幕間 追跡者
「こちら
『こちらU―7。監視対象S、及びU―10付近の様子に特に変わった点無し。どうぞー』
俺は敵対的魔人を討伐する組織”狩人協会”、通称”協会”と言われる存在の一員だ。
そして今、監視対象の少女、東雲翠の尾行をしている最中である。
もう一人、一緒に監視任務についている人物もいるが、そちらは遠方から俺も含めて監視してもらっている。
流石に二人同時に尾行するのは目立つし、俺含めて何かがあった時に対処しやすくするためだ。
もっとも、今の状況を考えると一人で尾行してもかなり目立っているかもしれない。
まず人通りが少ない。近場の留置所から強盗犯が脱獄したという事で、この辺り一帯が厳戒態勢になっている。
出歩く人を注視する警官と何人もすれ違うこの状況では、一般的な学生の格好でも十分人目を引いてしまうだろう。
だから、俺は対象からかなり距離をとってゆっくりと歩いていた。
他から見て少し遠い場所への帰宅途中と見せかけるようにだ。
幸い、監視対象に尾行を警戒するような動きはない。
ここ最近色々あったので、その事が少し心配ではあるが尾行している今の俺にはありがたい。
「こうして尾行しているが、今日何かあると思うか?」
『少なくとも、何かが起こっているから今の状況にあると思いますけど?』
携帯音楽プレイヤーに偽装した無線装置で相方のU―7と連絡を取り合う。
事前に送られた支部からの情報では厳戒態勢になった強盗犯の脱獄に魔人が関わっている可能性があるらしい。もっとも、可能性と言うだけで確信はないとのことらしいが。
(ここ最近の監視対象回りで起こった事を考えるとおかしくはないんだよな)
例えそうであってもそうでなくとも、監視対象の彼女を化物から守るためならなんだってやってやるつもりだ。
今の自分には、その為の力も知識もそこそこ備わっている……はずだ。
『あまり気負いすぎないように。先走り過ぎもなしでね?』
「わかっている」
通信先の相手は俺と比べて協会に入るのが少々早かったからと先輩風をふかしてくるのが玉に瑕だが、それ以上に信頼できる相手だと思っている。
俺自身の意気込みは十分。
少ない通行人とすれ違いながら遠目に見える彼女を見据えて歩を進めていく。
この辺りまでくれば、もうそろそろ彼女が保護されているらしい場所の近くだろう。
そこの敷地内まで無事帰れた事を確認すれば、周囲を警戒して一度帰るつもりだった、が。
「……U―10からU―7へ。対象Sがどうやら近道しようと公園を通ろうとしている。どうする?」
『つい最近、近道しようとして痛い目にあったばかりでしょうに……』
通信先からも呆れたような声が響く。
つい先日、彼女はそれが原因で人質になった事があったはずなのだが……、どうにもうっかりというか時々考えなしというか。一応、擁護するなら彼女なりに現在の状況から早めに脱出したいという気持ちからの行動なのだろう。
これ以上の擁護はできないが。これ以上の擁護はできないが。
思わず自分で強調してしまうくらいには俺も呆れてはいるが、だからといって何もしないわけにはいかず。
まだ何かあると決まったわけではないが、あってからでは遅い。
「U―10からU―7へ。これより監視対象を追って公園へ向かう。いいか?」
『了解。私の方は出口側を見張れるように場所へ移動します』
相方が移動のために通信を切った。
俺にも相方が今どこにいるかは分かっていないが、仕事はきっちりやるタイプというのは分かっている。
もし俺が監視対象を見失ったとしても、しっかり尾行を引き継いでくれるに違いない。
(本当に見失うわけにはいかないがな。任務はしっかりこなさないと……)
昨夜は監視対象を危険にさらした事と、その時一緒にいた化け物に無闇に攻撃を仕掛けた事を上から注意された。
どうやら あの時彼女と一緒にいたのは吸血鬼で、協会と協力した外部の魔人では最古参らしい。
もっとも、積極的に協力してくれるタイプではないそうだが。
それでも、俺にとっては全部の魔人が化け物なのは変わらない。
最初の任務としてはケチがついた形ではあるが、化け物に対してはともかく監視対象を危険な目に合わせた事は不覚だった。
(それにしても人払いの結界か……厄介だよな)
その中で起こった事を人には感知できない特殊な結界。
魔人の中でも張れる者は限られてくるらしいが、魔人自体が幽世などで隠密性も高いために協会にとっても普通の人間にとっても かなり脅威ではある。
討伐をしようとしても見つからず、防衛しようにも防ぎきれずという事も無くはないからだ。
(だけれど、対抗策はあるにはある)
人払いの結界は人にしか効かない。
ならば、少しだけでも魔人の方に身を寄せればいい。
協会がその結論に至り、出来上がった対抗策は魔人の持つ異能を含んだ物を身に着ける事。
幸い、協会には数は少ないが先ほどの吸血鬼の他にも協力してくれている魔人がいるらしい。
今、俺が懐にしのばせている護符は、そんな協力者の一人である魔女が作った護符で、身に着けていればたとえ人払いの結界でも自由に入る事ができるようになるのだとか。
欠点としては、入れるだけで結界の中の様子は外から把握出来ない事。
そして効力が続く時間は短く、一度に作れる量も限られているので全員に常時配布なども難しいらしい。
なんにせよ化け物の力を借りるというのは癪だが、彼女を助けられるならどんな事だって利用するつもりだ。
「――っと、考え事してるうちに本当に見失いそうだな。もう見えなくなってる」
気付けば監視対象は公園の奥の方へ進んだのか入り口からでは、もう姿が見えなくなっていた。
この公園自体が非常に広いのもあるが、随所に存在する林や茂みで視界がところどころ遮られているせいもあるのだろう。
このまま見失う訳にもいかないので、俺も急いで公園の中へと足を踏み入れていく。
足を踏み入れて最初に思ったのは公園からは人の気配がしない事。普段なら、子供が遊具で遊ぶ声や駆け回る声、広場でお年寄りがゲートボールしている音が響いてきたりするものなのだが、やはり今の厳戒態勢が効いているのだろう。
これなら人ごみに紛れて見失う可能性もなさそうだ。
少しだけ安心した時、そばの茂みがガサガサと音を立てて揺れる。
「……っ! なんだ、野良犬か?」
野良犬や動物の類なら気にせず進めばいいのだが、何か分からない以上このまま無視するわけにもいかない。
些細な見落としが失敗につながる可能性があるのだ。
監視対象がよく見る映画の中でホラー物なら、ここで出てくるのは猫とかの驚かし役が大半だったなと、揺れる茂みへと近づいている間に思い出す。
出来れば、ここでもそうであって欲しいと願ったからこそ思い出したのだろう。
だからこそ、想定よりも大きい存在が茂みから立ち上がるように飛び出した時はすぐさま離れて体勢を整えられた。
「こいつ、確か……強盗犯の?」
茂みから顔を出したのは、昨日監視対象の彼女を人質にとった強盗犯。
留置所から脱獄したとは聞いていたが、まさかこんなところに潜んでいたとは。
だが様子がおかしい。
こちらの声に反応した様子もないし、ゆらゆらと体を揺らしながら立ちつくしてうつむいたままだ。
すぐさま襲い掛かってくることも考慮して間合いを取ったが、若干これでは拍子抜けである。
とはいえ、さすがにこのまま放置するわけにもいかず。ひとまず無線で相方に報告する事にした。
「U―10からU―7へ。聞こえるか。様子のおかしい例の強盗犯が目の前にいる。どうぞ」
『ザザッ……ザッ……ザッ……』
だが、報告を無線で飛ばすも、聞こえてくるのは雑音ばかり。
まるで電波障害か、それともそれに類する空間を隔離されたような状況。
普段なら相方が電波の悪い場所に入り込んだか何かと思ったりもするだろうけど、今は非常事態な上に
(まさか人払いの結界に入り込んだか?)
やはり監視対象を追っている俺の方が入り込んだと考えるのが妥当だろうか。少なくとも可能性としては低くはない。
試しにズボンのポケットからスマホも取り出してちらりと画面を覗いてみるが圏外になっていた。
流石に自然豊かな公園とはいえここは町中。圏外になることは普通無いだろう。
このままここにいても埒が明かない。引くか進むか。
幸い前方にいる男は潜んでいた茂みの場所から動きそうにはない。
(ここは一度引いてU―7と連絡を取るか)
状況の確認と情報の把握。
監視対象がすでにこの場を離れているなら無駄にこの結界内に留まる必要はない。
もし相方が監視対象を見つけていないなら二人で公園内部に入って手早く探せばいい。
そう考えてから未だうつむいて立ち尽くす男から視線を外さないように、公園入り口へ向けて後ずさりしていく。
やはり、その間も男が動く様子はない。
不穏ではあるが変化がないなら好都合と、そのまま後ずさりを続けていたら背中に硬い壁のような感触が。
何事かと片手を背後に回して確認すれば、確かに手にも硬い感触を確認できる。
流石に無視できないものを感じて、男から一度視線を外して後ろを振り返れば、そこには特に何の変哲もない風景がある。
(何もない……?)
それでも手と背中には硬い壁を触っている感覚は残っている。
まるで見えない障壁に触れているみたいな状況に混乱しながらも一つの仮説が俺の中に浮かび上がっていた。
(まさか、まさかとは思うが、出られないのか……?!)
思い出すのは護符の説明で
そしてついでに思い出すのは、渡すついでにかけられた
(とんだ欠陥品掴まされたな! やっぱり化け物のが作った物なんて信用できるか……!)
つまり、今触れている見えない障壁が結界の境目なのだろう。
持っていなければ ここには入れすらしなかったという事には目をそらしつつ、心の中で舌打ちをする。
魔人に対して俺はいい感情を決して持ってはいないが、この状況での舌打ちくらいは許されるはずだと思う。
声が聞こえたのはその時だった。
「あ゛ァ……ジャま゛……ダぁ」
「?!」
想定より近くからの不快感を伴うほどのだみ声に素早く視線を戻せば、眼前に先程まで動いていなかった男の顔が迫っていた。
その顔は白目を剥き、血色は悪く、およそ生者の形相ではない。
溢れる唾液を拭うことなく噛みつかんとばかりに近寄ってくる男の顔は、言うなれば亡者のソレであった。
「止まれ!止まらないなら撃つ!」
おそらく効力の無いであろう制止を、隠し持っていたリボルバータイプの拳銃を取り出し突きつけて行うも、やはり男に止まる気配はない。
続けて発砲するも銃弾が男の肩に当たっただけだからか、少し肩をのけぞらすのみで構わずに相手は掴みかかろうとしてくる。
「質の悪いゾンビ映画かよ……!」
有名な映画と違って大きく姿を変えて化け物になったり、中から妙な寄生生物が出ないだけましかと考えながら銃を一度地面に落とす。
ひとまずは自分の両手を空けるために。
「その口を閉じとけっ!」
相手に肩を掴まれながらも、逆に俺は顎が開きっぱなしの男の顔を両手で挟み込むように掴んで引き寄せる。
「ぁ……?―― ぐぅぁっ?!」
男の肩を掴む力は強いが動きは緩慢。
そのまま頭を沈み込ませるように引き寄せて、迎えるように俺の膝をぶち込む。
直後に頭を掴んでいた手を離せば、相手は俺を離しながらうめき声をあげて後ずさった。
どうやら、顔面に膝を入れられて痛がる程度の感覚はあるらしい。
これなら多少の格闘戦も通じる。
と、思ったのだが。
「あ゛ぁ……どごだぁ……」
男の首がぽっきりと折れたように後ろへ仰け反ったままとなっていた。
骨を折った感覚はなかったので、前から折れていたと思うが、それならば亡者やゾンビというのは比喩でなくそれそのものなのだろう。
仰け反ったのは単純に視界が急激に変化して踏ん張る事ができなかっただけなのかもしれない。
(やっぱり化け物だったか……! となると……契約で眷属にでもされたか?)
この男に関わっている魔人の種類に関してはまだそこまで詳しくないが、持っている知識の中からあたりをつけておく。
どうやら相手はあの状態でも視覚に頼っているようで、俺を見失ったかのようにゆっくりとうろつき始めていた。
今のうちにと、地面に落とした銃を拾い、男へと向けながら間合いを取る。
さっきまでの動きは遅かったので、多少間合いを取れば安全だろうと見越して相手の動きを観察。
相変わらず男はこちらを見失ったように右往左往していて、試しに一度相手の正面から発砲して胸の部分に弾を直撃させてみたが、すこし衝撃で体を動かした程度で苦しむ様子もない。
(効かないか……。もう少しちゃんとした装備を持ってくればよかった)
威力が足らないのか、それとも狙う場所が違うのか。
魔人の急所である霊核はだいたい心臓の位置にあるとは聞いているのだが、見えなければ狙い撃とうとも狙い撃てない。
そのまま男に狙いを定めておき、相手の視界に映らないように注意しつつ公園の奥へと音を立てないよう すり足で移動していく。
正直、このまま男を無視していきたい気持ちもあるが、後で思ってもない所で邪魔をされるとかなり困る気がする。
今のうちにどうにか無力化できないか考えてみるが、妙案も思い浮かばず。
相方と今連絡が取れればまだなんとかできそうではあるが、無い物ねだりは仕方ない。
ひとまず男の対処を諦めて、後ずさりしながら公園の中央へと進んでいく事にした。
銃は構えたまま、視線は外さない。先程のように外している間に近寄られて不意を打たれれば今度こそ危ないかもしれないからだ。
そのまま男が林の陰に隠れる程度まで離れられた時、突如男の体が俺の方へと向いた。
まさか見つかったのかと思ったが、それなら大きく仰け反ったままの顔の方を俺の方へと向けてくると思い直し、銃を男へ向け直す。
しかし俺の考えを否定するように、男は先程までの緩慢な動きと違う機敏な動きで突っ込んできた。
慌てて、突っ込んできた男に対して狙いを定めるも、男は俺を意にも介さず速度を上げていき――俺の横を通り過ぎて公園の中央、そしてさらに奥へと走り去っていった。
「くそっ! なんだったんだアイツは……!」
男がどこぞへと消えたのを確認した後、ガラスが割れるような音が辺りに響く。
それと同時に無線から響く相方からの慌てたような声。
無線で状況をお互いに確認しながら、急いで公園の奥へと向かう。
監視対象は、少なくとも公園の出口付近を見張っていた相方からは確認できていないらしい。となれば、監視対象はよほどの事がなければまだ公園内部にいるはず。
無線の連絡を行いつつ、彼女の姿を探していく。やがてたどり着いた場所は入ってきた側とは反対の出口。
そこには、何か夥しい量の液体がまき散らされたような跡が残るだけ。
他に何かありはしないかと探したが、見つかったのはそれだけだった。
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