第2話

 磯田くんの病室は、五階だった。見晴らしのいい部屋で、窓からは青い海が見える。一日中冷房が効いて快適だし、のんびりできそうだ。

 うらやましい。わたしなら十分、退屈しないんだけどな。

 けど、入院二日目にも関わらず、磯田くんはもう飽き飽きしているようだった。ベッドの上にマンガや携帯ゲーム機が散らかっている。

 わたしの視線を気にしたのか、磯田くんは「あ、あー、すいません」と申し訳なさそうな顔をした。

「すっげー汚いですよね。待ってください、今片づけますから」

 手を伸ばし、散らかっている物を急いでかき集めようとする。

 わたしは、あっ、と両手をふって、磯田くんをとどめた。

「いいって、磯田くん。気にしないでいいよ。足、動けないんだから、じっとしてて」

「そうやぞ、おれの部屋より数倍きれいやで。気にすんな」

 本宮くんもうなずく。彼は、家で昼食をとっていたわたしより早く来ていて、ベッドの脇でコンビニのおにぎりを食べ終わっていた。

「はあ、そうですか。すんません」

 磯田くんは片づけるのをやめて、ベッドの背にもたれた。

 彼と会うのは、夏の県予選以降はじめて。実に二週間ぶりだ。最後に会ったときよりも、日に焼けて肌が黒くなったみたい。

 部活が休みだったのに、何をしてたんだろう。

 それに屋根の上から落っこちて、骨折するなんてヘンだなあ。そんなところで、いったい何を……?

 不思議に思って尋ねてみたら、磯田くんは素直に打ち明けてくれた。

「色が黒いのは、姉貴に頼まれて、海でバイトしてたからです。屋根から落っこちたのは、飛ばされた洗濯物を拾おうとしたからで……」

「洗濯物?」

「はい、おれんち昔の家やし平屋だから、けっこう屋根のぼりやすいんです。布団なんか広げて干したりしてるぐらいですよ」

「ふうん、そうやったんか。理由はともかく、痛い思いして大変やったな」

 本宮くんは、やさしく言ったものの、次の瞬間には目をとがらせた。

「けどなあ、秋の大会はどうすんのや。人数ぎりなのに。羽目外してケガすんな、って、休み前に注意したばっかじゃろ」

 肩を小さくし、頭を下げる磯田くん。

「すいません、先輩」

「まあ、ええわ。やっちまったもんは、しょうがないべ。これからどうするか、こっちで相談して決めるから。レギュラーを外されても、恨みっこなしやぞ。他のやつらにも言っとくでな」

 本宮くんは野球部のキャプテンらしく、真面目な顔つきで言った。



「じゃあね、磯田くん。お大事に。無理しないで、ちゃんと治すんだよ」

「あざっす。詩麻先輩も、おれみたいにケガせんよう、気いつけといてください。本宮先輩も」

「おう。またな」

 お兄ちゃんが焼いてくれたお好み焼きを磯田くんに渡して、わたしは病室を出た。本宮くんも一緒だ。

「ほな、行こっか」

「うん」

 本宮くんが先頭に立って廊下を歩いた。

「あんまり人いないね」

 お盆休みのせいか、フロアは閑散としていて、わたしたちの他に誰もいなかった。どこか窓がひらいているのだろうか。蝉の声がうるさいぐらい聞こえる。

 エレベーターのボタンを押し、彼と二人横に並んで扉がひらくのを待つ。意外と時間がかかりそうだな。

「……なあ、もとやん」

 わたしの方から話を切り出した。

「これから、うちら、どうすればいいんやろう。来週、練習を始めるつもりやったろう? わたしにできること、ないやろうか?」

 本宮くんの眉がぴくっと動く。

「ん、どういう意味なんや?」

「わたし、磯田くんのかわりにセカンドに入ろうか? これでも少年野球で鍛えられたんやで。一人足りないよりいいやろ?」

「そうやなあ」

 本宮くんは、つぶやくように答えた。

「そりゃあ、練習しないわけにはいかんやろうな。大会に出られなくても、それとこれは別もんや。部活動は、学校教育のカテゴリー外。先生の善意でやってるんやし。やらんわけにはいかんやろ」

 話が意外な方向にいってしまった。そういう意味で言ったんじゃないのにな。

「え? うん……」

 わけがわからないまま、うなずく。

「雑務だって大事な仕事やから。おまえ、いないと困るわ。そやから、無理しなくていいんやで。いつもどおりでええって」

 なあんだ、そういうことか。わたしの申し出をやんわり断ったのだ。

 そりゃ、そうか。いくら野球経験者だからって、高校野球となれば別物だ。

「そうやね、わかった」

 納得して、あいづちを打つ。

「はあ~」

 本宮くんはゆっくり息を吸って吐いた。

「悔しいけど、甲子園に出ることだけが野球部の目的じゃない。部活動を通し、健全な心身を育てるんが目的なんや。そりゃあ、試合で勝つと気持ちええけどな。というわけだから、いつもどおりやっとればいいと思うで。ていうか、そうするっきゃない」

 その答えに感心してしまった。

「へえ。もとやんは、難しいこと知ってるんだねえ。見直しちゃった」

 わたしがそう言うと、本宮くんはちょっと照れたように鼻をこすった。

「違うんや。うちの親、両方とも小学校教師じゃから。そういう小難しい話、よく聞かされるんよ。おれかて小耳にはさんだだけや。聞きたくなくても聞こえるんよ」

「ふうん、そういうもんなのかあ」

 ますますビックリだ。本宮くんの横顔をじっと見つめる。

「ああ、そういうもんやで」

 チンと鳴ってエレベーターの扉がひらいた。中年女性が一人、中から降りてくる。

「先、行きなよ」

 本宮くんが譲ってくれたので、

「ありがとう」

 と、わたしはエレベーターに乗り込んだ。つづいて本宮くんも乗り込む。

 狭い空間に二人きり。話題がなく黙ったままで、なんか気まずいなあと思ったけれど、エレベーターが一階に着くまで、わたしたちは終始無言だった。

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