第3話 月下の少女

「死んでもらうってどういう事……?!」

「どういう事も何もそういうことですが?」


 ビフロンスに杖を突きつけられながら、恐怖で跳ねあがりそうになる心臓を押さえつけて質問する。答えはある意味予想通りのものだけれども。やはり比喩などと言ったものではないらしい。

 つまり、彼は私を殺すつもりでここに来たという事か。どういう理由かは全く分からないし分かりたくもないけれど。

 悪魔なら誰かと契約して私を殺しに来た辺りが予想はできる。ただ、そんな殺人悪魔をよこされるほど人に恨みを買った覚えは……今日の帰り道に出会った強盗犯くらい?とにかく無かったはず……多分。


 ともあれ、このままでは私が殺されてしまう。さすがに今日いくら嫌なことがあったからと言って死にたいわけじゃないし。

 むしろ生きたい。まだまだ普通のJK生活を満喫したいのだ。

 

 じゃあ、相手はどのように殺してくるのだろう?

 この突きつけられた杖で突かれるか、それとも何の前触れもなく燃え上がる火で焼き焦がされるのか。押さえ込まれて首を絞められてなんてこともあるかもしれない。

 ならば誰かに助けてもらうべきだろうか。幸いここは集合住宅。大声を出せば誰かしら事情を察知してくれそうではあるが。


「ああ、そうそう。ここはすでに人払いの結界を張らせていただきましたので。いくらお嬢さんが叫んだり暴れたりしたところで誰も助けは来ませんよ。

 今、ここで起きているあらゆる事象を人が観測する事はできませんので」


 ここで、とてもありがた迷惑な情報を付け加えられた。

 そういえば、私の家の隣は壁ドンしてくる事で有名なお隣さんだったことを思い出す。

 なにせ、夜中にうっかりTVの音を大音量に一瞬してしまっただけでドンと隣の壁を叩かれたのだ。

 今さっきビフロンスがカップ焼きそばをかけられた時に騒いだ反応が未だに返ってこない。

 普段からこれくらい静かなら良かったのに。

 時間は真夜中。寝てる可能性もなくはないが未だに無反応となるとビフロンスの言う事を信じざるを得ない。


(なら……自分で何とかするしか無いって事かな)


 ちらりと視線を送る先は壁際に立てかけた対不審者撃退用の木刀。同じ剣道部の友人、ひびき夕菜ゆうなから護身用にとプレゼントされた物であったが、こんな時に頼りにすることになるなんて。

 本当ならしつこいセールスマンとか家まで追ってきたストーカーとかそういうのに使用する予定だったけれど。今までそういう存在と出くわさなかったからとはいえ、初戦が悪魔と相対することになるとは、この木刀も運がないのかもしれない。

 ともあれ、私の視線に気づいたらしいビフロンスは、同じ方向に視線を向けて納得したように一つ頷いた。


「なるほど。殺されると言われて抵抗するのは至極当然。その権利は生きとし生きるもの全てが持つものですからね。いきなり死んでもらうと言われて納得しないのも道理でしょう」


 そう言ったビフロンスは私に突きつけていた杖を下ろし、好きに打ってくるといいと言わんばかりに腕を私に向けて広げてきた。その木刀で何かをするなら好きにどうぞ、とでも言わんばかりに。


(舐められてるのか、それとも試してる?もしかして同情とか?――どっちにしろ、このチャンス逃すわけにはいかない……!)


 ビフロンスが何もしない意思表示をしているうちに、立てかけておいた木刀を手に取り正眼の構えを取る。

 剣道部の活動で慣れ親しんだ構え。こう見えても、部活内ではそこそこ良い成績を残しているのだ。

 ひとまずは、気を落ち着かせるように深呼吸をして息を整える。

 そうして木刀を握り直した後、気合を入れ直すようにビフロンスの顔に向けて視線を送った。


「もう少し離れた方が打ちやすいですかな?」


 当のビフロンスは挑発するように私から大きく一歩距離を取った。

 確かに壁際に詰められていると思うように木刀を振るうことができないから助かると言えば助かる。

 どういう意図かは分からないけれども、本気で私に打たせるつもりらしい。

 もしかしたら罠かもしれないが、そうする理由があまり見えない。ならば遠慮なく木刀で叩きのめして、この状況を打開させてもらうだけだと、自身の得意とする間合いになるよう一息で飛び込んだ。


「――はぁっ!」


 正眼の構えから木刀を振り上げて、ビフロンスのマスク越しに顔を強打するように振り下ろす。

 身長差はあれど狙いが逸れる事はなく、ガンッと言うような音と腕に伝わる手ごたえに、どうだとビフロンスの様子を見た、のだが。


「……終わりですかな、お嬢さん?」

「っ!――はぁっ!」


 狙い通りに打った。そのはずなのに、ビフロンスは身じろぎもせず。

 相手が人の姿をしているから無意識に手加減してしまったかと思い、狙いを肩、腕、首、腹、胸、といった具合に次々と変えながら、全力を込めて彼を打ち続ける。

 最後には、ほとんど闇雲に振り回しているような状態になるまで打ち続けたにも拘らず、ビフロンスはやはりダメージなど無いというように平然としたまま。


 手応えに反して全くダメージを受けた様子がないその姿は、やはり未来からきた機械兵士のようにも思えてしまう。それだけに、相手に対する不気味な印象がより増していく。

 

 息を乱しながらも最後に打ち据えたビフロンスの肩に木刀の剣先を突きつける。とは言うものの疲れか恐れか、はたまた相手の不気味さ故か私の体の震えが止まらない。

 もはや木刀をこれ以上振り回せるほどの体力と気力が残っておらず、項垂れてしまいそうになるのを必死に抑えるだけで精一杯。

 彼の方は、こちらがこれ以上抵抗する様子がなくなったことを察したのか、剣先を片手でつかみつつ一言。


「――さて、、お嬢さん?」


 抵抗しても結果は変わらない。だからこそ私に打たせたのだと分からせる言葉。身体的にも精神的にも疲労はピークに達していて、握っていた木刀はそのまま容易く奪われてしまう。そして……


「嘘……。木刀が燃えてる……?」

「私はこうして触れているものに火を灯す事ができましてね。

 さて、お次はどのようにお嬢さんに死んでもらうかですが……この木刀のように燃やせば楽なのでしょうが、そうもいかない事情がありましてね」


 ビフロンスが掴んでいた木刀は掴まれている所から火がついて全体に燃え広がる。彼の手から離れれば、木刀は床に落ちる前に全て燃え尽きが如く跡形もなく消え去ってしまった。


 私もあのように燃やし殺されたらどんな苦しみが待っているのだろうかと思えば、恐怖がより湧き上がってきて息が荒くなるのを止めることができない。だが、どうやら相手は少なくとも火で殺すということはしない様子ではある。

 どういう事情があるかは分からないけれど、これがおそらく付け入ることのできる最後の隙。

 少なくとも残りの分かりやすい死因はビフロンスの持つ杖か、体格差を利用して押さえ込まれるくらいだろうか。


(……だったら、まだ活路はある)


 そっと、ビフロンスに気づかれないようにに視線を向ける。

 彼が最初に開けて入り込んだ場所。今、確認してみれば窓の鍵の所が溶けたように穴が開いていた。

 そこから外に出たならば、例えここが2階でもそのまま外に逃げることができるはず。

 

 後は、とにかく捕まらないように注意すればいい。

 窓までの道のりで邪魔になるような障害物が無いことを確認してから、少し息を整えて一気に走り出す。

 

 走り出した時、視界の端でビフロンスが私の方へ視線を向けているのが分かる。

 何も行動する素振りを見せないのは窓から出ても降りられないだろうという余裕の表れだろうと予想しながら、私はそのまま開いている窓から外へと、顔から飛び込むように躍り出て……。


 ズガンッ


「あ痛ぁ?!」


 思いっきり何かと正面衝突したような衝撃と音が頭の中で鳴り響いた。


(何?何が起こったの……!?)


「ああ、そうそう。言い忘れていました。

 人払いの結界を張ったと先ほど言いましたが、これは物理的な障壁も兼ねていましてね。お嬢さんではどう頑張っても壊せませんよ。

 つまり……お嬢さんは


 ガンガンと頭の鈍痛に悩まされながらで思考能力を鈍らせている所に、ビフロンスの無情な遅すぎる忠告が入った。。

 確かに確認してみれば、丁度 中と外との境界線とも言える境目に見えない壁のようなものがある事が触感でわかった。

 忠告しなかったのはきっとわざとだろう。窓へと走った時に何もしてこなかったのも、私自身にここから出られないことを確認させるため。先程の木刀での抵抗の時と一緒。

 抵抗それ自体が無駄だと分からせるように動いている。


 思わず両手の拳を握り締めて不可視の壁へと叩きつけてみたけれども、ガンッと叩きつける音と衝撃を発しただけで やはり壁が壊れる様子はない。


「嘘でしょ、こんなの……」


 外は満月がうっすらと輝いているのが分かるほど景色はしっかり見えているというのに、外へ飛び出すには余りにも この不可視の壁が厚い。

 そうして、思わずへたり込みながら後ろを振り返れば、ゆっくりと近づいてくる黒づくめの悪魔の姿。

 私を殺すと明言している、まさに死神のような存在。


「安心して欲しい、お嬢さん。無駄に苦しませるつもりはない。体も綺麗なまま死なせて差し上げよう。だから抵抗せずに潔く死んでくれたまえ」


(ああ、もうダメだこれ……。流石に諦めるしかないか……)


 ここから反対側の玄関に逃げられたとしても、そちらも結界とやらで道を阻まれるのだろう。ここで起こっている事が外部に漏れないなら助けが来る見込みもない。

 物理的に相手をどうにかしようとしても、どうあがいても倒せる気がしない。


 逃げ道なし助けなし倒す手段なしのなしなしづくし。八方塞がりとはまさにこの事。正直ここまで対処が絶望的だと笑いさえこみ上げてきそうになるのが不思議だ。


「私を殺して……どうするつもりなの?」

「それはお嬢さんが知る必要のないことだよ」


 問いかけには淡々とした答え。

 ビフロンスは杖をくるくると回してから先端を私の方へと突きつけてきた。

 ああ、あれで私は殺されるのか。


「では最期に聞いておくとしましょうか、お嬢さん。なにか言い残すことはありますかね?」


 どうやらこの悪魔、辞世の句まで詠ませてくれるらしい。

 あいにく、その手の文才のとどんな事を言えば良いのか思いつかなかったから首を横に振って辞退した。

 ビフロンスが杖を横に振りかぶるのが見える。このまま薙ぎ払われるように首を飛ばされるのだろうか。

 悔しさと無力感で項垂れて今日の出来事に思いを馳せる。

 最近の悪夢から帰り道の人質事件、他にも細かい嫌なことばかり思い浮かべてしまって、最期にはこんなことになるなんて……恨むよ神様。


(死にたく……ないよ)

「誰か……助けにきて」


 もはや掠れきった助けを求める言葉を紡ぎながらも、迫る死を恐れて目を閉じる。

 誰かに本気で助けを求めるなんていつ振りだろうか。思い浮かべるのは特に仲の良い友人2人。だけれど問題はその2人は来る見込みがないことだ。


 数瞬後、パリンッと、何かが割れるような音がした。

 そして……私に襲ってくるはずの衝撃がいつまでもやって来ない。


「……え?」


 もう終わったのだろうか。それにしては何もかもあっけなさすぎる気がするのだが。

 さらに、何か続けて聞こえたガラスのような物が崩れ落ちるような音に驚いて目を開ければ、いつの間にか私とビフロンスの間に女の子が立っていた。

 全身を黒づくめにしたビフロンスとは違い、赤と白で彩られた小柄な少女。


「まったく……ようやく中に入ることができたが、ギリギリだったか」


 見覚えはない。だけれども、私は求めた救援に来てくれたのであろう少女の背中に安堵できる何かを感じたのだった。

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