幕間 昼間の密会

「よく来たな。早い到着で何より」

「少し立て込んでてね、遅れなかったようで安心したよ」


 我の前には一人の人間の男が座っている。

 男の齢は六十をとっくに越えてはいるが、白く染まる整えられた頭髪や顔に深く刻まれた皴を除けば、雰囲気や体つきはしっかりとしていて外見に老いを感じさせない。

 表情も人好きする柔和な笑顔を浮かべていて、初めて会う人物が持つであろう第一印象は人の良さそうな老紳士と言ったところだろう。

 だいたい四、五十年ほどの付き合いになるが、昔とそこまで雰囲気が変わらない様子にお前は本当に人間か? と思う時もある。


 ともあれ、今いる場所は我のねぐらである山の中腹にある屋敷。そこの応接室となっている場所。

 設置されているテーブルに向かい合うように座りながらも、我と奴はハウンドに紅茶を淹れさせたまま、お互いにまだ口をつけていない。

 時刻は昼過ぎ。昼食を終えた者が各々の仕事に戻る時間帯であろう。


「今日はこちらにお招きいただき感謝しているよ、ガーネットさん。

 しかし、君の方から誘ってもらえるとは珍しい」

「ふん、つまらん前口上はいい。さっさと本題に入るぞ。

 お前達“協会”が監視し、我が預かっている人の子――翠についてだ」


 目の前の男、“協会”の極東支部を預かっているジェラルド=カルスは苦笑しながら居住まいを正している。

 まずは我の方の話を聞く、という事だろう。


「以前、我が言った東雲翠に魔人、それについての新しい情報が得られた。

 それについて情報共有をしておく」

「その少女に関しては現在も監視中ではあるけれど……新しい情報とは一体なんだろうか?」


 翠に関する最初の情報は、彼女に魔神に関する何かしらの驚異が迫っているという事だ。

 最初に見かけた時には気にも留めていなかったが、とある兆候が活発化し始めた事から、翠に関する情報交換は始まっている。


「――結論から言えば夢だ」

「夢、と言うと……寝る時に見るあの夢で?」


 ジェラルドの問い返しに対して鷹揚に頷き話を続けた。


「翠が保護した夜に話した事だ。昔の外国のような場所の夢をよく見る、と。

 そして、それは必ず悪夢のような結末を迎え、その事を考えると負の感情が溢れかえりそうになるとな」


 それだけならば夢見が悪すぎるだけとも言えるし、夢を操る何者かの仕業という見方もできる。

 だが、それらではなく、とりついていると我が判断した理由は一つ。

 翠の体の中に魔人の特徴である“霊核”が存在しているのだ。


「この事は友人にも言っていなかったらしい。

 “霊核”だけの魔人の正体に近づくこの情報、人に害する魔人討伐を謳う協会なら活かせると思うのだが、どうだ?」


 霊核というのは、その名の通り核である。

 そして厄介なのは、その霊核は翠に根付いたものではなく、潜むかのように心臓に留まっている。

 翠自身も魔人のような力を持つわけでなく、一般人とそう変わらない。

 だが、その霊核は意志を持つように翠の体を蝕んでいる。翠に話を聞くまでは、どの程度まで影響を受けているかは分からなかったが。

 それらの事から、魔人が霊核だけの存在として翠の中で生き続けているという結論を我は出した。


 霊核をつぶせば魔人は死ぬ。

 それは我自身も、翠に潜む謎の霊核も同じだろう。

 そして霊核が見えている我なら、つぶす事自体は簡単である。

 翠に飲ませた血を使えば今すぐにでもできるはずだ。

 手段は違えど、ハウンドもビフロンスも見えているだろうから出来るに違いない。


 だが、そうすればほぼ間違いなく翠も死ぬ。

 霊核をつぶす衝撃で、彼女の心臓も丸ごとつぶされるからだ。それは我が望む事ではないのだ。

 ゆえに、我だけでは対処できないと判断して以前から協力関係にはあった協会を頼る事にした。

 翠に霊核だけの魔人が取り付いていると教えたのは霊核が活発化し始めたここ最近になってからであったが。


 さて、こちらの情報に奴はどう応えるか。

 顎に手を当て何かを考えこんでいたジェラルドは、何か思い当たったのか足元に置いていた小型のスーツケースを漁り始める。


「実はね、僕の方も彼女の事を調べてみたんだ。そしたら……少々興味深いことが分かってね」


 それに関係があればいいのだけれど、と奴が差し出してきたのは一枚の紙。

 そこには細々と英語で書かれた報告が書かれていた。

 何かの調査結果だろうかと読み進めてみる。


「彼女の故郷、ヨーロッパの小国なのだけれど、そこの一部でとある噂があってね。

 なんでも十数年周期で夢にとり殺されるものが出るって怪談のような噂だよ」

「夢にとり殺される……?」


 今まさに我が話した内容。それに関連しそうなキーワードが報告書の中に出てきている。

 確かに、これならば何か関連はありそうなものだが、これをどうしてピンポイントでジェラルドは持っていたのか。


「何か僕の方でも手掛かりがないかと各方面に手を伸ばしてみたんだ。話を聞く限りならどうやらその一つ当たったようだね。

 夢の内容も酷似しているし、付近から見た様子もまるで悪鬼に取りつかれたようだという話も出ている。

 そして最後にとり殺された死者が確認できたのはちょうど彼女が生まれた年となれば……」

「つまり……その噂の主はとり殺すターゲットに生まれたばかりの翠を選んだと?」


 思わず舌打ちをしてしまうが気にしない。

 こちらの与り知らぬ頃から翠が害され始めていた事に苛立ちを覚える。

 とはいえ、その苛立ちを無闇にジェラルドへとぶつけるわけにもいかない。したところで状況が好転するわけもなし。

 ひとまず手付かずだった紅茶を口に含み、出かかった恨み節ごと飲み干した。


「付け加えると、正確にはとり殺された、というわけではないようだね。

 皆、死因は自殺か、それに近い発狂死なんだ。

 そして、最後に死亡した方の遺書にこう書かれている。夢の中の自分に乗っ取られる、とね」

「――つまり、そいつの目的は殺すことではない、と?」


 そう聞いて、昨夜の翠を思い出す。

 夢の事を話した時の表情は、まさに鬼気迫るようなものだった。

 そして乗っ取りという単語も、悪夢から来る負の感情に支配されかかったあの時の彼女を思い出せば納得のできる範疇である。

 乗っ取ろうとして自殺されるとは、彼女に巣食う霊核の姿も相まってまるで寄生虫のような存在に見えてきた。


「ああ。そして僕達の方でもいくつか候補になりうる魔人の種類をピックアップしてある。

 さらに今聞いた話とすり合わせて考えたところ、有力な候補が一つ浮かび上がったよ」

「ほう? で、それはなんだ? もったいぶらずにさっさと言え」


 答えが出ず、対抗策もいまだ分からぬままだったものにようやく手が届くかもしれない。

 その焦りと期待を悟られぬよう少々横柄に続きを促す。


亡霊レイス。怨霊や死霊の類ではあるだろうね。

報告を見る限り100年前以上から続いているようだし、筋金入りの大怨霊と言ったところかな」

「亡霊か……。我の知る亡霊は知らぬうちに消えていくような存在であったが。

 そこまで長い間残留できるほど強い感情があるのか、それとも」


 特別な理由があるのか。

 そこで思い出したのは、翠に執着した悪魔、ビフロンスの存在。

 あれは確か屍霊術を得意としているとどこかで聞いた気もする。

 それならば奴自身何かしら関与している可能性は高い。


「今度あの悪魔に出会った時にでも、ふんじばって聞き出すとするか」

「あの悪魔……?ああ、ここ最近近辺で出没している悪魔ビフロンスの事かな。

 僕も監視役から報告を受けているよ。確かに何か関わっていそうではあるかな」


 そう言ってジェラルドは新たに取り出した紙の束をパラパラとめくって探しものを始めている。

 おそらくその事に関する報告書を探しているのだろう。

 束がかなり分厚いおかげで探すのに苦労しているようだが。


「そういえば……監視役らしい小僧に襲われかけたんだが、ちゃんと教育はしてあるのだろうな?

 我はともかく翠まで巻き込まれるようならば相応の対処はするぞ」


 ふと思い出すのは翠を昨夜助けた時。翠の家に飛び込んできた無謀な小僧。

 あの程度ならば無駄に争うつもりも無いしと放置して帰ったが、終始あの態度ならば翠の害になる可能性も考えて、一度叩きのめしておこうという考えも湧き出てくる。

 その考えも込めて、少し困ったような笑みを浮かべるジェラルドに対して頬杖をつきながら睥睨する。


「いやぁ、手厳しいね。確かにその気持ちはわかるけれど、血気盛んな年代なので大目に見てもらえると嬉しいかな。

 それに、彼は彼女の知り合いだから、少し感情的になったんだと思うよ」

「知り合い……?」

「ああ。ガーネットさんから情報提供があった後、監視役を募った時に積極的に志願してくれてね。

 ようやく訓練も終えた新人ではあったのだけれど、彼女の近辺に違和感なく溶け込めるというのは監視役としてはもってこいだから……」


 その言葉に、なるほどなと思いながらだんだん冷めてきた紅茶を一息に流し込む。

 冷めても美味いのは紅茶かハウンドの淹れ方が上手いおかげか。どちらにせよ褒めてやろうと後で思う。

 なんにせよ、翠に害が行かなければ問題はない。

 我を害するなら、それこそ小僧百人は用意してこいといったところだ。


「それなら新人教育はしっかりやっておくといい。せめて喧嘩を売る相手を見極められる程度までな」

「ははは、肝に銘じておくよ。それにしても、あのガーネットさんが一人の人間にご執心か……。なんだか微笑ましい気分だよ」


 話に一段落ついたからか、ジェラルドの方も紅茶に手を出す。

 そして、こちらを見つめる目は妙に暖かく見守るような目でむず痒い。

 まともに反応するのも尺ではあったので、もう空になったカップを再度呷るふりをしながら、その視線を無視することにした。


「――悪いか?」

「いや、全くそんな事はないよ。ただ、僕が知る限りではそんな事は今まで無かったから。

 拠点をわざわざここに移したのも、もしかして彼女を追いかけてとかだったら少しロマンを感じるね」

 

 からかうような口調と好奇のこもった視線。

 こいつでなければ叩き潰したところだが、今は目をそらしながらカップで茶を飲むふりを続ける。


「念の為、違うと言っておこう。我が翠を見かけたのはここに来てからだからな」


 ひとまず誤解になりそうな部分は否定しつつ、話題を変えるとしよう。

 どうにも、目の前の人物への対応は苦手だ。

 いつの間にかやり込められそうになる事があるのでな。


「で、だ。肝心の亡霊を駆除するにはどうするつもりだ。

 正体は分かっても それだけではどうにもできまい。

 我が手を出すだけでは翠の無事は確保できんぞ」


 解決法の糸口は見つけられた。だが原因の排除はまだ終わっていない限り安心はできない。

 刻限はすぐというわけではないだろうが遠いというわけではあるまい。

 

「そこは安心してほしい。霊核を引き剥がす方法は協会の方でもいくつかある。

 だから彼女に事情を話して協力してもらえれば、少し時間がかかるかもしれないけれど解決できるはずだよ」

「――本当だな?」


 ここで嘘をつく人物ではないのは今までの付き合いで分かっている。

 肯定するジェラルドの頷きに安心して持ったままのカップを置いた。


「ハウンド、紅茶のおかわりだ」

「どうぞ、お嬢様」


 今まで気配を完全に消して佇んでいた強面の我が愛犬は、呼びかけに即座に応えて我のカップに紅茶のおかわりを淹れる。

 いつの間にか淹れ直したらしく、ちょうどいい温度の紅茶が喉を潤した。


「了解だ。では、翠が学校から帰り次第話しておくとしよう。それまでに手配を頼む」

「こちらこそ了解だよ。さて、また忙しくなりそうだ。……ちょっと失礼」


 おそらく協会の支部に連絡を取るつもりなのだろう。

 細かい所は完全に任せるとして、そういえば今、翠はどこで何をしているのかと気になった。

 ほんの気まぐれではあるが、解決の目処がたった事で翠の無事を確認したかったのだ。


 少し目をつぶり、意識を集中する。

 翠に飲ませた我の血は遠隔で多少操作もできるが、本来の目的はどこにいても大体の位置を察せられる為の発信器だ。

 今の時間なら、まだ学校にいる頃合いのはず。それなら授業の時間かと思ったのだが。


「……おい、ジェラルド。一つ聞くが……この近くに大きい公園があっただろう? そこで何か催し物でもあったか?」


 翠に念のため飲ませた血の気配。

 それがとある一点にとどまっている。

 それだけならまだいい。学校でとどまっていたなら気にはしなかっただろう。


 だが、気配は以前に翠と一緒に休んだ公園でとどまっているように感じる。

 学校にいるはずの翠がなぜそこに? という疑問もわくが、今はそこで何をしているかだ。

 何かあったのだろうか。

 その何かが催し物とかならば、そこに留まる理由もわかるというものだが。

 

「いや、僕の記憶なら特に何もない。

 ……というか、今は厳戒態勢で外を出歩かないように各所に通達が行ってるようだよ」


 ジェラルドの言葉を最後まで聞くことなく、我はカーテンの閉まった窓へと向かう。

 

「ハウンド、ここは頼んだぞ」


 カーテンを開ければ、目の前に眩しい日の光が広がる。

 思わず腕で目をガードするが、そのまま窓を開けて窓枠に足をかける。

 今の眩しさなら半分の身体能力も出せないだろうがそれで十分。


「我は翠を迎えに行く。何かあったのか、それとも無かったのかは知らんがな」


 嫌な予感が胸中を巡る。

 悪い事は起こるべくして起こるとはなんの法則だったか。


 かけた足に力を込めて外へ飛び出せば、赤いドレスを翻して山中を駆けていく。

 途中から幽世に潜り、万一誰かに見咎められぬように。


 向かう先は、大切にしたいと思う少女の元へ。


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