レヴェリーゼロ『アマルティアという天使』
アルメリア。
それは人と神が近しい存在となった世界。
かつて凶悪な兵器を用いた戦争がこの地で起き、それによって世界は生物がまともに生きられない環境へと変わった。
星が滅ぶと誰もが思う中、一度荒廃した世界に突如舞い降りた神と呼ばれる者達は地上をリセットし、人々から文明を奪い、その代わりにマナという魔力を与えた。
生命に再び地上を託し、天使という良きパートナーを残して再び眠りについた神々。
しかし、その中にはそれを良しとしない神もいた。人々から邪神や悪神と呼ばれる神は、美しい世界を再び穢すまいと人間を殺戮する魔物を生み出した。
アルメリアの歴史は争いの歴史…、人と魔物の終わらぬ戦いの中、いつのまにか人々はそう語るようになった。
そして…神が眠りについて数百年、人と共に歩むはずだった天使は、一人の長の堕天によって、人間との間にも亀裂を作ってしまった。
人と天使と魔物の三つ巴の時代の中、そこには濁流に飲まれた少女達がいた。
「そろそろ休憩にしよう。リーネ」
空色の髪を靡かせた女性は左手に持った剣をしまうと、目の前の黒髪の女性に向かって呼びかけた。
「あら、もうギブアップ?案外情けないわね。アマルティア。」
「違う、近接では私の方が上で魔法はキミの方が上手。これではいい稽古にならない。」
「苦手を克服する為に稽古してるんでしょう?」
「そうだが、…今回のは少し違う。」
リーネの問いに俯きながらそう答えるアマルティア。
彼女達は天使達が住む天界の月の国にて、国を守護する名のある騎士だった。
当然、国を守るというのは魔物だけではなく、本来ならば手を取り合うべき存在である人間にも対立関係の今、必要とあらば剣を抜かざるを得ないという事になる。
心優しいアマルティアはそれを考えると、居ても立っても居られず、気晴らしとしてライバルであり同僚でもある親友のリーネと手合わせをしていた。
「やらなければ私たちがやられるだけ。国をまとめていた各国の女神様がいない今、どうなるかはわからないけど降りかかる火の粉は払うしかないわ」
月の女神が堕天し、彼女によって『地、水、火、風、太陽』それぞれの属性を司る女神も消息不明となり、天使達が住む地では混乱状態だった。
暗い表情を浮かべるアマルティアを見て、静かにリーネは柴の上に腰を下ろした。
「…深刻な顔して、そんな話していても今はどうにもならないでしょう?せっかくなら楽しい話をしましょう。」
「楽しい話?」
「そ、んーじゃあ。夢の話をしましょ。私今日素敵な夢を見たわ。子供が産まれる夢。私が抱き上げたのは小さな頃の私に似た女の子。」
「こ、子供ねえ…。私たち天使は人間の男性が居ないと子を残せないのよ?今なんて人間と争っているというのに…」
「馬鹿ね。夢の話じゃない。いつかそうなりたいというね?名前だって決めてるのよ。セリカって。どう?いい名前でしょう?」
自信満々にいうリーネをみてアマルティアは苦笑いを浮かべた。
「リーネ…第一、リメア姉ですらまだなのに、未熟者な私達が先越せるとおもう?」
「えっ、隊長…外交官の男性とはどうなったの?まさかこのご時世だから来なくなったとか?」
「ふふ、それがさ姉さんったら__」
アマルティアがその言葉を止めたのは自らの背後に気配を感じたからだった。
このプレッシャーは魔物…?そう一瞬過ったが、すぐにそれは違うと二人は悟った。
「ティアー?、リーネ?こぉんな所で誰の話をしているのかしらあ?」
その声を聞いて恐る恐る振り向く二人。
そこにいたのは引き攣った笑顔をみせる小柄な女性。
彼女こそがアマルティア達が所属する小隊の隊長で、天界最強の剣士と名高い称号を持つ『リメア』だった。
「リ、リメア姉…話し合いは終わったんだ…?」
「さっきね。まあ、簡単に解決策なんて出ないわよね。私達天使も、人間もお互いに殺し合ってるのだから…。外交の話も一旦お開きよ」
リメアの話を聞いて、肩を落とすアマルティア。
リメアは彼女とリーネの肩をぽんと叩き、
「難しい話は私たちに任せて、貴女たちは小隊のみんなの稽古と、この国の守護だけを考えなさい。」
と一言いい、大丈夫だから。と背を向けて去って行った。
大丈夫、その言葉はまるでリメア自身が自分に言い聞かせているように二人は感じた。
「きっと、何かあったのね…隊長も…大丈夫そうには見えないけど…。」
リーネが小さくつぶやいた言葉は、リメアに伝わる事なく風と共に消え去った。
それから数年後…、運命の日は唐突にやってきた。
誰もが寝静まろうとしたその夜、爆音が城下町に響いた。
音の出どころは、街のシンボルでもある月の女神の玉座のある居城。
騒ぎを聞きつけたアマルティアとリーネは城下町にたどり着くと、逃げる人々の波に遭遇する事になった。
「何!?一体何があったの?」
アマルティアは、人の波をなんとか誘導しようとしている騎士に問いかけた。
「て、敵襲です!」
「敵襲!?一体どこから…」
「城の中です!城のなかに凶悪な『魔族』が現れたんです!!」
騎士は、そう言うと波の誘導にもどった。
「魔族…。」
「ティア。貴女は、町の人の誘導を手伝いなさい。幾らか名のある貴女が指示するだけで、混乱は多少収まると思うの。」
「リーネはどうする気!?」
「私は城に向かうわ。ミルカは私に、センリはアマルティアに続きなさい。」
リーネは途中で合流した自分たちの後ろに待機した二人の新人の隊員に指示して、城に向かって歩み始めた。
「ちょっと!?何があるかわからないのに!?何を勝手に!!」
「先に行ってるだけよ。誘導が終わったらあんたも来なさい!!」
アマルティアはまだ何かを訴えていたが、次第にそれはリーネの耳には届かなかった___。
月の居城。
本来なら族長である女神が在住しており、国の方針を決める政治の舞台。
立ち入れる人間は限られており、ましてや魔物たちが侵入するなんてことは考えられない聖域『だった』。
リーネはミルカという名の後輩を引き連れて、城の入り口に向かい、そこに待機する兵から事情を聴きだして中に飛び込んだ。
相手は一人、しかし強力で隊長クラスの騎士でも歯が立たないほどの相手だという。
まったく見当がつかない、リーネだったが、その道中引き返す別部隊の隊長に遭遇する。
「リーネ…。貴女なぜ来たの?」
「加勢に来ました。__怪我をしているようですね。私たちが食い止めますので早く戻って治療を…。」
「ダメ、行ってはいけない!!」
進もうとするリーネの服を、負傷した隊長は掴んだ。
「貴方達が相手にしようとしてるのは___リ__」
隊長の言葉がつづられる前に、再び上階で爆音が響いた。
リーネは言葉の続きが気になったが、ただ事ではないことは間違いないと思い、その手を振り払って上階に向かった。
爆音が響いた改装、美しい建物だった居城だったが、何者かの攻撃の傷跡が深く残っており、壁や床が破壊されており、その影響で照明も消えて視界を広げているのは、砕けた壁から差し込む月の光だけだった。
「これだけの人が…ひ、ひどいですぅ…」
ミルカは、その状況とあたりに倒れている騎士の仲間たちを見て、言葉を漏らした。
「…ッ!魔族がこの国に何の用よ!?隠れていないで出てきなさい!!」
リーネがそうつぶやくと、ミルカは暗闇の先を指さした。
リーネが炎の魔法で、そちらの方に向けると、魔物ではなく人…その身なりは月の国の騎士。
「ふう…生存者がいたのね…。歩けるなら早く逃げなさい。私たちがなんとかす__」
その兵士にリーネが近づいた瞬間騎士はその手に持った剣をリーネに向かって振りかざした。
「何!?貴女、何をしているの」
「ふふふ…、力…力が漲る…。あの『お方』の為に力を使わなきゃ…」
騎士はそう言うと、次々とリーネに刃を向ける。
そして月の光がその姿を完全に照らした時、リーネとミルカはその姿に息をのんだ。
「貴女…その翼…まさか…堕天しているの…?」
天使が本来持たない悪魔のような翼、そしてよく目を凝らすとその騎士の身体は、悪意に染まったマナである瘴気に包まれていた。
では、こいつが黒幕なのか。とリーネが考えた瞬間。
「リーネ先輩…。見て下さい…。一人じゃ…ありません…。」
とミルカの声が響いた。
兵隊の後ろには同じく瘴気を身に纏った騎士たち、戦うしかないと身構えたリーネだったが、その騎士たちの間を割って出てきた人物を見て、目を見開いた。
「なぜ…?」
「…くひひ…」
「まさか貴女まで、堕ちてしまったの…?リメア…隊長…」
「私…まで…?くひひ、違うわぁ。この日、この時、この事件を起こしたのはワ・タ・シ。」
「そんな、嘘よ。隊長が…あれほど身も心も強い隊長が…どうして!?」
「どうして…?何もかも思い通りにいかないからよ。世も恋もなにもかも。くだらない。あのままの私ではなにも得るものなんてなかった。だから魔に身を委ねた。この意思に従えばこの世界も安寧が訪れて私たちも幸せになれる。」
リメアは不気味な笑みを浮かべて、リーネを見つめた。
「…愚か者め…。神を…女神の希望を…意思を…捨てるなんて!!」
「でもその女神も魔に堕ちた。結局は女神だろうとどんな存在でも欲望や野心は捨てられないのよ。さぁ覚悟はできた…?リーネ、ミルカ。貴方達にも教えてあげる…。」
「魔に身を委ねる心地よさを__。」
その時、再び居城から爆音が町中に響き渡った。
リーネを見送ってからの何度目かの爆音。
それをアマルティアは耳にしていた。
町の人間のほとんどが避難完了していたのを、アマルティアは確認すると、センリという後輩にその場を託して走り出した。
嫌な予感がした。
さっきまで聞こえていた戦いの音が聞こえない。
そして居城に向かう最中、逃げ出す兵士や傷つき運ばれていく者と何度もすれ違った。
事態はまだ解決していない。
これはまずい状況だというのは、アマルティアは理解できた。
「リーネ!!リーネ!!」
考えるのは親友の事ばかり、自分と同等の強さのリーネが敵わないのなら、自分が向かっても力になれるかはわからない。とにかくその身の無事を信じたかった。
そして、人気の無くなった居城の前に立った瞬間、アマルティアの全身に悪寒が走った。
手が震えるほどの威圧感、それが自分に向けられていると直感的に理解した。
「…ッ誰だ!?」
アマルティアがそういうと、その背後から「私ヨ…」と言葉が響いた。
振り返るアマルティア。彼女もリーネ同様、声の主を見て凍り付いた。
「そ…そんな…リメア姉…。その姿…。」
小柄だったはずのリメア。その背は伸び、胸も膨らみ、別人のように変わってしまった自分の育ての親。
優しかった目は邪悪なまなざしに代わり、アマルティアを見つめていた。
「どう?ティア。私淫魔になったの。」
「いん…ま、そんな…ありえないっ!姉さんが魔に堕ちるなんて嘘よ!」
「くひひ…堕ちたのは私だけじゃない…。他にもいるわ。まぁ私が引きずり込んだのだけど…」
アマルティアがはっと気づきあたりを見回すと、数十人の淫魔に取り囲まれていた。
剣を構えたアマルティアだが、その中に紛れた人物を見つけるとその手に力が失われた。
「ミルカ…。シエナ…。ララ…。リムル…。___リーネぁっ…!!!」
自分と共に肩を並べてきた隊の仲間が、大親友が、その身を魔に染めていた。
その光景をみたアマルティアは絶望による虚脱感に襲われる。
彼女が気を抜いた瞬間、リメアが抜剣し飛びかかる。
反応に遅れたアマルティア。
その攻撃を受け止めるが、大きく体勢を崩してしまい。続け様に飛んできた淫魔たちの魔法を受けてしまう。
「があっ…」
「ティア…安心して、今、私の部下があなたの妹__リルルを迎えに行ったわ。これで貴女も堕ちればみんな一緒。なにも変わらないわ。」
膝をついたアマルティアの目の前に、リメアが立ちはだかる、
そしてその尻尾をアマルティアに向けた瞬間。
『ティ・・・あ。立ちなさい…。』
声が聞こえた。
その声を聴いたアマルティアはグッと手に力を込めて、身をそらし、その尻尾の攻撃をかわす。
これはテレパシー、こんな真似ができるのはリーネ。
友の声で奮い立ったアマルティアはその身を大きく捻って、大剣を振り、その刃は油断しきったリメアの尻尾を切り落とした。
「何っ!?」
「リメア姉…いいえ、リメア。私は貴女を倒してみんなを取り戻すっ!!」
剣を構えて睨みつけるアマルティア。
しかし、リメアは彼女を嘲笑うかのような表情を浮かべた。
「ふん…そう、でももう時間切れ、リルルも捕らえて優秀な仲間を増やす目的はもう十分達成したし、貴女に仲間になる意思がないのならもういいわ。妹も仲間も失った孤独の中、せいぜい苦しむといい。」
リメアが禍々しい翼を広げて、空を舞う。
それに続くように、魔に堕ちた騎士たちも飛び上がっていく。
「ああ…ティ・・・あ…」
「リーネ…。リルルも…すぐに見つけて助けるから…!まってて。」
リーネは涙を流して、リメア達と共に飛び去った。
友も家族も失ったアマルティア。
彼女は更に何年も自らの剣術を鍛え上げた。
全ては、リメアを倒し、仲間達を取り戻すため。
そして再び、アマルティアはリメアの前に立ち塞がった。
結果は惨敗。
リメアの恐ろしいほどの力と技の前では彼女では太刀打ち出来なかった。
海に落とされ、沈みゆくアマルティアの瞳にはかつての親友の姿がうっすらと見えた。
…
……
死を覚悟したアマルティア。
しかし、彼女は見知らぬ地で目覚めていた。
酷い心身のダメージによって自分が何者でどこからきた者なのかもわからなくなっていた彼女の元に、翼の生えた女性が物珍しいようで次々とその姿を見かけた人が集う。
動揺するアマルティア、そんな時群衆を掻き分け一人の青年が現れ、彼女に手を差し伸べた。
彼は『柊』という名の村一番の変わり者と呼ばれる人物だった。
それからアマルティアは、青年と共に暮らし、彼女はここが『日本』という国だと教えられる。
それはアルメリアには存在しない国。
そう彼女は元いた世界とは別の世界に流れ着いていた。
しかし、記憶を失ったアマルティアは最後までそれに気づくことはなかった。
そして、子を残し、柊が亡くなった後もその子がなくなったあとも変わらぬその若さ、そして彼女が海から現れたことから人々は彼女を翼の生えた人魚と呼び、それは後世へ語り継がれる様になった。
そしてその後の彼女は、なにかを思い詰めた様に生き続け、ある時誰にも行く先を告げる事なく、姿を消したのだった。
…
……
………
時は過ぎ、現代。
あてもなく孤独に旅をする女性がいた。
名前は水無月まふゆ。
彼女は嫁いだ事で姓は変わったが、元々は柊家の産まれであった。
剣道、そして武道の天才として生まれ育ち、二人の子宝に恵まれた彼女だったが、幼少期から思い悩んでいた事があった。
それは夢。
具体的な事はあまり思い出せないが、まるで誰かの人生のシーンを繰り返し見せられているようだった。
その夢がなんなのか、何を告げているのか、夢に出てくる光景は、人は誰なのか、彼女は幼い頃からずっと気がかりであった。
けれど誰かに話した所で笑われる。
そう思っていたまふゆ。しかし彼の夫は彼女の意思を優先してそっと送り出してくれた。
そして次女が高校生になる時に合わせて旅に出たまふゆ。
表向きは、各地の剣道の指導の為、その本当の旅の意味は、夢の手がかりを探す為に…。
それは旅に出て一年が経とうとしていた時の事だった。
日本中を渡り歩くまふゆ。
しかしどこにも、自分の夢で見た景色と繋がる場所はない。
そんな場所なんてこの世にもないのではないか。内心そう理解はしているも、歩みを止める事はなかった。
その日彼女はとある田舎の港町に流れ着いた。
まだ夕方と呼ばれる時間ではあったが、冬であった為、辺りはすっかり暗くなっている。
とりあえず宿を探そうと街を歩くが、宿らしきものは痕跡はあれど廃墟と化していた。
民家に頼むしかないか。そう悩んで無意識にたどり着いたのは神社だった。
『霜月神社』
そう書かれた敷地に踏み入れるまふゆ。
するとそこには巫女装束を見に纏う黒髪の少女が掃き掃除をしていた。
(ましろは元気にやっているだろうか)
同じ歳くらいの少女をみて考えるまふゆ。
すると少女はまふゆに気づいて、早足で歩み寄ってきた。
「ねえキミ。こんな時間にどうされましたか?」
少女は自分よりも幾分か背の低いまふゆをみて、子供であると勘違いしていた。
まふゆにとってそれは初めてのことではないが、人に話しかけられる度に説明しなければならないのはややうんざりしていた。
まふゆがその彼女の顔をじっと見つめると、それは綺麗な顔立ちの少女。
初対面であるはずなのにまふゆは彼女の顔を見て懐かしさを感じた。
「…私これでもハタチ過ぎた子を持つ母親よ。」
「ええっ、ご、ごめんなさい!。見た目で判断するのはよくないですよねっ。」
オーバーなリアクションをとる少女をみて、まふゆはすこし口角が吊り上がった。
「…ふっ、ごめんなさい。…せっかくだから尋ねたいのだけれど、この辺りに旅館やホテルはないかしら。」
まふゆの問いかけに少女は「あー…」と言い目線を逸らす。
「何年か前はあったんですが…。もう…。この町に訪ねて来る人はそういませんから。」
その少女の言葉を聞いてまふゆは「困った。」と小さく呟いた。
街には駅もバス停もあるが、本数が少ない上、今日の運行は終わってしまっていた。
野宿すら覚悟し始めたまふゆ。
すると、少女は「よし!」と言い
「では、私の家に泊まりませんか?部屋はいっぱいありますし、お客様の困り事ならお爺ちゃんも力になってくれます!」
「…もしそうなら助かるけど_あっ、ちょっと!
」
まふゆが言い終わる前に彼女の手を引く少女。
「あ、私、霜月セリカっていいます。」
その名を聞いて、ゾクッとした感覚を感じたまふゆ。
珍しい名前だとは思うが、あり得ない名前では無いそれはわかっているが、その顔立ちと名前の両方でまふゆの中ではなにか引っかかるものがあった。
その家は神社のすぐ近くにあり、彼女は祖父母と3人で暮らしているらしい。
玄関を開けてセリカの話を聴いた老夫婦はまふゆを歓迎してくれた。
しかし、「水無月まふゆ」という名を聴くと夫婦は驚いたような表情を浮かべ「柊の…まふゆさんかね…」と彼女に問いかけた。
柊家は剣道に関しては有名な家だった。
だから、特別な目で見られることはまふゆ自体初めてではない。
顔色を変えずまふゆが肯定すると、夫婦は互いに顔を合わせて、「話をさせてほしい」と申し出てきた。
家に上がり、夫婦の口から最初にまふゆがされたのは柊家に伝わる『翼の生えた人魚の伝説』の事。
これは当然まふゆも知っている話だが、まさか故郷から離れた地でその話題がでるとは、彼女自身思っていなかった。
「ええ、我が家の成り立ちに関わる話ですから存じておりますが…一体何故その話を?」
まふゆの問いに男は少し間を空けた。
「…夢のような話で、笑われてしまうかもしれませんが…。実は我々と息子夫婦は実際に翼の生えた人魚を見たのです。…いえ、介抱しました。」
「…」
「ええ、我々家族ぐるみで見た幻覚、もしくはふざけた話だと思われるでしょう。未だに夢を見たのではないかと、考えてしまう事があります。…しかし、『彼女』が残していったものがすぐ近くにあると考えると、あれは間違いなく事実だったのだと確信してしまうのです。」
「人魚が残していったもの…?」
まふゆの反応の後、男は台所の方へ目線を動かした。
「今から15年ほど前、すぐそこの浜辺で打ち上がっていた美しい人魚は妊婦でした。慌てて助けた我々でしたが、落ち着く間もなく産気付き…出産に耐えられるほどの体力はなかったのでしょうなあ…。産んだばかりの子供を残して消えてしまいました。」
「まさか…あの子が…?」
「はい。セリカは息子夫婦の子ではありません。今は長女の進学でここにいませんが、その人魚が残した子を息子夫婦の次女として今まで育ててきたのがあの子なのです。」
「彼女が話した唯一の言葉は『この子を…セリカをどうかお願い。』そのたった一言でしたが、看取ってしまったわたくし達は無碍にすることなど出来なかったのです。」
「…その事を本人は?」
「知りません。いつか言わねばならぬ日が来るとは思うのですが、まだ15の子には受け入れ難いかと思いまして。」
「そうですか…。しかし何故私にこの話を?」
「我々なりに彼女の正体を突き止めようと動いたのですが、辿り着いたのが柊家の伝説の話でした。関連性は不明でしたが、今日ここに来られた。そこに何か縁があるのかと思いまして」
老人はそう言うと、背後に隠していた封筒をまふゆの前に差し出した。
シンプルななんの柄もない封筒。
しかし、綺麗な状態だった。
「これは、人魚が残して行ったもので恐らくは手紙でしょう。見た事のない文字で書かれていて我々には読めませんでした。」
まふゆが男の顔を確認すると静かに彼は首を縦に振った。
そっと封筒を手に取り、開封するまふゆ。
その中にはさらに三枚の封筒と何かが書かれた紙が一枚入っていた。
文字が書かれた紙を目に通すまふゆ。
それには彼の言うように見たことのない文字で短い文章が書かれている。
恐らくこの世の文字ではない。それは理解できる。
けれどなぜかまふゆはそれを読むことができた。
「…『この手紙を読んだ方、どうか我が子を、お願いします。』…?」
まふゆがそういうと老夫婦は感嘆の声を漏らした。
「この文字をご存知なのですか!?」
「…いいえ、私も見たことのない文字です。でもなぜか…。」
そう言ってまふゆは、別の封筒に手をつけた。
そうして、二つの手紙を読んで読み取れたことは、一枚は想い人…つまりセリカの父親に向けた手紙。それも亡き夫に対する決して届くことの無い手紙。
もう一枚は、自身の娘セリカに向けた手紙。
戦禍に巻き込まれ、もう娘には生きて会えないことを悲しみながら娘を思う手紙。
淫魔や天使、ファンタジー小説で見るような単語の羅列から、これが事実であれば彼女はどうやら、この世界の人間ではない。
子供を産んで命懸けで戦火から逃げるつもり が、出産前に巻き込まれ、その上さらにこの世界に流れ着いてしまったのだと、手紙の内容と彼女が流れ着いた状況からまふゆは読み取った。
そして、最後の手紙。
『封筒にはかけがえのない友へ』という意味の言葉が書かれていた。
まふゆはそっと封筒を開き手紙を見た。
『アマルティアへ。
ずっと貴女に言いたかった事があります。
ごめんなさい。
あの日、リメア様に淫魔に変えられた私達は貴女に辛い現実を与えてしまった。
そして最後には見殺しにしてしまった。
あれからずっと苦しみながらも戦い抜いた貴女に寄り添えなかった。その後悔を私はずっと抱いていました。
他の子と違って私は、心まで魔に染まらなかった。それなのに、貴女を一人にしてしまった。逝かせてしまった。だから私はずっと悔やんでいた。
でも、私にも好きな人ができたの。
これが恋だって理解できた。
別れはすぐきてしまったけど、彼は私に小さな命を残してくれた。
だから、私はこの子を平和な場所に届ける事を決めたわ。…きっとただでは済まないでしょう。
でも、絶対やり遂げて見せるから、許してくれるなら見守っていて。
謝罪は死後の世界でいっぱいするから、どうか私を…この子を守ってあげてほしいな。
もうすぐ私もいくわね。
リーネ・ルゥ・メルフレア』
その手紙に目を通したまふゆはふぅ…と息を漏らした。
「…勝手な人…」
まふゆの口から不意に漏れた言葉はぶっきらぼうなものだった。
しかし、まふゆの姿を見て老夫婦は慌て始める。
「まふゆさん。涙が…」
「え…」
頬から流れる雫。
それも熱くなって目頭から次々と溢れ出てきて止まらない。
「どう…して…?あの子もこの手紙を書いた人も何も知らないのに…どうして涙が止まらないの…?胸が苦しい…どうして…?」
差出人の名も宛名もまふゆにとって知らないはずの名前。
しかし、その響きは不思議と懐かしく、今までまふゆの胸の中にあった穴が埋まっていくような感覚を彼女は感じた。
原因不明の涙と押し寄せてくる熱い感情。
抑えられなくなったまふゆは、その場で顔を伏せて泣き続けた。
…
……
「…お見苦しい姿を見せてしまいました。」
それから10分程度して、落ち着きを取り戻したまふゆは少し恥ずかしそうに口を開いた。
「ありえない…かもしれない事ですが、この手紙は私の友人の書いたものかもしれません。…こんな名前の人は知らないし、現実離れした手紙の内容は信じられない。…でも私はこの人を知っている気がします。…前世…とか。」
その言葉を聞いて夫婦は優しく微笑んでうなづいた。
「あの日…あの方を助けた時から、貴女とはきっと何かの縁で結ばれていたんでしょうなあ。」
「…私にも確証はありませんが。恐らく我が家の家系との繋がりは感じます。」
そう言うと、まふゆは手紙を再び封筒に戻して男性へ差し出した。
すると、彼は静かに首を横に振り「それは貴女が持っていただけませんか。」と言った。
「しかし、この中にはセリカさんへ向けた手紙も…」
「あの子や母親が何者であれ、我々はあの子を変わらず孫娘…家族として、育てていく事には変わりありません。しかし、真実はいずれ知る必要がきっと来ます。無責任な話ではありますが、その文字を読めない我々より、貴女にその手紙を委ねたいのです。」
「…私があの子に…。」
つい先ほどあったばかりの少女の人生を左右する手紙。
手紙を読みセリカの顔を思い出すと、不思議とまふゆは彼女がただの他人のように思えなかった。
「…あの、あの子に会いに、またここへ来ても?」
「ええ、もちろんですとも、いつでも歓迎しますし、あの子も喜ぶでしょう。」
微笑む夫婦をみてまふゆも少し口角を釣り上げた。
それからまふゆは、夫婦から今までのセリカの話を聞いた。
どうしても他人とは思う事が出来ず、まるで親になったかのように彼女を知ろうと思った。
すると客間の扉が開いた。
「晩御飯できましたー!お客様がいるので豪勢にしてみました!」
「ほう、それは楽しみだな。まふゆさん。続きはまた。」
「はい、そうですね」
そうして、霜月家での一晩が過ぎた。
セリカもまふゆに懐いたようで、眠る時まで興味津々な様子だった。
そして早朝。
「えっ、もう出発ですか!?」
制服姿で庭の掃き掃除をするセリカが、荷物を抱えたまふゆに問いかける。
「ええ。一本めのバスに乗るつもりだから、お爺様達にも挨拶も済ませたし、もう出るわ。」
「そうですかー。残念。少しだけでも剣道教えてほしかったです。」
「ふっ、なら次来た時を楽しみにしてなさい」
「また来てくださるんですか!?」
「ええ、必ず。次はそうね。私の娘も連れてこようかしら。貴女と同じ歳で、性格も少し貴女に似てる優しい子よ。仲良くしてくれる?」
まふゆがそう言うとセリカは満面の笑みで「はいっ!」と答えた。
その顔を見たまふゆは優しく彼女の頭を撫でると、振り返ることなく歩き去った。
その小さくなっていく後ろ姿をみたセリカは感じた事を小さく呟いた。
「あれ…?まふゆさん昨日より少し背が高かった…?」
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