第8話 つかの間の日常

 目が覚めたのは朝5時過ぎ。

 正直、睡眠時間としては短いのだけれども、悪夢を見ずに迎えた朝は随分とすっきりした気分になれてる気がする。

 窓から漏れる朝日も清々しさを感じるほどに眩しい。


(これもガーネットのおまじないのおかげかな……?)


 そう考えると嬉しいような恥ずかしいような複雑な気分になりつつも、見慣れぬ天蓋付きのベッドから起き上がる。

 さて、起きたはいいが、まずはここからどうしようかと考えていると部屋の入り口からノック音が聞こえる。


「翠様、おはようございます。中へ入ってもよろしいでしょうか」


 ちょうど私が起きるタイミングを狙っていたかのような部屋の外からのハウンドの声。

 もしかして、私が起きるまで待っていたりするのだろうか。その場合、いったい何時から待機してたのかとか、いつ休んでいるんだろうって疑問も湧くけれども、もしかして起きた気配を察して急いでやってきたとかあるかもしれない。

 友人の一人が『うちのワンコは人が起きたのをどこからか察知して、ベッドに乗っかって餌の催促してくるんだよ。これがまた可愛くって……』って結構前に惚気けてた気がするし。

 なお、その惚気は写真を見せつけつつ十数分ほど続けられた模様。


 ともあれ、どうぞとベッドから体を起こしたまま声を上げれば、ハウンドがカートを押しながら入ってきた。

 カートの上には、紅茶が入っているであろうティーポットとカップ。

 そして、そのそばの皿には朝食であろう食パンの白い部分を2舞重ねて間に具材が挟んで端をぴったりくっつけた市販の惣菜パンが盛られていた。


(あ、美味しいよね、それ。種類も豊富だし……)


 二度目はもはや驚くまいと、高そうなお皿に似合わない食事に手を付ける。

 そういえば昔マヨにマヨネーズをトッピングしてマヨが被ってしまったぞ的な商品もあったなぁと無駄に思い出してしまったのは心の奥底にしまっておく事にした。


 それにしても不思議なもので、盛られているお皿が高級感溢れていると普通の市販の物でも高級そうに思えるから面白い。昨日の弁当箱そのままはアウトだけれど。

 惣菜パン自体もほんのり表面に焼き色がつくくらいに温められており、昨日の適温のり弁当の事も考えれば、おそらくこの屋敷にはオーブン機能付きの電子レンジはありそうと予想はできる。


(やっぱりちゃんとハウンドには料理を教えるべきだね、これは)


 焼き目がついて香ばしさが加わった惣菜パン(中身はたまごとツナマヨ)を頬張りながら心に決める。

 安売りしてる時に私もこういう惣菜パンとか買ったりするけれど、こんな風に一手間加えたりは なかなかしないものだと思う。

 淹れてくれた紅茶も昨日とちょっと味が違うような気がしたけれど美味しいし、すぐに私より美味しい料理が作れるようになるに違いない。


 綺麗に食べ終われば、ごちそうさまと手を合わせた。

 誰かにこうしてお世話されるというのも久しぶり過ぎて新鮮な気がする。

 母方の家系が外国の人で、両親は実家があるらしいその外国に行っているからだ。

 おかげで中学の頃から今までずっと一人暮らしである。


「お粗末様でした。ところで翠様、湯浴みの準備が出来ておりますが」

「あ、それなら入っちゃおうかな?」


 置時計で時間を確認すればお風呂に入る時間は十分ありそう。昨日から色々あったからさっぱりしたいし。

 食事だけでなく、お風呂の準備までしてくれるとは至れり尽くせりである。

 あとは着替えとかがあればバッチリなのだが……。


「それでしたらご案内します。着替えはこちらをどうぞ」

「心を読まれた?!というか、カバンまで……!」


 そう言ってハウンドがカートの下段から取り出したのは私が通っている高校の制服。

 地元の市立高校の制服で白系のセーラー服である。ちなみに余談だが男子は黒系の学ランで、夏の間とか暑そうだなぁと思ったりしている。

 なぜこんな所にその制服あるんだろうと思ったら、さらに彼は私が部屋に置いていったはずの通学カバンまで取り出していた。


「翠様が寝ている間に、私ならばすぐに取ってこられるだろうと判断して持ってきました。

 場所自体は匂いをたどってすぐに分かりましたが、下着の類は他人に触れられたがる物ではないだろうと判断しまして触れておりませんのでご安心ください」

「あ、あはは……お気遣い感謝します」


 ここまでくるとできる執事、だと思う。

 幽世経由でここに来たと思うのだけれど、それもたどれるという事か。さすが魔人の犬男もとい狼男。

 下着の類は行きか帰りとかにでも寄って取りにいけばいいだろう。

 カバンに入ってない教材とかは……今日は大丈夫だけれども、こっちも早めに取りに行きたい。


「――それと余計なことかもしれませんが、もし元いたアパートに寄るのでしたら今日は止めておいた方が賢明かと」

「え、どうして?」


 できれば、早めに寄って必要なものを回収したいのだけれども。


「大変言いにくいのですが、既に騒ぎになっていまして……。

 家主がいないアパートの一室に強盗が押し入ったと隣近所で話題になっておりました。一般の人はあまり近づけないかもしれませんね」

「あー……うん、そうだよね……。そうなるよね……」


 言われてみれば入り口は大破。中は大荒れ。窓側も開きっぱなしとなっていては強盗と騒がれても致し方なし。

 特に隣で壁ドンしてた住人が様子を見に来ていたなら、強盗が隣でバタバタしていた事は想像されただろうし。

 いっそこのままフェードアウトしちゃった方が楽なんじゃないかと思える程度には言い訳がめんどくさそう。

 とはいえ、そのままでは外国にいる両親の耳に入れば心配されるだろうから、いつかはなんとかしないとだけれど。


「とりあえず、今日は考えないようにしようそうしよう。うん。

 じゃあハウンド、お風呂案内してくれると嬉しいかな」

「かしこまりました。それではこちらです」


 私は着替えの類を持って、カートを押すハウンドの後ろについていく。

 廊下に並ぶ部屋の一つの前で彼が止まるのを見て、そこの扉を開けて中に入れば、やはり自分が住んでいたアパートのそれよりも広い脱衣所に繋がっていた。

 洗濯物を入れる大きなカゴに、大きな壁掛け鏡の前にはやはり広い洗面所。

 ゆったりと休める安楽椅子に涼む用の扇風機もある。


 ガーネットもここを利用するのだろうか。

 洗面所や安楽椅子などはともかく扇風機にあたってだらけながら涼んでる姿を想像すると、ちょっとシュールな笑いがこみ上げてきてしまうのだけれど。


 バスタオル含め身だしなみを整える道具も一通り揃っているので、明かりは窓からさす日光頼りになりそうな点以外は結構便利そうである。


「それでは、洗う物はそのカゴに入れっぱなしにしてもらえれば私が今日中に洗っておきます。他に何かあればお呼びくださいませ」


 ハウンドの言葉に頷いて了承の意を伝えれば、彼は扉を閉めて別の場所の行った様子。

 多分、他にも仕事があるんだろう。

 この広い館の家事全般だけでも大変そうだし。


「さーて、さっさと入って私の方も準備しないとね」


 さっと着ていた制服を脱いでカゴの中へ。下着の類は丁寧に脱いで着替えの制服の上に置いておく。

 あとはボディタオルを手にとって、曇ガラスでできた扉を開けて隣の浴室へ。


 浴室の中は二回りくらい広さが違う気がするけれど、一般的な浴室と変わらなさそうな気がする。

 材質とかアメニティグッズは多分お高い気はするけれど、これなら気兼ねなく入れそう。

 むわっとする湯気をかいくぐって湯船を確認すれば、中にはお湯が張ってあり、すぐに入って温まる事もできそうである。

 他にも気がついた点としては。


(柑橘系の匂い……?)


 入浴剤か、それとも香油か。何にせよ気分をリフレッシュするにはちょうどいい香りな気もする。

 ハウンドの気遣いに感謝しつつ、犬系統って柑橘系の匂い大丈夫だったっけといらない心配もしてしまった。


(ま、まぁ、人の姿になってる時は平気とかかもしれないし)


 元からそこまで苦手じゃない場合もあったりするしと、ひとまず納得しておくことに。

 ひとまず今は浴室の鏡の前に座り込んでシャワーを浴びる。

 しばらくすれば、鏡に背中の半分くらいまである黒の長髪を濡れ鼠にした、母方の家系から継がれた碧眼を持つ自分の姿が映っていた。


(母さんに父さん……今頃何してるかな)


 今、両親は母方の故郷があるヨーロッパに行っている。

 私も幼い頃はそちらにいた事もあったらしいのだが、大きくなる前に両親と日本に引っ越してきたのでそちらの記憶は無い。

 三年前、両親がヨーロッパに渡る必要が出てきた時、日本を離れるのを回避したかった私はアパートで一人暮らしを始めたのだ。


 とはいえ、今現在アパートから何の因果か屋敷にしばらく住むことになったけれど、その事を言ったら両親はなんと言うだろう。

 母さんあたりは面白い事になってるわーとか楽しそうに言うかもしれない。


 後で電話するかなと思ったけれど、よそ様の家で国際電話するわけにも行かないし、携帯でメールとかするにしても。


(そういえばカバンに入れっぱなしだから電池残ってるかな……)


 最近電池が減りやすくなってきた気がするし、もう電源が落ちてるかもしれない。

 充電器は家に置きっぱなしだと思うから、しばらく電源をつけられるまで時間はかかるだろう。


 体が温まってくればシャワーを止めて髪や体を洗い始める。

 泡立った体をシャワーでもう一度流せば、スッキリした気分になれるからこの瞬間は好きだ。

 全身洗い終われば、湯船にどっぷりと浸かって昨日の疲れを癒やす。


「ぶへぇ〜……」


 絶対女子高生が上げちゃいけないようなうめき声を出して湯船の中で足を伸ばせば、なんとも言えないような解放感。

 これだけでも、まだここでの生活は始まったばかりだけれどうまくやっていけそうな気がする。

 お湯も温すぎず熱すぎずの適温でハウンドGJと言いたくなる。あの人、家事万能に違いない。今のところ料理以外。


 そんなハウンドを眷属にしたガーネットは何者なのか。

 お湯の中に顔の半分を沈ませながら改めて考えてみる。


 同じ魔人に恐れられる魔人の少女。

 お茶目な一面をのぞかせつつ、ちょっと抜けてるところもある。

 他には時折優しい一面をのぞかせながら、私を守ってくれようとしてくれている。


(お礼言わなきゃだよね……)


 やはり吸血鬼は朝から夜まで寝て過ごすのだろうか。

 眩しいのが苦手っぽかったから、やはり日光とかダメなのかもしれない。


 思い出すのは寝る前までの事。

 二度も彼女に窮地を助けられたし、ある程度の事情も話してくれた。

 悪夢に対する悩みを打ち明けた時も親身になってくれたと思うし。

 ……去り際のセリフについてはまた今度聞くとして。


 ハウンドもいきなり転がり込んできたような形になった私にも、ガーネットの指示があったとしてもしっかりお世話してくれるみたいだし。

 見た目強面だけれども、気のいい奴と言われてたくらいだし、親しみやすい人なのかもと思う。


 しばらく一緒に暮らすのだし、この二人の事をもっと知りたい。

 その為には親睦を深める必要がある。その手段こそ、寝る前の食事の時に言った料理。

 学校から帰ったら ちゃんと作らないと、と考えた辺りで。


(……そういえば二人の苦手な物とか聞いてなかった気が)


 ガーネットは吸血鬼だし、にんにくとかは避けた方がよさそうかもしれない。

 他に苦手そうな逸話ってあったっけ。

 鬼として見るなら豆とかイワシとかあったような気がするけれど。


 ハウンドの場合は、元が犬……もとい狼だから食べられない物も多そうな気がする。

 ネギ系統とか、あとはよく使われる調味料関係軒並み注意したほうが良かったんじゃなかったっけ。


 自信のない所を調べようにも、スマホは……多分カバンの中に入ってるだろうけれど、電源が切れていたらどうしようか。

 そう考えると、調べ物のあるなしに関わらず不便を感じてしまう辺り自分も現代っ子だなぁと思う。

 いざとなったら友人に借りる事にしよう。そのいざという時はあまり無いだろうけれど。


 とりあえず、今ある知識でそれらしいレシピを頭の中で弄り倒して必要なものをリストアップする。

 あとで苦手なものをハウンドに確認して細かい所は修正すればいいやと、だいたいのリストが完成したら茹で上がる前に湯船からざばっと出て浴室から脱衣所へ。


 バスタオルで全身を拭いてから下着をつけて、洗面所の鏡の前に座り、ドライヤーで頭を乾かす。

 普段なら、乾かしきったら適当にまとめてゴムでポニーテールにしてるけど、それもアパートに置いてきたから今日はそのままで。

 乾かし終わったら、頭の中のリストを手元に置いてあったメモ帳にサラサラと書き写して一枚だけ剥がして制服のポケットにイン。

 そのまま制服を着込んでカバンを持てば、このまま高校へ行けるスタイルである。

 もう一度鏡で自分の姿を確認して、問題なさそうなのでそのまま廊下へ。


 廊下に出た後は、洋館中央の広間まで早歩きしていく。

 部屋数は多そうだけれど、構造自体は広間から左右に廊下が伸びている単純な構造なので出口に向かうだけなら簡単だ。

 もうしばらくは部屋の配置覚えるまで誰かに案内してほしいけれど。


「ハウンド」


 広間から外に出る前に、執事の彼を呼んでみる。

 出かける前に制服のポケットに入れたメモを渡したいし、聞きたい事もあったからだ。


「お呼びですか、翠様」


 ほどなくしてハウンドが現れたのは、玄関の外からだった。

 その手には大きな鍵が握られている。


「先程、翠様が出られるように下の門を開放してまいりました。

 翠様が出られた後にまた閉めさせていただきますが、お帰りになる頃にはまた開放いたします。本日はいつ頃お帰りの予定ですか?」

「今日は……部活もテスト準備期間に入って休みだし、多分夕方くらいになるかな?

 ガーネットが起きるのはどのくらいになりそう?」


 どれくらいに起きるかによって、早めに帰って準備する必要とか出てくるけれど、どうなのだろうか。


「そうですね……。お嬢様は本日お昼頃からお客様がいらっしゃる予定ですので、その頃には起きているかと」

「へー、そうなんだ……。お昼から起きてるとはちょっと意外」


 完全に夜型の生活習慣だと思っていたのだけれど、もしかしたらそこまで睡眠も必要無いのかもしれない。

 眩しいのが苦手でも、屋敷の中なら関係ないだろうし。


「お嬢様の数少ない茶飲み仲間ですので。

 翠様がお帰りになる頃には帰られているでしょうから会うことは叶わないかもしれませんが……」

「あ、大丈夫大丈夫。お茶を飲んで話したりしてる所邪魔したりしたら悪いし、気にしないで」


 茶飲み仲間という事は、多分同じ魔人か何かだろうし。

 もし普通の人間とかなら余程の大人物か変わり者な気もする。ガーネットと知り合いな時点で既に。

 それを言ったら私もだけれど、私は保護対象だから多分セーフ。


「もし、帰られた時にまだ門が閉まっていましたら、私の名を門のそばでお呼びください。すぐに開けに参りますので」

「ありがとう、覚えとくね。それと、頼みたい事なんだけれど……これを私が帰ってくる頃に揃えておく事はできそう?」


 そう言って私がポケットから取り出したメモには、和風味付けの鶏肉スープに私とガーネット分のオムライス用の材料、それとそれらに使う調理道具一式が書かれている。

 ハウンドがそれを一瞥して、何度か確認するように頷きと視線を動かすのを繰り返せば、やがてそれを執事服の胸ポケットに差し入れた。


「大丈夫です。これなら片手間に集められそうですので」

「じゃあ、よろしくね。それと……ガーネットとハウンドに苦手なものがあったら今のうちに教えてくれると助かるかな」


 材料集めって片手間にする事なのかとツッコみたかったけど、もしかしたら私の知らない何かで文字通り片手間でできたりするのかもしれないしスルー。気になったままなら今度詳しく聞いてみる事にする。

 ひとまず、今は苦手なものを聞くことが優先だし。


「苦手な物……ですか。お嬢様は、あまり匂いのきつい食べ物は好みではなさそうですね」


 なるほど、匂いの厳しい物は無理、と。やっぱりにんにく系は外してよかったみたい。


「私の苦手なものですが……申し訳ないのですがわかりません」


 ほう、わからないとな。嫌な予感がするけれども。


「基本的に生肉を食べていますので、それ以外の食材についてはあまり……。小振りな獲物だと食べづらいくらいでしょうか」


 わぁい、ワイルド。

 でも、食生活的に犬、もとい狼っぽいのでやはりそれ系ダメな食材は使わないほうが無難そうだ。


「了解。その辺り考えて今日の夕食は作るから。

 それじゃあ、行ってきます!」

「はい、行ってらっしゃいませ、翠様」


 わざわざ玄関から出てのお見送りに片手を振りながら少し走る。

 見送りに深いお辞儀は慣れるまで少し気恥ずかしいけれど、なだらかな坂を駆け下りるうちにそれも見えなくなった。

 やがて開放されていた金属の門をくぐった後は、高校の方へは直接向かわず、別の方向へ。

 ジョギングペースで、もともと住んでいたアパート近くの住宅街を目指す。


 始業時間まではまだまだあるけれど、走っているのは待ち合わせがあるためだ。

 部活の朝練のおかげでそこそこ早めの待ち合わせではあるけれど、テスト準備期間のおかげで、実はそこまで急ぐ必要はない。

 ただの習慣ではあるのだけれども、幼馴染二人と一緒に登校するのはもはや外せない日課になっているのだ。


 ガーネットの屋敷から出て数十分。

 待ち合わせの場所、広葉樹が一本だけそばに立っているバス停へとたどり着けば、そこにあるベンチに先客が一人。


「ごめんごめん。ちょっと遅れた?おはよう、夕菜」

「ううん、ちょうどいい時間だと思うよ。おはよう、翠ちゃん」


 私と同じ白系セーラー服で、黒い長髪を一つにまとめた三つ編みにして肩から前へと流している。名前は響夕菜。

 かけられた黒縁メガネに奥に理知的な黒い瞳を見れば、単純なイメージで学級委員長とか文学少女といった感想を抱けるだろう。……


「――それじゃあ、今日の成長チェック行ってみようか」

「行ってみようか、じゃないってばって、もうっ!ちょ、いきなり……!」


 いつの間にか後ろに回られ、伸びる夕菜の両腕。

 2つの腕はそれぞれ私の双丘をがしりと掴み、その形を測るようにしばらく蠢き続ける。


「ふむ……三ミリくらい成長してるかな?目指せ、ナイスバディ翠ちゃん!」

「目指さないから!というか、なんでいつも無駄に高性能なセクハラを私にするのさ!」

「いやぁ、だって幼馴染としては気になるでしょう?やってて面白いですし」


 これである。私の幼馴染は油断していると豪速球でセクハラを飛ばしてくる残念な人なのであった。

 時々、私の思考がセクハラ方向でおかしくなるのはこの幼馴染の影響だと思いたい。


「そんなに面白いなら自分の揉めばいいじゃないの」

「自分の揉んでも面白くないですし……」


 そこで指を別の生き物のようにうねうね動かしながら、すねたような顔をしないでください。

 そんなセクハラ幼馴染は、こう見えても文武両道、容姿端麗、芸術関連にも造形が深く、セクハラさえかまさなければ人当たりは良いと評判で、クラス内では『完璧な残念美人』とか呼ばれている。


 実際、剣道部では私より強いし、成績もかなり上位だった記憶がある。何かのコンクールやコンテストで入賞したいたのも一度や二度ではない。

 おかげでセクハラさえなければと涙を流した人がいるとかいないとか。


「ところで……勇人ゆうとはまだ?いつもは一番に来てるのに珍しい」

「勇人くんも、もうそろそろ来る頃かと思いますよ。ほら……噂をすれば」


 そして最後の一人の姿を探してきょろきょろしていると、夕菜が私の後ろを指さした。


「すまない、遅れた。少し野暮用を終わらせてたんだが……」


 遅れてやってきた最後の幼馴染は坂井勇人さかいゆうと

 黒の学ランを来ながら走ってきたのか、首元は緩めつつも結構汗だくになっているのが分かる。

 思わずタオル貸そうかって、自分のカバンの中に手を伸ばしたけれど、自分のがあるから大丈夫と彼は断った。


 彼は お寺の息子でぱっと見の外見は黒髪黒目のどこにでもいそうな地味な印象だけれども、スポーツ万能だったり、成績もそこまで悪くないので人気はある方だと思う。ただ、自己主張が薄かったりで影が薄いのが難点だったりもするけれど。


 一度、夕菜と一緒に幼馴染をどう磨けばモテモテになるだろうかと勇人を弄り倒しながら話し合った事がある。

 その時は必要ないからと彼は断ったのだが、それを聞いた夕菜が『衆道の方であらせられましたか!大丈夫!私はそういうのに偏見は持たないタイプですから!むしろ応援しますから今度貸す本を呼んで感想を……』とかすごく前のめりになっていた記憶が新しい。


 その時は彼にしては珍しく強めにそういうのじゃないからと否定してた気はする。ちゃんと女の子に興味あるからと。

 夕菜はがっかりしていたけれど、そのやりとりを静観していた私は珍しくノーダメージだった気がした。

 ああ、傍目から見ると私達ってこんな感じに見えるのかぁと。


「それより、翠。昨日はその……あの後、大丈夫だったのか?」

「あの後……?」


 三人で歩き出しながら話題を変えるように放たれた勇人の言葉。

 昨日の事を聞かれて、あの後とはなんぞやと思い当たる事が多すぎて曖昧な笑みを浮かべていると、夕菜が助け舟を出すように私と勇人の間に入りながら、自身のスマホを手にとって画面を私の方へと向けてきた。


「さては翠ちゃん……スマホのライン、チェックしてませんね?

 今、とっても面白い事になってますよ?」


 面白い事?と首を傾げながら、彼女のスマホ画面を覗き込むと、そこにはクラス全員で共有しているラインのグループがあって連絡事項はそれで伝達しようという決まりになっている。

 そして、見せられている画面には昨日私が強盗犯人に人質になっている写真が載っていた。


「え、もしかして、これクラスメイトがあの時近くにいたの……?」


 ライン上では私が捕まっている事で心配する声や助けに行こうぜといった声が散見されて思わずうるっと来たけれど、とある写真がまた投稿されたことで空気が変わっていた。


 投稿された写真は、私が逃げるついでに犯人に金的した瞬間の写真であった。


 そこからは、むしろ犯人に同情する声が多数派となり、中には指を伸ばして倒れている男の人のスタンプをのせたりと雰囲気が一気に弛緩しているのが分かる。

 最後には私が警察に保護という名の連行をされている写真が投稿されれば、いつかやると思っていましただとか、無茶しやがってだとか、臭い飯食べて反省しろよ、など明らかに扱いが180度変わった内容のコメントがいくつもついているのが分かった。


「もっと私の心配して、皆?!」

「心配してますよー、皆。口には出してないだけで。

 だからほら、翠ちゃんも安心させるために何か発言よろしくお願いしますね」


 確かに、ずっと無反応だったからか朝になるまで いくつか心配する声が再発しているように見える。

 ひとまず、私のスマホをカバンから取り出してラインを開こうとするけれど。


「……やっぱりだめかぁ。電源切れちゃってる」

「やっぱり……ずっと電波が届かないってアナウンス流れてましたし」


 スマホの画面は暗いままでうんともすんとも言わず。やはりしばらくスマホが使えない時間が続きそうである。


「それなら私が代わりに報告して差し上げましょー。……翠ちゃん発見せり。これより勇人くんと共に捕獲、学校へと連行いたします……と、はい」


 再び夕菜のスマホからラインを覗けば、こちらの無事に安堵する声やねぎらう声がちらほら出てきているのを見れてほっこりできた。


「翠ちゃんが人質になったりして、私達も心配してたんですよ。ね、勇人くん?」

「あ、ああ。それに翠の家もなんだかめちゃくちゃになってたみたいでな。それもあって、大丈夫だったのかなと……。もしかして家で何かあったのか?」

「あー……それは……うん」


 さて、どうしようか。

 正直昨日起こった出来事、全て話したとしても二人が信じてくれるかわからないし、もしかしたら何かに巻き込まれてしまうかもしれない。

 そう考えると、やっぱり何も話せないという結論しか出ないわけで。


「ちょ、ちょーっと警察に行ってる間に強盗に入られたみたいでさ。

 しばらく遠い親戚の家に厄介になることになったんだけど……」


 とりあえず、真実に当たらずとも遠からずな嘘を言ってみる。当面はこの話で通していこうと思う。

 ただ、この嘘で幼馴染が騙されてくれるかと言えば。


「……でも、親戚筋は確かほとんど外国にいるんじゃなかったか?確かヨーロッパの方に」


 ですよね。その当たりの事情とか幼馴染だし知ってるもんね。ツッコミ入れるよね、絶対。


「じ、実はね、母方の遠い遠い親戚でね。たまたま最近知ったんだけど、あの町外れの山あるでしょ?

 そこに前から住んでたらしくて、頼ったら快くしばらく住まわしてくれて……」


 だが、ここでひるんだら嘘も突き通せなくなる。

 故に、とにかく嘘をゴリ押すしかない!

 ……あとでガーネットやハウンドと相談して設定に詰めておかなくちゃ。


「……そうか。翠がそう言うならそうなんだろうな」


 勇人はあまり納得したような感じはしないけれども追求はこれ以上しない様子。

 その事にほっと一息ついた後、夕菜がじっと私の方を見ている事に気がついた。


「翠ちゃん……、その人はとても頼りになって信用できる人かもしれませんけれど、油断したらバクリと食べる狼さんかもしれませんから気をつけてくださいね」


 狼どころか狼男や吸血鬼と一緒に住んでます。……とはいえず。

 なんとも言えない幼馴染からの忠告にわかったとしか返せなかった。


 そうこう歩いているうちに、高校の校門が見えてくる。

 途中、私と勇人が同時にあくびをして、夕菜がそれを見て、まさか実はお二人朝帰りだった……?もしくは深夜まであんな事やこんな事を……?!などと暴走もしたけれど、今日も無事に到着できた。


 そんないつも通りじゃない夜の後のいつも通りの朝。

 今日は少しだけいつもと違うだけの日常が繰り返される。

 この時の私はそう思っていたのだ。

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