第7話 「は」で始まるコミックにみる物語作成法



 というわけで、「は」で始まるコミックこと、「はいからさんが通る」のプロットについて簡単に説明します。


○はいからさんこと花村紅緒は、女学生で、袴で自転車通学するイマドキ(大正当時)娘。


〇最悪な出会いをした超絶イケメンの少尉は、親が決めた結婚相手だった。(正確には祖父)


○で、花嫁修業の行儀見習いで、その少尉のお屋敷に住むことに。


○その少尉のお屋敷ですったもんだやってるうちに、だんだん少尉のことが気になりだして……。


○が、少尉に辞令がおりて、ロシア戦線へ。


○そして、そのまま少尉は帰らぬ人に。


○紅緒は、(まだ結婚してないけど)生涯再婚しないことを誓って少尉の家に嫁として残る。


○ところがそこへ、ロシアから飛行船でやってきた美青年が、少尉と瓜二つで……。



 とまあ、こんなようなストーリーなんですが、「どうですこれもうプロットの段階で面白いでしょう?」的な話をしようかと思ったんですが、この「はいからさんが通る」、じつはそれだけじゃあないんです。


 ときにみなさん、小説の書き方って知ってますか? もちろんあの、「題名書いて、筆名書いて、一行目から書き始める」ってやつじゃなくて、いわゆる物語作成法です。

 カップ麺にだって正しい作り方があるわけですから、当然小説にもありますよね、正しい作り方。


 なので、今回は、この「はいからさんが通る」を例に、物語の作り方を超適当に、いや極めて簡潔に解説します。


 物語は、4つの柱で構成されています。


 「プロット」、「キャラクター」、「設定」、そして「コンフリクト」です。「コンフリクト」とは、「対立」のことです。この「対立」は、物語に絶対必要な物なのですが、日本で出版されている小説指南書でこれについて言及されているものをぼくは一つもみたことがありません。


 物語は「プロット」、「キャラクター」、「設定」の三柱からなり、そのすべてに「対立」が仕込まれていなければなりません。


 では、まず「キャラクター」から解説しましょう。

 小説のキャラクター作りで、キモはふたつ。弱点を決めることと、不得手なことをやらせること。

 「はいからさんが通る」は恋愛マンガです。その主人公花村紅緒の性格は、狂暴でがさつで単純です。家事は不得手。得意なのは剣道でめちゃくちゃ強いです。ただし、これは格闘マンガではありません。そして胸はないです。さらに酒乱です。

 この名作恋愛マンガの主人公花村紅緒は、おそらく日本漫画史上トップクラスの女子力の低さを誇ります。


 一方、伊集院少尉はどうでしょう。超絶イケメンです。性格もいいです。おまけに華族です。何年か前の少女コミックのイケメン投票で一位になってました。


 ここですでに二人の存在は対立しています。にもかかわらず、紅緒が主人公で、少尉がお相手です。この二人の恋愛譚なのです。

 が、二人は、最悪の出会いをします。素敵な出会いではないのです。これは「プロット」と「キャラクター」の対立です。お話は、順風満帆に進めてはいけません。とにかく問題を起こしましょう。



 「プロット」とは、「キャラクター」に問題を与えることです。

 上記のプロットで、「死んだはずの少尉と瓜二つの人が現れる」とか、なかなかきつい問題です。なぜならこのとき、紅緒は少尉を忘れようとしているからです。

 この、キャラクターにあたえる問題で重要なことは、途中で問題を絶対に解決させないことです。もし途中で問題を解決するならば、その問題を解決することによって、さらに大きな問題を抱え込むようにすることが必要です。


 少尉に心が傾いたタイミングで、少尉の戦地への異動が決まるとかは、まさにそれですね。




 つぎは「設定」です。これは、「キャラクター」と物語世界との対立です。


 はいからさんの設定はこうです。


 むかし激しく愛し合った男女がおり、自分たちが結ばれないので、子供の世代を結婚させようとします。が、二人の子供は男同士。なので、孫たちを結婚させようとするわけです。それが紅緒と少尉です。が、紅緒ははいからさんです。祖父が決めた結婚なんて認められません。ここで少尉が「ぼくも同感です」といってくれればいいのですが、少尉はおばあさまのために「はい、結婚します」といっています。これも紅緒にとっては腹が立ちます。


 これが「キャラクター」と対立する「設定」です。


 基本作者は、主人公に楽をさせてはいけません。


 「ウルトラマン」は地上では三分間しか活動できませんし、「仮面ライダー」はベルトに風圧を受けないと変身できません。

 「宇宙戦艦ヤマト」は遥か彼方の大マゼラン雲まで地球を救うアイテムを取りにいかねばなりませんでしたが、実際の大マゼラン雲はあんな二十七万光年も遠くにはありません。製作者が実際よりも遠くに設定したのです。

 テレビドラマでも、たとえば「踊る! 大捜査線」の青島刑事が湾岸署ではなく本庁のエリート刑事だったら、あのドラマはヒットしたでしょうか?

 シンデレラが継母や姉たちと仲が良かったら? 柳生十兵衛が隻眼ではなかったら? はいからさんが少尉に一目惚れしていたら?


 「設定」にはふたつの側面があります。ひとつはその物語を成立させる言い訳。もうひとつは、その物語を面白くする仕掛けです。後者がまさに「キャラクター」と対立する「設定」であり、主人公に対する障害であり、ゲームを面白くするルールです。つまり、サッカーで手を使ってはいけない、と同じことです。


 とまあ、物語作成法を簡単に解説しました。が、なんでしょう? こういうこと書くのって、すっごく楽しくないですね。「剣術講座」は書くのが楽しかったんですが。




 さて、「はいからさんが通る」を例に簡単に解説した物語作成法ですが、じつはこの「はいからさんが通る」という作品、もう一段、面白さの秘密があるんです。


 それが裏「設定」もしくは裏「キャラクター」ともいうべき、高等技術です。


 みなさん、もしぼくが紅緒が「はいからさん」ではないといったら驚きますか?

 「はいからさんが通る」の主人公・紅緒は、じつは「はいらかさん」ではないのです。



 前半にこんなエピソードがあります。


 お屋敷のメイドがおじい様のお皿を割ってしまいます。それはおじい様が薩摩の殿様から拝領した大事な十枚揃いのお皿で、一枚かけてもならないのです。(ちなみに、紅緒は幕軍の家系です。ここにも対立があります)

 おじい様は、お皿を割ったメイドを手打ち(殺して)にして自分も切腹すると刀を抜きます。それを見た紅緒は、残りのお皿九枚をその場で全部ぶち割ります。そして言います。


「お皿一枚で人ひとり死ぬのなら、残り九枚で九人の命が失われることになります。ならばその九人の命。わたし一人が引き受けます」


 これ、西洋かぶれのハイカラさんが言う言葉でしょうか? ちがいます。これは、「サムライ」が言う言葉です。「侍」ではなく「士」の方ですね。


さむらいはおのれを知る者のために死す』というあのサムライです。


 はいからさんと見せて、その実、熱いサムライの血が流れている紅緒。


 その紅緒のことを少尉はしっかり分かってあげたから、彼女は彼のために命をかけたのです。「はいからさんが通る」という物語は、こういった構造をしています。



 そして、なかなかこうまで完成度の高い物語は作れるものではありませんね。名作には名作である理由というものが、ちゃんとあるようです。






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