ+1』の話をしたとき、綾束乙さんからすっごく鋭い質問をいただきました。


『つかぬことをうかがいますが、地の文では「ピーチ」じゃなくて、「李一朗」という表記になるのでしょうか?』(コメントより一部抜粋)


 さすが、鋭い所を見ています。


 そうです。タイトルにもなっている「ピーチ」を出来れば使いたいところですよね。が、問題があります。


 ピーチという名前は、「李一朗」だと舌噛みそうだから「ピーチろう」と呼ぶ、と一徹が付けるニックネームです。すなわち、途中から出てくる名前なんです。


 一方記憶喪失の一徹に「一徹」という名前をつけるのはピーチです。ピーチろうへの仕返しです。


 すなわち、ピーチも一徹も最初からある名前ではないんです。

 だから、地の文では「李一朗」にせざるを得ない……と思ったのですが。



 本家ラドラムの『暗殺者』(原題『ボーン・アイデンティティー』映画は駄作である)でも、ジェーソン・ボーンの名前は最初から出てきません。

 途中で失った記憶を頼りにたどり着いたホテルで知るのです。そこから、やっとボーン表記になります。

 では、それまでボーンは地の文では、どんな表記になっていたのでしょうか。

 ラドラムの描写はすごいです。「彼」以外では、単に主語が「男」だったり、「ウォッシュバーンの患者」なんてのもありました。


 よし、一徹はそれでいこう。「記憶喪失の女」とか「暗殺者」でいいや。

 そして、ピーチは……。



 本文でピーチ視点の描写の主語は、冒頭では「李一朗」にしました。

 タイトルにもなっているから、「ピーチ」を使いたいけど、最初「李一朗は……」と書いていた物を、途中から「ピーチは……」と変えてしまうのは、ちょっと難しいですよね。


 そこで使ったのが少々強引な技ですが、一徹視点です。


 一徹の視点では、李一朗はとうぜんピーチという表記になります。

 会話でも地の文でもピーチなのですから、そこでこのあとピーチ視点の場面に移った場合も、しらーっとそのままピーチを継続させました。

 たぶん違和感ないはず!

 いいチームワークだ、『ピーチ+1』!


 なーんてことをしつつ、楽しく書いています。


 現在『ピーチ+1』の物語は「トイソルジャーパート」の「荒野に散ったコンバットマグナム編」です。そのあとの対ファイヤーフォックス編のアイディアをまだ考えてなかったこともあって、1日休養しました。


 おかげさまで面白いアイディアが出てきましたので、このあとから執筆再開の予定です。


 みなさんも、どうぞ楽しい執筆活動を。





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