新春ー遠い日の初恋
冷門 風之助
第1話
(乾君、本当に陸上自衛隊に行くの?)
(ああ、昨日採用通知が来た。)
(だけど、先生は反対だったんでしょ?)
(何しろあのカマキリだからな。一応形式だけの説得はされたけど)
(ご両親は?)
(もろ手を挙げてってわけでもなかった。『お前の人生だから、お前が決めればいい』それだけさ)
(そう・・・・でも私はいいと思うな。誰でもない世の中のためになる方が、ただ何となく大学なんか行くより、よっぽどカッコいいじゃない?)
(村岡・・・・)
(頑張ってね!訓練、大変だろうけど!)
彼女は手を出し、俺たちは握手を交わす。
と、そこで目が覚めた。
デスクに足を乗せ、肘掛椅子に背をもたせ掛けたまま、すっかり眠っていたらしい。
彼方のテーブルの上には、空になったダルマのボトルが一本横たわっている。
ビーフジャーキーの袋も、無残に破れて口をあけたままだし、グラスも三分の一ほど中身を残し、テーブルの端で、辛うじて転落を免れていた。
点けっぱなしのラジオからは(俺の事務所にはテレビは置いていない)、女性アナウンサーが正月には定番の『あけましておめでとうございます!』を、くどいように繰り返していた。
夕べの大晦日、俺はたった一人のカウントダウンパーティーを開いている途中で、寝込んでしまったのだ。
普段酒を呑んでも、酔い潰れてしまうことなど滅多にないのに、だ。
(それに、何でソファじゃなくって、デスクなんだろう?)それすらも覚えていない。
おかしな姿勢で眠り込んだせいもあって、背中と頭がやけに痛んだ。
(しかし、何であんな夢を見たのかな?)
そう思って、デスクの上を眺め、そこに一枚の写真を見つけた。
セーラー服姿の女子学生が、桜の木をバックにして、こっちを見て笑っていた。
(村岡・…弥生か・・・・)
ガキの頃、俺は友達が少なかった。
元々無口で、人付き合いが下手だったから猶更である。
教室でも一人でいることの方が多かった。
おまけに教師連中が、厄介なのばかりだった。
特に高校三年の時の担任、あだ名を『カマキリ』といい、メガネをかけて逆三角の顔をした、ひょろりと背の高い、青白い顔をした、所謂『ヘイワ教育大好き人間』ときていた。
俺の親父が自衛官だと知ると、親父だけじゃなく、俺迄目の敵にし、数学の教師の癖に、突然授業を中断して『日本悪玉論』や『自衛隊は殺人集団』だのとぶち始めるのだ。
しかしそんなこと、俺は一向に気にしちゃいなかった。
似たような目には、小中学校の時に散々遭わされてきたからな。
そんな俺が、初めて心を許すことが出来たのが、高校に入学してから何故か三年間、ずっと同じクラスにいた、村岡弥生だった。
家が割と近く、いつも行き帰りが一緒。
その頃の女の子にしては珍しく、歴史や武器。それに軍事や戦争について、俺の知らないことまで知っていて、その話をしているうち、段々親しくなっていったのだ。
だからって二人きりでデートなんかしたことはない。手を握ったりなんて、沙汰の限りだ。
結局俺たちは『ただの仲の良い友達』以上には何も起こらず、そのまま卒業してしまった。
入隊してからも、時々は手紙のやりとりなんかをしていたのだが、こっちもあっちこっちと転属しているうちに忙しく、ついそのままにしていと、そのうちに便りも来なくなってしまった。
メール?
悪いがその頃はまだそういうアイテムがなかったものでね。
もっとも、あったとしたって、機械音痴の俺には、使いこなすのはむりだったろうが。
(今、どうしているんだろう?)と、時折思い出している。今思えば、あれが『初恋』というやつだったのかもしれんな。とも考えたりする。
しかしまあ、どうせもう彼女は結婚してるだろう。
何しろ故郷では一番大きなスーパーマーケットを経営している家の長女で、しかも一人娘だから、町を出ることはないだろう。
(大学へは行きたいな。でも、行ったとしてもせいぜい地元の公立大学で、好きな歴史の勉強をするくらいね)
卒業間際に一度だけ話をした時、そうも付け加えていたな。
(でも、たまには一つ長い手紙でも書いてやるか・・・・)俺はそんなことを考えながら、事務所を締め、ビルの階段を上った。
俺の住処は、このビルの天辺のペントハウスにある。
ビルのオーナーは、俺の自衛隊時代の先輩で気のいい人だから、俺が探偵になって独立すると話した時に、事務所と寝ぐらを提供してくれたのだ。
(エレベーターはちゃんとあるが、俺は階段しか使わない)
縦長のビルを上がり切ると、屋上に出た。
北風がびゅうっと吹き付ける。
その片隅に『狭いながらも楽しい我が家』があるのだ。
ドアのノブに手をかけようと、ふと見ると、郵便受けに何枚かの年賀状が突っ込んであった。
(まめな郵便配達だねぇ・・・・こんなところまで届けに来てくれるなんて)
そう思いながら、俺はハガキを繰った。友達のあんまりいない俺には、郵便物なんか仕事関係を除けば、届くことなんか滅多にない。
まあ、両親は健在だし、結婚した妹もいるから、くれるとすればそんなところだろう。
予想は的中していた。親父とお袋、それに妹夫婦、二三の知人。
その中に、見慣れない一枚があった。
『乾宗十郎様』
達筆の筆文字でそうある。宛名を見ると、
『吉岡弥生』?
(おや?)
そう思って裏をめくる。
そこには生まれて間もないと思われる赤ん坊を抱いて、純朴そうな男性と並んで写っている、和服姿の『彼女』がいた。
二人の両隣には、小学校の低学年と、中学生ぐらいと思われる男の子と女の子もいた。
『新年あけましておめでとうございます』綺麗な印刷文字でそうあり、脇にフェルトペンでこう書き足してあった。
『長い間ご無沙汰してごめんなさい。お変わりありませんか?お母様に伺って、そちらの住所を知りました。私ももう結婚して17年になります。父の後を継いでくれた主人と、子供三人に恵まれて、毎日幸せに暮らしております』
(な~んだ)
俺は苦笑した。
(ま、初恋は実らないってのが世の倣いか・・・・また一杯やろう)
腹の中で呟きながら、おれは我が家のドアを開けた。
終わり
*)この物語はフィクションです。
新春ー遠い日の初恋 冷門 風之助 @yamato2673nippon
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