第11話 契約

「翠! 起きろっ! 頼む、目を覚ましてくれ!」


 聞き覚えのある呼びかけに夢から目が覚めると、目の前にガーネットの顔があった。

 普段の余裕がありそうな態度とは違った焦りを隠しきれていない彼女の様子。

 彼女もこういう表情する時もあるんだと内心驚いてしまう。


 視線を動かして周りを確認すれば、先程までいた公園。

 そこのベンチで、つい昨夜と同じように膝枕された状態になっている事に気が付いた。

 周りの色彩は薄く太陽は靄がかかったようにぼんやりとしていて、あの時と同じ幽世にいる事は予想できる。


 今はとにかく、ガーネットに安心した顔をして欲しくて彼女の名を呼ぼうとした……のだが。


「ガ……ネッ……ゴホッゴホッ」

「っ! 気付いたか、翠!」


 出そうとした声は枯れきっていて、喉は何かで詰まっていたかのようにうまく声が出せない。

 なぜだろうと考えた辺りで、目を閉じる前の出来事をようやく思い出した。


(ああ……そう言えば私、胸を貫かれたんだっけ)


 今も身体にぽっかり穴が開いているような感覚に、自分の身に起こった事が夢ではなかった事が確認できる。

 その証拠に、先ほどから心臓の音が辺りに響くくらい大きく聞こえてきていた。

 きっと、空いた体の穴から直接聞こえているのだろう。


(……あれ? 心臓の音?)


 おかしい。記憶が確かなら、私の心臓は張り付いていた霊核らしき物と一緒にビフロンスが持ち去ったはず。

 ガーネットのにしては音が近すぎるし、なにより鼓動音は私の体の中から響いている。

 

「しん……ぞ、う……?」

「ああ。今、お前が負傷してる部位を私の血で模写して疑似的に補修している。心臓も模造品だがちゃんと動いているぞ」


 話された内容から想像以上に彼女の血が便利と思いつつ、そういえば食事の時に垂らした血をコウモリに変化させていたのを思い出した。

 人体の構造さえ把握していれば、こういった治療のような事もできるのだろう。

 今、鼓動を奏でている心臓も彼女が作ったものという事か。

 腕を動かすのも億劫なほど力が入らないので傷の具合などは確認しようもないけれども。


「もっとも、この措置はその場しのぎ。もってあと数分だ。

 すまない、我はこうならないようにしてやるつもりだったのだが……」


 そう言ってガーネットは申し訳なさそうに目を伏せる。

 こうなった原因は割と無茶した私にもあるって言いたいけれど、口からは掠れた吐息が漏れてばかりでなんとももどかしい。


(正直、私の心臓に霊核っぽいのが憑いてるとか、それが原因で殺されるとか予想以上だったけれどさ)


 それでも、彼女が私のために手を尽くしてくれた事は予想できる。

 これまで何度も助けれくれたし、今も死ぬ間際とはいえ駆けつけてくれた。


 だから、未だ目を伏せている彼女の頭へ ゆっくりと手を伸ばす。

 声が出せない分、笑みを浮かべつつ お礼の意味を込めてそっと一撫。

 そこで力尽きて、手は頭から滑り落ちかけたけれど、ガーネットにその手は握られるように掴まえられた。

 先程まで伏せられていた目は、何かを決心したように私をじっと見つめている。


「――翠、これから我はお前に二つの選択肢を与える。

 もしかしたら、お前にとって選択肢になっていないかもしれないが必要な事だ。よく考えて選んでくれ」

「せ……た、く……?」

「そうだ。一つはこのまま自然の摂理に従って人として死を迎える事。

 我が責任を持って痛みもなく安らかに死ねる事は保証しよう。

 翠の遺族や友人に対しては協会の協力で不幸な事故だったとして処理されるであろうな」


 そう言ってガーネットは右人差し指を立てて、続けて中指を立てた。


「そして二つ目は――我と契約し、眷属となって生き延びる事。

 魔人となれば、この程度の傷であろうと確実に生き延びられるだろう。だが……」


 彼女は言葉を一度つまらせた後、また言葉を続ける。

 

「一度魔人となれば、確実に周りの人間とは違う時間を生きる事となる。

 それによって様々な弊害も起きるであろう。魔人である事自体が厄介事を引き込む要因になるかもしれない。

 必ずしも、魔人として生き延びても良い事があるわけではないのだよ」


 ガーネットは、魔人になる事のデメリットをあげつらう。

 安易に魔人になる事を選んで欲しくないように。


「本当ならば、人としての人生を全うして欲しかったが……今言っても詮無き事、か。

 翠、時間はないがしっかり考えて選んでくれ。どのような選択であろうと、我は全力でお前の助けになる事は保証する」


 そう言って、彼女は私の返答を待つように口をつぐんだ。


 私の前に出された二つの選択肢。要は死ぬか生きるか。

 そして、生きるにしても一般人ではなくなる。

 死ぬならば苦しむ事は無いらしい。これが話に聞く眠るように死ぬというやつか。


 このまま眠気に任せて また目を閉じれば、死ぬ事を選んだ事になるのだろうか。

 先程から聞こえる心音は段々と弱まっている。時間はそこまで残っていない。


(そういえば、魔人が死んだ時はどうなるんだろう)


 思い出すのは林で倒したスケルトンの最期。

 霊核を砕いたら、もともとそんな存在はいなかったかのように塵となって消えていった。

 他の魔人もそんな最期なのかもしれない。

 そう考えれば、人の姿のまま終われるというのなら、それはそれで選択肢としてはありな気もする。


(どう終わるにしろ、親や友達を悲しませる事には変わりなさそうだけど……)


 では、魔人として生きるとしたらどうなるか。

 目の前の吸血鬼であるガーネットを見る。

 少し発育の良い小学生高学年な見た目で、話を聞く限り少なくとも50年以上は生きている。下手すれば倍以上生きている可能性だってある。

 その間、外見が全く変わっていないのだとしたら、確かに他の人々と同じ時間は過ごせない。


 人に紛れて普通に生活していても、ずっと変わらない姿を気味悪がられるか、最悪殺されそうになる事だってあるだろう。

 まさに厄介事へと引き込まれていく可能性は高い。


(……それでも、まだ一緒にいられるはず)


 どんな魔人になるのか、私にはわからない。

 だけど、例えどんな存在になったとしても家族や友人にお別れを言うくらいはできるだろう。

 このまま死んで、はいさよならなんて寂しいにもほどがある。

 それに。 


(このまま負けっぱなしなんて絶対に嫌っ!)


 人を見下して命を弄ぶ悪魔、ビフロンス。

 あの悪魔には二度痛い目にあわされている。

 別に正義感に目覚めたわけではない。単純に、あの男の思い通りに事が運ぶのが癪だった。


 このまま何もできずに死んでしまうくらいならと、一矢報いたいと気持ちを込めてガーネットが握る手を私も握り返す。


(それと、ガーネットから見捨てられるって事はないみたいだし)


 最悪でも、彼女の支援があれば出来る生き方はいろいろあるだろう。

 その中で、自分のできる事を探っていけばいい。

 後悔するならその後だ。


 だから、契約する意志を示すために彼女へ頷きを返した。


「――分かった。ならば手早く済ませよう。

 一度抱き上げるぞ。少し辛抱してくれ」


 彼女の方も頷き、膝枕をしていた私の上半身を抱えるようにして抱き上げてくる。

 あまり力が入らなくて、腕や足がすこし投げ出された。

 けれど、上半身を抱きしめられるようにされているおかげで全身を放り出される事はなかった。


「我と汝、血の契約を結ぶ。

 汝は血の供物を捧げることで対価とし、我は血の祝杯を下賜することで汝を眷属とする」


 何かを読み上げるような厳かな言葉と共に、私達の周りの空気が変わったのが分かった。

 横目で確認すれば、ガーネットを中心として魔法陣が展開されている。

 これが魔人の契約なのだろうか。

 混乱と期待と恐れが入り混じりながらも、今はガーネットの方へと集中する。


「まずは汝の血の供物をいただく」


 その言葉と共に、ガーネットは私の首筋を露出させるように制服をずらし、そこに牙を突き立てた。


「ぐっ、ぁ……ぅっ!」


 突き刺さるような痛みと共に、体に残っていた僅かな熱が吸われていくのを感じる。

 目の前の光景がかすみ、呼吸も何もかもが止まりそうになるのを必死にこらえていく。

 もう、目も開けていられないほど意識もうつろになってきた辺りで、首筋にあった硬い感触が引き抜かれたのを感じた。


「次は我が下賜する血の祝杯を飲み干せ。それをもって契約の完了としよう」


 血の祝杯とは一体何なのだろうか。そうぼんやりした頭で考えていると、何かを噛みちぎる音が聞こえた。

 今の音はなんだろうかと目を凝らす。

 霞む視界の中には、ガーネットが自身の手首を手早く噛み、そこから溢れる血をすする姿。

 彼女が口を離せば、すでにそこに傷はなくなっている。


 啜られた血は彼女の口に含まれたまま。

 そして彼女の顔が私の方へとだんだんと近づいていき、そのまま唇同士で重ね合わされた。

 ほとんど動かせない私の唇は、彼女の舌でこじ開けられるようにされる。

 やがて私の口内を徐々に滴るように血が流れていき、それによって咳き込みそうになるが、最期の力を振り絞って飲み込んでいった。


(――っ?! 体が、熱い……っ)


 気管に入って咳き込んでしまっても、唇同士で押さえられているので吐き出すことはできず。

 そのまま頑張って飲み干していくごとに、体から失われた熱が再度燃え上がる感覚と、そこから自分が書き換えられていくような感覚に目の前が明滅していく。

 その感覚に飲み込まれそうになりながら最後まで飲み干せば、彼女の唇は離される。

 依然として、私は自分の中で暴れる二つの感覚に飲み込まれかけていたけれど。


「これにて契約は完了した。今は休むが良い」


 契約が終わった。

 その事を確認する暇もなく、私の視界は彼女の言葉と共に再度暗転した。



――――――

――――

――



 再び目が覚めた時は、ガーネットの屋敷。

 そこの私の部屋としてあてがわれた場所にあるベッドの上。


 部屋にある時計で時刻を確認すれば、日付はとうに変わっている。

 昼過ぎから倒れたのなら、半日以上はずっと気絶してた事になりそうだ。


 服装を確認すれば、家で使っていた寝間着代わりのジャージになっている。

 着替えさせたのはハウンドの性格から考えて、ガーネットの方だろうかと思った。


(それにしても、まさかファーストキスがまさかあんな形になるとは……)


 女同士で、さらには全く色気がないものときた。血の気はあったが。

 とりあえず人工呼吸みたいに人命救助のためだと考えてノーカンとする事にした。

 人差し指で自分の唇をそっとなぞりながら、体を起き上がらせる。


「どうやら目が覚めたようだな、翠」

「うわ、びっくりした! もしかしてガーネット……ずっとここで見てた?」


 時間に気を取られていて、ベッドの横で椅子に座っていたガーネットに気付くのが遅れてしまった。

 さっきまで彼女のことを考えていたので、少し顔を赤らめながら問いかけてみる。

 彼女からの返答は手に持っていた本を軽く上げただけであった。


 彼女の方は椅子に座りながら本を読んでいたらしい。

 私が目覚めたのを確認したからか、傍らのテーブルに積まれていた本の上に読んでいた本をさらに積み上げた。

 

「当たり前だ。我はお前の主となったのだぞ。眷属の面倒を見るのは主として当然であろう?

 それに、お前は魔人になったばかり。どんな状態なのかは我でもはかりきれん。それで……具合はどうなのだ?」

「具合って言われても……悪くはない、かな?」


 体の調子としては悪くはない。というより調子は良い。

 少なくとも、心臓をえぐり取られた後とは思えない。


「半日寝ていたにしては結構調子良いと思うよ」

「半日?いや、お前はここ二日ずっと寝入っていたぞ。それはもうぐっすりとな」

「二日?! そんなに私、眠ってたの?」


 半日どころでなく、その5倍は寝てしまっていたらしい。

 そこまで眠っているなら、体の調子も戻ってきていてもおかしくはない。逆に寝すぎて体をほぐさといけないだろうけれど。


「ああ、死にかけの状態から魔人としての新たな生を受けたからだろうな。

 体の再生と構築に霊核の定着。これだけのことを二日で終わって僥倖だろう。ハウンドは一週間かかったからな。だが」


 おもむろにガーネットは椅子からベッドに移動して、私のそばに座る。

 そして、私が着ているジャージ上の前チャックを下げて上半身前をはだけさせていた。


「ちょ、ちょっと、いきなり何を……!」

「――できればこの傷も治してやりたかった」


 突然の行動に私が抗議の声を上げるも彼女は気にせず。

 ガーネットが言葉を発しながら指でなぞったのは私の心臓があった辺り。

 指の感触に違和感があって、なぜだろうかと自分の目ではだけさせられた部分を確認する。

 すると、ちょうどその部分には鋭利な何かで切り裂かれたような縦一文字の傷痕が走っていた。

 傷の原因に察しが付けば、自分の手で背中を触って確認してみる。

 やはり、見えないけれど背中の方にも同じような傷があった。


「これって……」

「おそらく、それが死因となったからか、それとも他の魔人の攻撃だからそうなったか、あるいはまた別の理由か。

 我にも判断はつきかねるが、この傷だけはどうしても塞ぎきれなかった。すまない」

「いやいや、いいって。ガーネットが悪いわけじゃないし。謝ることないから」


 むしろ感謝しかない。

 だから彼女の謝罪はいらない事を言ったのだけれど、それでも彼女は気に病んでいる様子。

 確かに目立つ傷ではあるけれど、命があるだけ今は十分だ。


「ええっと、そうだ! 何か飲み物ない? 喉乾いちゃって」

「喉? ……一つ聞くが何を飲みたい?」

「何をって……水、でいいかな」


 無性に喉が渇いたのはやはり、ずっと眠り続けたからだろう。

 お腹はあまり減ってないけれど、そのうち何か食べたくなるに違いない。

 何はともあれ水で喉を潤すのが先決だ。

 ガーネットの方は顎に手を当てて妙に思案顔だったけれど、なにか気になる事でもあったのだろうか。


「……だそうだ。ハウンド用意はできているな」

「はっ。翠様、こちらお水です」

「うわっ!? ハウンドもいたの?」


 ガーネットの呼びかけで突然現れたかのようにベッド横に立つ執事の姿。

 ガーネットの方は時計に気を取られて気付かなかっただけだけれど、彼の方は完全に見えていなかった。

 いつの間にやってきていたのか分からないほどに。


「はっ。ちょうど翠様が起きられた時にはこの部屋におりました。

 ああ、翠様の体は見ていませんのでご安心を」

「あ、はい。ありがとうございます……」


 どうやら最初からいたらしい。全く気付かなかった。

 そして、やはり律儀である。

 水は市販の五〇〇ミリペットボトル。さっそく手渡されたそれの蓋をとってごくりごくりと飲み干していく。

 喉が渇ききっていたのもあって、あっという間に空になってしまった。

 それでも、まだ何か飲みたくなったけれど、今はまだ大丈夫だろう。


「どうだ、翠。喉の乾きは無くなったか?」

「え? うん。いっぺんに飲みすぎても良くないだろうし」


 私の答えに納得したのか、彼女は一度頷いた。


「そうか、ならばよい。もし、他に不調な点が出てきたら遠慮せずに言え。いいな?」


 彼女の確認とも言える問いかけには、私も了解と頷きを返す。

 私が彼女にとって二人目の眷属らしいので、もしかしたら彼女自身慎重になってるのかもしれない。


「ところで……学校って行っても大丈夫? いや、この体じゃ無理ならいいんだけど!」


 もしかしたら、今の状態なら家で絶対安静とかだったりするかもしれない。もしかしたら、ずっと学校へはいけない体なのかもしれない。

 どちらにせよ、この期末テスト前期間に数日休むのはかなり痛手ではあるので、出来れば友人達と再会したいのもあって行きたいのだけれども。


 もちろん、駄目と言われたらここで大人しくしているつもりではある。

 気になる彼女の返事は、意外とあっさりOKであった。

 慎重ならもうしばらく様子見とかさせられるとも思ったのだけれど。


「そうだな……構わんぞ。だが、何かあればすぐに早退して帰ってこい。いいか? すぐにだぞ。

 それと、学校の方には突発的な体調不良で数日休むことになるとは伝えてある。無理をおして来たとでも言えば、ある程度の言い訳はたつであろう」

「分かった、ありがとう! あ、でも、カバンとかいろいろ置いてきちゃったからどうしよう……」


 学校への連絡をしっかりやってくれたことには感謝しつつ、目下の問題について考える。

 公園で逃げのびるためとはいえカバンも放り投げたし、竹刀袋や竹刀も公園に置きっぱなしになってそうだ。

 今から回収できるかどうか考えるだけでも憂鬱になる。


「それならば翠様。私の方で回収しておきましたのでご安心ください。

 その他の物も含めてあちらにまとめておいてあります」


 他の物? と首を傾げながら、部屋の隅を確認した。

 そこには置いていったはずのカバンや竹刀はもとより、私が元々住んでいたアパートにあった家具のうち、無事だったものが置かれている。

 特にテレビやレコーダーの類、洋服ダンス、本棚が無事だったのは良かった。

 他は残念だが、徐々に戻していけばいいだろう。


 本棚といえば、ガーネットが読んでいた本は何だったのだろうかと、積み上げられた本を眺めていく。すると、どれも見たことがあるようなものばかり。

 それもそのはず。なぜなら、元々私の本棚にあったものばかりだからである。


「ああ、少し暇ではあったのでな。我が読めそうなものは片っ端から読ませてもらったぞ。翠の好みはなんとなくわかった」


 夕菜と違って、読まれて困るような類の代物は本棚に入れていない。

 SFや推理系統の小説から、王道冒険活劇漫画まで幅広く揃えてはいるが、自分の趣味をじっくり眺められながら知られるのは妙に恥ずかしい。


「では、我とハウンドは部屋に戻るぞ。

 今のうちに、翠は荷物の整理やら学校の準備をしておくと良い。何かあれば我を呼べ」


 そう言って、彼女達二人は部屋から出ていった。

 ずっと私を見ていたのなら、あまり休んでもいなかったのだろう。

 立ち去る二人に改めてありがとうとお礼を言って見送った後。


「恥ずい……」


 しばらくベッドの上でうつ伏せになって、枕に顔を埋めて身悶えする事になったのであった。

 今度、仕返しにガーネットの趣味を洗いざらい教えてもらおうそうしようと決めたのは立ち直ってしばらくしてからである。

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