9-3 連行というより誘拐

「……すげーねーちゃんだな」

「だから、あいつが来る前に逃げたかったんだよ」


 溜め息交じりに言う俺に、遠い目を向け応える矢鏡。

 あれから十分後のことである。


 俺と矢鏡は元の席に戻り、フィルは俺の対面の椅子に腰掛けテーブルに頬杖ついて、真顔で右下あたりをぼけっと眺めている。いつもの爽やか笑顔が消えているのは……きっと眞嚮さんの言葉がきつかったせいだな……


 現在、書斎にいるのは俺達三人だけで、眞嚮さんと使用人四名はいない。

 なぜなら――


 ヤな予感がした時咄嗟に、


『明後日追試で勉強するからほっといてくれ』


 と言ったら、眞嚮さんは心底嬉しそうに、


『まぁ追試! おバカさんなのね京ちゃん! どれだけかわいいのかしら♡

 本当はずっと傍にいたいけど、実は私、仕事で日本に来たのよね。それで、どの道三日はここに帰って来られないの。だから安心して♡ 勉強の邪魔にはならないから♡

 ――ってことで、丁度時間だし仕事行ってくるわ! またね京ちゃん♡』


 と一息で捲くし立て、金髪二人を連れて颯爽と出ていったからだ。ついでに草加さんとクラウスさんも一礼して出ていった。勉強を続けてください、と言い残して。

 お気遣い感謝します。


 いやー、ほんっと仕事行ってくれて良かったー……

 あのまま眞嚮さんがここにいたら、勉強どころじゃなかっただろうからな。

 うるさくて集中なんてぜってー無理だし、ひっつかれるのうっとーしいし、邪魔だし、眞嚮さん体温高くてすげー暑かったし。よかったよかった。


「しっかし、まさか求婚されるとは思わなかった……」


 二枚目のテスト、国語の問題を解きながら俺は言った。


「良かったね華月。モテ期が来て」


 開いた参考書から目を外さず、淡々と言う矢鏡。


「はっはっはっ。面白くない冗談だな」


 俺は乾いた笑みでそう返し、ふーっと溜め息を吐いた。一旦手を止め、眉間にしわを寄せる。


「つーかさぁ、かわいいって何? 家族以外に初めて言われたんだけどかわいいって何? 女顔ってこと? 童顔ってこと? 俺そんなにかわいいか?」


 ぶっきらぼうに尋ねると、二人は視線だけをこっちに向け、


『華月はかっこいいよ』


 同時に言った。

 俺はにっこり笑い、


「だよなー! だって俺、女顔とか言われたことないし――」

「いや、顔の造形じゃなくて」

「人どころか世界によって価値観違うから、その話ならわからないなぁ」


 言葉を遮る矢鏡。続くフィル。


 おいちょっと待て。俺今顔の話をしていたはずなんだが。

 じゃあどこを見てかっこいいと思ったんだよ……性格? それとも仕草とか?


 詳しく聞こうとしたが、パタンっという参考書の閉じる音によって阻まれた。


「それより勉強に集中しなよ、華月」


 無表情の矢鏡に言われて視線を下げれば、そこには空白だらけの紙が一枚。


「おっとそうだった! 呑気に話してる場合じゃなかった!」


 言って、俺は再びペンを構えた。



 **



 それからは特に何もなく、勉強に専念することが出来た。

 結果から話すと、追試は全勝。

 満点を取れた科目は無いが、不合格も無し。ギリギリセーフはあるけどな。


 やっぱ歴史は苦手だ……


 でもこれで、しばらく勉強しなくてすむ。

 丁寧に教えてくれた矢鏡のおかげだ。マジ感謝。



 **



 やったー今日から夏休みだー。まずは何しようかなー。そうだ、たまには古本屋に行って立ち読みでもするかー。


 そう思い、古本屋のある駅に出向いたのが三十分前。

 そして現在、午後一時。


「ねぇ、誕生日は?」

「五月二十七日」

「血液型」

「B型」

「好きな食べ物」

「特になし」

「趣味」

「ファンタジーものの書物を読むことと散歩」


 俺は今、矢鏡家の応接間というくっそ豪華な部屋の中で、眞嚮さんに後ろから抱き締められ、質問攻めを受けている。

 といっても、答えているのは俺じゃない。


 眞嚮さんの付き人――いや、執事その一。ショートボブのベティさん。彼女はドアの傍にビシッと立ち、束ねた資料を眺めている。あれぜってー俺の個人情報書いてあるよ……


 因みに執事その二、オールバックのヘレンさんはその隣に立っているだけ。矢鏡とフィルはこの場にはいなくて、ヘレンさん曰く二階にある娯楽部屋でチェスをしているらしい。俺が来ていることには気付いているはずだが、上からおりてくる気配は無い。


 ――あ、それと。

 なんで俺が矢鏡の家にいるのか、だが――

 駅に着く前に眞嚮さんの執事達に拉致られたからデス。すげー強引だった……


 でかいリムジンが後ろから現れて、すぐ横に並んだと思ったらドア開いて、あれ眞嚮さんと一緒にいた二人じゃん、とか思ってたら手が伸びてきて掴まれて、掃除機みたいに一瞬で引き込まれたからな。おかげで初めてリムジン乗ったのに感動もしなかったよ。唖然としてて。


 んで、この時に執事二人の自己紹介を聞いて、気付いたら眞嚮さんの前に連れてこられてたってわけ。それから『久し振り』の挨拶と共に抱きつかれ、次に質問タイムに突入。


 因みに、何故答えているのが俺ではなくベティさんなのかというと、なんか教えたくないなぁと思って黙っていたらこうなった。俺が答えないことを見越して調べておいたんだと。


 さーすが矢鏡財閥後継者の執事。腹立つくらい有能だな。

 まったく……プライバシー無視すんなよなぁーもー……


「お散歩が好きなのねぇ、京ちゃん♡ 動物みたいでかっわいいわねぇー♡」


 眞嚮さんが心底嬉しそうに頬ずりしてくる。

 俺はジト目を彼女に向け、


「……あのさぁ」

「なぁに? 京ちゃん」


 眞嚮さんはにこにこ笑顔で首を傾げる。


「ちょっと聞きたいんだけど……俺の個人情報なんて知ってどうすんの?」

「え、別にどうもしないわ。好きな子の事はぜーんぶ知りたいってだけ♡」

「ふーん……」


 好きな人のことは、か……そーゆーの考えたことなかったな……

 俺はシンとリンさんに会えるだけで幸せだし。笑顔が見れたら最高だし。


「それでベティ、京ちゃんの好きな女性のタイプは?」


 一人で考えているうちに、質問タイムに戻る眞嚮さん。

 ベティさんは数秒黙り、何故かサングラスに左手の指を添える。


「――不明」

「…………わからなかったの?」


 眞嚮さんはわずかに目をみはり、呆然とした声で尋ねた。矢鏡曰く、矢鏡財閥の情報網はかなり優秀らしいから……それでも調べられなかったことに驚いてるんだろう。


 ベティさんは左手を下げ、こくりと小さく頷く。


「はい。華月様は恋愛事に対して非常に無関心であり、初恋もまだだそうです」

「なんですって!? 初恋もまだなの!? 思春期なのに!?」


 眞嚮さんはようやく俺から離れ、ずざっと身を引く。その際、驚いた時に手の甲を口元に持っていくというおじょーさまにありがちなポーズを取る。しかしすぐに満面の笑みを作り、


「ってことは、超チャンスじゃなーい! 初恋がまだってことは、ときめいたことがないってことでしょ? なら、私の魅力でドキッとさせれば惚れてくれるはずよね? ということは結果的に私のものじゃない? それならもう結婚しちゃってもいいわよねぇ!?

 よし! ベティ! ヘレン! 早速ドレスを手配なさい!」

『はい』


 自分勝手すぎる結論に、素直に従い部屋から出ようとする執事二人。


「いやいやいやいや! ちょっと待て!」


 慌てて待ったをかけたが残念なことにスルーされ、執事二人の姿が消える。まずいと思い、閉まるドアに駆け寄ろうとしたが、横から入ってきた眞嚮さんによって阻まれる。


「あら、なぁに京ちゃん♡ あ、どっちの籍に入るかってこと?

 それはもちろん京ちゃんが矢鏡家に来るのよ♡ だって私は後継者だもの」

「え? 俺が婿に行くの? そうすると俺の名前すっげー愉快なことになるんだけど――じゃなくてっ! 結婚しねぇから! 勝手に決めんな!」


 最初はめんどいからほっとこうと思ってたけど……ダメだ変える。


 このねーちゃんほっとくとヤバいやつだ! いつもの『なんか起こってからでいいや』で行動すると取り返しつかなくなる! 絶対そうなる! 早く諦めさせないと絶対ヤバい! 頑張れ俺頭を使うんだ案を出せ! 片っ端から試すんだ!


「つーかその前に、俺まだ十七歳だから。法律でアウトだから」


 作戦その一、現実的な事を言って諦めさせる。あと一年程しか効果が無いが、この場しのぎならこれでも十分なはず。


 眞嚮さんはにっこり微笑んで言う。


「大丈夫よ。そんなの財閥の力でどーにでもなるから」


 だぁぁぁ! こんっのチート矢鏡家めぇぇぇ! じゃあ次だ!


「それに、俺好きな人いるから。惚れたのはついこの間だし、誰にも言ってないから財閥の情報網にはひっかからなかったみたいだけど」


 作戦その二、フィルのマネ。さすがにこれなら諦めるだろう。よしよし、一番正解な気がしてきた。


 眞嚮さんは一瞬驚いた顔をして、すぐに真顔になった。


「誰よそいつ? どーゆー女? どこにいるの?」


 なんか疑ってるっぽいな……じゃあ、信じてもらうために正直に話すか。つっても、さすがに両方言うわけにはいかないから――リンさんの事を言おう。問われた時、真っ先に頭に浮かんだから。


「えーっと……かっこよくて優しくて綺麗な人だよ。名前とかは教えない。すっげー遠くにいるから、矢鏡財閥の力を使っても特定するの無理だと思うし」


 ふふん、と余裕の笑みを浮かべてそう言うと、眞嚮さんはパッと嬉しそうに笑い――あれおかしいなんで喜んでんの。


「あぁ良かった! それなら何の問題もないわね!

 だって、この間ってことは片思いでしょ? しかもそんなに遠くにいるってことは、望みも薄いってことじゃない。成就しないのが目に見えてる恋なんて、新婚生活してればあっという間に消えていくわ」


 おおぅ……そーきたかぁー……

 好きな人いますよ作戦、まさかの失敗。


 うーむ、しかし――

 確かに絶対成就しないし、そもそも成就させる気ゼロだけど……そーゆー言い方されるとちょっと腹立つな……。俺の想いは永遠なんだよ。あっさり消える程軽くねぇ。……まぁ、そんなこと言っても意味無いから言わないけど。


「眞嚮様」

「ドレスをお持ち致しました」


 作戦その三、眞嚮さんみたいなタイプ嫌いだから諦めてね――が思いついた瞬間、音も無く部屋の扉が開き、純白のひらっひらドレスを掲げてベティさんとヘレンさんが入ってくる。


 え、ちょ、もう準備出来たの? いくらなんでも早すぎじゃね?

 ――あ。そうかわかった。一から作ったんじゃなくて、すでに作ってあったんだろ。用意周到な執事達のことだから。


「サイズは合わせてありますが……一応お試しください」

「ご苦労」


 ベティさんに言われ、ドレスを受け取る眞嚮さん。

 まさかここで着替えないよな、とか思っていると、何故か執事二人が俺の腕を片方ずつ掴む。


「ほら京ちゃん、早く脱いで」

「………………は?」


 わけのわからん眞嚮さんの発言に、訝しげな顔をする俺。

 眞嚮さんはうっとりとした笑みを浮かべ、


「あぁ楽しみぃ♡ 京ちゃんのドレス姿♡」

「いやいやいやいやいやいやいや! なんで俺が着んの!?」

「決まってるじゃない。京ちゃん似合いそうだからよ♡

 さ、早く着替えて。サイズ確認して、ちゃんとしたもの作るんだから」


 その言葉が終わると同時に、執事二人は空いた片手を俺の上着に伸ばしてくる。

 それを視認し――


「ぜってーヤダよふざけんなぁぁぁぁぁっ!」


 執事達を振りほどき、俺は全力で部屋から逃げ出した。

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