第10話 眷属

「いやいやいやいや、そんな焦って帰ろうとしないで下さい、お嬢さん。

 私はお嬢さんに用があるんですから」


 ビフロンスがあらわれた!▼

 翠は逃げ出した!しかし、まわりこまれてしまった!▼


 そう端的に表現できるほど、あっさりと私は捕まった。

 と言っても、回れ右した私の左肩を背後から片手で掴まれただけではあるが。

 それでもまったく肩を動かせなくなっているのはさすがというべきかもしれない。


 誰か助けを呼ぼうかと周りを眺めても人が居ない。そう、不自然なくらいに人の気配がない。

 普段ならば右手に見える広場では運動している人達が、左手に見える遊具スペースでは遊具で遊ぶ子供達がいるはず。


 この辺り一帯の犬の散歩ルートでもあるのだ。

 厳戒態勢とはいえ、人通りが無いにもほどがある。むしろ警察だって中をパトロールしてそうでもあるけど。

 考えられるものとして一つ上げるとすれば。


「ああ、ご安心を、お嬢さん。この公園には人払いの結界を張っておりますのでゆっくり話せますよ」


 周りを何度も見渡していた私を見て察したのか、ビフロンスがこの状況の原因を説明してくれた。まったく安心できない事とありがたくない事を除けば貴重な情報が手に入ったと思う。

 有効活用できるかは、さておいて。


 やはり、この公園に人払いの結界が張られていたらしい。

 どうにか悪魔の手から抜け出そうと身をよじってみるものの、やはり身動きできず。


「そんな嫌がらずともよろしいですよ。こちらもあまり手間をかけたくないものでして。

 なに、大人しくしてくだされば余計な事はしませんから」

「大人しくしたら私の寿命が急降下しそうなんだけど?!」


 思わず大声でツッコんだけれど、やれやれと言った感じに肩をすくめられてしまった。解せぬ。

 少なくとも、この悪魔は私を殺そうとしているはずなので、私の主張は至極まっとうなものだと思いたい。


 一度抜け出すのを諦めて体を動かさないようにすれば、悪魔はそっと肩から手をどかしてくれた。

 大人しくしていれば余計な事はしないというのは本当なのだろうか。

 正直、彼の手に触れられていると、いつ燃やされるかと生きた心地がしなかったので助かる。

 たとえ、燃やして殺しはしないと明言されていたとしても。


「――それにしても不思議ですねぇ。なぜお嬢さんがここにいるんでしょうか」


(私にはなんでこんな所に悪魔がいるんだと不思議なんだけど)


 私の気まぐれで近道しようとしてこうなりました、とは言えない。

 ニ日連続で同じ結果になったとあっては、知り合いに知られたら何と言われるか……。

 特に幼馴染はネタにしてからかわれたり怒られたりといろいろ言われそうな気がする。

 魔人関連の事はさすがに幼馴染達には話せないから杞憂ではあるけど。


「実はですね、予めこの公園には結界を張っておいたんですよ。

 おかげで普通なら入ろうとしてもできないはずなんですがねぇ」


(え? でも普通には入れたような……?)


 この公園に入る時、何か違和感みたいなものを感じはしたけれど、だからと言って物理的に入れなかったり、入る気が無くなるような事はなかったはず。

 だから、ビフロンスの言葉には内心首を傾げてしまった。


「……まぁ、偵察を出した時に結界が綻んだのでしょう。今のうちに一度張りなおしておきましょうか」


 ビフロンスはそう自分で結論づけたのか、それ以上思案することもなく手に持った杖の先を地面に二度素早く叩く。

 さらに凄まじい速度で杖を動かし、こじんまりした円を地面に描いて、その中に幾何学模様が描かれた魔法陣を作り上げていく。

 そして仕上げとばかりにもう一度杖の先端を二度地面に叩きつけられれば、描かれた魔法陣が一瞬だけ発光。

 同時に辺りの空気が一瞬変わったような気がした。

 それ以上何かをする様子はないので、これでもう張り直しとやらは終わったのだろう。


(ガーネットは結界を張るのには時間がかかるって言ってたけど……)


 私の感覚で言えばまったく時間がかかっているようには見えない。片手間と言わんばかりの手際で終わらせている。

 やはり、この悪魔は尋常でない人ならざる存在というのが改めて実感できた。

 この局面からどう生還するか。緊張で喉がゴクリと鳴る。


「さて、こうしてお会いできた以上要件を早めに済ましてしまいたいのですが、私にも契約がありましてね。

 実はお嬢さんにお会いしたいという方がいるのですよ」


 私に会いたい人と言われても、残念ながら魔人関係で知り合いなんてガーネットとハウンドくらいなもの。

 この二人なら、こんな回りくどい会い方なんかしなくても帰れば会えるし、他に見当もつかないのだが。


「さあ、出番ですよ。念願のご対面ですなぁ」


 ビフロンスが従者を呼ぶように手を叩いて誰かを呼ぶ。

 一体誰が出てくるのか。緊張しながらビフロンスが向いている方へと視線を向けた。

 確かあちらは私が歩いてきた公園の入り口があったはず。

 ここからはその入り口近辺は見えないけれど、その辺りにいるのだろうか。


 待つ。

 しかし、いっこうに現れない。


 また待つ。

 しかし、手を鳴らす音が響くだけ。


「……出番ですよー?ほうら、出会ったらあんな事やこんな事をするんじゃなかったんですかー?」


 なかなか姿を現さないと思ったら、ビフロンスが再度手を鳴らして誰かに向けて呼びかけていた。

 というか、あんな事やこんな事って、そんなの叶えられてたまるもんですかって。

 ……いや、どんな事かは知らないけどね、うん。


「……おかしいですねぇ。もしかして、他にも誰か入ってきて対応してるんでしょうか」


 終いには、何度も叩き方を変えながらビフロンスが呼びかけているけれども、やはり一向に姿を現さない誰かさん。

 もしかしたら他に巻き込まれている人がいるのかもしれないけれども、そちらに悪魔が集中してくれているのなら――逃げるチャンス。


 彼が呼びかけに集中している間に、私はそっと抜き足差し足で離れていく。

 手が届かない辺りまでビフロンスが反応しないのを確認してから、距離を稼ぐために一気に走り出した。

 向かう先は反対側の公園出口。まっすぐ林を抜けてしまえば、そこまで時間はかからないはず。


「いやぁ、すみませんね。どうやら忙しいみたいですので再会はまた今度という事、で……おや?」


 彼が気付いた頃には、私は林の中へと足を踏み入れていた。

 どうやら気付かれたようだけれども、私は気にせず走り続ける。


「なるほど、なるほど……。その最後まで抵抗は続ける姿勢、嫌いじゃありませんよ。

 ええ、お嬢さんにはそうする権利がありますから」


 その時、胸騒ぎと妙な悪寒が走った気がしたので、走りながらも背後を確認する。

 ビフロンスは最初の位置でただ立っているだけではあったが。


「もっとも――その抵抗を踏みにじる権利も私にはありますがね」


 ビフロンスが杖の先でゆっくり三回地面を叩く。

 すると周りに変化が生じた。


「な、なんでいきなり骨格標本みたいなのが出てくるの?!」


 悪魔のそばには歩く人間の全身骨が二体。

 徐々に色づくような登場に、彼らが幽世から現れたと予想できる。

 魔人の仲間か、魔法的な何かかまだ判断はつかないけど少なくとも私にとってはいい事ではないのは確実。

 走る私を追いかけるように骸骨が走り始める姿は思ったよりも遅かったけれど、よく怪談に出てくる走る骨格標本ってこんなのかぁ、と一瞬だけ感心した。

 骨がヌルヌルと動くさまは現実感が薄かったが、すぐに相手は現実感など関係ない魔人だと考え直して走る速度を上げる。


「ちょっと待って、二体だけじゃない?!」


 走りながらも辺りを見回せば、林の所々に先程まで無かった人影がいくつもあるのが分かった。

 遠目からでもスカスカなシルエットはよく見なくてもやはり全身骨。

 それらは少し古めかしいものから比較的白くて新しそうな物まであり、大きさも様々。

 

 人払いの結界内とはいえ、こんな白昼堂々骨が動き回らないでいただきたい。いや夜もいやだけれど。あんでっどごーほーむ。


「さあ、お嬢さん。存分に私の眷属どうぐから逃げ回りなさい。

 逃げ切る事が出来たら見逃して差し上げてもいいでしょう」


 林の外からビフロンスの声が響く。

 その言葉に嘘つきと心から思った。


(逃がすつもりがあるならゴール地点でも決めるでしょうに!)


 私の部屋で初めて会った時からそうだが、この悪魔は人の心を折りに来ている。

 分かりやすい逃げ道を見せながらもその可能性を摘み取ったり、抵抗を許しながらも徒労である事を確認させたりだ。

 この提案も同じく私の希望を摘み取るつもりだと予想できる。

 

 それが性格由来か必要だからやっているのか分からないけれど、私が考える事は一つ。


(簡単に、負けるもんかーっ!)


 気合を改めて入れて、林の中を私は駆ける。

 そんな私の道を塞ぐように一体、骸骨が前方に躍り出た。


「邪魔ぁっ!」


 私は肩にかけてた通学カバンを外しながらコマのように一回転。

 回転の勢いを利用して前方の骸骨に向けてカバンを放り投げた。

 投げたカバンは狙いからそれることなく直撃。

 真正面からカバンを受け止めた骸骨はよろけるようにして体勢を崩す。

 学校で使う教科書その他諸々入れてるおかげでカバンはかなり重い。通学時に恨めしく思った紙の重さにまさか感謝する日が来ようとは。


 骸骨がよろけた隙に、私は横を駆け抜けて通過する。

 さらに、背負っていた竹刀袋から竹刀の柄を掴んで、まとめて大きく振る事で竹刀袋を外した。

 その間も足は止めずに、出口に向かって林をまっすぐ進み続ける。


 もちろん骸骨達も黙って行かせたりはしないようで、また一体私の前に躍り出た。

 先程の骨よりも少し大柄で古めかしいが、それだけだ。

 ならば竹刀を使って怯ませれば、先に進むのも容易だろう。


 最悪、竹刀を離してでも先に行ければまだ活路はある。

 また骸骨に道を防がれたら?……それでもきっとなんとかなる、はず。

 いざとなったらその時に考えようそうしよう。


「どいてーっ!」


 私は骸骨の頭部に向けて突きを放つ。

 思いっきり踏み込んで遠慮なく叩き込む勢いのこもった人相手なら危険な突き。

 これを当てて仰け反らせてやれば隙ができるはず。

 そう思っていた。


「――え?」


 目の前で想定外の事が起こる。突きをぶち当てた頭蓋骨がそのまま胴体から外れたのだ。

 おかげで竹刀を引くのも忘れて、一瞬呆然としてしまう。

 肝心の胴体は仰け反ることなく、頭部が外れた事などお構いなしに動いていた。

 器用に自身の左腕を右手で外し、薙ぎ払うように振り回したのだ。


 骸骨の狙いはおそらく私の頭部。

 想像以上の速さで迫る骨の一撃に避けるのを忘れて、竹刀を持ったまま両腕で頭を抱えるようにして防御した。


 防御した右腕に衝撃走る。

 バキリと何かが折れる音。

 それと共に入る腕の激痛。

 下手にふんばろうとせず、衝撃に合わせるように飛ばされれば、予想以上に転がってしまった。

 やがて木の一本に当たって止まり、体は投げ出されたように倒れ伏してしまう。


「痛っ――!」

「おやおや、ここまでですかな?

 ああ、今のはお嬢さんの骨を折らせるくらいに力を入れさせましたから、もうその腕動かせないでしょうなぁ」


 ビフロンスの声が林の中に響く。

 猫が獲物を嬲る時のようなイメージがわく声色に、悪魔がこうしているのは性格由来と判断する事にした。

 左半身に土の感触。右腕はジンジンと痛みが引かず、目尻から涙がこぼれそうに鳴る。


 正直、背中と右腕が痛くて、痛みが引くまで寝ていたい気持ちもあるけれどそうも言っていられない。

 ゆっくりとだが見える限りでも敵は包囲を縮めてきている。


 さらには先程の片腕と頭を無くした骸骨が自身の左腕を私に向かって投げつけてきた。

 硬い骨が痛む右腕に当たり、さらに激痛が走る、が。


(あれ? 思ってたよりも痛みはない、かも……? 右腕も――まだ動かせる)


 徐々にではあるが痛みは引いて右腕も動かせるようになってきている気がする。

 単に痛すぎるおかげで脳がハイになって、痛みを感じなくなってきてるとかやばい状況かもしれないけれど、動かせるのはありがたい。


 地面に転がった私の目の前には投げつけられた骨の左腕が落ちている。

 それの指先がまだ動いているような気がして少々以上に気味が悪かったけど、それの手首部分を右手でつかみ取った。


 見上げれば、頭蓋を無くした骸骨が倒れる私を押さえ込もうとするように胴体をかがめて右腕を伸ばしている。

 ここで押さえ込まれたら身動きできず、そのまま囲まれて終わりだろう。


 私は飛び跳ねるように立ち上がりながら、掴んでいた骨を振り上げる。

 関節部分でしなる骨の鈍器となったそれを振り抜けば、上腕骨と胸骨の部分が衝突して互いに砕けた。

 砕けた拍子に骸骨が仰け反り、その隙にひとまず態勢を立て直す。


 異変に気付いたのはその時だった。


(なんだろ……光ってる?)


 骸骨の肋骨内部、ちょうど心臓がある空間にぼんやりと光る何かが現れていたのだ。

 最近見たもので近いものは、幽世で見た光る靄の塊に近いものを感じるが、あれよりも光は強く存在も確かなもの。


 それをどうしようかと考えつく前に、私は直感に任せてそれを両手で掴む。

 握った感触は思ったよりも硬いけれども、それでも容易く手の中で形を変えた。

 目の前の骸骨が苦しむように身じろぎする。これが相手の弱点なんだと理解でき、更に私は力を込めた。


 パリン


 陶磁器が割れたような音が響き、手の中の感触と光が消滅する。

 それと同時に目の前の骸骨がバラバラに崩れ落ちて、崩れるように急速に風化していった。

 

「――もしかして、さっきのが霊核って奴なのかな」


 もう何も掴んでいない両手を開いて、見つめながらつぶやく。

 ガーネットがビフロンスに対して言った言葉の中にあった単語。

 どういったものかは聞いていなかったけれども、核と言うくらいだし、砕くって脅迫に使ってたし、きっと壊されたらまずいものなのだろう。

 実際に壊した結果が目の前にある。いや、あった。

 今は風化したものは風に飛ばされなくなっている。


(もしかして、私でも骨くらいならなんとか勝てるんじゃ……)


 そう考えればわずかながら希望が持てたので、次に倒せそうな骸骨を見つけようと周りを見渡した。

 どうやら今さっき倒したもの以外にも まだまだ骸骨はいるようで、見える範囲だけでも一つ二つ三つに四つ……。

 

「いや、やっぱ無理」


 数えるのも面倒になってきたし、包囲は今も確実に狭まっている。

 一体ずつ相手できたとしても、そのうち処理が追いつかずにやられる未来しか見えない。

 それに、あの光る霊核らしきものは、胸骨を砕いてから急に見えるようになった気がした。

 だとしたら、まずは骨を砕けるようにならないと話にならない。

 そう考えると竹刀では少々心もとなさすぎる。

 さらには、ビフロンスもゆっくりとこちらに向けて歩いてきているのも見えた。


「おやおや、お嬢さんの右腕は折らせたつもりなんですがねぇ……。少々手加減させすぎましたかな?」

「残念でした、この通りピンピンだよ!」


 近くに落ちていた竹刀を拾って、右手は無事だとアピールするように振り回しながら出口へ向けてまた走り始める。

 幸い、ビフロンスは今すぐ私をどうこうしようというわけではないようだ。

 でなければ、今もまだゆっくり歩いている理由もないだろう。

 私をいたぶるつもりで、骸骨達を使って追い詰めるだけに留まっている。

 それならそれで、今のうちに出口へ向かうだけだ。


 また道を塞ごうとしてきた骸骨には腕を竹刀で流すように払い、下をくぐりながら通過することでやり過ごす。

 骸骨の動き自体はそこまで機敏でないのも助かった。

 やがて林も抜けて、後は見える出口まで直進するだけ。


 視界には骸骨の姿はなく、後ろを振り返っても追いつくまでまだかかりそうなほど離してはいる。

 これなら、何かあってもまだ逃げる時間はありそうだ。


(このまま一気に外に出られれば楽なんだけれど……)


 そうは問屋が下ろさないというように、公園に入る時には気付かなかった結界の境目のようなものが出口近辺から見えた。

 うっすらとした膜のようなものが公園まるごと包み込むように展開している。


 正直、この広い公園をまるごと囲っているとするなら、ビフロンスがほぼ一瞬で結界を貼り直した事を考えると、彼もやはりすごい魔人なのではないかとも思う。

 だからと言って諦めるつもりはないけれど。


 普通に出ようとしても結界に阻まれて出られなさそうなのは、昨夜の自室で実践済み。

 ただ、あんなはっきり境目が分かったっけ?と思ったけれど、あの時は夜だったしと結論づけておく事にした。


 走るうちに段々と境目が目の前に迫ってくる。

 このまま行けば壁に正面衝突するようにぶつかるだろう。

 だから私は、数歩手前で思いっきり飛び上がった。


「チェストー!」


 そのままぶつかるなら、走る勢いを利用して境目めがけて飛び蹴りを行う。

 激突の瞬間に足を曲げて衝撃を吸収してから地面に着地。

 ピシリという音がしたので、蹴った部分を見てみれば、空中の膜にヒビ割れのようなものが走っている。

 普段見たら異様な光景ではあろうが、ここ最近の出来事で割と慣れてしまったのは果たして良い事か否か。


(少なくとも今は動揺しないですんでるし、いい事って思うことにしましょうか)


「よし、もう一ど……コフッ」


 蹴りを入れれば壊せるかも、そう口にしようとして代わりに出たのは――血の塊。

 一体どこからという思いと共に吐いた息は言葉にならず。口元から血をこぼし続ける。


「いやはや……おかしいとは思っていたんですよ。

 どうして結界を張っていたこの場所にお嬢さんが簡単に入ってこれたのか」

「ぅ……そ……」


 すぐ背後から聞こえるのはビフロンスの声。彼がここに着くのはもうしばらく先だと思っていたのに、聞こえる声は既にこの場にいることを主張している。

 そして、体全体に力が入らない違和感と胸の辺りに圧迫感。


 視線を落とせば、私の胸を貫いて伸びる血濡れの腕。

 その手には赤黒い脈打つ何かとそれにくっついている先程見た霊核のようなもの。


「私の眷属であるスケルトンを倒したことは……まぁできなくもないでしょう。

 ですが、折らせたはずの腕が動くようになったのは頑丈だったのでしょうか。それとも……んですかねぇ?」


 ビフロンスの言葉が右から左へと流れていく。

 目の前で起こっている事が予想よりも衝撃的で頭が理解を拒んでいた。


 息ができない。口を開けば血がこぼれ、私の体をさらに汚していく。

 貫かれた胸は焼けるほどに熱いけれど、体はどんどんと冷えていく。


「そして決定的なのがこれですよ。この結界、人では壊せないはずなんですが……見事にヒビが入ってますねぇ。

 変ですよねぇ。おかしいですよねぇ。信じられないですよねぇ」


 ビフロンスが杖で私の顎を無理矢理上げて、視線を貫く腕の先から空中に浮かぶヒビへと移された。

 少々粘着質な声色が、今の私には頭が痛くなるほどに響いてくる。


「お嬢さん、? あの吸血鬼に何かされましたか?」


 ビフロンスの言葉の意味がわからない。

 ガーネットに何かされた覚えなんてない。

 何度も助けてくれたし、助けが必要なら呼べと言ってくれたし。

 魔人に寄り過ぎているとはどういうことか。問いかけようと、口を開けば、やはり溢れる血で言葉が出ない。


(――ああ、そうか。今の状態じゃ声も出せない、か)


 力なく首を横へと振れば、杖を外され、視線はビフロンスの腕の先へ。

 やはりそこには、赤黒い、私の心臓が握られている。

 彼は、その心臓を弄びながら言葉を続けた。


「最初はお嬢さんに取りついた魔人が体に馴染んできたかと思っていたのですが……それにしては早すぎるし強すぎる。

 こうなると、完全に馴染むまで待ったり、無理矢理眷属にしてしまうのも厳しそうですなぁ。

 まったく、余計な事をしてくれるものですよ」


 いったい、この悪魔は何を言っているのだろうか。やはり頭が回らない。

 すごく眠い。けれど、多分眠ってしまったら――もう駄目な気もする。

 やっぱり睡眠はちゃんとしないと、なんて後から考えたら支離滅裂であろう事がぐるぐる脳内を駆け巡った。

 

「はぁ、これで計画はかなり変更しなければいけないでしょうな。とはいえ、私にも契約がありますので見捨てるわけにもいきませんが。

 新しい体はこちらで用意するとして……というわけで、これは返させていただきますよ、お嬢さん」


 そう言ってビフロンスの手が引き抜かれれば、私の体は重力に従って足から地面に落ちる。

 もちろんそれを体が支えられるはずもなく、崩れ落ちるように仰向けに倒れてしまった。

 彼を見上げる形になったけれど、逆光になってほとんど表情も見えない。

 もとからマスクをしているので表情なんてわからなかっただろうけれども。


「どうやらその様子では、今の大怪我が治るというわけではなさそうですね、お嬢さん。

 まだ人の身でスケルトンを倒した敢闘賞です。このまま人として死なせて差し上げましょう。

 人間しげんはあまり無駄にはしたくないんですがね」


 私が倒れ伏したままの状態に満足したのか安心したのか、心臓を手にして私から背を向けて歩き出していく。

 こうして放置される事で改めて私はもうそろそろ死ぬんだなと自覚させられた。

 こういう時は走馬灯とか見れるらしいけれど、残念ながらそれらしいものが浮かんでこない。

 言い伝えなんて当てにならないと思いながらも、取られた心臓を返してほしくて震えながら手を伸ばすが、それが届くことはなく。


「もっとも――猟奇的な死体にはなっていますがね。

 それではお嬢さん、二度と会う事もないでしょう。


 ビフロンスが杖の先を数度叩けば、スケルトンやゾンビっぽい何かがビフロンスを囲うように集まってくる。

 密集するような陣形を組んだかと思えば、やがて色が薄れゆくようにして消えていったのを見ると、まとめて幽世へと戻ったのだろう。


「……ぁ」


 彼らが見えなくなったので手を伸ばす意味も無くなり、力なく地に落ちる。

 視界も目蓋が落ちてほぼ暗く染まっていき、やがて何も見えないほど閉じていった。


 最後に思い浮かんだのは、外国にいるであろう両親と、ここにはいない幼馴染二人。

 今まで私を育ててくれたり付き合ってくれてありがとう、と心の中で感謝と謝罪の気持ちをつぶやく。

 そして。


「ガ……ネッ……」


 昨晩から助けてくれた変わり者の吸血鬼へ、何度も助けてくれたのにごめんと言葉にならない言葉を発して、ガラスが割れるような音が聞こえたのを最後に意識が途絶えた。


――――――

――――

――


 私は夢を見ていた。

 『私』が魔法陣を描いて、悪魔――ビフロンスを呼び出す夢。

 古めかしい地下室に、おどろおどろしい実験の結果のような内装はマッドサイエンティストや狂人、悪魔崇拝者と言った単語を想起させてくれるだろう。

 手はいつも見る夢の『私』よりも数十年ほど老けているようにも見える。


 そんな『私』はようやく呼び出せた悪魔に歓喜の涙を流しながら、悪魔を呼び寄せる事にどれだけの苦労を重ねたかを熱弁し始めた。

 この夢を見ている私は いつもと違う夢の様子に興味をひかれながらも、いつもならば『私』の感情に引っ張られる感覚が無い事を不思議に思う。

 なぜだろうかと、しばし目の前の光景を無視しながら考えた結果。

 

(ああ、もしかして、『私』はあの霊核だった?)


 夢の中の『私』と今の私はそこまで強烈に同調するような繋がりは感じられない。

 となると、前の私と今の私で違うとしたら、ビフロンスに霊核付きの心臓を取られた事だ。

 そう考えれば、この夢はあの霊核の残滓か何かが見せる走馬灯なのかもしれない。

 出来れば、もうちょっとましな走馬灯が見たかったけれど、贅沢は言っていられないか。


「国だ! 『私』の国を再興する手伝いをしてくれ! そして、それを永遠に統治するための朽ちぬ存在へと変えてくれ! 代償ならば何でも払う!」


 夢の中の『私』が叫ぶ。

 国ってなんだろうと思ったが、そういえば悪夢で見ていたのは『私』の国だったのだろうかと思う。

 それの再興をどうするかは全く分からないが、それだけ『私』は国に対して未練を持っていたのだと思われた。


 ふと、誰かに呼ばれた気がした。

 ぼんやりと響いてきたような曖昧な感覚に、聞き覚えのある声だなと思いながらも、なんだろうと見まわそうとすれば周りの風景もぼやけていくのを感じた。


(ああ、これ夢から覚めるみたいな……)


 目の前で繰り広げられていた『私』とビフロンスの会話も、もう意味を成す言葉に聞こえない。

 段々と目覚めが近づいているのだろう。おそらく、その要因は先程からの呼び声に違いない。

 そうして声なき呼び声に応えるために、私は目を覚ましたのだった。

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