12-2 ギータとの決着 - No side -
限界以上に痩せ細った人間の四肢を二倍に伸ばしたような体躯に、鋼鉄のリボンで隙間なく巻いたような光沢のある黒い肌。顔には、目の位置にまばらに埋め込まれた黄色い球が七個あるだけで、耳も鼻も髪も口すらも無い。全長は十メートルを優に超えるほどであり、獣のように両手足を地につけている。
それが、変わり果てたギータの姿だった。
そんな彼女の頭から足までをざっと見て、
「へぇ……」
センリは感心したように小声で呟き、爽やかに微笑んだ。
ギータは黄色い球全てを薄く光らせて、
『誤解してるみたいだから言うけど、アタシが出し惜しみしてたのは、どう足掻いても勝ち目がないって思ってたからじゃないわ! ぶっさいくになるから嫌だったのよ!
でもそこまで舐められたんじゃ、さすがに黙ってられないわ!
アタシを怒らせたこと後悔させてやる!』
喉からくぐもった声を発するやいなや、一瞬でセンリとの距離を詰め、右の手の平を振り下ろした。
センリはすっと左に避けると、鉤爪のように曲がった黒い指が床を穿つより早く、一番近い石柱の前まで退った。ふふっと小さく笑う。
「変異型だったんだ。それも巨人タイプの。
――いいと思うよ、そっちの方が。さっきの醜い姿よりはね」
『……ハンッ! いつまでそんな余裕でいられるかしらねぇ!?
わかってるでしょ!? パワーもスピードもさっきまでとは段違いだって!』
叫びつつ繰り出されたギータの回し蹴りを、今度は真上に跳んで避ける。
蹴りは無事に残っていた石柱全てをへし折り、壁に放った。それぞれ長さの違う根本だけがその場に残る。
この間にセンリは縦に半回転し、
「……みたいだね。よかったよ、思ったより楽しめそうで」
穏やかに言って、種を撒くかのように勢いよく左手を振った。瞬間、センリの周りにこぶし大の水球が十個ほど現れ、疾風のごとくギータに降り注ぐ。
ギータは咄嗟に右に飛び退き、お返しとばかりに、頭上に現わした巨大な火の玉を撃ち出した。それは一直線に向かっていき――当たる寸前で掻き消えたセンリの影を通過し、天井へとぶつかった。
炎が弾ける中、ギータはわずかに顔を下げ――
フィルがいる壁の反対側の壁際で、変わらぬ笑みを浮かべているセンリに目を向けた。
『ほんっと口の減らないヤローね。
――あ、そういえば。この姿だと、アンタが楽しみにしてる"絶望した顔"ってのは見られないんじゃないかしら?』
「心配はいらないよ。見分ける洞察力くらいあるから」
センリは左腕を上げ、ピッとギータを指差した。先程と同じ水球が、今度は三十個ほど出現し、指が差す方へ一斉に飛んでいく。
ギータは身を捻りながら全てかわし、水球は傍観者を決め込みぼーっとしていたフィルの周りの壁を叩いた。
風船が破裂するようなその音と降りかかってくる水滴に、フィルは思わずびくっと体を震わせた。次いで長く息を吐き、少しだけ目を伏せる。
その様を視界の端に捉えつつ、センリは大きく右に跳び、頭から突進してきたギータから逃れた。そして着地と同時に振り返り、ナイフをくるりと反転させて逆手に握り、ギータの首目掛けて跳躍する。空中でナイフを構えたところで、
『ふっ!』
短い呼気とともに、反時計回りに回転しながら横に振られたギータの左手に当たって、部屋の中央まで吹っ飛ばされた。
「……!」
センリは驚いたような表情で、石柱の根本が囲む床の中心に背中から落ちた。衝撃で手から離れたナイフが頭の上に飛んでいく。
次の瞬間――
ゴガァンッ!
視界の下から伸びてきたギータの右手が、センリの体を叩き潰した。床が陥没し、細かい欠片が宙を舞う。
普通の人間なら間違いなくペースト状になる一撃に、しかしセンリの体は潰れておらず、それどころか血の一滴すら出た様子はない。どうやら、咄嗟に可能な限り防御力を上げたようだ。
手の平に伝わる感触からそう理解したギータは、すぐさま右腕と床が垂直になるよう移動し、右手に体重をかけ圧を加えた。外傷はなくともダメージはあるらしく、指と指の間から頭と右手だけを出したセンリが苦しげに呻く。
目の前の、自分を見下ろす黄色い球を見返し、
「…………思ったより速いね。見直したよ」
少し掠れた声で言って、弱く微笑むセンリ。
ギータは、ふふん、と鼻を鳴らし、口があれば舌なめずりでもしそうな声音で言う。
『あらどぉも。ぎゃ・く・に、アンタは口ほどにも無いわね。最初ちょーっと手加減してただけでこうだもの。殺し屋って言うから期待したのに、がっかりだわ』
「…………」
センリはぴくりと眉を動かし、わずかに目を細めた。首から下で唯一動かすことの出来る右手を軽く開く。
『あ、わかってると思うけど……水でアタシをどかそうとしても無駄よ。アンタが術を使う前に、アタシがこの手を燃やす方が早いんだから。こうやって直接触っていれば、例えここが水の中でも、炎を防ぐことは出来ないでしょうし。
――まぁつまり、立場逆転。アタシの勝ちってことね♪』
「……それはどうかな」
言って、センリはぐっと拳を握った。刹那。
『……はっ!?』
ギータはその場に立っていた。鳥が羽を広げるように、両腕を左右に伸ばして。首から下を、スライムのように固まった水で覆われて。
その時すでに、センリはその下にはいなかった。
ギータの正面、五メートルほど距離を開けたところに、握りしめた右手を左肩の位置で構えて立っていた。爽やかな笑顔をたずさえて。
「逆転なんてしてないよ。最初から、あんたの負けは確定してる。
――気付いてなかっただろ?」
センリは右手の横まで左手を上げ、ゆったりとギータを指差す。続いてその指を、すっと左上に滑らせる。指先が通った空中に、微かな細い光が走った。
『は……』
ギータは言葉を失った。
目を凝らしてもよく見えないほど極細の透明な糸が、壁や床、天井を繋ぎ、まるで蜘蛛の巣のように部屋中に張り巡らされていた。それらの一部が束になり、ギータの四肢と腰と首にも巻き付き、また、別の束がセンリの右手へと集まっていた。
「これが俺の武器。これだけの細さでも強度はかなりあってね。そう簡単には切れないよ。
あ、気付かなかったのは当然だから、気に病むことは無いよ。単純な話だけど、糸に水を纏わせて光の反射を使って、視認出来ないようにしていただけだから。糸はこの部屋に入った時に大方ばら撒いて、調整用のを水球にのせて張った。後はあんたに触れないように、そして一部を引っ張るだけでこうなるように操ればいいってわけ。
因みに、どうやって糸を壁に固定してるかっていうと、あんたの体を拘束してるやつと一緒。水が糸を掴んで壁に張り付いてるだけ。
俺にとって水は忠実なしもべだからね。形も硬さも自由自在なんだよ」
『ってことは……まさか! さっきアタシに吹っ飛ばされたのは――』
「そう、わざと。あんたが考えていたことと同じ。手加減して油断させて、いい気になったところで叩く。俺もよく使う手だよ。
――さて、いい顔も見れたし、そろそろ終わりにしようか。
あんたの姉も弟も、すぐに後を追わせるから、安心して――」
一度言葉を切って、笑みを浮かべた。
「死んでいいよ」
爽やかさとは程遠い、別人だと思わせるほどの獰猛な笑みを。
『……っ! ふっざけんじゃないわよ! この程度の拘束で……』
慌てて叫んだギータの言葉は、最後まで発せられなかった。
少し頭を動かした、ただそれだけで――首から下が崩れた。赤く染まった水と大量の血が弾け、手の平サイズにまで細かく切れた体が、陥没した床の上に山を作る。唯一原型を留めている頭はその裾に落ちて、肉と血を飛び散らせながら一度跳ね返り、右に少し転がって止まった。
目の前に水の壁を作り血しぶきを防いでいたセンリは、肉の山が出来上がる直前で壁を消し、右手を振り上げ、大きな"く"の字を描いた。すると絡まっていた糸がすべて解け、壁や天井から外れ、近いところから、しゅるっ、と右袖の中に吸い込まれていった。そこそこの量があったはずだが、袖が膨らむこともなく、およそ三秒後にすべて収まった。
そして、
「ははっ! ははははははっ!」
急に笑い出した。両手で腹を抱えて、とても楽しそうに。
「馬鹿なやつだな! せっかく崩れないように押さえてあげてたのに!
すでに切り刻まれてたことに気付かず、勝手に動いて自滅したよ!」
言って、再び笑い声を上げる。
しばらく笑い続け、それから急に押し黙り、一拍の間を開けてから、
「あぁ……これだから殺しは愉しいんだよね……」
爽やかな笑顔で静かに言った。次いで、長く息を吐き、
「さて――」
くるりと反転し、フィルを見やる。そして困ったような表情を作った。
フィルは座ったまま壁にもたれかかり、両目を閉じてうとうとしていた。
「……通力切れか」
ぼそっと呟き、傍に落ちていた自分のナイフを拾い上げる。
肉体の場合、通力が切れると意識を保っておられず昏睡し、通力が完全に戻るまでは目を覚まさない。魂が消えないようにするための、本能的に行われる自己防衛である。因みに霊体の場合は実体化を維持できず霊魂に戻り、神のいる天界へと帰ればすぐに実体化は出来る。
故に、すぐには目覚めないだろうな、と考えて、
「やれやれ……」
センリは肩をすくめ、溜め息を吐いた。
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