第12話 非日常の浸食

『――朝のニュースです。今日の天気は全国的に水泳日和の良い天気でしょう。その分、熱中症に対して昨日に引き続き注意が必要です』

「お、ちゃんと映ってる映ってる。これなら録画とかも大丈夫そうかな」


 時刻は早朝五時頃。閉じたカーテン越しに光を感じ取れる程、夏の季節は朝が早い。

 私は一度お風呂に入ってから、自室に運んでもらった私物のチェックをしている。

 運ばれた家具には目立った傷はない。

 置いてきていた小物類もダンボール箱の中にまとめて入れられていて、それらも特に問題はなかった。


 チェックが終わればニュースを流し見しつつ、学校に行く準備を始める。

 公園で投げ捨てたカバンも中身ごと無事ではあったのが幸いだった。

 正直、無我夢中でカバンをぶん投げたのだけれど、もし戻ってこなかったらしばらく学校生活に支障をきたしていたのは間違いない。


(拾ってきてくれたハウンドには感謝だよね)


 彼が家具その他も運んでくれたおかげで、来た当初はできなかった事も出来るようになっている。

 下ろしたままだった髪もヘアゴムでまとめられるし、スマホも充電できるし、部屋で勉強も出来るし。

 なお最後のはここ最近する暇がない。しかしテストはもうすぐである。のーえすけーぷ。


「それにしても、これから鏡のある所には行きづらくなったかな……?」


 気を取り直すように、そして現実逃避気味で思い出したのは、お風呂に入ろうと洗面所で鏡を見た時の事。

 以前はちゃんと私の姿を映していたはずの鏡が、うっすらとしか私を映していなかったのだ。

 何か面白おかしな現象でも起こっているのかと、鏡をじーっと覗き込んでみたけれど鏡自体には何もおかしな事はなく。

 他の物はちゃんと映していたので、この現象は私に原因があるはず。


 それと、鏡を覗き込んだ時に気づいた事がもう一つ。


「これからは、あんまり口も大きく開けられないか……」


 ギリギリまで鏡に近づいてうっすらとした自分の姿を凝視していると口元に違和感が一つ。

 なんだろうと、その違和感の感じた所を指で直接触ってみれば、以前よりもはっきり鋭くなったとわかる犬歯の感触。

 犬歯の先端に指を軽く押しつけてみれば、簡単に突き刺せそうなくらいだ。

 幸いにも、普通に喋るくらいなら目立たない程度だったので気をつければ大丈夫だと思う。


 それら目に見える二つの変化。

 自分がガーネットと契約した事で起こった変化とするならば。


(やっぱり、吸血鬼になったと思うべきだよね)


 それならばと、懸念が一つ湧き上がる。日光は大丈夫かどうかだ。

 もし何か影響があるなら、起きた時にガーネットに許可を求めておいてなんだけれど学校に行くのも断念しなければいけない。


 結果としては、現時点で特に大きな問題はなかった。

 そっとカーテンの隙間から差し込む日光を手に当てても、特に際立った変化はなく。

 よくある日光に当たると灰になるとかにはならないようで、ホッとしたような、変に心配して損したような複雑な気分が湧き上がる。

 ついでとばかりにカーテンを開けて窓の外をガラス越しに覗き込んでみても、いつもより朝日が眩しく感じられた以外には変わりもなかった。

 

 お風呂からの帰りに出会ったハウンドとその事について話してみると、彼は呆れたように自分の額に手を当てる。


「……翠様、好奇心や探求心が旺盛なのはわかりますが、なにか試すつもりだったなら せめて私かお嬢様がいるところでやってください。何かあってからでは遅いのですから。

 もし、想定通りに灰か何かになりかけてたらどうするおつもりでしたか?」

「あ……ごめんなさい! ちょっとくらいなら大丈夫かなと思って……」

「――もっとも、お嬢様も日光くらいで灰になったりはしませんから、その点は心配していませんでしたが。

 翠様がなったのは十中八九お嬢様と同じ吸血鬼。

 同じ種類の魔人ならば、主の持っていない特性を眷属が持つ事はほとんど無いそうですし」


 眷属になる前の特性に関してはその限りではありませんがね、と彼は話をしめた。


(つまり……ガーネットも日光は大丈夫な方って事かな?)


 以前、眩しいのは苦手とは言っていった気がするけれど、致命的という意味では無かったらしい。

 ともあれ、その話が本当なら、ガーネットの弱点さえ把握していれば私の弱点もおおよそ把握できるはず。


「じゃあ、ガーネットがこれだけはダメって分かってる弱点みたいなものって何かある?

 ほら、そういうのが分かれば私の方でも用心できるし」


 別れ際にガーネットの弱点は何かとハウンドに尋ねてみると、彼はしばらく考え込むようにした後、言いにくそうにこう言った。


「弱点……と言えるものかは私の口からは言えませんが、そうですね。

 翠様は河や海に念の為入らないようにしてください。おそらく、探して引き上げるのが手間になりますので」


 探して引き上げる、とは。

 

 もしかしてガーネットは普通の水に対してとことんカナヅチなのではなかろうか。

 確か、吸血鬼は流水を渡れないって話もあったりするからそれだろうとあたりをつけておく。


 ただ、やらないってと言った時に疑わし気な視線を感じたのは気のせいという事にしたい。

 さすがに、溺れるかもって分かってたら入ろうとはしないはずだ。


――――――

――――

――


『城玉スカイタワーのオープンまであと二日となりました。各所から楽しみだという声が上がっております』

「あ、もうそんな時期か。まぁ……テスト期間直前にオープンだったはずだから当たり前だけど。――はぁ」


 さっきの出来事を思い出しているうちに流れているニュースもそこそこ進んでいた。

 今のニュースはちょうど次の日曜日にオープンするタワーに関する特集を流している様子。

 昨日……もとい三日前の昼休みに幼馴染三人で行く予定を立てていたので、少し興味をもって眺めてみた。


 特集は主にタワーに入る予定の有名チェーン店やおすすめスポットの紹介に終止していて、おかげで心の中のチェックリストが増えていく。

 幼馴染と一緒に行った時にちゃんと回れるか少し心配だ。


 もっとも、楽しみが増えた分 オープン翌日から始まる期末テストを越えなければいけないから憂鬱でもある。

 ここ最近いろいろありすぎて、テスト勉強もろくにできていない事もその憂鬱に拍車をかけていた。

 なんでこう、テスト直前になるともっと時間が欲しいとかってなるんだろう。

 意識しなくても溜息がこぼれてしまった。


(普段から勉強しろ? あーあーきこえないきこえなーい)

 

 心の中からわき起こったセルフツッコミは聞かなかった事にした。

 それはさておき。


「あ、そういえばもう充電は終わってるかな?」


 段ボールの小物群の中から充電器を無事回収できたのだ。

 お陰で、ずっと電源が入らなかったスマホもお風呂に入っている間に使えるようになっているはず。

 少なくとも今日一日もつくらいにはなっているだろう。

 

 まずはスマホの電源を入れ直す。

 その間もテレビのニュースは追加の情報を流していて、先日脱獄した強盗犯がまだ捕まっていない事や、港の倉庫群で爆発事故があった事とか、動物園でアライグマの赤ちゃんが生まれただとかの話を聞き流していった。


「うわっ、通知がすごい事になってる……」


 スマホの通知表示は結構なメールと留守電、蓄積されたラインが溜まっていることを示している。

 さすがに三日以上放置してた分、事細かに全てチェックするのは厳しい。


 ひとまずクラス用のラインに今日出席することだけ簡潔に送って、あとは緊急のものがないかメールをざっと流し読み。

 心配して何度もメールや電話をかけてくれていた幼馴染二人には、今日学校に行けそうだからいつもの場所で、とメールを送り返しておいた。


「あとは……母さん達に連絡しとこっと」


 履歴の中に一度だけかかってきていた母さんからの電話。

 国際電話で折返し電話をかけ直す。


 ふと、かけ直したとして家族に何を話せるだろうかと、コール音が鳴っている間に気が付いた。

 さすがにここ最近の出来事をそのまま話すわけにはいかない。

 普通に聞いただけならフィクションとしか思えないような出来事だったし、さすがの母さんも信じないだろうし、なによりも話した事がきっかけで何かに巻き込まれる可能性だってあるかもしれない。

 

 さすがに家族を巻き添えにするのは何としても避けたいところ。


「もしもし、母さん? ごめんね。ちょっと、充電切らしちゃってて。

 大丈夫大丈夫、元気にやれてるから。母さん達が心配するような事はないって!」


 ひとまずは家族を安心させられれば良いやと今は思う事にした。


――――――

――――

――


 普段の当たり障りのない事を話して電話が終われば、既に結構な時間が経ってしまった。

 先日の通学時間を考えると、そろそろ出なければいけない時刻。


 急いで必要な物をカバンに詰め込んで、ちょうど夏の怪談特集をしていたテレビを消す。

 なんでも、深夜にテレビをつけると幽霊が映り込んで見た者を意識不明にするのだとか。

 一昔前に流行ったホラー邦画っぽいので正直結構興味深くはあった。

 けれど、時間は迫っている。後ろ髪を引かれる思いで そのまま部屋の外へ。


 今日はちゃんとまとめたポニーテールを翻しつつ早足で玄関広間にたどり着いた。


「もう行くのか、翠。何時頃帰る予定だ?」


 上の方からかけられた声に振り向けば、吹き抜けになっている二階からガーネットが顔を出していた。

 今頃は部屋で休んでいると思っていたのだけれど、わざわざ見送りに来てくれたのかもしれない。


「そうだよ。この前みたいな事がなければ夕方くらいに帰れそうだと思う」


 むしろこの前みたいな事が頻発してたまるかと考えたら乾いた笑いが出てきた。

 ガーネットの方もそう思ったのか、苦笑している。


「そう心配するものでもない。問題だった魔人は結果的に翠からはいなくなった。

 しばらくは様子を見るべきだが、これからお前がどうするにしても魔人関連に何度も狙われるような事はないだろうさ」


 魔人、と聞くと、胸の傷がズキリと痛んだ。

 表情に出すと心配されるだろうから表に出すつもりはないけれど。


「ガーネットがそう言うならひとまず安心かな。

 ただ、結局料理もできなかったしで、ずっと助けられてばっかりなようなのがちょっと」

「気にするな。料理については材料は揃えてあるそうだから好きな時に振る舞えばいい。

 助けられてばかりに関してもだが、我はお前を助けたいから助けた。

 礼をしたいなら、出来る時にやればよい」


(それが簡単にできれば苦労はしない気がするんだけどなぁ……)


 とはいえ、助けられてばかりだと気に病むよりかは健康的だよねと前向きに受け取る事にした。

 料理についても、体調が完全に戻ったら振舞う事にしよう。


 そうこう話している間に本格的に出なくてはいけない時間が迫ってきている。

 もう少し話していたい気はしていたけれど、さすがに遅刻しないように出ないとまずい。


「そろそろ時間だし、行ってきます、ガーネット!」

「ああ行ってこい、翠。重ねて言うが、何か違和感を覚えたら無茶せず戻れよ。帰ったら話す事もあるしな」


 話す事って何だろうと思ったけれど、時間がない。

 そのままガーネットに玄関先で見送られ、山を道なりに下りていく。

 鍵の開いた門を通って、そのままいつもの待ち合わせ場所へ。


 道中急いで走ったけれど、出る時間が少し遅くなったから二人はもう行ってしまったと思う。

 わずかな望みにかけて着いてみれば、やはりもう誰もいない。


「あっちゃー、やっぱり先行っちゃってるかな。私も急いで学校行かないと……」


 時間的には仕方ないと諦めて一人で学校へと向かおうとしたその時、背後に気配を感じた。

 誰だと思う間もなく、後ろから誰かに抱きつかれてしまう。


「不意打ちちぇーっくっ!」


 自分と同じくらいの身長をもつ人物が背後から抱きつく。

 これが知らない人なら焦りもしたけれど、聞き間違えない程度には毎度行われる声と行為に犯人の心当たりはすぐについた。


「うひゃあっ?! ちょ、ちょっと、夕菜?」

「うん。おはよう、翠ちゃん。久しぶりの抱き心地ー」


 名前を呼ばれた幼馴染は、離すどころかますます抱きつく力を強めていく。

 いつもとは少し違う反応に困惑しつつ。


「もう、いきなりどうしたのさ。今日の成長具合は何センチーとか言ったりしてすぐ離れるのに」

「んー……触った感触と反応が少しよろしくない。今日はあまり元気なさそうですね」

「感触と反応で人の調子分かるものなの?!」

「うん、分かります。だからこそ翠ちゃんのスリーサイズも把握できますので。

 調子が悪そうって分かっただけでも隠れて様子を見てた甲斐があったものです」


 結局、相変わらずの彼女にツッコミを入れておく。

 自分の身に色々起こった後としては、心配してくれる友人の様子にひどく安心できてしまう。

 だから、あまり自分が関わってしまった事に関して話さないよう言葉を濁した。


「まぁ、ちょっと病み上がりでもあるから」

「……元気がない時はちゃんと休まないと駄目ですよ?」


 少し不機嫌そうな友人のジト目から目をそらしつつ、もう一人の幼馴染の姿を探す。


「あれ、そういえば勇人は? 先行っちゃった?」


 いまだ姿を見せない勇人。彼も同じように隠れているのだろうか。

 あまり悪ふざけするタイプではなかったと思うけれども


「勇人くんは……今日は、やる事があるって言って先に行っちゃってますね。

 なんでも、今日の分の課題が終わってないとかで」

「あら、珍しい。いつもは忙しくても時間ある時に片手間で終わらせたりするのに」


 それだけ、彼もテスト前だし忙しかったりするのだろうか。

 そう考えると目の前の夕菜は、何事もそつなく平均以上こなせてる点でいつもながら凄いと思う。


「……実は最近何かあったみたいで、勇人くん少し思いつめてるみたいです」

「何かって、なんだろう? メール流し読みしたけど、それらしい事も書いてなかったし」


 来てたメールの内容は当たり障りのない私の体調を心配する内容だった。

 夕菜の言う思いつめている事の内容は分からない。

 彼女も原因を把握してないのなら、もしかしたら彼にとってあまり私達に知られたくない事なのかもしれない。

 それならひとまず様子を見て、酷くならない範囲で話してくれるまで待った方が良さそうだ。


「勇人の事は後で対策するとして、さっさと学校に行っちゃおう。もう時間的に厳しいだろうし」

「了解です。ところで休んでた分のノートはどうするんです?」

「……見せてくれると助かるかも」


 二人肩を並べて歩き出す。彼女からの渡りに船な提案にのりながら自分の汗を手で拭った。

 ここまで走ってきたおかげか、さっきから汗が止まらない。

 これは早めに学校に行って水分補給をしたい気分。


「それにしても、だんだん本格的夏になってきたって感じだよね。もうさっきから汗が止まらなくって」

「……? うーん、確かに暑くはなってきましたけど、今日はそこまで暑くはないと思いますよ。

 暑さでいったら、昨日の方がかなり暑かったですし。

 猛暑のおかげで深夜倒れて病院に運ばれた人もいたって話もありますから」


 そう否定されると確かにそこまで暑くない気もしてくるけれど、汗が止まる気配はなかなか来ない。

 久々に浴びる強い日差しが暑さをより強く感じさせているのかもしれない。

 おかげで喉の渇きもまた覚え始めている。もう少し家で水を飲んでおけばよかった。


「――やっぱり体調悪いようなら、今日は休んだ方がいいんじゃないです?」

「んー、学校ついてしばらく休めば大丈夫でしょ。ほら、行こう行こう」


 私の体調を気遣ってくれてる夕菜に、気にしないでと軽く手を振り笑顔を見せる。

 やっぱり結果的に二日間と寝すぎたおかげで調子が出ないのかもしれない。

 まだ心配そうな表情の彼女へ早く行こうと促して、私も早足で学校へ向かう事にした。


「ところで……聞きたい事があるんですけど」

「どうかしたの、夕菜?」


 早足で並びながら夕菜の方へと視線を送れば、真剣な表情で私の方を彼女が見ている。

 もしや私の身に起こった事の片鱗でも感じ取ったのだろうかと、もしそうであるならどう応えるべきかと私の表情も自然と真剣になっていた。


 しばらく、彼女は話すべきかと悩みながら視線を泳がせた後、意を決したように問いをまっすぐ私にぶつけてきた。


「この前来た時、いつものポニテじゃなくって髪を下ろしていたのは好きな相手の気を引くためで、ここ二日休んでたのは失恋による傷心によるものだって噂が流れてたんですが本当ですか?」

「まずその気を引く相手がいないからね!? というか誰だ、そんな噂流した人ー!」


 とりあえず、その噂を流した人物が分かり次第とっちめる事にしよう。

 思わず真顔から脱力した笑みがこぼれてしまった。

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