12-3 例えるならば犬と猿 - No side -
センリはフィルの正面に立ち、少し考えた。
時折かくんと落ちては戻るフィルの頭を見下ろして、
「……なんだ。ただ疲れて寝てるだけか。紛らわしいなぁ……」
小声で呟き、その場にしゃがむ。
閉じられた両目、ぽたぽたと雫を垂らす茶色の髪、濡れた衣服へと視線を移していき――むき出しの太ももで目を止める。
そして、軽く握ったナイフをその無防備な肌に滑らせた。
「――いっ!」
突然襲ってきた痛みに驚き、フィルは文字通り跳ね起きた。横に裂かれた左足の膝上を、咄嗟に両手できつく押さえ、前かがみになる。浅くはない傷口からにじむ血が、ゆっくりと手を汚していく。
「目が覚めた?」
穏やかなセンリの声に顔を上げると、赤いコートの左右から肉の山が少しだけ見えた。
それで理解した。
センリがギータを倒したこと、いつの間にか眠ってしまっていたこと。
そして、傷を治そうと回復を使えば、今度こそ昏睡してしまうこと、それをセンリは許さないことを。
故にフィルは、回復を使うことを断念し、手に力を込めるだけに止めた。
センリはにっこり笑い、立ち上がりつつ一歩下がった。
「じゃ、質問に答えてもらおうか。
なんであんたと、夜コンビがここにいる? まさか、増援に来た――なんてふざけたこと言わないよね?」
その問いに、フィルは今回の任務内容を思い起こし、同時に、だから協力して倒せ、ではなく配達だけを頼まれたのか、と納得する。
センリが獲物を取られることを何よりも嫌っていることは、シンはもちろん、ほとんどの主護者が知っている。
「……そんなわけないだろ」
否定の言葉を口にして、フィルは長い溜め息を吐いた。
「君達に届け物だよ」
「ふーん……届け物、ね」
センリはどこか楽しそうに言って、ふふふ、と爽やかに笑う。
それが憤りを隠すための演技なことくらい、フィルにはわかる。
センリはナイフを消し、腕を組んだ。
「それだけのために、俺の計画を台無しにしてくれたんだ……
俺の侵入を隠すためにクソメガネを捕まえさせたり、わざわざメインシステムまで乗っ取ってカメラや罠を細工したり……いろいろやってたんだけどな」
「細工……」
なんとはなしに呟いて、フィルは少し考え、
「まさか、ディルス達を罠にかけたのは――」
「あぁ、それは俺。大変だったよ、悪魔どもにばれないようにするの」
その答えに呆れた顔をする。
構わず話を続けるセンリ。
「モニタールームでね、全ての監視カメラの視聴はもちろん、罠の遠隔操作も出来るようになってたんだけど――
その部屋にカメラ仕掛けて監視して、悪魔どもが罠を操作するタイミングに合わせないといけなかったからな。でなきゃ、単なる誤動作だとは勘違いしてくれなかっただろうし。
――まぁ、そんな面倒なこと、あんた達が来なければする必要なかったんだけどね。
ほんといい迷惑だよ。悪魔どもをばらけさせて、一人ずつ楽しめるように準備してたのに、全部無駄になったし」
「……分散させることは出来たじゃない」
「俺の計画とは違うんだよ。おかげで一人殺せなくなった」
一拍の間を開け、センリはちらりとギータを見やり、
「感謝しなよ? 背後霊の方に向かった弟君を諦めて、助けに来てあげたんだから」
優しい口調で嫌味を言った。
フィルも負けじとぶっきらぼうに返す。
「元はと言えば君のせいだろ。ディルス達を連れて行かなければ、僕が死にかけることはなかったよ」
「それは仕方ない。あいつらなら『面倒だからとりあえず壊そう』とか言いながら、要塞ごと悪魔どもを真っ二つにしかねないからな。
一応言っておくけど、俺はあんたを一人にするつもりはなかったよ。
夜コンビを早急に退場させるには、悪魔の作った異空間に飛ばすしかなかったんだけど……ムカつくことに、そこでも当てが外れてね。背後霊の次に消えるのは、怪力バカじゃなくてあんたの予定だったんだよ。あのヴォーラの先にあるのは、広大な燃える海と間違いなく寝てるクソメガネだけだから。帰ってくるには、どこかにいるクソメガネを見つけるしかないわけだけど、あんたなら見つけるのに大分時間がかかるだろ?
でも怪力バカなら……そろそろ見つけてそうだよね。出会うと困るとか言って、悪魔どもが慌てて雑魚を送ってたけど、そんなのお邪魔虫にすらならないし。帰って来られると、残った悪魔まで取られそうで嫌なんだけどな。
怪力バカがあんたを庇わなければ、いくつか問題を解かないと出られない部屋ってのがあったから、そこに閉じ込めて時間を稼ごうと思ってたのに。
――と、そういうわけで、悪いのは俺の思惑通りに動いてくれない怪力バカの方だから。邪魔にしかならないのに、クソガキに従ってやってきたあんたも背後霊も同罪だけどね」
「……ここにいるのが君達だとわかっていたら、要塞に入らず大人しく地上で待ってたよ。
そこの悪魔が片方は女性だっていうから、いるのはルイ達だと思ったのに……」
「側近達ならクソガキのお守りで忙しいって聞いたよ」
「そう……
――ところで、いい加減、シンを『クソガキ』って呼ぶのやめなよ」
言われてセンリは、少しだけ黙った。そして、
「人の首に爆弾を付ける奴なんて、クソガキで十分だと思うけど?」
自分の首にかかっているペンダントを指差して、にっこり笑った。
センリは唯一、シンにより制約を受けている。シンに従ってはいるが、自分以外は全て敵だと言い、シンを含む仲間達全員を葬りたいという邪心を持つが故に。
禁じられているのは、生者、もしくは主護者を殺す、あるいは見殺しにすること。
制約に反した場合は、ペンダントに込められた力により、直ちに浄化され、冥府へと送られることになっている。無論、ペンダントは制約がある限り外れない。
主護者が主護者を攻撃しても魂が傷付くことはないので、シンさえ無事であれば何度でも復活可能なのだが、だからといって容認出来るわけがない。主護者の多くは彼を浄化することを望んだが、シンが反対したため、最終的に"枷"をつけることで落ち着いたのだ。
「それこそ『仕方がなく』だよ。
君は、己の欲望の為だけに平気で人を殺せる、かなり危ない奴だから」
子供を諭すような優しい口調でフィルが言った。
「褒めてくれるとは嬉しいね」
「褒めてない」
そう返し、長い溜め息を吐く。次いで、疑惑に満ちた目をセンリに向け、
「ほんと、どうして悪魔にならなかったんだろうね……君……」
「…………」
センリはくすりと笑うと、腕組みを解いた。
「――本題に戻ろうか。
届け物とやらを受け取れば、あんた達帰ってくれるんだよね。誰が持ってる?」
「…………」
あからさまに話を逸らされ、フィルは憮然とした顔を作った。
十数秒の思考の後、ようやく口を開く。
「……ディルスを探して。彼が持っているから」
「背後霊、ね……
怪力バカの方がよかったんだけどなぁ……騒がしいから見つけやすくて。
でもそっちじゃ時間かかるな……さすがにもう弟君倒して、あの部屋から出てるだろうし……」
顎に手を当て呟くセンリに、フィルはふふっと爽やかに笑い、
「諦めているみたいだけど――
ディルスの方に向かった悪魔、まだ生きてるかもしれないよ」
「……上級とはいえ、あの程度の相手に苦戦するとは思えないけど?」
センリは、完全にないだろ、とでも言いたげな顔をした。
フィルは首を軽く傾げ、
「苦戦はしないな……
――でもね、彼はいつも、様子を見ながら加減して戦うから……急ぎの任務とか、不機嫌でもない限り、すぐに倒すことはしないよ」
「へぇ……意外。いたぶる趣味があるようには見えないのに」
「まぁ、そういう趣味は無いだろうね。エルナと同じで。
多分、余計な力を使いたくないんじゃないかな。聞いても答えてくれないから、ただの予想でしかないけど」
「ふーん……。じゃあ、とりあえずそこに行ってみるよ。
――あんたはどうする?」
「どうするも何も……僕はもう動けないよ。これを治したら力尽きる」
フィルは足の怪我を見やり、意識を集中した。両手からエメラルドグリーンの光が現れ、瞬く間に傷が塞がる。それからセンリに微笑みかけ、
「こうなったのは君のせいなんだから……責任取って……僕を安全な場所まで連れていって……よね……」
消え入りそうな声で言うと、フィルは両目を閉じて横に倒れた。それきり動かなくなる。
センリは、はーっ、と溜め息を吐き、
「…………担いで行けって? ヤダなー」
心底不満げに言うと、フィルの頭上に右手をかざし、右へと振り払う。
すると、フィルの全身から水滴が舞い上がり、宙に溶け消えた。フィルの髪も服も、まるで最初から濡れていないかのように完全に乾いた。
「あー、しくじった……ぎりぎり大丈夫だと思ったのに……
面倒だけど、置いてくわけにはいかないし……仕方ないなぁ……」
ぼやきつつ、センリはフィルの傍らにしゃがみ込む。そして、フィルの両腕を掴むと、上に引っ張りながら反転して、自分の肩に腕をかけ、軽々と背負った。落とさないように両足を抱えてから立ち上がる。
正面を見ると、ギータの死体が消え始めているのが確認できた。しばらくそのまま待ち、完全に死体が消えてから、そこへと歩み寄る。
つい先ほどまで肉の山があった窪みの中心に、長方形の薄いカードが落ちていた。センリは迷わずそれを拾うと、左側の壁の中央へと向かう。一歩手前で足を止め、頭の位置の壁を四回指で叩くと、そのすぐ横に縦長の細い隙間が開く。丁度よく、カードが収まる大きさだ。そこへ、短い方の辺を三センチほど差し込むと、隙間の右の壁の一部が下がり、悪鬼が余裕で通れるほどの出入り口が出来た。その先には広い廊下が伸びている。
センリは廊下へと歩を進め、
「――あ。エルナの様子がおかしかったわけ、聞くの忘れた」
天井を見上げて呟いた。
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