第6話 少女の名は

 目が覚めると、真っ先に目に飛び込んできたのは天上に輝く赤い月。

 つまりここは、少女と一緒にいた時の幽世に戻ってきたということだろうか。少なくとも、あの圧迫感さえ感じた謎の存在の気配はない。

 試しに体を動かそうとすれば、無理して体を動かした反動からか頭と体の節々がズキズキしてくる。

 しばらくはまともに動くのは厳しそうな気がした。


「どうやら目が覚めたようだな。まったく冷や冷やさせてくれる」


 そして、月を遮るように私の顔を覗き込んでくる赤い髪に赤い瞳の少女の顔。

 今の彼女の様子と後頭部に感じる若干柔らかめの感触から自分が膝枕されているのが分かった。

 横を向いてみれば町外れの山へ向かう途中にある公園のようで、そこにあるベンチで私は横にされて休ませてもらっているのだろう。

 彼女の呆れと安堵の混じった声色から察するに、相当心配させてしまったように思える。

 

「えっと……助けてくれてありがとう、ございます……。あと、ごめんなさい」


 最後の方は消え入るくらいの小声でお礼と謝罪の言葉を。

 いや、もう私のせいで完全にお騒がせさせたのは目に見えているので、怒られるだろうなぁという思いから後ろめたさがいっぱいです、はい。

 ついでに、そーっと膝枕から頭を上げてみようともしてみる。さすがにこれ以上迷惑はかけられないし。

 もっとも、あえなくその試みは頭を軽く彼女の片手で押さえられて頓挫したけれども。


「良いからまだ寝ておけ。

 我の方もしっかり手を繋いでおく理由を話しておくべきだった。その点はすまない事をしたと思っている」

「いやいや、謝られるような事は……!」


 さらには逆に謝られる始末である。

 今も私の左手は彼女の左手によってぎゅっと握られており、そう簡単には離すまいとしている様子。

 謝られると逆に困るというか、申し訳なさが加速するから出来れば普通に叱ってくれた方が気持ち的には楽ではあるのだ。

 しかし、このままお互いに謝罪の譲り合いのような変な空気になるのは避けたくもあったので、ひとまず話題を少し変えることにした。

 痛む自分の頭を片手で押さえつつ、気になることを質問してみる事に。


「ところで……私が手を離してから何があったの?

 その、そこから今までがむしゃらに動いたけど、いろいろ起き過ぎて何が何やらで」

 

 まずは自分の身に何が起こっていたのか、それを知っておきたい。

 目まぐるしくいろいろあったし、目の前の彼女なら詳しく知ってそうだし、何か新しい発見があるかもと思ったから。

 少なくとも、今の私が頭の中で疑問をこねくり回したところで答えにたどり着けるとは思わなかったのもある。

 

「ふむ、確かに説明はしておいた方が今後何かあった時のためにはなる、か。

 いいだろう。我なりにではあるが説明しよう。

 幽世を地上を表面に映した水中と評したのは覚えているな?」


 それは覚えているので寝転がりながらもコクリと頷いておく。

 問題はそれがさっき起こった事にどう繋がるかだけれども。


「結論から言ってしまえば、一般人は幽世ではカナヅチということだ」

「カナヅチっていうと……あの泳げないカナヅチ?」


 私の問い返しに少女は頷く。

 どうやら認識の齟齬があるわけではないらしい。一応、自分の中では水泳は結構得意ではあるのだけれども、おそらくその事は関係ないのだろう。

 では、幽世で泳げないのとさっきの事に何の関係がと疑問に思ったのが顔に出たのか、彼女は苦笑しながら次の言葉を紡いだ。


「幽世を水中と例えたのはそれが一番しっくりくる例え方なのだよ。

 この幽世には深さがある。元の世界に近いほうが浅く、深ければ翠がいた黒に染まった世界へと近づいていく。

 だから幽世で移動するためには一定の深度を保ちつつ移動しなければならない。

 それが出来なければ底へと沈み堕ちて、無事に一人で這い上がるのは難しいだろうさ」


 こうして普通にしている状態でも幽世で立ち泳ぎならぬ座り泳ぎしているようなものだな、とは少女の談。

 つまり、一般人はカナヅチと彼女が評したのは。


「普通の人は幽世で泳げないから、底まで沈むしか無い……って事?」

「触れ合ってさえすれば、我の方で一定の深度は保つ事は可能だったが、そういう事だ。

 多少深さに違いが出てしまうと、たとえ地上での場所が近くとも、見る事も触れる事もできなくなる点もあるな」


 ということは、見つけてもらえたのは運がよかったのかもしれない。

 でなければ、私は今頃あの大きな気配にどうにかされてしまっていたかもだし。


「底の方に行ったと分かれば 気配でまだ探せる。特に今回の翠は幽世の“ヌシ”が近くにいたからな。

 なんとか逃げられていたようで良かったよ。

 アレは幽世の底にしかいないが、堕ちてきた魂を喰らって生きている。

 普段はあの靄を喰らうだけで済ましているらしいから、翠のように魂丸ごと堕ちてきた時は奴らも驚いただろうさ」


 つまり驚いてたから、ゆっくりと近づいてきたというわけなのだろうか。

 その事に関しては神様に感謝することにしよう、さんきゅーごっど。

 ところで、ちょっと気になる言葉が出てきた気がするんだけれど。


「奴“ら”?」

「ああ、ヌシは一体だけじゃないからな」


 つまり、命がけの鬼ごっこの最中、前から突然やぁとか言いながら乱入とかもあり得たわけか。

 HAHAHA、どこのパニックホラー物の映画だ。

 そういう絶望はもうお腹いっぱいです。


「とまぁ、幽世は自由に動けるのは魔人に限られる。だからこそ、もし追いかける相手が魔人相手なら追跡は難しくなるのだがな」

「それで今も見つからずに移動する用に使ってると……。それなら他の魔人からも逃げやすそうだし」


 ただでさえ幽世は普通の人間では認識できない世界。

 慎重にいけば同じ魔人からも身を隠せる移動手段なら十分重宝しそうな気はする。

 襲撃から撤退したビフロンスのように、逃げの一手でいればそうそうやられる事もなさそうだ。


「まぁ、すぐに追いかければ追跡も出来なくはないが、その場合はリスクも相応にある。

 だが、それについてはまた別の機会があれば話そう。

 ――休憩ついでだ。他に我に聞きたいことがあるなら一つ二つなら答えようではないか」

「えーっと、それなら……」


 どうしよう。聞きたいことは他にも結構あるはずなのに、いざ聞ける状況になると言葉が出てこない。

 こういう時に場を和ます質問として、常套句なのは「スリーサイズはいくつですか?」とか?

 ダメだ、これじゃあセクハラ男子とかおっさんの思考だ。だいたいホラー映画とかだとセクハラは早死するパターンだぞ、それは。

 スリーサイズの言葉から、下から見上げても自分より豊かだと分かる膨らみを連想。

 やっぱりこの子は私よりもスタイル良いよねと結論づけつつ、一番気になっていた事を尋ねる事にした。


「なんで私の名前、知ってたの?もしかして、どこかで会った事がある?」


 今日、助けてくれた時からすでに私の名前、翠を知っていた目の前の少女。

 少なくとも彼女に自己紹介した記憶はないし、誰も彼も私の名前を呼んですらいないはず。

 なら目の前の少女はいつ私の名を知ったのか。もし過去に出会っていたのなら、その時の縁で助けてくれたって思えるけれども。


「昔、お前の名を知る機会があったのでな。その時に覚えた。残念ながら直接顔は合わせてないが」

「知る機会……?いったいどんな……」

「――それは秘密だ。話せば長くなりそうだしな。

 念の為言うが、悪い事ではないから安心するといい」


 知る機会って何があったのだろうか。詳しく言う気はなさそうだし、今は これ以上聞いても多分答えてくれなさそうな気もする。

 確かに話が長くなるならもっと落ち着いた状況の時に聞いてみたい。

 それならばと、次に知りたい事で ずっと気になっていた事を聞いてみることにした。


「じゃあ、名前」

「ん?」


 私のさらっとした問いかけで、聞き返すように少女が首を傾げる。

 確かに、名前と言っただけだと何の名前かは分からないよねと思い直したので、もう少し言葉を付け加える。


「あなたの名前、教えて。私の方だけ知られてるっていうのは、なんだか不公平な感じだし」


 それにどうやって呼べばいいのか地味に困ったりもするし、恩人の名前を知らないっていうのもなんだか座りが悪い気もする。

 ともあれ、少女の見た目は西洋系な見た目。いったいどんな名前なのかを想像しながら回答を待つ事にした。

 これで東洋風な名前だったら、それはそれでインパクトは大きいけれども。

 あ、でもハーフとかあるのかな、どうだろう。


 私が名前について思考を巡らしている頃、彼女の方は そういえばまだ教えた事はなかったなと呟きながら、自身の顎に空いている手を添えて空の赤い月を見つつ考える素振り。

 やがて、ぽつりと零すように一つの名前を口にした。


「ガーネット」


 彼女から返ってきた名前は、赤い色が代表的な宝石の名前。

 赤色が印象的な彼女にはピッタリな名だと私は思った。

 彼女の瞳は間近で見れば、その宝石に例えてもおかしくないくらい綺麗ではあったし。


「おぉ……なんだかすごく似合ってる気がする」

「であろう?他にも色々な呼び名はあったがな。一番我が気に入っているのが、この呼び名だ」

「色々な……ちなみに他の呼び名だと、どんなのがあったりするのか聞いてもいいかな?」


 呼び名という事は、このガーネットという名前も元からの名前ではないという事だろうか。

 それなら彼女の元々の名前は何だったのか。

 その辺りも気にはなったけれども、話が進むうちにその疑問も新たな疑問に押し流されてしまうのは彼女がそれだけまだ私にとって未知な存在なのだろう。


「知りたいか?ならば教えようとも。

 “血塗られた赤い月ブラッドムーン”“紅の大災害”“朱色に染まる夜の王”最近なら“異端の吸血鬼”と言ったところか。なかなか大仰な名前であろう?」


 過去にそう呼ばれていたであろう名前を羅列しながらガーネットは皮肉気な笑みを浮かべている。

 殆どの呼び名に赤関連の色が入っているのはそれらしいとは思ったのだが、それ以上に食いつける場所が多かった。


「なんだか聞いてるだけで凄い物騒な名前ばっかり……って、吸血鬼?」


 というと、あのヴァンパイアとかドラキュラとかカーミラとか、そういう感じの映画とかに出てきそうな吸血鬼?赤い月や夜の王っていうのも、まさにそんな感じだし。

 大災害っていうのはちょっと分からないけれど。

 私の頭上に浮かぶはてなマークを察したのか、ガーネットは苦笑しつつ話を続ける。


「なんだ、気付いていなかったのか。ほら、こうして見れば牙がしっかり見えるであろう?」


 そう言ってガーネットがニヤリと笑みを浮かべ、口の右端を自身の右人差し指で引っ掛けるようにつり上げれば、なるほど確かに。

 普段は見え辛かったものの、私にも彼女の鋭い犬歯を見ることが出来た。


「この牙を相手に突き立てて血をすする。世の吸血鬼のイメージ通りであろうな。試しに吸われてみるか?」


 せっかくのお誘いには全力で首を横に振れば、ガーネットは冗談だと言って、指を口から離した。

 彼女が その鋭い牙でもって美男美女の首筋に噛みつき血をすする姿を想像すると絵になりそうだから困る。吸血鬼映画の一シーンと言われれば十分納得できる絵面だ。

 見た目の年代が少々若すぎる気もするけれど、今のご時世なら結構受け入れられる気がする。


「もっとも、物心ついてから我が自分から人を襲って血をすすった事は一度も無いのだがな」

「……なんですと?」


 今、吸血鬼にあるまじき言葉を聞いた気がするんだけれども。

 まさか血を吸った事が無いとかだろうか。

 となると、吸血鬼の自己申告も途端に怪しくなるのだが。

 思わず寝転んだままジト目でガーネットを見上げていれば、彼女もジト目の理由を悟ったのか苦笑しながら言葉を続けてくれた。


「ああ、誤解はするな。もちろん血を吸った事が無いなどと初心うぶな事を言うつもりはないぞ。

 単純に血を奪う相手で困らなかっただけでな。わざわざ襲う必要もなかっただけだ」


 困らなかった、というと どういう事だろう。

 こう、血を吸ってくれって相手に暇がなかったのかなと思い、先程思い浮かべた美男美女を侍らすガーネットの姿を夢想する。

 さらに、それに加えて思春期特有の性的な妄想も加わって他人には見せられないよ的な想像図が出来上がってしまい赤面してしまう。

 ほら、吸われると吸われてる人は気持ちよくなるって話も時々聞くし。


「ああ、まったく。奴らは人の都合も考えずに何度も何度も多方面から襲いかかってきおってな。

 まぁ、返り討ちついでに血を奪われるのは、我に対する挑戦料としては妥当であろう?」


 あ、違うわこれ。

 そんな退廃的と言うか耽美的なモノじゃなくって、もっと殺伐とした何かだった。

 さっき思い浮かべた妄想が一瞬でかき消えて、血まみれで倒れ伏す武装した何者かの集団の真ん中で堂々と大きく映った月をバックにラスボスっぽい雰囲気を醸し出しながら不敵な笑みを浮かべる彼女の姿が容易に想像できた。

 なんだかとてもしっくりくるのは、可憐な見た目とは裏腹にかなりの武闘派である事を目の当たりにしたおかげだろうか。


「とはいえ、我にとって血は知であり、力だ。昔に血を奪っていなければ今の我はいなかっただろうさ。

 そういう意味では奴らにも感謝するべき、なのであろうな」


 そう言ってガーネットは遠い目をして紅い月を見上げている。

 何か事情があったのかもとも思うが、まだ彼女の事をあまり知らない身としては、その顔を見上げる事しかできず。

 だからと言って無言のままでいるのは少しだけ気まずいので、また別の話題に変えることにした。


「そういえば、私の家に突入してきた男の人、用件は知っているって……」


 次に質問したのは、本日のダイナミックお邪魔しますをした防塵マスクの人。

 彼の方からはガーネットの事はあまり知らなそうだったけれど、ガーネットからは何か知っていそうだったのが気になったのだ。


「ああ、奴の所属する組織……まぁ対魔人用の組織らしいんだが、そこの中間管理職と知り合いでな。

 その縁で敵対もしていないから、ある程度の組織の情報は入ってきている。

 あの小僧の方は我が敵対していないなど知った事ではなかったようだが」


 だから、誰かはしらないが目的は知っているという事らしい。

 なるほどなぁと思いつつも、じゃあその目的は何だろうと思って聞いてみると。


「対魔人の組織なのだから魔人関連であろう」


 何を当たり前の事をといった表情であっさりと言われ、確かにそうだよなぁと思ってしまった。

 しかし、ひとまず納得はしたけれど、深く考え始めたら何かが引っかかるような気がしてくるのはなぜだろう。


(魔人って事はビフロンスを追っていたとか?でも、それならその魔人の特徴を知ってるだろうし、姿形が違うガーネットにいきなり敵対はしないよね?)


 現場からして、どちらかは部屋を荒らした下手人だとは判断できるだろうけれど、私でなく真っ先にガーネットを敵と判断した あの防塵マスクの人の事を考えれば、やはり違和感がどうにもちらついてしまう。


(もしかして、あの人は私の事を知っていた?なんで?)


 それなら知らなかったガーネットが下手人と判断するのも頷ける。

 まさか知り合い……なわけないよねぇと思いつつも、目的が私なら男の正体がなんであれ一応の納得はできる。ただその場合。


(私が……魔人関連の案件を抱えてる?)


 いやいや、ないないない。

 生まれてこの方、そんな非日常世界とは、とんと今日まで縁が無い生活を送ってきたはずである。

 そんな私が魔人に関する問題なんていう非日常の代表格を抱えてるなんてそんなはずが、とまで考えた辺りでふと思い出した。


(……最近見る夢ってもしかしてソレ?)


 ここ最近で変わった事で、考えられる要素は例の悪夢。

 内容を思い出すだけで、夢の中に詰まった怒りや後悔、悲嘆が溢れそうになってきたので小さく頭を振って今の思考を振り払う事にした。

 ついでに、この違和感について考えるのもいったん中断する。

 どうしても、考え続ければ夢の事について考える事になるだろうと思ったからだ。


 質問も一段落つき、気付けば身体や頭の痛みも治まっていた。

 それに幾分か気分も復調しているのを感じる。

 これなら普通に歩けそうだ。


「もう十分休んだし、大丈夫だと思う。膝枕、ありがとう」

「気にするな。

 ならば、そろそろ行くぞ。あまり遅くなれば夜も明ける。

 そうなれば翠も困るであろう。朝になれば学校……というのがあったのだったな」


 私が立ち上がるのに合わせてガーネットも腰かけていたベンチから一緒に立ち上がる。

 握っていた手を歩きやすいように左から右へと握りなおして、今度も彼女が先導する形で公園から町外れの山まで歩き始めた。


 そういえば、今はどれくらいの時間だろうか。

 荷物やら何やら全部置いてきてしまっていたので時間は分からないけれど、明日も学校へ行くなら下手したら徹夜案件になりそうだ。

 本当なら、録り貯めした映画を見て徹夜風味で朝を迎えるはずが、今までの人生のどの出来事よりも濃い内容のイベントによって半ば強制で徹夜になりそうなので、少々げんなりしてしまうのは否めない。

 ともあれ。


(明日は明日の風が吹くって事で、頑張りますか)


 彼女の先導に付き従う形で、今度は手を離さないように、こちらからもぎゅっと彼女の手を握りつつ。

 この幽世の世界を目的地である町外れまで歩き続けたのだった。

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