5-5 秘められし決意  -Fill side-

 時は戻り――

 華月達と別れた後、フィルは一人、黙々と廊下を歩いていた。


 最初の角を曲がってまっすぐ進み、しばらく行った先の十字路を、フィルは迷わず左に行った。次の丁字路では右に曲がる。


 初めて来た城で、目的の場所までの経路がわかっているわけではないのだが、フィルには大体の見当がついていた。


(ああいう典型的な奴は、研究室を地下に作るんだよね)


 数日前に少し見ただけで、シュバルトの性格を見抜いていたのである。

 だからフィルは、途中の小部屋にあった上へ伸びる階段を無視し、下へと向かう通路を探した。見つけにくく、悪鬼や死霊すらも寄りつかない場所を。もちろん、隠し通路の可能性も視野に入っている。


 たびたび遭遇する悪鬼達は、腹や腕などを長針で刺して倒していった。死霊には長針を使わず、直径一センチほどの赤い球を一つ取り出し、コイントスのように親指で弾き飛ばした。それは死霊に当たった途端、赤い液体を撒き散らし、死霊は悲鳴を上げながらどろどろに溶けて消えた。


 堂々と廊下の中央を進み――

 やがて、フィルは足を止めた。

 前を見据えて、わずかに目を細める。


 直線に伸びる廊下の途中で、左に向かう丁字路を曲がった先。少し行くと、そこは行き止まりだった。


 ――いや、行き止まりに見えるようになっていた。

 ほんのわずかに、周りの壁より色が薄い。薄暗いことも手伝って、違いはほぼ無いと言ってもいい。それくらい些細な差しかなかった。


 けれどフィルは、そのことにすぐ気付いた。ここに来るまでに何回も行き止まりがあったにも関わらず、この壁だけは他と違うと。


 フィルは一歩近づいて、左手で壁に触れた。スッと左に滑らせ、何かに気付く。

 肩の高さで、壁の一部が押せるようになっていた。それは指先より少し大きい四角いボタンで、完全に周りの壁と同化していた。


 フィルがボタンを押すと、壁の中心に縦に線が入り、音も無く奥へと開いていく。その先には石造りの階段がまっすぐ下に伸びていた。フィルが階段を下り始め、開いた壁から離れると、壁は自動で閉じて目前には闇が広がった。


 しかし、次の瞬間に光が戻り、昼間のように明るくなる。それは薄闇に慣れた目には眩しすぎて、フィルは反射的に目を細めた。しばしその場で足を止め、光に慣れてから再び足を踏み出した。


 二階層分の階段を下りると、アーチ状の青い扉が現れた。

 フィルは扉の左右のノブに両手を掛け、一拍の間を置いてから押し開けた。

 そして、


(――やっぱり、華月達と別れておいて正解だったな)


 と、思った。


 広い部屋の中は、予想していた通りの光景だった。

 そしてそれは、華月には見せたくない光景だった。

 何故なら、華月は気付いていないから。


 フィルはわずかに目を伏せ、静かに言った。


「普通の人間が――水も食料も何もない魔界で、しかも魔族に捕まって……半月以上も生きていられるわけが無いのに」


 右手側には、腰より高い長方形の台が四つ並び、その上には黒ずんだ液体が溜まっていたり、何かの肉片が散らばったりしていた。


 左手側には、透明な円筒が柱のように何本も立ち並び、円筒の下からは細長い管が何本も伸びて床や天井を這っていた。円筒の中は透明な液体で満たされ、それぞれ違うものが一緒に入っていた。楕円形のボールに血管を巻きつけたようなもの、獣に人の手足が生えているもの、折れた骨が何本も合わさり、深緑の膜で繋がっているものなど。


 その一番手前の円筒の中に、目的である彼がいた。簡素な服を着た若い男が。

 男は顔を恐怖で歪ませ、開ききった両目が静かに床を眺めている。だらりと両腕と頭を垂らし、少しだけ宙に浮いていた。


 華月は、彼がすでに死んでいる、とは考えもしないだろう。

 彼が死んでいるかもしれない、と推測することもないだろう。

 彼が生きていることを前提に考えている自分に、気付くことすらないだろう。


 それは、華月がバカだから、ではない。華月がそれだけ"人の死"に慣れていないということだ。だから華月は"人が死ぬ"という考えに至らない。それは、華月の中では"普通"ではないのだ。


 フィルはそう推察していた。そして、この推察が誤りでないことは、華月のお気楽な言動を見ればわかる。


 故に、華月には見せたくなかった。見せるべきではないと思った。

 もし華月がこれらを見たら、きっと傷付いてしまうから。心苦しく思うから。


 矢鏡もフィルの考えがわかっていたらしい。二手に別れることを提案した時に、何も言わなかったのがその証拠だ。


「……死後十日ってところか……」


 フィルは男の死体を一目で判断し、それから奥の方に歩を進める。


 左右の壁際には金属製の棚がいくつも置かれていて、脳みそや首や肉塊を入れた大きなビンや、不気味な色の液体が入った小瓶などが入っていた。じっくり観察する気は起きず、すぐに視線を外した。


 円筒から伸びる何本もの管は、扉の正面方向にある横に長い黒い機械に繋がっていた。機械の背面から管が出ていた。腰の高さのその機械には、ボタンやレバーがたくさんついていて、中央にはモニターがあった。機械はかなり大きな黒い円筒の手前に置いてあった。その奥には一回り大きい透明な円筒が三つ横に並んでいる。左の円筒には不定形な液体に目玉がついたものが、右には獣と鳥を合わせたようなものが入っていた。真ん中の円筒は空だった。


 フィルは機械の前に立ち、正面の黒い円筒を見上げた。次いで視線を落とし、機械を眺める。モニターの右横に小さなスイッチを見つけ、上がっていたそれをカチッと下げた。


 すぐにウィィンという動作音がして、モニターが薄く光る。機械のところどころにあるガラス玉も、赤や青や緑色に光り出した。目の前の黒い円筒が徐々に色を失っていき、やがては透明になり中身をあらわにする。


 筒の中には、手の平サイズの青い火の球が、十数個ほど漂っていた。それらは炎を揺らめかせ、縦と横にゆっくり移動する。


 フィルは少しだけ驚いて、それらを見つめた。そして、


『たすけて』


 声が聞こえた。円筒の中から。


 魂達は移動を止めて、『たすけて』『もう嫌だ』『出してくれ』などと言い続けた。

 フィルは静かに聞いていて、いつしかシンが言っていたことを思い出した。


『――え? 魂にも意志があるか?

 もちろんあるよ。漠然と、だけどね。私達のようにはっきりした意志とか考えはないけど、生きていた時の想いが残っているから。……まぁ、大体は死ぬ間際の想いだけど。


 ――なんでわかるのって聞かれても……

 あのね、魂はずっとその想いを言い続けているんだよ。誰でもいいから、聞いてほしくて。

 ……でもね、その声は"見える"人にしか聞こえないの。見えないのなら、言葉を伝えても意味が無いから……。だから私にはわかるんだよ。見えるからね』


 仲間の誰かの問いかけに、シンはそう答えていた。

 霊魂は地上で見かけることも多々あるという。だが、その姿を見ることは普通の人には出来ない。それはフィルも例外ではなく、地上に降りることはあっても、魔界に来ることはほぼ無かったため、魂を見たのはこれが初めてだった。


 だから少し驚いた。そして次に、あぁ、こんな感じなのか、と呑気に思った。


『死にたくなかった』


 魂のどれかが言った。

 フィルはわずかに目を細め、


「……悪いね、僕達も万能じゃないんだ……

 出してあげることは出来るけど……生き返らせることは出来ないよ」


 魂達に向かって、淡々と言った。



 瞬間。背後に殺気が生まれ――



 ズガンッ!



 自分に向かって飛び来た斬撃を、フィルは振り返りながら左側に避けた。だが、避けたと思った斬撃は左腕――肩下辺りをかすめ、ギリギリ骨には届かなかったが、肉を深く切り裂いた。走った痛みに顔をしかめ、反射的に右手で傷口を押さえる。溢れ出た赤い血が、周りの袖とフィルの手を徐々に染めていく。


 フィルは警戒心に満ちた、鋭い眼差しを入り口に向け――


「ふーん……このくらいは避けられるのか」


 たった今攻撃してきた相手を見て、驚愕した。


(なんで……ここに……)


 冷たい汗がひとすじ、右頬を流れていく。

 内心の動揺を必死に抑え、静かな口調で相手の名を呼ぶ。


「…………魔王……さん…………」


 リンはにやりとした笑みを浮かべ、右手に刀を握っていた。彼女は扉の横の、男が入った円筒の向こう側から歩み出て、数歩近づき足を止める。


 フィルの横で、斜めに斬られた機械がバチバチと音を立て、すぐに電源が落ちた。背後にある魂の入った円筒も同じように斜めに切り裂かれ、そこからヒビが入っていき、最後には粉々に砕け散った。自由になった魂達は、何も言わずに天井を擦り抜けどこかに行った。


 フィルはこの間に回復を使い、腕の傷を塞いだ。警戒を怠ることはなく、リンから視線を外さない。


 リンは一歩前に出て、フィルは反射的に下がろうとしたが、機械があって下がれなかった。それを再度確認するように、両手を機械の端にかける。


 リンがふっと笑った。


「怯えなくていい。殺しはしない」

「……よく言いますね…………いきなり攻撃しておいて」


 ややぎこちない笑みを浮かべ、嫌味のつもりで言い返した。

 彼女はこのくらいでは怒らない、と知っているからだ。でなければ、圧倒的な実力差のある彼女に、ケンカを売るようなことを言ったりはしない。フィルは慎重な性格ではないが、確実に壊れる危ない橋を、何の得もないのに渡るほど愚かでもなかった。


 リンは手元の刀を消し、


「まぁ、お前がこの程度の攻撃を避けられないような奴なら――そのまま殺すつもりだったんだがな。そんな雑魚は役に立たない。邪魔なだけだ」

「…………」


 あまりにも冷酷すぎる言葉に、フィルは何か言い返そうとしたが、口を開く前に止めた。

 今ここで意見したところで、彼女が効く耳を持たないことくらいわかっている。

 それより、聞かなければならないことがある。


 フィルはじっとリンを見据えた。わずかな動きすら見逃さないように。笑みを作る余裕などなく、真剣な様子で尋ねる。


「……何をしに来ました? そんなことを言うためではないですよね?」


 彼女の真意がつかめない以上、油断するわけにはいかなかった。先ほど『殺しはしない』と言っていたが、彼女はかなり気まぐれだ。すぐに考えが変わることも有り得る。


 リンは左手を腰に当て、同じく笑みを消し、


「          」

「――っ!」


 告げられた言葉に、フィルは目を見開いた。その意味を瞬時に理解し、そこから導き出された答えに愕然とする。素直に納得することは出来ず、脳が勝手に『嘘だ』と否定する。


 だが――

 彼女がそんな嘘を吐かないことも、確かだった。


 フィルはなんとか頭を整理して、落ち着きを取り戻す。


「なんで……それを僕に……」


 力無く呟くと、


「お前が一番適任だからだ」


 リンはつまらなそうに答えて踵を返した。


「……大事なものは自分で守れ」


 言って彼女は一歩踏み出し、宙に溶けるように消える。

 それからしばし間を置いてから、フィルは左手で顔を覆い、俯いた。

 かなり時間をかけて考え込み、やがて手を降ろし顔を上げる。


 綺麗なエメラルドグリーンの瞳には、固い決意が表れていた。



 **



「――だから! 絶対探した方がいいって!」


 フィルが入り口まで戻ると、外から華月の声が聞こえてきた。因みに、二人が心配するといけないから、と斬られた上着を新しいものに替えてある。


 扉の陰からそっと覗くと、向き合って討論している二人の横顔が見えた。華月はやや不服そうにしていて、矢鏡は困ったような顔をしていた。


「フィルなら大丈夫だよ。雑魚に負けるような奴じゃないし」

「そうだろうけど……だって、遅すぎだろ」

「あー……まぁ、確かにそうだな……」

「だろ? ぜってー探しに行った方が……

 ――あ。というかお前、気配わかるんだったら、フィルの気配もわかるよな?」

「それは無理。フィルは常に消してるから」

「えっ!? そうなの!?」


 そんなやり取りを目にして、フィルは小声でふふっと笑った。次いで扉の陰から姿を現し、二人に歩み寄る。


「早いね、二人とも」

「フィル!」


 声をかけると、気付いた華月が笑顔で駆け寄ってきた。一歩手前で足を止め、


「遅かったな! 今探しに行こうかって話を――」


 途中で切って、フィルの背後をきょろきょろ見回す。


「って、あれ? 攫われたにーちゃん達は?」


 不思議そうに尋ねる華月に、フィルはふっと笑って、


「……彼らなら、魔王さんが来て連れて行ってくれたよ。僕じゃ地上には戻せないからって」

「えっ!? リンさんが来たの!?」

「うん。多分、シンに頼まれたんだろうね」

「えー、いいなー……俺も会いたかった……」


 がっくり肩を落とす華月に、矢鏡がひかえめに問いかける。


「一応聞くけど……シンやリンさんと結婚したいって思ってたりする?」


 すると華月は、完全に呆れた顔をして、


「は? んなわけねぇじゃん。相手は神と魔王だぞ。付き合うことすら出来ねぇよ」


 答えて腕組み、ふふんと笑って誇らしげに言う。


「俺の愛はもっとプラトニックなの。シン達が笑っていてくれれば、それでいいんだよ」

「……そう」


 矢鏡が言って、


「僕も聞きたいんだけど……華月、なんで髪が濡れているんだい?」


 今度はフィルが尋ねた。


「あぁこれ? 実はさ、あの変態が――」


 華月は話をした後、フィルに髪を乾かしてもらってから、転移の箱を取り出した。親指と人差し指だけで箱を壊し――三人はその場から姿を消した。

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