13-2 独り言 -Senri side-
「……いないんだけど」
薄暗い部屋の中で、センリはにっこり笑った。けれどその声には、誰が聞いてもわかるほどの強烈な怒気が含まれている。
理由は言葉の通り。
視線の先にあるのは、まるで墓標のように床に突き刺さっている薄い氷の板だけで、フィルの予想と、自分の期待とは違い、矢鏡の姿はどこにもない。間違いなく、この部屋はマラクと矢鏡がいた場所だというのに。
妖魔は長く生きれば生きるほど死体が消えるまでの時間が増える。魂が天に還っても、纏っていた邪気が実体を映して場に残るのである。そしてセンリは、この要塞にいる悪魔全員がかなりの長命であることを知っていた。故に、死体が残っていないということは倒してからそれなりの時間が経っているのだとわかった。ならば少なくとも、矢鏡はすぐに見つけられるほど近くにはいないだろう。
背中で死んだように眠るフィルを一瞥し、
「んー……まさか、
穏やかに言って、すぐに顔を前に戻す。
「……いや、それはないか。あの状況で嘘をつくほど、こいつは愚かじゃない。
ってことは――弟君、怪力バカに関して何か言ったな?」
センリは再び歩きだし、氷の板の手前で足を止めた。次いで、上から下までじっくり観察する。
見るのは氷の溶け具合――ではない。術で生み出された氷は普通のものとは違い、必ずしも気温で溶けるとは限らない。溶けるか溶けないか、即座か永遠かは術者が自由に決められるからである。砕けるか否かも同様。むろん手が加えられれば話は別だが、いずれにしてもそこは何の手掛かりにもならない。
気にすべきは、氷の形と床の状態。
氷は巨大な包丁の一部みたく下部が尖っており、床には余計なへこみや破損がない。最初からこういうオブジェとして作られたと思えるほどきれいに床に立っている。
一通り見て、
「手加減して倒した、という感じじゃないな。殺す気満々、脳天を一撃ってところか。
……やっぱり怒らせたようだね」
はーっと長い溜め息を吐き、表情を変えて不機嫌丸出しで舌打ちする。
「どいつもこいつも、勝手ばかりしてくれるなぁ……。あー腹立つ……」
それから一瞬でニコニコ顔に戻ると、ふふふふふ、と静かに笑い、
「このツケは後で必ず払ってもらうからな、黒医者」
呟きながら、今度は背後にある出入口以外の三つに視線を走らせる。
「さて、いないならいないで仕方がない。取られる前に長女を殺すとするか。
怪力バカも多分戻ってきてるだろうから、愉しむ時間はなさそうだけどね」
メインシステムを乗っ取って調べた時の要塞内の地図を思い起こし、残りの悪魔がいるはずの核心部までの最短ルートを考えた。さすがに完璧に記憶してはいないが、大まかな道筋であれば見出せる。
そして、センリから見て左――矢鏡が通った出入口とは正反対の方へと足を向けた。明るい廊下に入ったところで再び長い溜め息を吐き、
「せめてこの邪魔なお荷物がいなければなぁ……
これじゃ両手が使えないし、動きは鈍くなるし、なにより守らなくちゃいけないって面倒が増える。まぁ、それは自業自得でもあるけど……」
不満げに言いながら、ひょいっと真ん中を避けて端を通り、しばらくしてからまた戻る。職業柄、常に足音と気配を消しているため、廊下の静寂を破るのは自分の声だけだ。
「そもそも、あんた達が来たのが悪いんだよ。
あんた達さえ来なければ、今頃はシステムを書き換えて、全ての罠の解除まで出来ていたのに。そこまでする時間が無くなったから、わざわざこうやって避けながら進まないといけなくなったじゃないか。
ヴォーラは手動だから良いけどさー……目玉人形は全部解放されて要塞中に散ってるし、集められていた低級どもも行方知れず。となれば、ところどころで邪魔してくるのは目に見えてる。これじゃ、文句言うのは当然だよね。
そう考えると、やけに大量にあった変な青い塊たちだけでも、根絶やしにしておいてよかったよ。後で使えるかもしれないから取っておこうとも思ったけど、やめて正解。
雑魚なんていくら集まったところで敵じゃないけど、相手をしている間に悪魔どもに逃げられるなんて嫌だからね」
正面に現れた十字路を右に曲がり、再び真ん中を避けて通る。続いて一度立ち止まり、数秒ほど考えて、
「確かこの辺り……」
右手に現れた銀色のコインを指で弾き、前方に飛ばす。ちゃりっ、と小さな音を立て、コインが床に転がると――
バンッ
センリの前から十メートルほど奥まで床が二つに割れ、巨大な扉のように下へと開いた。要塞中に仕掛けられている落とし穴である。落ちた先にあるものは、ヴォーラや別の異空間への出入口、何もない部屋、トゲが敷き詰められた床などそれぞれ異なる。因みにここのはトゲの床であり、暗くて見えにくいが大分下の方に大量のトゲがあった。
センリは穴を一瞥すると、すぐに興味を失くし、軽やかに飛び越えて歩き去る。
何も応えないフィルにひたすら愚痴を零しながら、罠があるはずの床を避け、岐路を曲がり、たびたび遭遇する目玉の機械や低級たちは水球を弾丸のように飛ばして倒し、時折立ち止まって考えて、正解だと思う道を進んでいく。
「……ん」
ふと、足を止めた。
周りには何も変わったところはない。部屋の入り口も岐路もないし、敵もいない。記憶が正しければ、あと数分足らずで核心部に着くだろう。そんな中途半端な場所で。
センリはじーっと左の壁を見つめた。そして、くすっと笑う。
次いで、見たところ何の変哲もないただの壁に近付き、目より高い位置を迷わず拳で殴りつけた。ドゴッと音を立て、壁の一部が崩れ落ちる。抉られた壁の中には、指の一関節ほどの青い塊が埋まっていた。
その塊に向けて、センリは優しく微笑んだ。
「へぇ、もう直したんだ。あんたはなかなかやるようだね」
道中ずっとしていた独り言、ではない。
この塊があちこちに仕掛けられているマイク付き監視カメラだと、センリは知っている。そして、確かに機能停止させたそれが、たった今動きだしたことも。
『こすいネズミのくせに、よくわかったな』
上の方から声がした。しゃがれた老婆のような声だった。
それは同時に、センリの言葉が正しいことを証明した。
「見られている感覚には敏感なんだ。そうじゃないと、人の目だらけのあの世界で殺し屋なんて出来ないからね。
因みに直した――いや、直せたのはカメラだけかな?」
『……わかっていて聞いているだろ』
「もちろん。他も直せているなら、のんきに話なんてしないで、ここに雑魚どもを送り込んでいるだろ? ついでに、すぐそこにある罠も作動させる。近付くと高熱レーザーが飛んでくるやつ」
『ほう……そこまで把握していたか。わしらに気付かれず、大事なシステムを引っ掻き回しただけはあるな。殺すには惜しいほど有能だ』
「あんたに褒められても嬉しくないな」
ぼそっと、相手に聞こえないよう小さく呟くセンリ。
案の定聞き取れなかったらしく、画面越しの相手――ヤドゥガは構わず話を続ける。
『そこで、一つ尋ねたい。
仲間になる気はないか?
そやつと一緒のところを見るに、どうやらお主は妹の仇のようだが……わしは有能な者には好感を持つ。かわいい妹だったが、この際水に流そう。
それにお主は、どちらかと言えばこちら側の人間だろう? 同業者よ』
「まぁそうだね」
『ならば、迷うことはあるまい? 確かお主は主護者たちを目の敵にしていたはず。敵は共通なのだから、手を組むというのも悪くなかろう。
一応言っておくが、妹と弟を失い勝てる気がなくなったから苦し紛れで提案しているわけではないぞ。この要塞に入った者は、初めから誰一人逃す気はない。主護者なんぞわしだけで十分だからな。
つまり、まだ生きられるかどうかも返事次第、というわけだ。
わしの技術なら、お主の首にかかっている呪縛を解くことも出来るしな』
「…………」
そこまで聞いたところで、センリの顔から笑みが消えた。驚いた顔でも、呆れた顔でも、悩んでいる顔でもない、真剣にも似た表情を代わりに浮かべる。
やや間を置いて、何も返さないことに苛立ってか、ヤドゥガが先に口を開く。
『どうだ? 本当はその背の荷物も、早く処分したいのであろう?
こちら側に来れば、欲望の
そう問われ、ようやくセンリは声を発した。
にっこり笑って。
「情報収集って大事だよね」
『……? そうだな』
「で、あんた。海の主護者は有名だから、それなりには調べたみたいだけど……俺のことはあまり知らないみたいだね。まぁ、知られないようにしているから当然なんだけど」
『…………何が言いたい?』
質問の答えを返さないことにいぶかるヤドゥガ。
センリはとても愉快そうに言う。
「その話ならよく持ち掛けられるんだよ。殺し屋だったって教えるとね。
もちろん全部断ってる。
理由は四つ。
一つ。俺は仲間なんて邪魔で鬱陶しいものはいらない。
二つ。主護者と神を先に殺したら、あんた達妖魔は殺せなくなる。
三つ。性根が腐ってる悪人ほど、自棄になって必死に抵抗してくるから面白い。
最後、これが一番重要だけど――」
そこで一旦区切り、二呼吸ばかりあけて、
「俺は"裏切り行為"が大っ嫌いなんだよ。獲物を横取りされるのと同じくらいね」
とても冷淡な声で、はっきり告げた。
『……愚かな。手を取れば死なずにすむものを』
「あ、今五つになった。自分が最強だと過信して高慢な態度をとるやつは気に食わない」
先程とは一転して、優しい声音に戻すセンリ。
明らかな挑発に、今度は悪魔が押し黙る。しかしそれは一刻だけで、すぐに狂ったように笑いだした。
『クククククッ! やはり貴様も神に忠誠を誓うか!
殺し屋だと悪ぶるくせに、所詮は聖人を気取る阿呆だったというわけだ!
せっかくちゃちな首輪を取ってやろうとしたのになぁ!』
口調は強いが、立腹している風ではない。むしろ、望んでいたことのように楽しげだ。
「うわー、その勘違い腹立つな。
誰があんなクソガキに忠誠を誓うか。何かと利用出来るから、時が来るまでは従うと契約しただけさ」
センリは呆れたように言って、溜め息を吐いた。
「それと、ついでに教えてあげるけど……
この呪縛の解き方、実は知ってるんだ」
『…………なに?』
「だから、あんたには絶対に解けないこともわかってる。
残念だったね、取引材料にならなくて」
言いながら、センリは一歩下がって爽やかに微笑んだ。
「さて、くだらない話は終わりにしようか。あんたの居場所はわかったし。
すぐに行くから、遺書でも用意して待ってなよ」
一方的にそう告げると、現した小さな水球で青い塊を打ち抜いた。これで次のカメラがある場所までは、見られることも聞かれることもない。
センリは短く息を吐き、それから厳粛な表情を作った。
「……さすがは上の中級。引きこもりしていた割に耳が早いな。制約のことを知っている妖魔なんて、滅多にいないんだけど……
問題はどこまで知っているか、だね。場合によっては……」
ちらりとフィルを一瞥する。
昏睡してから、まださほど時間が経っていない。当然起きる様子はなく、寝息すら立てずに眠っている。
進行方向である右に視線を移し、センリは再び溜め息を吐いた。
「……やっぱり邪魔だなぁ、黒医者」
いつもの爽やかな笑みを浮かべて歩き始める。
核心部ではなく、その奥に位置するモニタールームを目指して。
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