第5話楽しかったかーい?

 最近オライオンは、困っていました。

 《海》に遠足に行ってから、連日動物たちが『お悩み相談室』に押しかけていたからです。


『当相談室ご利用の皆様へ

いつもご利用ありがとうございます。『お悩み相談室』は、ご利用者様のお悩みを丁寧に聞いていきたいと思っております。ただ、最近あまりにもご利用者様が増えすぎたため、ご利用者様のお悩みを十分に聞くことができなくなっております。お悩みを十分に伺いたいので、今後予約制にしたいと思います。毎日、相談室を利用できるのは一日4匹様に限らせていただきたいと思います。相談室の部屋の前に午前と午後の予約を入れられるようにしておきます。そちらに自分の足跡を付けてもらえれば大丈夫です。足跡を早くつけた順にお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします』



「りょうさんはいるかい?」

 オライオンは、そっとスタッフの休憩室に顔を出しました。

「りょうさんは、今園内の点検に行っているよ」

 園長さんが、椅子に腰かけたまま答えました。

「なにか用かい?」

「ああ、実は今立て看板を立てようと思ったんだが…… 動物の中には字が読めない奴らもいるなって気づいてね」

「あー。『お悩み相談室』の事だね」

 園長さんは、にっこりとオライオンに微笑みました。

「大盛況みたいじゃないか」

「大勢来てもらって感謝しているよ。ただ、みんないっぺんにくるから十分に話を聞いてあげられないんだ」

「ふーむ」

「みんな遠足は楽しかったが、今一つ物足りない。それでみんな不満をおれ様のところにぶつけに来るわけなんだが…… 一日に10匹レベルで押しかけられるとおれ様の体がもたねえ」

「それはそうだろうねえ。よくわかるよ、オライオン」

 そういうと、園長さんはオライオンにとっておきのアルカリイオン水を入れてあげました。

 オライオンはおいしそうにぺろぺろ舐めると、

「それで、予約制にしようと思ったんだ」

 ごくりと飲み干しました。

「それはいいね」

 園長さんも水を飲みました。

「りょうさんにおれ様が下書きしたものをカセットに録音してもらえないかな、って思ったんだよ」

「なんでりょうさん?」

「みんななんだかんだ言ってりょうさんの事を動物たちは頼りにしてるだろ。予約制の事も、りょうさんの声で言われたら仕方ないな、って思うんじゃないかって思ったんだよ」

「りょうさんがいいんだね」

 園長さんは、もう一度聞きました。

「オライオンに言われても納得すると思うけどね。自分で録音したらどうかい」

 園長さんは、鉛筆をマイクに見立ててオライオンに向けます。

「そうか?」

 まんざらでもなさそうに返事すると、

「じゃあ、園長さんも録音するの手伝ってくれよ」

 オライオンは猫なで声を出しました。


 園長さんはカセットデッキを持ってくると、机の上に置きました。

「私が『はい』ってボタンを押したら話し始めるんだよ」

 園長さんは、マイクをオライオンに向けました。

「お、おう」

 オライオンは、咳ばらいを一つします。

 園長さんの椅子の横にある鏡でたてがみが乱れていないか確認しました。

「オライオン、姿は映らないから」

 園長さんは、笑いをこらえながら言いました。

「そ、そうだったな。始めてくれ」

「はい」

「皆さん、い、い、いつもあ、ありがとうございます。お、お、お、『お悩み相談室』ではいっぴき、ぴき、ぴき、ぴき様のお悩みを…… て、て、丁寧に…… あーだめだ、おれには言えねえ!」

 オライオンは頭を抱えてうずくまってしまいました。

「オライオン、深呼吸して」

 すーはーすーはー

 オライオンは、深呼吸を繰り返しました。

 よし子さんが、部屋に入ってきました。

「あら、オライオン。来てたのね」

「よし子さーん。おかえりー」

 オライオンが、よし子さんにごろごろとすり寄ります。

「よし子さん、一つお願いがあるんだよぉ」

 ごろにゃん、と猫のように喉を鳴らします。

「なあに、何でも聞くわよ」

 よし子さんは、やさしく言いました。

 園長さんが、横目でオライオンを眺めています。

「実は……」

「そんなこと、お安い御用よ」

 オライオンは、カセットデッキのマイクをよし子さんに渡しました。


 カセットテープに録音された音声は繰り返し流れるようにしました。

 よし子さんがやさしく案内してくれるので、みんなアナウンス通りに地面に足跡を付けていきます。

「オライオン、雨が降って足跡が消えないようにしておくね」

 ライオン担当のイオン君が、雨除けの屋根を地面の上に立ててくれました。


「今日は、午前の一番が、これはぐりちゃんか」

 足跡が小さすぎて、ありと見間違えそうでした。

 ぐりちゃんは、部屋に設けられたついたての後ろで待っていました。

「お待たせしました。ぐりさん、どうぞ」

「オライオン、おはよう。この間は楽しかったわね」

 ぐりちゃんは、ちっちゃな椅子の上によじ乗りました。

「ええ。楽しかったですね。それで今日は、どうしました」

 オライオンは、ゆっくりとぐりちゃんの方へ顔を近づけました。

「この間は楽しかったわ。だけど、やっぱり《海》は怖かったわ。だって、砂堀りしていて寝ていたら、波が押し寄せて来たのよ~」

「それは大変でしたね」

 オライオンは、椅子に深く座りなおしました。

「オライオンは、砂浜で楽しそうに走り回っていたわね」

 ぐりちゃんは、海辺でうきうきと砂浜を駆け回るオライオンを思い出しました。

「私はそれなりに楽しめました。でも、やはり砂場は走りにくかったですね。慣れないせいか翌日筋肉痛になりましたよ」

 あっはっはとオライオンは豪快に笑いました。

「ライオンが筋肉痛なんておかしいわね」

 ぐりちゃんもクスリと笑いました。

「ぐりさんは、おぼれませんでしたか?」

 オライオンは、まじめな顔で聞きました。

「危なかったわよ~。あと少しで流されるところだったわ。ゴルちゃんもなんだかかっこつけて砂場で日光浴していたけど、波が押し寄せてきてあわてて逃げていたわ」

 ぐりちゃんは、後ろ足で立ち上がると両手を上にあげました。

「それは大変でしたね」

 オライオンは、にっこりと微笑みました。

「それは大変でしたね、ばっかりね」

 ぐりちゃんは、くしゅっとくしゃみをしました。

「オライオン、お願いよ。もっと別なところに連れて行ってちょうだい。《海》は小さなものたちには危険が多すぎるわ」

「そうですねえ。どこに行きたいですか?」

 ぐりちゃんは、それ来たとばかりに椅子から飛び降りると、オライオンの体に駆けあがりました。

 耳元でささやきます。

「オライオンの行ったドッグランよ」

「ドッグラン……」

 オライオンの目が遠くを見るようにさまよい始めました。


「次は、ぶた太だ」

 ぶた太は狭い枠の中に6つも自分の足跡を付けていました。

「お待たせしました。ぶた太さん、どうぞ」

 オライオンは、ゆっくりドアを開けました。

「オライオンー。いったいいつからこんな部屋があったブウ。きれいすぎだブウ! オライオン、それはもしかして白衣かブウ!」

「ぶた太さん。ここでは私はカウンセラーです。部屋は昔からありました。ぶた太さんが気づかなかっただけです」

 オライオンは、にこっと小さく笑いました。

「さあ、悩みを話してください」

「なんだかいつものオライオンと違うブウ……」

 ぶた太は、下を向いてつぶやきました。

「実は、悩みというほどではないんだけどブ。オライオン、この間の《海》は楽しかったブ。だけど、帰ってからなんだか気持ちが落ち着かないんだブ。エサをおなか一杯食べてもおやつをたくさん食べても、なんとなくソワソワというかもじもじするんだブ」

 ぶた太が、オライオンににじり寄ります。

「ふうん。そうなんですね」

「おいら考えてみたんだけど、海も楽しかったけどやっぱり最初の泥浴びが楽しかったなブって!」

 ぶた太は耳をピンとたてました。

「そうですか」

 オライオンは、うなずきます。

「最初の泥遊びの事を思い出すと、胸がきゅんとするブ」

 オライオンは、ゆったりと背もたれにもたれかかりました。

「ぶた太さんは、もう一度泥浴びをしたいんですね」

 カルテに書き込みます。

「この間は、泥浴びというか砂浴びだったブ。もう一度湧水で泥遊びを、だブ」

「そうですか」

「そうですか、ばっかりだなブ。オライオンは」

 そういうと、ぶた太はどすどすと診察室から出ていきました。


 午前中の診察が終わって、オライオンは一休みしていました。

 メスライオンが寄ってきました。

「午後まで昼寝するよ」

 けだるそうにオライオンはあくびをしました。

 目を覚ますと、三時少し前でした。

「危ない、危ない。寝過ごすところだった」

 オライオンは、白衣を羽織ると前足で顔をきれいに嘗めました。


「午後の診察を始めます。最初は、アルダブラさんですね」

「オライオン君、この間はありがとうね~」

 相変わらず、アルダブラ君はゆっくりのんびりしています。

「楽しかったねえ。だけど、なんだかあれからやっぱり最初に出かけたときのことを思い出しちゃうんだよ~。カタツムリ君たちにも、 (《海》もいいけど、やっぱりみんなでお散歩が楽しかった) って言われちゃうし」

「そうなんですね」

「そうなんだよ~。《海》もいいけど、ゆっくりお散歩もいいよねえ」

 アルダブラ君は、はあっとため息をつきました。

「みんなと一緒ももちろん楽しかったけど~」

 アルダブラ君は、口を開けてオライオンを見つめました。

「そうですね」

「カタツムリ君たちと一緒にお散歩行かせてよ~」


「次の方どうぞ」

「オライオンさん、よろしくね!」

 たったっと入ってきたのは、ポニーでした。

「オライオンさん、この間は楽しかったわね。はい、お礼のチョコレート」

 ポニーは、草を固めたチョコレートをポシェットの中から出して、ぽんと置きました。

「私は、砂浜で走って筋肉痛になりましたよ。やっぱり砂浜で走るのは、地面とは違います。少々疲れました」

「私は、平気よ。砂に蹄が埋まって転びそうになったけど」

 ポニーは、目を足元に向けてクスリと笑いました。

「最近運動不足だったから、この間はすっきりしたわ」

 オライオンは、微笑みました。

「走ったのは、本当に気持ちがよかったわ。その分、反動が大きくて…… 最近よく眠れないの」

 ポニーは、視線を下に落としました。

「羊の数を数えるといいですよ」

 オライオンは、目をつぶって数を数えました。

「うちの小屋には一匹しか羊さんがいないわ」

「羊は現実の羊じゃなくてもいいんですよ」

「また《海》まで走りたいわ」


 オライオンは、横になりました。

 一日が終わるとさいきんぐったりとします。

「おれ様も年取ったな」

 オライオンは、まんまるのお月さまを見上げました。


 次の日も次の日も動物たちはやってきました。

「おはようございます。ゴルさん、どうぞ」

「おはよう、オライオン。実はね、僕この間海に行ったとき、海でサングラスをなくしちゃったみたいなんだよ。砂浜で気持ちよくお昼寝していたら、波に襲われてね。あわてて逃げようとしたんだ。その時だと思うんだけど、どこを探しても見つからないんだ」

 ハムスターのゴルちゃんが、早口で言いました。

「ゴルさんは、サングラスをいくつ持っているんですか?」

 オライオンは、いつものように落ち着いて情報を聞き出そうとします。

「さあ、数えたことはないけど…… あれは、特にお気に入りのもので、帽子とセットでお姉さんからもらったものなんだよ」

 ゴルちゃんは、しょんぼりとうなだれました。

「大切なものをなくされたんですね」

「そうなんだよ。動物園に連れていかれるときに持たせてくれたんだ」

 ゴルちゃんの目から米粒のような涙がこぼれ落ちました。

「そうですか」

「お姉さんは、別の動物園にいるんだよ。いつもサングラスがお姉さんみたいに僕を守ってくれていたんだ」

 オライオンは、深くため息をつきました。


「次の方どうぞ」

「オライオンさん~~~ ここまで来るのに時間がかかったわ~~~」

 マナさんは、すっかり疲れ果ててそのまま寝てしまいました。

「困ったな」

「ぐう~」

 足でゆすってもびくともしません。

 しばらくは起きなさそうです。

 オライオンは、マナさんをすみっこの方に寝かせました。

(訪問診療も必要か……)


《今日の診療は終わりました》

 オライオンは、終わりの札をかけてごろり、と横になりました。

 その夜、オライオンは誰もいないドッグランで思う存分走り回る夢を見ました。



 



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