第7話 仮の宿
「よし、ひとまずは入口に着いたぞ」
幽世の中、ガーネットと手を繋いだまま先導されて辿り着いた場所は、町外れの山の前。
三百メートルに満たない小高い山で、秋になれば紅葉で見る人を楽しませる程度には森が茂っている場所。
もっとも、車が通れそうなほどの登山道には錠前で施錠された鋼鉄の大きな門が備わっていて、そこ以外は有刺鉄線付きの高いフェンスで囲われており、部外者の侵入を固くお断りしている雰囲気がこれ以上ないほど醸し出されているけれども。
普通なら、中に用事があっても回れ右してしまいそうなくらいの厳重な囲いに つい気後れしてしまって、不安げにガーネットの方へと視線を送ってみる。
(いや、これどうやって入るのさ!)
錠前の鍵があれば話は別だろうけれど、彼女は門の前についても鍵を取り出すような仕草もしない。
何か ここの住人だけが知っている秘密の通り道でもあるのだろうかと思ったのだけれど、そうでもなさそうである。
「――ん?翠、なにか気になる事でもあったか?」
「えーっと、これどうやって入るのかなって思って……」
私の視線に気づいたガーネットに問われ、ひとまずの疑問点を晒せば、彼女も合点がいったのか一つ頷いた。
さて、ガーネットの身長が多分百四十くらい、私の身長が百六十くらいで、二人が肩車しても上の端に手が届かなさそうな門をどうするのだろうか。
もしかして、ここではなく別の抜け道があるとか。
「ああ、そうか。確かに、このままではお前が通れんな。翠、ちょっと我に掴まれ」
「え?」
いきなり掴まれだなんてどうしたんだろうと思っていると、ガーネットが私と向き合うように立って、あれよあれよという間に彼女の肩に担がれてしまった。
私のお腹には彼女の肩が、スカートを押さえるようにお尻に彼女の右腕、下半身が動かないように膝裏には彼女の左腕の感触があるのが分かる。
担がれた体がくの字に折れ曲がってるおかげで視界にはいつもより近い地面。
「……え?」
この状況でどこに掴まれば良いのか。
慌てた私はひとまず彼女の腰に抱きつくようにして しがみつく形になった。そして。
「よし、行くぞ。そのまま捕まっていろ」
「――え?」
行こうってどこへ?と疑問を置き去りにするかのように、視界の地面が急激に遠ざかった。
それと同時に私は短くも急なGとふわりとした浮遊感を得る。
気づけば、見上げていた門を見下ろす形で、視界の先にある地面が割と離れた状態。
ガーネットが跳んで道を塞いでいた門の上に降り立ったのだと理解したのは、そこから彼女が飛び降りた時だった。
「――ちょ、まぁぁぁぁぁっ!?」
徐々に迫る地面。落下していると分かる風圧と
さながら、それは絶叫マシーンの急降下のように。
想像よりも軽い衝撃と着地音と共に それは終わったけれども、結果的に ほぼ目の前まで近付いた地面から視線をしばらく外せず。
意図せずして頭から地面に急降下する体験ができてしまった。
紐無しバンジージャンプってこんな感じなのだろうか。正直絶対にやりたくない。
「どうだ、翠。鍵開けなんてまどろっこしい事せずとも飛び越えた方が楽であろう?
こうして風を感じるのも楽しいしな」
「その気持ちは分かるけど、できればもう一言欲しかったかな!?」
ガーネットの私を解放しながらの言葉に ちょっと涙目になりながら叱責すれば、申し訳なさそうにすまないと彼女は謝った。
ばつの悪そうな顔で目をそらす様子を見て少し彼女がしょげているように思えるのは、だんだんと目の前の少女について分かってきたからかもしれない。
一応、私は絶叫マシーンは苦手ではないけれども、あれは乗るという意志と覚悟があってこそ楽しめる物であって、いきなり体験させられて楽しめる人はきっと少数……だと思いたい。
ともあれ、そこまでは怒ってない事は伝えておこうかと口を開いたのだけれど、一つの事実に気付いた。
「あれ?今、私、ガーネットと離れてる?」
担ぎ状態から解放された時から、私とガーネットの間には一歩分以上の距離が空いていた。
幽世では一般人はまともに移動できそうにないからずっと離れずに行動してきたというのに、なぜ今離したのだろうか。
そう思って上を見上げれば、天上にはいつもの白みがかった月が夜空に輝いていて、ここが幽世ではなく通常の世界だという事に気付いた。
「ああ、ここまでくれば ほぼ安全であろうしな。
門から降りるついでに幽世から浮上した。もう邪魔者も出ては来ないだろうさ」
「それはやっぱりガーネットがここに住んでるから、とか?」
私が手も足も出なかった魔人を文字通り一蹴した彼女なら、同じ魔人でも不用意に刺激しないよう住処付近には近付こうとしないのかなと予想はできる。
魔人に対抗する人間の組織の方も敵対はしていないとのことだから、こちらも下手に介入してきたりもしなさそうだし。
私有地として道も封鎖しているなら、一般人もそうそう入っては来ないはず。
道なりにゆっくりと歩き始めたガーネットについていきながら、私は思考を進めていく。
緩やかな勾配の坂を歩きながら、月明りに照らされた虫の鳴き声が響く木々の合間で会話は続けられていった。
「それもあるだろうが……この山は我の愛犬が目を光らせ……いや鼻がいいのか?
ともあれ、目鼻の効く奴がいてな。もしここで何かあればすぐに分かる」
「愛犬……?ペットの犬でも飼ってるの?」
吸血鬼が飼うペットなら、普通のペットではなさそうではあるけれども。
実は体がすごく大きいとか、犬と称した全く別の何かとか、ガーネットの呼び名みたく犬に関する異名を持った何かかもしれない。
私の問いにガーネットは頭を振って、後ろにいる私の方へとちらりと視線をよこしながら答える。
「ペットではない。我の最初で唯一の“眷属”だよ」
「眷属、というと……同じ吸血鬼とか?」
創作物で吸血鬼の眷属と聞くと、同じ吸血鬼の他にはコウモリとか狼を連想するけれども、犬と言ってるしどうなのだろうか。
最初で唯一というのなら大切にされているとは思うけれど、どんな存在か逆に想像しづらい。
「“眷属”はな、魔人とそれ以外が契約を結ぶ事でできる。
契約を結んだそれ以外の存在が契約した魔人を主とした従者の魔人となってな。
とはいえ、魔人それぞれで契約の方法も違うし、できる魔人も場合によりけりだが」
「となると、その愛犬さんも魔人?なら……」
吸血鬼に関連してそうで、犬……獣関連の人外と言うとやっぱり思いつくものは一つ。
「定番で言えば狼男とか人狼とか?」
お話の中で、狼男と吸血鬼は時折友好的な関係だったり敵対関係だったりとまちまちではあるけれど、同じ銀が弱点と言われていたり、夜や月に関する逸話があったり、噛んだ者を同じ吸血鬼や狼男にする逸話があったりと共通点は多い。
その辺りのイメージも昔の映画とかがベースになってる話も多いけれども。
「そんな所……ではあるが、ベースが犬だからな。人狼ならぬ人犬だ」
「本当に犬なんだ……」
「ああ、奴は頑なに認めようとしないがな」
何かの比喩とかそう言うのだと思ってたけれど、どうやら本当に犬らしい。
そうなると、犬の種類にも寄るけれど、どんな姿や顔をしているのか逆に気になってきた。
まぁ、そのうち出会うだろうとは思うから、その時までいろいろ想像してみる事に。
個人的には犬顔の人間とかだとギャグマンガに出てきそうだとか思ってしまった。まずないだろうと思ってすぐに没にしたけど。
そうこう話しながら数十分。道の先に何かが見えてきた。
「ほら、奴が我の愛犬だ。堅苦しそうだが気のいい奴ではあるぞ」
ガーネットが指し示した先、ちょうど山の中腹辺りに建てられた洋風の屋敷がある。
その入り口に、一人の男が立っているのが見えた。彼がその愛犬とやらだろうか。
近づいていけば月明りの下でも目立つ風貌の男で、ぴっちりと着こなしている黒の執事服に加えて赤みがかかった短めの茶髪をオールバックにしている。
精悍な顔つきの20代くらいの西洋風な印象。
引きしまった顔立ちのおかげでサングラスをかければヤクザの若頭と言っても通用しそうな雰囲気でもある。
そんな見方によっては強面とも言える執事の男が私達が近づいてきたのを見るや、ほぼ90度のお辞儀を行った。
「お帰りなさいませ、お嬢様。そして翠様。お待ちしておりました」
「ああ、出迎えご苦労。少し歩き詰めでな。飲み物と食事の用意をしてくれ」
ガーネットが労いの言葉と共に注文をつければ、執事の男は短く了承の返事。さらに姿勢を戻してから扉を開けた。
あまり飾りっ気のない両開きの扉ではあったが、片方だけでも私とガーネットが並んで通れるほどの大きさで、開く音の重厚さからも屋敷の年月をうかがい知ることができそうだ。
玄関から中に入れば広間になっていた。
床には高そうな赤いじゅうたんが敷かれていて、天井には豪奢なシャンデリアがぶら下がっている。
広間からは左右に通路が伸びていて、さらには階段を登れば2階まで通じている仕様だ。
靴も履いたまま歩き回れるようで、豪華なホテルと言われても納得できるかもしれない。
ただ、明かりが最低限にしかつけられていないために薄暗いのが少々難点だけれども。
「すまんが、あまり我は眩しいのが好みでなくてな。少しばかり暗いのは我慢してくれ」
「あ、いや、そこは私は大丈夫、かな?」
足元が不安になるほどの暗さではないし、むしろここまでちゃんと電気が通ってるのかと、ちょっとだけびっくりしたのは黙っておく事にした。
この分だとガス、水道とかも普通に通ってそうな気がする。
やがて、ガーネットの先導のまま歩き続ければ、おそらく客間なのだろう。
一部屋だけで私住んでいたアパートよりも広い空間に若干気圧されながらも入れば、中には六人ほど囲めそうな長方形のテーブルを中心として、結構高価そうな調度品がちらほら設置されているのが分かる。
掃除も行き届いているようで、いくつかある窓やそれに付随するカーテンなども含めて、あの執事の人が掃除していると考えると結構な労力なんじゃないかなとしみじみと感心した。
「お嬢様に翠様、紅茶を淹れて参りました」
気付けば執事の人もやってきたようで、慌てて上座に座っているガーネットの脇の席にちょこんと座るようにして部屋の観察を続ける。
これではまるでお上りさんのようだけれど、それだけ普段見れないものが目白押しなのだから仕方ない。
「どうした、翠?珍しい物でもあったか?」
「そう言うわけじゃないけれど……こういう豪邸的な所に縁がない小市民だから気後れするというかなんというか……」
執事の人に淹れてもらった紅茶をゆっくりと飲みながら答える。
この手にしてるティーカップも皿も、紅茶が入っているらしいティーポットも素人目に見えても高そうな物で、自分の手が震えていないか心配だ。
壊さないように壊さないように。あ、でも美味しい、この紅茶。
「まったく……今からそれでは身が持たんぞ、翠。
これからしばらくはここに住んでもらうというのに」
「……
思わず覚えたての英語を使ってしまうくらいに不意打ちの言葉がガーネットから飛んできた。
ここに、私が、住むとな?聞き間違えかな。聞き間違えなら、何と間違えたんだな話だけれども。
「そういえばまだ言っていなかったか?
少なくとも翠、お前が住んでいたあの家はしばらく使えんだろう」
「まぁ。それは確かに……」
家具も部屋の内装も目の前の少女とビフロンスの魔人二人が暴れた事でそこそこ以上の損傷。
そして何という事をしてくれたのでしょう。トドメに防塵マスクの人がダイナミックお邪魔しますしてくれたおかげで、とても風通しのいい部屋に早変わりしているのだ。
無理矢理住み続けるにしてもいろいろと無茶がある状態。
その点では、この屋敷に住めるなら願ったりかなったりではあるのだけれど。
「ただ、あまり厄介になるのはちょっと心苦しいというか……こういう高級そうな場所は気後れすると言いますか……」
それに一応頼れる友人がいないわけではない。
幼馴染で友人の響夕菜の家も一人暮らししていたはずだから、しばらく厄介になるならそこでもいけるはず。
頼めば、彼女なら快くOKしてくれそうだし。
なので、その提案は辞退させてもらおう、と思っていたのだが。
「そういう事ならば、翠、お前の現状とここに住んで欲しい理由を端的に説明しよう。
一つ、お前は今、とある魔人にその存在を脅かされている。
もし、無関係な人間が近くにいれば巻き込まれる可能性がある程度にはな。
だから、他に頼れる人間がいたとしても、それはやめておいた方がいい」
「うっ……」
ちょうど考えていた案を却下するような話が出てきた。
確かに、魔人だとかなんとかって話を彼女にしたとして信じてくれるかは分からないし、出来る事も無いかもしれない。
むしろ巻き込んでしまったら、自分は後悔に苛まれる事は想像に難くない。
「二つ、今の翠の周りで魔人に対抗できるのは魔人か、魔人に対抗する人間の組織“協会”か、だ。
だが、今日の襲撃を考えるに“協会”の人間だけではいざという時、お前の身を守れるか不安である。
だからこそ、我らの目につく範囲で生活してほしい」
確かに、今回の人払いの結界で救援が来るのがかなり遅れた印象。
その点、同じ魔人であるガーネットや執事の人ならば、その協会の人達とは別口で助けの手を差し伸べてくれやすくなるなら安心しやすいかもしれない。
「三つ、とはいえだ。あまり我はお前を籠の鳥のように閉じ込めたりはしたくない。
つまりは普段通りの生活をできれば送って欲しいと考えている。
ゆえに、この場所からなら、少々通学時間が長くなるだけで普段通りの生活ができるだろうとの提案だったのだが……どうだろうか」
3つとも聞く限り、私や周りに対して考えてくれているのが分かる。
そう考えると、私のわがままのためにここに住むのを拒否するというのはあまり賢い選択ではなさそうな気がしてきた。
不安ももちろんあるけれど、何度も私のピンチを助けてくれたガーネットは信用していいと思うし、多分大丈夫だと思う事にする。
「それじゃあ、その……しばらく厄介になります」
座りながらではあるけれど、ガーネットとその傍らに佇む執事にぺこりと頭を下げる。これからお世話になる相手、名前くらいは知っておきたいので、ひとまず確認できる事は確認する事に。
「えーっと、ガーネットの愛犬さんで良いんですよね?お名前窺っても?」
「これは申し遅れました。
私、ガーネットお嬢様の眷属であり執事を務めさせていただいているハウンドと申します。以後お見知りおきを」
執事の名前はハウンド、と言うらしい。
猟犬と言う名前はやはりガーネットがつけたのだろうか。そのまますぎるネーミングではあるけれど、わりと大ざっぱそうな彼女らしい名前の付け方かもしれない。
軽く会釈をしながらの自己紹介に、こちらも東雲翠と自己紹介を返す。
「存じております。お嬢様からお話はかねがね。……ところでお嬢様」
「なんだ、ハウンド。ああ、紅茶はなかなか美味かったぞ」
「それは良かったです。
――いえ、今言いたいのはそうではなく、何度も私の事は狼で紹介して欲しいと申し上げたはずですが!」
「いや、だってお前、狼じゃなくて山犬であろう?」
「いいえ、お嬢様。確かに山犬の血も流れておりますが、狼の血も半分流れておりますのでギリギリ狼判定なのです!」
少しばかり声を大きくしての不満を聞くに、ハウンド本人的には狼である事が一種のステータスであるらしい。
個人的にはどちらも変わらない気はするのだけれど、こだわりは人それぞれなので触れないでおこう。
多分、このやりとりは主従の仲の良さの表れだと思うことにしよう。
それよりも、半分血が狼の山犬……ということは。
「ハウンド……さん、は人がベースじゃなくって犬、もとい狼が元なんです?」
「ハウンドで結構でございます、翠様。
はい、私は50年ほど前にお嬢様に拾われたしがない狼でありましたので」
思ったよりも長い年月、ガーネットと一緒にいたらしいことに驚いたが、それ以上に獣から人型に変化したという事らしいのに驚いた。
それが本当なら眷属というのはなかなか応用が効きそうな存在なのかも?
「ハウンドの場合は、我の変化能力を強く受け継いだようでな。
我の場合、こうして血の一部をコウモリとかに変えるのがせいぜいだが、こやつは全身人型へと変化させることができてな。
おかげで苦も無く人に紛れる事ができるから重宝しているよ」
そう言ってガーネットは、自身の右人差し指に左親指の爪を走らせて血を一滴テーブルに落とす。
すぐに傷は治ったようだが、落ちた血はすぐさま膨れ上がるように形を変えていき、あっという間にコウモリへと変化していって部屋の外へと飛んで行った。
あまりの早業に、私はポカンと見送る事しかできなかったけれど。
(……あれ?今のコウモリって、まさか夕方に助けてくれたコウモリと一緒……?)
疑問を口にしようかと思った時、いつの間にか部屋の外へと移動していたハウンドがカートの上に食事がのっているらしい皿を二つ載せて私達の所に戻ってきていた。
皿の上には保温のためか金属製の半球型の蓋が被さっており、中身がどんな物か期待を煽ってくれている。
「どうぞ、お嬢様方。温かいうちにお召し上がりください」
それぞれの前に蓋付きの皿が配膳され、ハウンドが一礼して一歩下がる。
一体どんな食事なのか、深夜とは言えすぐに用意してきた執事の彼に感謝と賛辞を心の中で送りつつ、わくわくしながら蓋を開けた。
そんな期待を込めた視線の先に飛び込んできた、その料理は――。
『特選のり弁当 390円』
「待って」
「どうした翠、腹が減っては戦は出来ぬとこの国の諺で言うのだったな。好き嫌いならいかんぞ、好き嫌いは」
「吸血鬼のお嬢様がコンビニ弁当モグモグしながら言うセリフじゃないから、それ!」
そう、目の前にあるのはまごうことなきコンビニ弁当ののり弁。
どこからどう見てもちょっとそこで買ってきました的な入れ物に入ってるのり弁。
角度を変えて眺めてみても、一向に変化する気配などさらさらないのり弁おぶのり弁。
しっかり適温に温まっているのが地味に憎い。私の期待は返してぷりーず!
「待って。もしかして、今までずっとコンビニ弁当とかだったの?!ハウンド、料理とかしないの?!」
「いえ、私共、料理などしたことが無かったので……。そういえばお嬢様、初めて会った時の猪の丸焼きは料理に入りますでしょうか」
「入るんじゃないか?あれはなかなか人間風に言えば野性味があったな。今までも他人が作ったものを買って食べていたが……翠、まずかったか?」
むしろその料理は野性味しかない気がするのだけれども。
というかガーネットは血を飲まないのか。そう言えば公園で敵を返り討ちにして血は奪ったとか言ってたけど、普段普通に食事をするのかという発見はとりあえず脇に置いておく。
もはや予想の遥か斜め下な食事事情に思わず頭を抱えてしまう。
確かに最近のコンビニ弁当とかは美味しくなってきているし、お金持ちならよそで買って食べても何ら問題ないのだろうけれど、せめてコンビニとかじゃなくってちゃんとした食事にしてほしかった、イメージ的に……!
いっそちゃんとした料理を学んでもらえば何とかなるのではないだろうか。
少なくともお金持ちっぽい豪邸で、お嬢様の食事にコンビニ弁当なんて妙な絵面は無くなるはず。
一度結論付けられれば、あとは行動あるのみ。
椅子から立ち上がり、宣言する。
「今日の夕ご飯は、私が作る」
正直、私の料理は一般家庭料理の域を出ないけれども、少なくともこれをきっかけに自炊を学んでくれれば食生活は劇的に解決されるはずだ。
それは先ほど飲んだ紅茶の美味しさから考えても分の悪い賭けではない。
その為に、今夜私は料理を作る……!何にするか全く考えてないけど。
「――だそうだ、ハウンド。明日の朝にでも必要なものを聞いておけ。夕方までには買え揃えさせよう。翠の料理楽しみにしているぞ」
料理に関してはガーネットのその言葉でお開きになって、私もコンビニ弁当のご相伴に預かることに。
結局何も食べられなかったので、深夜とは言えちょうどいい。
普通においしゅうございました。
「よし、翠。腹も膨れただろうし、今日はもう休め。
少しだけ、とはいえ眠った方が辛くなかろう。我がお前の部屋まで案内しよう。
ハウンド、片付けは頼んだぞ」
「畏まりました、お嬢様」
ハウンドに片づけを命じつつ、私についてくるよう促すガーネット。
確かに、少しでも寝ておけば今日の学校で寝落ちする事も無くなりそうだけれど。
(……また悪夢見そうだな)
ここ最近眠るたびに見る悪夢。特に夜眠っている時に見るのだけれど、ここで眠っても見るのだろうかと思うと不安はぬぐえない。
とはいえ、しばらく生活する事には変わりないのだし、素直に洋館内部を案内される事にした。
歩いているうちに分かったのは、ガーネットとハウンドの二人だけで住んでいるなら、かなり広い館の様相。
いつから住んでいるかは分からないが、ずっとこうだったならば少し寂しくないのだろうかなどと思いながらも私の部屋にたどり着いた。
(やっぱり広いな……!)
客間と同じく、私が住んでいたアパートよりも広い空間。
さらに天蓋付きベッドなんて映画とかでしか見たことなかった分、謎の感動さえ覚える。
備え付けられた置き時計を見れば、色々起きた後の準備も考えれば一、二時間くらいは眠れそうだ。
「この部屋にある物は好きに使っていい。後でもともとお前の部屋にあった物は取りに行かせよう。
朝も時間になったらハウンドに起こさせる。他に何か質問はあるか」
「うーん、今は大丈夫かな?後で追々聞くかもしれないけど」
ベッドを目にした事で、疲れがどっと湧き出たのもあるのだろうか。今は一刻も早くベッドの中で眠りたかった。
ガーネットの問いに少々疲れ気味に答えながら、靴を脱いでベッドの上に横になる。
少し汗ばんだ事もあって体がべたついているような気もするけれど、今はまず休む事を第一に考えたい。
それでも一抹の不安がぬぐえなくて、ベッドの上で体を起こしながらついガーネットを呼び止めてしまった。
「……ねぇ、ガーネット」
「どうした、翠。何か不安事か?」
部屋の出入り口まで行っていたガーネットが、わざわざ戻ってベッドの横まで来てくれた事を少し嬉しく思いつつ、不安事と言い当てられたのはそれほど今の自分の呼びかけは頼りなさげだったのだろうかと少し笑ってしまう。
「実は、最近ちょっと夢見が悪くて……」
いろいろあった事への疲れや眠気、これからの不安、それらがごちゃ混ぜになったのだろう。
自分の中に溜め込んだそれらを少しでも解消したくて、今まで誰にも相談していなかった悪夢の事をガーネットに打ち明けるようにしたのは。
どこかわからないけど昔のような街並みで起こった平和な光景と悲惨な末路。
それを見ている内に湧き上がる負の感情の渦。
包み隠さず、それらをガーネットに伝える事にした。
「その夢を見ているうちに……私は……『私』は……『私』の国を壊した連中を許せなくなって……悔しくて悲しくて何もかも壊したくなって、それでまた国を取り戻したくなって……」
話しているうちに、悪夢を見ていないというのに湧き上がる負の感情。
自分でも息が荒く目を見開きながら夢の内容を離す様子は異様だと思ったけれども止められなかった。
それほどまでに、湧き上がる感情に際限がなく、どこまでも感情のままに行動したい衝動に駆られてしまう。
「――分かった。今までずっと辛い夢を見続けたのだな。
だが、それ以上その夢に引っ張られる事はない。今はゆっくり休め、翠」
気付けば、ガーネットにぎゅっと抱きしめられていて、あやすように頭を撫でられていた。
不思議な事に、そうして貰えるだけであれだけ湧き上がっていた負の感情が治まっていくのは驚きだった。一人では、この感情が治まるのにかなり時間を要していたというのに。
その代わり湧き上がってきたのは悪夢を見た時に流す涙とは別種の涙だった。
負の感情から来る涙ではなく、安堵した時に流れる涙。
慌てて止めようと思っても止まらずに、逆にさらに嗚咽さえ漏らし始めてしまう始末。
「もう、こんな悪夢見たくない……。眠るのも怖い……どうしてこんな夢……」
親は今は外国に行っていて日本にはおらず。
友人などには不安な事とか相談したりもあまりしない性分であった。
それゆえに、こうしてあやされるようにされるのは恥ずかしくもあったけれども、それ以上に久しぶりに感じた安らぎでもあったのだ。
だからこそ、漏れ出た言葉は本音に近く、眠る事への不安を次々と吐露してしまう。
「そうか……。ならば我が悪夢を見ないおまじないをしてやろう。
翠、少し目を閉じていろ。すぐに済む」
「? わかった……」
おまじないと言うのは何だろうか。首を傾げながらも素直に目を閉じる。
吸い付くような軽い音と共に額に柔らかな感触を覚えたのは数瞬後であった。
「……ふぇ?」
「お休みのキスという奴だ。悪い夢のことなど考えずに安心して眠るといい。
何かあれば我を呼べ。すぐに駆け付けよう」
悪戯が成功したような笑みを浮かべながら、ガーネットはベッドを離れて部屋から出ていこうとする。
してやられたとも思ったけれど、それ以上にまた彼女に助けられたなんて思いの方が強くて。
「どうして、私をそんなに助けようとしてくれるの?」
聞こうと思って、まだ聞けてなかった質問をこの場でぶつけてみる事にした。
普通なら、ここまで親身にしてくれることなんて、そうそう無いだろうに。
今まで直接顔を合わせたことが無かったなら特に。
「……お前が欲しいと思ったのでな」
「欲しい……って、え?」
今のは……吸血鬼ジョーク?お前の血が欲しい、とかなんとか。
いくら考えてもガーネットの真意は見えず。
しかも彼女は部屋から出ていってしまったので、どういう意味かを聞き返すこともできないまま。
答えが出ないまま、少し悶々としたけれど。
(久々に思いっきり泣きながら吐き出したからすっきりしたかも)
おかげで額に残った感触を少し意識しながらも、ベッドに横たわって目を閉じれば、ほどなく眠りにつくことができた。
そして、私は――久しぶりに悪夢を見る事はなかった。
* * *
「どうでしたか、お嬢様」
「そうさな……。思った以上に浸食は進んでいたようだ。これ以上は進ませないようにしたいが……」
「協会との連絡はどういたしますか」
「――あの男を昼頃に呼べ。情報交換ついでに対応策を検討しておきたい」
「はっ、手配しておきます。……協会もお嬢様が積極的に手を借りようとするとなると驚いているでしょうね」
「ふっ、我はいざという時はどんな手を借りる事もいとわぬぞ」
「では、私はお嬢様の足となって駆け回ることとしましょう」
「頼んだ。では我も休む。時間になったら翠を起こしてやれ。それと……」
「これは……お嬢様の血ですか?」
「それを明日の朝、翠に紅茶に混ぜて飲ましてやれ。
何かあった時の保険だ。……役に立つ時が無ければいいがな」
「畏まりました、お休みなさいませお嬢様」
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