今年は、自分の中で「アウトプットの年にしよう」と勝手に思ってたんですが、こちらのエッセイを拝読し、「そうそう。そういうことなんですよ!」と!
いっぱい、インプットしたら、その分アウトプットしよう、かなぁ、と。
なんか去年は、混沌としていたんですよねぇ。
そして。
本当だ。
映画評論家ってあんまり見なくなりましたね(^◇^;)
作者からの返信
インターネットの普及が大きいですね。
以前は、物の価値というものを新聞テレビ雑誌が決めていました。テレビが「つぎに流行るのはジターリング!」なんて宣伝していて、でもだれも見向きもしない。そんな流れになってきたのはいつのころからでしょう? ルービック・キューブは知っていても、ジターリングを知らない人、多いと思います。
みんなが物の価値観を評論家に売り渡していたのは、もう昭和の時代まででしたね。
そして、ため込んだ知識を披露することで英雄に成れたのは平成まででした。いまは自分の中の知識をつかって、なにを作り出すか、どんなものを表現するか。
まさにユーザーが創造する時代ではないでしょうか。
漫画『頭文字D』では、峠の走り屋がプロのレーサーより速いという展開があります。
WEBの素人作家が、プロの作家よりも面白い!なんてことが起こりうるかもしれません。
映画評論家は、『踊る大捜査線』事件の後、白亜紀の恐竜みたいに絶滅しました。その萌芽はあったのですが、みなさん気づいてしまったのです。評論家より「口コミ」だ!と。そしてそれを可能にしたのが、インターネットでした。
そして素人評論家の時代が到来します。が……。
オタクの時代、素人評論家の時代である平成はすでに終わったと、ぼくは感じています。これからは素人作家の時代ではないかな?と感じた新年でした。
誰でも気軽に発信できるようになってきて、その中から抜きんでるのが難しい時代になってきましたよね……。
自分の知識を効果的に使って、面白いと思っていただける小説をどんどん書いていきたいです!(*´▽`*)
作者からの返信
みんなが書いて発信!
は、いいのですが、そこからコンテスト優勝! 書籍化! アニメ化! 映画化!
そこまでいって、初めて成功といえるのかもしれないですね。果たしてロイヤルティプログラムに意味があるのか疑問に思います。
カクヨムコンテストも、三年前に出ていた方で、今回も出ている方というのは極めて少ないです。ほとんどが活動すらしていない。
WEB発信の小説がいまは流行りですが、それもすぐに廃れてゆくかもしれないですね。
また、昔はプロを目指しているなんて語っていた人が、気づくとお友達と小さいコミュニティーみたいなものを作ってその中での読み合いだけに終始している現象もよく見ます。
発信するというのは、小説の内容もですが、自分自身の立ち位置というものの認識も重要かもしれません。
そして、いつも思います。
「面白いとはどうゆうことだ!?」と。
知っている、だけではもう価値がない。確かに、それをどう使うかの時代ですね。発信する。それが価値。わかります。
面白い小説を書くというのは、最高の自己表現だと思います。
読んで面白い小説を、僕も、もっともっと書きたい。と、斬太さんと同じ事を思った新年でした。
作者からの返信
昭和、平成と生きてきて、時代とともに価値観が変わったり、立場が逆転したりと、いろいろな変化を目の当たりにしてきました。
かくいうぼくが小説を書いてそれを公開できているというのも、時代の変化のひとつだなと。
とまあ、そんなことをふと思っただけなので、じつは内容はありまないのですが(笑)。
でも、オタクよ、さらば、というのは感じますね。
インプットの時代からアウトプットの時代へ……なるほどー
まさに今の教育現場が目指そうとしているものといっしょですね。
授業を聞くだけから、発言してみんなと意見交換するアウトプットを求める教育に転換しかけていました。コロナ以前は。
でも今、コロナのせいで授業数は少なくなる。先生たちは教育委員会が決めた単元を消費するので手いっぱい。
また聞くだけの授業に逆戻りです。
作者からの返信
教育、科学、政治。
いまここで、今までに何をしてきたかががっつり問われている感じですね。知識だけ蓄えて、それを実際に使う知恵は全くなかった!なんてことにならないといいのですが。
世が乱れたときこそ、学歴とか親の威光とかではない本当の実力者が表舞台に立つことになるでしょう。なんか『三国志』っぽい世の中になったきたと思って、すべて若い世代に丸投げするつもりでいます。
みんな、がんばってね。