第124話 伏線の話
ちょっと前に自主企画に『美しい伏線のある小説』といのうがあって何作か読んでみました。美しいどころか、伏線の張られた小説すらありませんでした。ちょっと残念でした。
なんかたまに、小説や映画の脚本を書くときに「伏線を張らないといけない!」と思い込んでいるライターの人いますね。
いや別に、張らないといけないってことないと思うんですが。
伏線を張ることは、単に技法のひとつであって、物語の必須条件ではないと思うのですが。
伏線。そして叙述トリック。
小説でそれらを多用することに、ぼくは懐疑的です。
もちろん、最初から伏線や叙述トリックで読者を楽しませようという考えならいいと思います。が、アクションものとか、ホラーとかに、伏線ってぜったい必要でしょうか? もちろん張るのは構わないんですが、張らなきゃならないっていうのは、ちょっと違うんじゃないかな?と思います。
伏線、叙述トリック、ギミック。
古くはO・ヘンリー、最近では伊坂幸太郎。上手にやると、たしかに楽しいです。
伊坂幸太郎さんでは、叙述トリックは『アヒルと鴨のコインロッカー』、伏線では『ゴールデン・スランバー』が素晴らしかったな。
まず、個人的に見事な伏線の張り方の例を紹介しましょう。
映画『仮面ライダーW 運命のガイアメモリー』の伏線です。
物語中盤、主人公の一人、
ところが、そこで翔太郎はすぐそばにジョーカーのガイアメモリーが落ちていることを発見するのです。なんじゃそのご都合主義。となるところですが、そこに偶然ガイアメモリーが落ちているということを説明する伏線が、映画の冒頭にすでに張られているのです。
それはもう、ほんとしょーもない伏線なのですが、それでも説得力がある伏線です。
おかげで、このあとの翔太郎のセリフも格好良く決まります。
翔太郎「切り札はいつも、俺の手の中にあるみたいだぜ! 変身!」
ベルト「ジョーカー!」←碇ゲンドウの声で
いやー、格好良かったです。
まず、ぼくの持論として、伏線や物語の謎は、読者の何割かがある程度解けるくらいのものが適当だと思います。
たとえば、巧妙に張られた伏線。あまりに巧妙過ぎて、まったく気づかなかったことがあります。その見事に隠された伏線が回収されたときのぼくの感想は「へー、そうだったんだ」という気の抜けたものでした。あまりに完璧に隠されていて、伏線として作用していません。まるで、戦場で完璧に隠れた伏兵が、開戦から終戦まで隠れ続けて、勝敗が決してからやっと姿を現す、みたいなものです。
伏し過ぎだっての。
だからぼくは、極力自作では、完璧に読者を騙してしまう謎は仕込まず、ちょっと怖いんですが、ある程度の読者にはネタがバレるくらいの謎にしています。もしくは、ある程度ヒントを出す、とか。
ただこれ、カクヨムではちょっと怖いんです。
謎が解けた読者が、「分かった! こういうことですね!」とコメントしてくることがあるからです(笑)。
いやそれ、ある程度分かるようにヒントだしてるんだけど……(苦笑)
なので、『ときめき☆ハルマゲドン』の第4章では、ある場所で「コメント欄を見ないでください」と書いたことがあります。
でも、ある程度、読者の人には謎を解いて、それを楽しんでもらいたいし、でも、謎がまったく解けない人にもそれなりに楽しんでもらいたい。となると、あのコメント・システムはかなり邪魔な存在になりますね。仕方ないんだけど。
さて、一方。伏線を仕込もうとか、謎をしかけて読者を苦しめよう(楽しませよう)とか、そんなことまったく関係なく、プロット上そうなってしまったパターンもあります。
ひとつは『刀剣オカルトMØDE』の中盤、まさにミッドポイント。
ぼくは、敵と味方の攻防から、ああしないと後半につながらないなと考え、あるキャラクターに重大な秘密を与えました。そしてその謎が解ける場面を、面白く描きたかった。それだけなんですが、結果として読者はかなり驚く展開になりました。プロットを作っているときは、とくに読者を驚かせようという気はなかったのですが。
また伏線ということでは、『ときめき☆ハルマゲドン』の第二章も思い出深いです(笑)。
ぼくはあのエピソード、読者を騙そうとか驚かそうとか、そんなことを考えずに書いていました。
内容は、まだまだレベルの低い死織とヒチコックがアレを倒す話です。
説得力のある展開を考え、これしかないだろうと判断して作ったプロットがアレでした。ぼく自身は、これなら行けると判断し、結果としてオチを隠す意味でああいったプロットになってます。
つーか、未読の方へのネタバレを避けて解説すると、意味不明ですね。
ぼくは『ときハゲ』第二章で、アガサ・クリスティーのように読者の視線を振り回すプロット順列を考察し、あのプロットを作ります。もう、自画自賛ですが、ぼくちゃん天才かと思いました。
どこが良いかというと、冒頭に貼られた伏線が、その段階では物語の主題が不明なため、絶対に意味が分からない構造になっているのです。
そのくせ、分かる人には謎を解いてもらいたいという考えから、あるモノに関しては、思いっきり解説しています。しかも二度、はっきりと書いているのです。
時計の文字盤ですね。
仕組まれた三つの伏線。ぼくはそのうち、二つは読者に解いてもらいたかった。
でも正直、それをコメント欄で暴露されるのは怖かったです。その危険はあったと思うのですが、結果としてネタバレ・コメントはありませんでした。
ところが、そこに至る手前、かなり早い段階、そう、あまりにも早い段階で、綾束乙さんからもらったコメント。それが、あまりにも、あまりにも、あまりにも、大事なことなので三回書きましたが、正鵠を射ていたのです。
綾束さんにはまったく悪気はなく、それこそ何も考えずにコメントして頂いていたのですが、その綾束さんのコメントに書かれたカタカナ四文字が、どうにもこの先の展開を読者に明確に想像させてしまうものでした。
大変申し訳ないなと思ったのですが、当該コメントは削除させていただいて、綾束さんには事情を説明しました。これは正直、つらい選択でした。もらったコメントは削除したくなかったからです。
ちなみに、綾束さんからは、その後2件、あまりにも正鵠を射たコメントをいただいていますが、そちらは「まあ、だいじょうぶだろう」と削除せずにおります。
でも、正直「窓拭童子がキャプテン・モーモーなんでしょうか?」のコメントには、心底焦りました(笑)。
で、現在は、すみません、正直、いただいたコメントのうちネタバレになるなと判断したものに関しては、ご本人に確認せず削除させていただいています。すみません。
ただ、やはり、作者がある程度、先が分かるように、ある意味フェアに伏線を張る以上、読者コメントでネタバレがくるのは仕方ないことだと思うのです。
「わかったぞー!」という喜びからコメントしていまうのも、その読者としては楽しいことであろうし、しかし逆に、そのコメントが、まったく分かっていない読者の楽しみを奪ってしまうのも事実です。
まともな書き手ならば、そこは斟酌していただいて敢えてコメントしないのが当然なのですが、カクヨムにも読み専の方が増えてきている昨今、ネタバレ・コメントがくるのは仕方のない事で、では書き手としてどうするか?というのも、ちょって大きな問題になりつつあるな、と考える今日この頃です。
ということを踏まえ、『ときめと☆ハルマゲドン』第4章では、前述の「コメント欄を見ないでください」という注意書きをいれました。
ここは、さきが読まれる、そしてネタバレ・コメントが来る。そこまで読者の反応を読んで書けないと、書き手としてはまだまだ未熟ということでょうか。
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